Monday, October 18, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part5 懐かしいという感情とは何か?Part2

 未来という観念は不安と常に一体化している。従ってそれは起源的にも記述以前的前言語的想念の一つだろう。つまり言葉を習得していく以前的に既に我々は漠然とした到来する未来という想念を予兆力として備えている。
 それと懐かしさはどこかで関係がある。
 前回の結論を纏めつつ考えてみると、懐かしさとは「或いはこうであったかも知れない私」があるにもかかわらず「今現時点でこうである私」を可能性としてではなく運命として特化させる意志(運命化)が、今現時点での私以外の可能性へ私によって抱かれる若干の未練なのだ。
 が恐らく運命化によって現在の自分を肯定しつつ、過去に於ける岐路で現在へ繋がる進路を選んだことへの肯定感情があればこそ「或いはこうであったかも知れない私」は淡く美しく思える。
 しかしそれはある意味では未来に対する不安、つまり我々はいつか自分自身の時間が死と共に停止することを知っているからこそ、その不安を除去しようともがくことなのだ。勿論淡々とである。
 未来という予兆力とは現在の消失、現時点の過去化の別名でもあるが、それ(それは概念的理解であるが故に)以前的に言語的想念全体の基盤をなす様な何らかの予兆力である。勿論それは受動的綜合の様な根源性とも違う。運命化による選択進路の美化を支えるものとは後悔的想念の到来への予めの忌避感情である。
 我々は未来という一つの不安を払拭するが為に言語行為を持つと言っても過言ではない。不安に対する忘却の一つの自然な欲求が時間的観念の系列化という作業である。過去、現在、未来と系列的に位置づける。しかし未来は我々にとって常に完全不在であり過去や今自覚しつつある現在とも明らかに違う。それは記述に於いて系列的秩序が形成する最中に現出するものである。だからこそ不安の別名なのだ。
 そんな折確かに我々は過去を「懐かしさ」として捉えることによって運命化しつつ、不安から逃れ、生を意義化することが出来る。過去は完全不在であるが未来の完全不在とは性質が違う。何故なら過去は記憶的に想起され得るものの全体である故だ。
 確かに私が生まれる以前にも系列的に時間は経過していたし、それを概念的に私は把握し得るが、それは私個人の記憶によることではない。従って系列的先後関係を理解する要は記述行為によってである。そして記述行為自体を支えているのは漠然とした予兆力であり、それこそ意志を意志させる礎であると言える。

Saturday, October 2, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part5 懐かしいという感情とは何か?Part1

 私達は日々かなりの分量で不必要な情報を摂取し過ぎている。本来よく考えてみると自分自身にとって本当に必要な情報とは限られている筈だ。しかし一旦会社に行けば同僚達との横の繋がりなどがあって、昼食を共に取り、会話は弾めば自然と社会一般のことを井戸端会議的に交わすこととなろう。
 しかしそこで得られることは人間観察であり、対人関係上での個々の成員の性格把握であり、会話から社会的人格評定を下されるということに対する自覚であり、それ以外、例えば実際に交わされた会話で出て来たエピソードが後日自分の役に立つことなど殆どないと言ってよい。
 勿論同業者間で個人経営者や事業者、或いは特殊技術専門家同士が会話する時には同一業界内での情報交換的意味合いもあるだろうし、同一社内の人とも情報交換は、相手が別部署の人であるなら意味もあるだろう。しかし一番多く接する同僚、つまり同一部署内の人達との会話で出て来る話は同一部署関係の内容以外は多くは社会一般の今時節的に話題となっていることに限られてくる。
 しかしそれらを巡る大半の情報はその時だけのものである。これほど無意味なことはない。
 私達が過去に於いて自分が体験してきたことに関することで大きな出来事がある時以外、今話題となっている人とか、それ以前そうであった人に関する知識などは本来仮に友人、知人、同僚との会話に役立てる意味以外に何の価値があるだろうか?そもそも一人の人間にとって切実な情報など極々限られているのである。
 しかし自分自身にとって切実な経験であったことを今想起する場合、想起自体は突然脳内で「自分の意志」とは別箇にやってくるものであるが故に時々無性に懐かしさを催すこともある。
 ではこの懐かしさを催すということの正体とは一体何だろう?
 例えば上の話でかつて親しくしていた同僚で、今は配置転換で全く遠くに離れて生活している者が突然死んだという知らせが入ってくると、途端に上のその者と交わしたとりとめのない昼食時でも話題となっていたエピソードなどが懐かしさを催すことがある。
 案外大して情報的価値がその時点ではなかったことの方が懐かしいとさえ思えるかも知れないのだ。
 これはある意味では我々が今現在立たされている自己状況全般が、実は過去のある時点で、或いはある時期に於ける思索の結果、決意の下でこうなっている、ということを我々は知っていて、その決定、つまり長期的人生設計上での決定自体が、ある時点での自己人生に対する運命化、つまり「私の生き方は~でよい」という決心に基づいているということ、つまりそれは、それ以外の選択肢に対する断念と、そう断念せざるを得ない形でしか人生を歩めないという諦念によって得られる情感から齎されてきたのだ、とも言える。つまり懐かしさとは、それを失っていったという事実は今現時点で自覚出来て、今得ているものと引き換えに失っていったものに対する固有の感情であるが故に、懐かしさとは端的に自己運命に対するささやかなる恨み節的要素も介在しているのだ。勿論自己運命自体を開示してきたのは自分自身である。しかしその自分自身が止む止まれずに選択してきたことの内には全て簡単に棄て去ることの出来なかったものも多かったに違いない。そこでその得たものと失ったものとの間のバランスが現状に対する満足に於いて、十分過ぎる領域に対する感謝があればあるほど、逆にそうであるが故に、別の部分では当時の自分を棄てて今の自分を選んだという事実に対する記憶と自覚があれば、尚更「或いはこうであったかも知れない自分」というものに対して思惟を巡らせることは常に可能である。
 つまり懐かしさとは恐らく「或いはこうであったかも知れない自分」自身に対する叶わぬ憧れ、今現時点での満足と引き換えに失ってきたものに対する未練とが混ざり合って、固有の切実さを提供するものである。それはある年齢、特に四十五歳を過ぎた時点で、それより十年以上前には普通にしていた習慣とか、頻繁に会っていた知人などに関しては、その様な感慨を抱くことは容易いだろう。しかもそれほど親しくなる前に疎遠になっていった人達は特にそうだ。何故ならその人達と疎遠となっていったということは、そのことと引き換えに別の人達と親しくなっていったということを意味し、それは「或いは別の形でなら親しくなれた人達」というものだからである。
 それは当然引っ越しをする時に何箇所か候補を挙げて結局今住んでいる場所を選んだ場合、「或いは別の形でなら住んでいたかも知れない場所」という形で下見に訪れたことなどが懐かしく思い出されるわけだ。従ってかなり親密にしていて疎遠になったものと同じくらいに、否ある場合にはそれ以上に突然脳内で向こうからやってくる想起対象であるエピソードとは端的に「或いは~であったかも知れない」という要素の些細な、しかしニアミス的にそれ以降遭遇を得ることなく、ある瞬間に於いては極めて切実な印象であったのに疎遠となっていったもの、者、場所たちであると言えよう。

Sunday, September 19, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part4 記憶と人格

 三十年前の自分とは今の自分にとって既に他人である。
 三十年前の自分とも今の私が出会え、しかも三年前の他人とも出会えるとしよう。恐らくその時今の私にとって三年前の他人の方が三十年前の自分よりもより身近に感じられ、話も合うことだろう。
 私にとって15年来の友人K氏と最初に出会った15年前の思い出も、5年くらい前の彼との思い出も、2年くらい前の哲学塾KでのF氏、S君、F君、I君、Y氏との思い出の方が三十年前にあったことよりも私にとっては懐かしい。
 何故なら三十年前には古い付き合いとなったK氏とも、今親しくしているT君、N君、Y氏、Y君らとも誰とも知り合っていず、しかも当時親しかった人達とは今では誰一人として親交がないからである。
 どうも人は(私だけかも知れないが)今現在重要な出会いとなっている人との間にあったことの方を時間の隔たりを持って記憶されていることよりも優先して思える様になっている様である。
 しかも今現在親しくしている人との間の思い出は、たとえ15年くらい前でも今年にあったことでも、どちらが思い出しやすいということなく変わりなく思い出せ、それはつい最近知り合った人達との間でのエピソードと比べても何の遜色もないくらいに私の記憶上存在するが、疎遠になっていった人々との思い出の方は、それがたとえ一、二年前、厭もっと三ヶ月くらい前のことであってさえ、未だに親しくしている人との15年前の思い出に比べて遠く感じるものである。明確に詳細を思い出せないことすらある。
 また、私自身に於いても今現在から見て三十年前の自分とは、今の私から見て三十年間歩んできた私自身の歴史を三十年前時点での自分故一切所有してはおらず、その後三十年歩んできた私しか知らない事に於いて、私は三十年前の私と話をすることが出来ない。そのことで私はいささか物足りなさを感じもするだろうし、それに引き換え三年前の他人であるなら、少なくとも今の私にとって、三十年前の自分より二十七年分の共有し合った時間があるのである。従って私は却って三十年前の私に対して、三年前の他人より余所余所しさをきっと感じる筈なのである。そして三十年前の私と、三年前の他人と二人同時に私が相対するのなら、私はより三年前の他人との間で話が合うことの方がずっと多いだろう。
 私は三十年の間に何度も身体の全ての細胞を入れ替えてきている。従って今の私がいきなり三十年前の私と出会ったなら、まるで他人の糞生意気な若造と相対しているかの様に思い、傍らに三年前の他人がいたのなら、その者と共に三十年前の私を非難さえしているかも知れない。
 ここで私が考えていることとは、懐かしさとは時間が隔てられているという単純な今現在との間の時間の長さによって与えられている感情ではない、ということである。しかしそれは何故か?
 それは恐らく記憶というものが、過去の再現ではなく、今現在による過去に得た経験的事実の意味(過去に得た)の再生であるからではないだろうか?
 従って1ケ月前のことも六年前のことも然程今の自分にとって重要度というものに違いがないのなら、双方とも克明に思い出すことは容易である。しかし昨日のことでさえ私は今の私にとって重要でないことを、今の私にとって重要なことと同じ様には思い出せないし、三十年前のことでも、今の私にとっては既に何の関わりもない出来事を、たとえ記憶していたとしても、私はそのことを今懐かしいという思いを持って想起することなどないだろう。懐かしいと感じられているのなら、それは今現在の私の、或いは私の感情(に於いて重要であると思えること)と関わりがあることなのである。そして三十年前にあった今の私から見て今の私には何の関わりも感慨も齎さないことよりは、ずっと私は半年前にあった今の私にとって重要なことを懐かしく思い出すだろう。
 それは記憶と人格の問いへと私達を誘う。
 何故そうなのか?
 それは端的に個々に於いて過去全体に対する思い出し方、想起する契機自体に差異があるからである。つまり記憶事実の再生という脳内思念自体に恐らく全ての個が固有の傾向を有している筈である。それは記憶が人格を形成しているという当然の事実以外に、人格が記憶事実を再生している、或いは人格が記憶を保有していて、全体を司っていると言うことも出来るからだ。
 例えば私は日々現在未来へ向けて努力したりして、何か実現したいと望み常に何か取り組んでいる。しかし同時にそのことで、過去はどうであったということを現在との比較で考える。しかしそれは過去にこれこれを習得出来ず失敗した、とか逆にあれは実現し得たということがあるから未来への今現在の設計も成立していることを私は知っており、そこではたと過去を想起することはある。何かを中断した時などである。何の気なしに外の風景を室内から眺めた時などにである。
 その時今何をしているかという状態もそうであるし、今現在を形成している自分の意志と行為全体を支えている私の人格が固有の読みを過去に対してするということはあり得る。つまり三十年前にあったことを今の私は今の私の人格を通して思い出している。その時の自分の気持ちを記憶はしているが、それはその後の三十年間の経験によってその時のままの気持ちからかけ離れている。
 当時辛かったことでさえある覚めた見方も出来る。そういう意味では常に記憶とは現在の作用である。そして過去全体の在り方を規定しているのも現在の自分である。そしてあたかも私は三十年前に辛かったことをありありと思い出せはするものの、それをあたかも他人の様に眺める様な感じで思惟することも可能なのである。それは過去の人格に今の私の人格が左右されている部分はほんの僅かであり、今の私の人格が過去の私の人格を俯瞰している部分の方がずっと広大であることを私が知っているからである。
 今の私の人格が過去の私の経験した事実の意味も変え得るということは、端的に認知が過去の感情を統制している、という側面も強い、ということを意味している。

Friday, September 17, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part3

 私は今根幹の問題として同一性の問いが、情動の問いとどう関わるかということが最大である、と考え出している。何故そうなのか?
 意外と答えは単純である。
 まず我々は必ずいつかは死ぬ。しかし死ぬ瞬間まで死ぬといことがどういうことであるか、ということを明確に語れる者は残念ながらいない。瀕死の状態を経験したり、臨死体験を体験しても、それは即ちそこから帰還したという一事を持って例外なのであり、つまりそれは生の中での出来事であるに過ぎない。
 しかしその死ぬことが分かっているからこそ、「しかし今私は死んでいない、生きている」という形で私は自己同一性を、例えば私であるなら51年近く生きてきたという形で理解している。
 しかしそれはある意味では私自身が日々変化しつつあるという事実を無視した記憶としての過去から現在への同一性に支持されている、ある固有の想念でしかない。私は一日の間にそういった自己同一性について考えているわけでも想念しつつあるのでもない。厭寧ろ積極的にそういった思念はある時突如閃くくらいのことでしかない。私は何かの拍子に昨日の朝食で何を食べたか想起することがあるかも知れないが、その時までその必要性がなければ、一切それを敢えて思い出そうとは思わないし、そのまま何と言うことなく忘れ去っていくことであろう。しかし当然のことながらその事実に私は格別悲しくもない。それと同一性への問いはある意味では同じである。それは問えば分からなくなるが、問わなければ誰しも理解しているとも言えることであるからだ。
 つまり私は日々ある部分では大半のことを忘却しつつ生活していく、そしてだからこそ全ての自己同一性を自分の中に維持し得る。それはそういった連なりであることだけは理解出来る私の日々の中でもっと重要な幾多の事項が、ある時間系列に於いて前後関係だけは理解し得て、その詳細な日々をカレンダーに印をつけたこととかから「ああ、そうであった」と想起し得るに過ぎない。
 そして大半の私の想起は時間系列的であるよりは、よりエピソード的に個々のことに於いて想起される。只K氏と知遇を得たことと、N君と知遇を得たこととの間にある十数年という歳月を私が認知し得るが故に、個々のエピソードの先後関係をも認知し得るだけのことであり、それは個々のエピソードの重要性とは何の関わりもない。
 同一性は只単に時間系列的なことではなく、要するにある過去に経験した事項を私がいつでも即座に想起し得るという事実に於いて成立している。その意味では同一性とは記憶という名の別名でさえあると言える。ありありとした記憶を生きる私という事実に対する認知である。
 しかしそれはある意味では現在の様々な知覚と、現在進行しつつある関わりある出来事、関与と言う事に於いて認識され得る、つまり現在こそが想起させている、とも言える。つまりそれは現在の関わりや現在の諸問題にかかりきりになる、という意味で、過去を意味化している、つまり現在の側から過去を意味づけているとも言える。
 しかしその意味付け、つまり現在を現在として認識させる認知は明らかに、過去の記憶が総体として、或いは個別の想起を伴って理解されている、というやはりそれも現在の認知でもあるのだが、その事実が支えている。それは感情が情動的なことの現在に於ける意味づけに於いて、過去を過去性として、或いは過去を現在へと連なる何らかの因果的誘引材料として認識するが故に、記憶を一つの財産として認可している自分という、つまりそれも一つの大きな自己同一性なのであるが、それを伴っている。
 確かに過去は一つの記憶上での財産である。それは一つの価値的響きを持っている。勿論それは記憶能力に拠っている。記憶はそれを仮に「その時にそうであったこと」と多少ずれていたとしても尚、その事実が在ったという事に於ける想起能力の故である。
 記憶(同一性を支えているもの)が情動を誘引し、情動は感情的に過去から現在の系列の中でそれを意味づける。そうすることで、現在が過去を想起対象として秩序づけてもいる。つまり同一性が情動を、情動が同一性を支えている。それは凭れ合っているが故に、同一の作用でありながら、個々全く別のこととしても抽出し得る。
 欧米哲学的認識の要素還元思考的認識方法と、全てを連なりとする中国起源とする東洋指導とが一元化される、ということはそういう個別的に想起し得るということと、それを総括的に分かち難いとする、やはりそれも同一性の問いによってである。
 同一性はある意味では環境総体的には東洋的であるが、個別想起に見られる固有性に於いてはかなり欧米的である。つまりこの二つはやはり切り離して考えることは不可能なのである。

Thursday, September 2, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part2

 少しもっと日常的視野を求めて考えてみたい。
 前章で私は基本的に私達が如何にエゴイスティックに生活しようとしても、それを成立させようとする中で必然的に利他的にならざるを得ないと述べた。
 そこで私は「青年に特有のエゴイスティックな正義観やら、年配者に対して不純なものを感じ取ってしまう固有のヒロイズムもまた、そういった他者に対するお節介的な利他主義である」と言ったし、「もし仮にある青年が酷く中年以上の人々の生活全般に対して反抗的意図を持ち合わせているとしたら、それこそその反抗する相手に対して何らかの自己内で言説的に設定した理想を当て嵌め、その理想と著しく乖離していることに不満であるからである」とも言ったが、そのことに就いて前章では特に言及しなかったので、そのことを軸に考えてみたい。
 青年期に抱く固有のヒロイズムは個人主義と自己責任への気負いから他者をも巻き込む固有のお節介型の利他主義であることは確かだが、自分より年長者全てが自分より不純に見えるとしたら、それは端的に社会的に責任者としても自己への要請としても認知されていなさがそういう気負いを、武者震い的に与えているとも言える。しかしこれはやはり立派な共同体成員意識であるが故に利他的である。何故なら自分と志を同じうする者への配慮を意識が控えさせているからだ。
 ヒロイズムとはどんなものであれ、気負いから成立しているが故に義務的感性を自己に強制することに愉悦を感じているが故にその感性に共鳴する者に対しては結束心を共有するという意識をどんな者にも持たせる。
 しかし後半の反抗的意図となると、それはもっと過激である。要するに自己の自己への期待とか責任付与に於ける実現されなさが鬱屈した社会的存在理由の認知されなさと自己へ付与されなさに対する焦燥がそういう態度へと主に年配者へと注がれるわけだ。
 従ってこれだけやる気があるのに、社会はそれ相応の責務を自分に与えてくれないという意識がある以上その意識には社会に対する信頼が根底にはあることとなる。つまり「反抗する相手に対して何らかの自己内で言説的に設定した理想を当て嵌め、その理想と著しく乖離していることに不満である」状態とは、端的に社会とか自分が期待したのに期待外れに終わった多くの年配者に対して少なくともその一定程度の信頼と技量に対する容認の意識を持っている。つまり少なくとも相手に不満を抱けるということ自体に、相手の能力を(それが社会一般であるなら、その社会に同化しようという意識を植え付けさせる社会への希望を)信頼していることを我々は読み取ることが可能なのである。
 もしどんな年配者へも、そういった人達全体としてある青年個人に降りかかってくる社会一般に対して信頼もなければ、又その社会や社会成員への能力的評定自体へ懐疑心が自己内で蔓延しているのなら、いっそもっとニヒリスティッシュな態度へと青年を駆り立てる筈だ。
 しかし不満を持つということは、その不満を不平を誰かに漏らし、そこから打開策を見出したいという欲求を認めることが出来るが故に、我々はその青年の希望を容易に読み取ることが出来る。最早何の不満も漏らしてもどうすることも出来ないという者に不満という感情は起こらない。
 勿論通常の人生でも一度や二度くらいならそういう気分へと陥ることもあるだろう。或いは本当の意味で不幸な境遇とは、そういう風に一切の不満さえ抱けないという状態にある、と考えることも可能である。だが逆にそのことは、不満さえ抱ける様になるということは希望の萌芽であるということになるのだ。

 その当の希望とか信頼ということ自体既に感情的な様相であるし、その感情的様相を快として、或いはその快を得ることを理性的に善しとすることに於いて決然としていること自体に、生の意味を我々は感知し認知している。そこでも感情と意味が希望も信頼も支えている。
 否それどころから我々は挫折や裏切りに遭い、或いは理不尽に誰かに殺害されようとしかかっている瞬間でさえ絶望という名の希望と信頼という俎板でのみ成立する感情に満たされている。
 もし今まさに殺されかかっている人があったとしても、その者に愛情とか信頼とか希望という観念自体が全く欠如していたなら、その者は絶望に打ちひしがれることすらないだろう。或いは容易に殺されること自体を受け入れる(受け入れるという積極性さえない状態で只機械的に)だろう。
 つまり感情と意味の相補的一体性こそが制度へ受容する様に積極的に社会や共同体に同化しようと試み、その中でピアプレッシャーを感じつつ生活する中での全ての反省意識を支えているとも言えるし、又そういった日常生活全般を支える根源的な意志(volition)を育んでいるとも言える。
 信頼も希望も実はかなり深く時間感覚に根ざしている。
 例えばある人が今教授してくれることは、将来の自分にとって何らかの役に立つだろうという目算で何らかの専門教育を受ける受講生にとってその教授自身への信頼は自らの学者とか技術者という専門家としての将来への展望に根差しているし、ある日の講義で先週その日することとなっている講義内容にわくわくするという希望に満ちた朝の学生にとっての気持ちはその日の正午前に終了する一時限目の講義という近い将来へ向けられているという意味では、全ての信頼や希望は時間なしに成立し得ない。
 それは過去から現在までに渡る時間的推移と、これからもまた継続されるであろう、そういう時間の推移に対する移行過程そのものへの直観でもある。

Wednesday, September 1, 2010

<感情と意味>結論 感情と意味Part1

 私たちにとって言葉によって語ること、何かを記すこと、それら全てはそうすることによって決意を固めているということだ。それは感情自体を認識することであると同時に、感情を意味の相貌で理解することでもある。つまり感情と意味とはそうすることで実は一つのことにおける異なった現われであることを我々は知る。利己的であるとか利他的であるとかいう査定自体は極めて状況依拠的であり、それらは往々にしてより利他的でありたいと願う心理が、それ以前の状態を利己的であると認識したり、あまりにも他者に対する気遣いが過ぎるということから、もっと利己的になってもいいという風に判断したりするような意味で、要するにそれらは相対的に二分法を利用することで我々が自己の立ち位置を確認しているのである。それは感情自体もそういう風に捉えられることを意味している。つまり感情それ自体は極めて衝動的ではあるが、その衝動を意味づけるために我々は意味を利用するのである。つまり何かをしようと決意する時確かにその行為自体に対してある論理的筋道をつけて、意志決定を合理化するが、その意志決定を整える意味で言語が意志を明確化するために利用される。そしてその言語を誘引しているのは、そうすること、つまり行為を欲求が促進していることの中でその欲求を意味づけたいというもう一つの欲求である。欲求もまた一つの衝動だし、その欲求という名の衝動を理性的に整えることを通して決意を固める。そしてその固められた決意の下で行為をすることを我々は価値と感じるのだ。
 そもそも感情自体が、情動を意味づけられたものであるが、その感情自体を行為へと直結させるために我々は感情自体への意味づけを行う。そこで感情は意味づけされたものとして意味範疇に収められる。そうすることで感情を価値ある欲求であると我々は認識するのである。
 私たちは何をするにせよ、そこですることに価値があると思えないのであれば、それ以上何事も続行出来ない。そこでしたいという欲求自体に対して、検証する。しかしそのしたいことが出来ることであり、それが害悪ではない限りで躊躇する必要がないが、することが害悪となり得る可能性を少しでも感じ取っているのなら、即刻断念する必要性に迫られる。つまり行為がする価値あるものと捉えるかという意味づけに苦心するわけだ。だから感情自体はその感情の赴くままで進行させるのであれば、何に対しても感情は志向する。嫌いな人間はいなくなればいいとも思うし、死んでも構わないとさえ思う。しかしその感情を「考え」の上で判断すれば、それが誤りであったり、よくないことであると道徳的に考えれば、我々はそれを判断において抑制したり、そう思わないように心がける。そのように心がけること自体が一つの決心となり、その心がけ自体がより履行されることがあれば、我々は自己に対して自信を持つことが出来る。この時自己に対する自信とは端的に人格の陶冶ということに他ならない。だからこそ、つまりそういった陶冶する必要性を価値として認識しているからこそ、我々は感情を意味づけて、その感情を行為へと直決せしめることが可能であるか、あるいはそれは正しいことかと問う。その時感情自体がより客体化されることによって判断は円滑になされよう。
 勿論人間は道徳的なこと、倫理的価値があることだけをすることも出来ないし、適度の個人的快を求め、それが他者一般、社会に対して害悪とならない限りで嗜好であるとしても構わないと判断する。嗜好自体は害悪とならない限りで許される個人の快である。しかしそれ自体はとりたてて人生や生全体に秀でた価値を有するわけではない。しかし気休め、気晴らしといった気分の問題を処理する意味では、快を感情論的には有効なものとして認識することは出来る。
 つまりそういった意味づけにおいて価値が充満していないからこそ、真理的な価値を見出す心の余裕が育まれるとも言えるからだ。

 脳科学では感情はエピソード記憶や意味記憶などから喚起されると考えているようだ。それは正しい一つの捉え方である。感情自体が想起を促しているとも言えるし、そもそも何らかの記憶とは、その記憶された事柄に対する感情に対する記憶でもある故、我々は感情を有してある場面に居合わせたという事実認識からも、感情が我々が存在したということを明確化している、つまり意味化しているということである。存在するものは我々の感情によって、存在するものとして意味づけられることによって物として理解される。カントが物自体と言ったことの背景にはやがてハイデッガーによって存在への配慮と言われることを可能性が予兆している。つまり物自体に対する意識を有すことによって我々は我々自身を存在せしめるのだ。そこには物ではない我々という認識を通じて、生の一回性に対する認識を生じさせている。つまり意味自体が存在することを、我々と物という対比で考えることを促している。何故なら存在するとは、一回性の生の価値認識に他ならないからである。
 我々が何度でも空間を行ったり来たりするように時間を往来出来るのであれば、そもそも我々は価値という認識を持たないだろう。価値とはやがて失われていくからこそ意味を生ずる。失われていくことは我々の生命のことである。それ故価値は一つの固有の感情である。認識であるばかりではないのは当然である。そしてその価値という感情はそれ自体意味づけられており、意味とも持たれあっている。意味が価値という固有の感情から感じられると同時に、全感情は意味づけという脳内思考の習慣が齎してもいて、その二つは先後関係では示し得られない。
 つまり感情を意味づけるからこそ、我々は感情を有している存在者としての自らの命脈を生きることが出来る。いや意味が感情を喚起しているとも言えるのだ。
 意味が感情を喚起しているということは、言い換えれば我々は意味づけなしに生きることを虚しいと感じてもいて、その気分こそが根源的なことである、と認めてもいることを意味する。
 つまり最大の気分とは只単に瞬間的な衝動やその時々での気まぐれでは虚しいという生への意味づけなのだ。
 意味が感情を喚起する様に感情も意味を喚起する。この二つは勿論後付的に認識すればそうなるだけで、本来二極に意味と感情を分離することすら実在的には不毛だし、観念的な理解に於いて我々はたまたまそういう図式を思い描くに過ぎない。
 元々身体を持って存在する我々にとって環境とは多様な意味を持つ。
 自然環境も社会環境も、それぞれの他者も実在的には環境であり、自己身体の存在すら環境である。実在的にそうであることは、観念的には自分の考えとか決意に支配されるという意味では考えや意図、意志、欲求もまた自己にとって環境である。
 時間自体も物理学的な考えでは空間と同じ様に交換可能であるらしいが、それはそういう物理学の抽象世界を理解すること自体を我々が意味として認識しているからであり、その意味を真理であるともし受け取るとしたら、それは端的にそういう意味づけを価値として自己内に受容して認可していることであり、そういった価値基準を保有することの決意を促すものもまた一つの感情であり、意味であろう。その場合感情や意味は客観的理解とか真理的洞察への価値を認めることに吝かではないある種の探究心である。
 探究心は抽象的レヴェルから具体的、日常的レヴェルまでグラデーションがあるが、それらは相互に価値的に交換可能であり、故にこそ我々は日常会話を自分の専門外の人達とも交わせるし、具体的日常的場面で自己専門領域の知は活かされるし、応用適用され得るし、同時に自己専門外のことへの知の好奇心と敬意を持って他者と接することを可能としている。
 勿論知ることの深度という意味では自己専門以外には自ずと限界はあるし、漠然とした大雑把な理解に留めおくことを自然と我々に決意させる様な態度を他者に取ることを、他者からも期待しつつ自己もまた他者に許可される様に望む。
 そこには当然他者存在の自己生にとっての環境的意味合いに於ける偶像的認識がある。
 他者に責任を明示し得る範囲は業務責務的にも、余暇娯楽的にも態度としては等価に示され得る。要するにそういう態度明示によって自己内の把握や理解と、他者に対する把握や理解を「自分なりにしている」ことを極自然に表明し、その限界を限界として相手に認可して貰うことを通して相手にもそこに完璧を求めないという態度を示すことによって、相互に相互を適度に偶像化している。
 他者環境自体は、自己身体という環境の絶対的理解の不能同様ここで、そのものの絶対的踏み越えられなさに対する自覚を相互に認可し合うことで、社会環境へと自己と他者の関係を位置づけている。 
 従って自己は相対的であるが故に、哲学的現象性という概念が「自分にしか感知し得ないし、他者に伝えられないクオリアや意識の在り方」を規定するのだ。
 逆ではない。だからこそ意味が固有の「自分自身であることの切実さ」という感情を喚起している、とも言い得るのだ。
 情動的に自然環境に溶け込みたかったり、自然環境から人工的自然環境に移行して空気を吸ってみたかったり、自己内思念という思考環境に身を委ね他者存在を思念上でのみ受け付ける様な他者との意思疎通性全体を客体化したりしたかったりという、ある種の自分勝手こそが、意味によってその存在を保証されているとも言える。それがあるから意味が派生する様に思えてきても、そうではない。
 意味に対する認識力、意味に対する存在的価値認識、人生全体をそれを通して価値づける行為の連鎖の中でこそ我々はそういった個々の欲求を刹那的気分とか衝動として理解する。
 全ては言語的認識と、言語習得的社会規範的理解の範疇で意味づけられている。
 確かにクオリアも切実だし、意識が随伴現象的なものであれ、絶対的なものであれ、相対的に理解し得るものの範囲に留まるものであれ、それを切実に感じさせる、つまりそういう固有の価値の感情を保有すること自体が、そういう意味づけする脳内思念の環境から我々が自由ではないという事実へと自覚させる。
 他者と妥協したり、ものや道具と共生したり、社会環境に自己を適応させたりする中で、他者をも含めた全ての環境を意味づけ、そうしないで漠然と日々を送ることを空虚と感じたり、物足りなさを感じたりすること、つまりそういう感情を保有すること自体も我々が意味を理解する動物であると我々自身が深く考えても考えなくても知っているということを物語っている。
 意味は確かに理解されるし、理解されると行為も言語的認識も、脳内思念もある切実さで、存在価値を帯びてくることを我々は知っているからこそ、それを他者との間で意思疎通し合うことの意味の中に自己存在を社会的な意味合いに於いても、生自体を生物学的に自然な欲求として認めても尚、いずれにせよ「生きることには価値がある」と思える。
 つまりそういう感情自体を我々は価値と認めることに吝かではない。その感情自体への億劫でなさこそが、生きる気力である。その気力は恐らく他者との意思疎通で理解し合えるとどこかで(どんなに哲学的懐疑主義者であれ)信頼しているからである。
 それを現象学者の様に共通了解と呼ぼうが、デヴィドソンの様にチャリティ原理と呼ぼうが、取り敢えずはその選択自体に重大性はない。
 意味は理解される、と言った。そうすること、つまり理解されることが価値であるという認識自体が一つの感情であることは、それ自体が客観的であるとか主観的であるという問いを超越する。
 それは端的に存在論的であると同時に認識論的である。従って実在論的であるとか観念論的であるという問掛け自体もそれと同様同時的であり、語り尽くすことと、沈黙を守り通すことが相補的である様な意味で解決を求めることは不毛である。それは先ほど感情と意味の分離に於いて述べたことと同じである。

Sunday, August 29, 2010

<感情と意味>第五章 第十節 自分より年少者に対して感じることから伺えること 

 自分より若い世代の人たちがどういう考えで生活していっているかということへ興味が出てくるのは四十代以降の人々にとってはごく自然なことだろう。そして今現在四十九歳で五十を目前にした私にとってもそれは同じである(この文章を書いた時点で私はそうだった<この文章は去年(2009年)秋口前くらいに書いた。今現在私は来月(9月)末に51歳になる目前でこの文章をチェックして更新している>)。
 そして概して若い人たちがある真摯な大人意識を持つ時、中年以降の人々は彼らが徒党を組んでいて、その狭いセクト的意識にしがみ付いているとそう思ってしまう。これは恐らく自分の年齢へと向けて歩み始めている人たちが、既に歩んできてしまっている自分の年齢に近づいてくるという歩み自体に対して、既に歩みを終えた者が歩み始めた者の意識を、かつての自分という風に理解することに起因しているのだろう。つまり自分にとっては終えてしまったことを今から始めようとしている者に対しては、私たちは何をしてもどうなっていくか分からないのは向こうだけで、こちらからすればある程度予想し得るとそう勝手に思ってしまうからだろう。年配者の意見をよく聞く者は概して出世が早いだろうとかそれくらいのことなら判断し得るが、それとて自分を中心とした勝手な判断でしかない。要するに嫉妬感情も手伝っている。向こうはこれからなのに、こちらは既に歩みきってしまっているからである。従って相手が年少者の場合、自分の言うことをよく聞く若者に好感を持って接するというだけのことなのである。しかし自分が若かった頃の時代背景と今とでは全く事情を異にしている。しかしそこは自分から見たら、勝手に一般化してしまっているというわけである。
 だから逆にその自分勝手をよく納得して最初から一切の自分の側からの主観を差し控えるタイプの年少者に接する年配者とはそれだけである程度用意周到な感情抑制論者であり、端的に若者の心理を掴むのが巧妙であるとは言えるだろう。しかし主観を極端に抑えることが可能なタイプの成員とは、多くは、自分の真意をあざとく悟られたくはないから、相手に対しても真意を表出させないようにもっていくことをモットーとしているということだ。するとそういうタイプの人間に若い頃に目をかけて貰えると、そうではなく自らの主観を前面に常に押し出すようなタイプの年配者に対してあまり素直に自分を表出することを控えるようになる。
 人間は思春期前後に知り合い啓発された年配者のマナーにある部分ではかなり支配されやすい。だから逆にそのことに自覚的であれば、一旦受けた影響を振り払うために意図的に努力する必要がある。勿論思春期以降にはそれくらいの分別はつくから必然的に影響を受ける大人、つまり自分より年配者のメンバーはころころ変わり得る。またある意味ではどんなに青春期に出会った人に大きな影響を受けても時間が経つと冷静に「あの人との出会いは自分を変えなかった」とそう思えることも大いにあり得る。
 そういった時期こそが青春期であると知っている四十代以上の世代にとってハイティーンから二十代にかけての青年たちの振舞いに対して一定の批評眼を抱くのは当然のことである。しかし自分にとって極めてよく靡いてくれる青年に対して贔屓の気持ちを抱くと、ついもっと啓蒙してやろうという下心まで芽生えつい行き過ぎた指導を若い世代の人間に与えようというお節介が出てしまう。しかしそれはあまり行き過ぎると相手は引いていってしまうということを何より自分が若い頃遠のいていった年配者との経験で知っているのである。しかしそれでも尚自分の若い頃と似たタイプの青年にはなかなかそういう巧い距離の取り方を出来ないということも多くあり得ることである。そういう風に覚めた目で相手と距離を取りつつ交流していくことが理想であると理性的には知っているのが中年というものである筈だ。しかしそれは「本来ならば」であるし、その格言自体が一つの規定的価値でしかない。
 しかしつい自分の主観を前面に押し出しあまり体裁的に建前主義的に自分より若い世代に接することが下手な成員が却ってそうであるが故に熱心に若い者を指導しようとする時、それは良心的であると自分では思えるが、逆にそういう主観を前面には決して出さないマナーをごく自然に叩き込んでいるタイプの成員はそれはそれで結果的には悪辣さを相互に認め合うという形で利他的である。また主観を最初に相手が自分よりも若い世代であれ惜しみなく示すタイプはタイプで、結果的には良心というものを素直に相手に示すことを享受するという意味では利他的である。従って利己的であることを示すタイプの後者であれ、最初から人間は利己的なのだから建前的な不干渉主義(相互に利他的に振舞おうという)をルールとして採用している前者であれ、結果的には利他的に位置づけられてしまうということは両者の共通した運命なのである。
 前者を正義は個的な良心を抑制し合うもの(お節介回避型)であるとして利他的であり、後者は正義を信じる以前にまず個的な良心で相手と接することをマナーとしているという意味(真意表出型)で利他的なのである。そしてそのいずれを選択するかということは概して相手次第であり、前者でも後者でも自分にとって交際しやすいタイプというのは若い世代であれ、中年以降の世代であれあるだろう。また今挙げた二分法では収まりきれないどちらとも言えない態度も多くあるということだ。
 要するに我々は正義を信じていても、そんなものなど幻想であると思っていても所詮、利他的であることの範疇を他者存在のどうしようもなさにおいて自覚せざるを得ない存在なのである。それは寧ろ利己的であると自覚したり、そう生活自体を成り立たそうと考えたりする時点で既にそうである。何故ならエゴイスティックでありたいと願い一切の人間関係を遮断しようと決意すること自体に既にあまりかかわりたくはない他者に対して一定の距離を保ち、不干渉を決め込むという配慮がどうしても成立してしまうからなのである。つまり自らエゴイスティックであろうとする決意とは、端的に自分以外の他者全員さえ、自分のようなエゴイズムを理解して貰えればそれが自己エゴイズムを成立させるためには最適な条件である段階で既に、他者全員さえ自分と同じようなエゴイズムを保持して貰えればそれに越したことはないという方途を志向してしまう。つまりもし自分のエゴイズムを成立させようと画策しても、隣人がほっておいてくれなくても友好関係を持とうと誘ってくるのであれば、自己本位で他者のことを一切斟酌しない生活は破壊されてしまう。するとその時「あなたもまた私のように自分勝手に生活して、一切お互い干渉し合うのをよしましょう」と提案した時既に相手にもまた、こちらからは一切声をかけませんから、どうぞご自由になさって下さい、という提案と要請をしていることと等しいことになり、必然的に他者に対しても自己と同一のエゴイズムを提案・要請することを通して結局形を変えた利他主義であることに変わりないこととなってしまうからである。
 つまり青年に特有のエゴイスティックな正義観やら、年配者に対して不純なものを感じ取ってしまう固有のヒロイズムもまた、そういった他者に対するお節介的な利他主義であるなら、このように一定の中年以上の年配者になって、人的交際自体が億劫となって一切の付き合いを遮断していこうと決意することもまた利他主義であり、利他的ではない形でのエゴイズムなどこの世には存在し得ないのである。
 もし仮にある青年が酷く中年以上の人々の生活全般に対して反抗的意図を持ち合わせているとしたら、それこそその反抗する相手に対して何らかの自己内で言説的に設定した理想を当て嵌め、その理想と著しく乖離していることに不満であるからである。するとその段で既に反抗する相手から何らかの自分たちに対する処遇を期待していることとなる。中年は中年でそういった青年の逸る気持ちに対して斟酌しても、あるいは逆にそのような態度そのものは青年期には「ありがちなこと」であるとして、何らアドヴァイスをすることも、相手の青年の真意を尋ねたりすること一切をすることをせず、静観しているのだとしたなら、その段で既に相手のプライヴァシーに下手に干渉すまいという決意の中に利他主義を潜ませていることとなる。
 つまり真摯に対峙するにせよ、一切の相互干渉を控えるにせよ、そこには基本的に意味論的には、あるいは意識の上では利他主義が介在しているのだ。つまりその意味論的範疇において我々は個々の具体的な選択をしているのだ。あるいはその意味論的な対他的な感情自体への自己内の認識自体が既に利他主義以外の観点、価値論的範疇のものではないのである。

Saturday, August 28, 2010

<感情と意味>第五章 第九節 責任回避は羞恥が生むということと、利己主義と利他主義

 責任回避するということもまた一つの責任転嫁の無意識的形態ではあるが、そうすることによって我々は端的に責任を背負い込むことから派生する成果を見せることに対する失敗に伴う羞恥を回避しているということを意味する。責任回避とは責任ある行為をする、と言うより行為を責任において履行することで派生するその行為に責任のない者全般に対して与える影響において、自分の大勢に齎すことにおいてよく作用させること以外の全てのよくない結果に伴う責任を取るということ(例えば辞職するとか辞任するとか)で感じる羞恥を、予め内的な羞恥が察知して予め忌避しているのである。
 そういう責任転嫁が利己的であると言い得るのなら、全ての行為は責任転嫁的であると言ってもよい。しかし利己的であるということは、そうすることで相互に利己的であることを推奨することであるから、効果見越し的な意味で利他的であるとさえ言える。例えば中島義道氏が「私は自分しか愛することが出来ない」と述べることを通して「だから私はあなたの将来を保証することが出来ない」と言明していることは、即ちそう言明することを通して中島氏本人に対して過大な期待をすることを通して幻滅することを自身が未然に防止している、という意味では極めて利他的である。氏のその種の言明がそう言明することを通して相互に利己的であることを感じ合うことを通して親睦を深め合うことが目的であるかどうかはここでは理解することが出来ないが、少なくとも利己的であることの宣言とは、利他的に作用するということだけは確かである。
 つまり徹底した言明的な利己主義とは、あらゆる自己による行為とそれに伴う結果を自己によって責任を持ち、処理することを意味するから、必然的には「あなたも私のように自分の責任で何もかもするなら、何をしても私は一切干渉しない」という言明でもあるのだから、用意周到な利他主義であるとさえ言える。本質的な利己主義とは相手に対して迷惑であったり、不利益を生じさせたりしつつ、自分の側の利益や快楽を追求するようなタイプの行動や態度である。しかし厄介なことにこの種の利己主義は一見利他主義的装いの下に展開されることが多いのである。
 つまりこう言ってもよいだろう。心底利己的な行為とは、全て欺瞞的な利他主義の装いの下で展開される、と。だから責任回避が羞恥を生むとしたら、その内的羞恥とは利他的であるとも言えるし、責任回避ということ自体もまた利他的であると言える。だから逆に最大の利己主義とは利他的であるように振る舞いつつ、責任を明示しながら、責任を一切履行せずに、利己的で相手にだけ責任転嫁することである。しかしこの仕方が巧妙であると責任遂行しているかの如く振る舞い、被害を蒙った立場の者が逆に責任を感じてしまうということになるのだ。それだけ真実の利己主義とは巧妙な悪なのである。
 しかしこの巧妙なる悪、本質的悪でさえ利他的にしか作用し得ないということを次節では展開してみようと思う。

Tuesday, August 24, 2010

<感情と意味>第五章 第八節 言葉の二値論理

 私たちは誰かに自分にとって知らない人の名前を聞かれて、例えば「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と言われた時、その~のスティーヴ・ジョーンズを知らない場合「知らないですね」と答える。さてこの「知らない」という明示は実は明示される対象が指示されていなければ成立しない。例えば全く指示されていないものを「知らない」と言うことは出来ない。つまり「知らない」という言辞は少なくとも指示されている対象が存在するというくらいには「知っている」ものに対してのみなされ得るのだ。本当に何も知らないことに対しては「知らない」とは言えない。
 勿論私たちは自分にとって知っているものやことは僅かで、指示されれば知らないと返答するしかないものの領域が広大であるということだけは知っている。
 しかし重要なこととは、「知らない」と返答する時私たちは「知らないと返答するくらいには知っている」ということを表明しているのである。そうである、この場合誰かが私に「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と質問してきたのだから、当然そういう風に私に対する質問者の側が指示するスティーヴ・ジョーンズという人物がいるということだけは確かかも知れない、というくらいにはそのことを知っているのである。
 と言うことは言葉の論理とは、とりもなおさず、「よくは知らないがあるということくらいなら知っている」こととか「内容については全く知識を持ち合わせていないものの形式的に存在するということくらいなら知っている」と態々克明に言明しないままで「知らない」と返答することを通して端的に知らないことにしてしまう、そうすることでそのものに対する言及責任に関しては責任回避しようとする意図を言明しているのである。
 つまり二値論理、二分法と言ってもよいが「知っている」か「知っていない」とすることによって、その先においてそのことについて意見を表明したりすること、あるいは逆に一切の意見の表明を固辞することを明示しているわけだから、本当に全く知らないことを述べることなど出来はしないのだから、少しくらいなら知っている、つまり「よく知らない」と言い得るくらいなら知っているということを表明する労苦を省略しているわけである。その労苦の省略において質疑応答的な意思疎通上での言葉では一切の綿密で精緻な描写をしないで中間にある一切の豊かさをないものとする性質があることが判明する。
 これは意思疎通上での極めて興味深い特徴である。
 しかしこの言葉の性質は陥穽でもある。つまり言葉とは意思疎通し合う者同士が相互の説明を含めたあらゆる責任の範囲を明示しているわけだから、その責任を負うことと回避することを通して、その中間に存在する様々な実在、様相を一切取りこぼしているということを意味するからである。
 企業ではあるプロジェクトで困難に行き当たった時など、代替案を模索し合うが、必ず最善であると思われるプランだけを決定事項とする。しかし意外と最善ではないからも知れないが、ある程度なら信頼出来るというようなプランは一切棄却される。勿論全てを考慮に入れることは出来ないが、最善ではないものでも、ある程度は説得力があったり、信頼出来るようなプランとか、研究においてならデータであるなら一応考慮するに値するとしたり、保存しておくことに越したことはないだけであるどころか、かなり役に立つことも多いのではないだろうか?
 つまりある程度なら信頼出来ること、ある程度なら実効性があるということを一切捨て去るのではなくバックアップしておくということが意外と選択肢の豊かさに依存し得る心の余裕を育むとは言えないだろうか?
 つまり重要なこととは、「知っている」、「知らない」という責任明示的言語行為における二値論理にだけ信頼を寄せることの危険性というものが存在することを常に念頭に入れておくべきである、ということである。その時私たちはそう返答した者の顔色とか表情とか返答した時の語調とか、仕草とかをあざとく見抜いて相手の返答の意味を判断する。だから完璧な論理とか完璧に説得力を備えた真理が理想であることを知りつつも、そうではないが、そうかと言って全く聞くに値しないとまでは言い切れないことを重要視するという心構えは、進化した段階の論理や説得力ある結論、プランを練り上げる上ではかなり有効であるとだけは言い得る。そのことの自覚とは、言葉にはそれを発する者の間合いとか、文章で言えば行間が存在するということと、二値の間の段階的に様々な実在や様相が豊かに存在し得るということの自覚とかなり密接な関係にある、ということである。
 もっと簡単に言えば、完璧であるものがあることは理想だが、完璧ではないものでもそれはないよりはあった方がずっと有益である、ということである。

Monday, August 23, 2010

<感情と意味>第五章 第七節 復習と言葉について 

 ここでごく簡単にこれまでの概略を復習しておこう。
 意識は覚醒していて睡眠していないことを指示するために儲けられた説明原理である。そして「私」は意識が私自身にも同一性を求めて、と言うより殆どそれ以外には無いように信じて、そう言っているのだ。「今」はその「私」が意識している、と言うより何かに注意が向けられていること自体を時間論的に把握した時に立ち上がるに過ぎない。それらは共に同一性と自‐他の相関を理解し証明するために自然と立ち上がる説明原理なのである。
 例えば私は敢えて「私」を持ち出さなくても常に私であり、私は常に何かしている時は「今」を持ち出さなくても常に今ここにいることは自明である。にもかかわらず私たちは「今ここ」であることを特化して考えたくなる。
 だが私はその全ての私に関する事実を他者の存在によって相対化せざるを得ない。つまり他者の存在が私を「他者ではない」と意識させる。しかしそう意識させるのも私が他者との間に何らかの約定として何かを説明する能力を備えているからだ。つまり指示も名辞もその説明能力が理解させている。つまりそもそも何かを理解するということ自体が自己内の自分に対する説明能力の内的な行使以外の何物でもない。
 しかしこの説明能力の行使はその多くが二分性(デュアルティ)によって誘引されるが、これがクオリアや意識を切実なものとして立ち上げてもいる。つまり説明原理を立ち上げること(立ち上がることが私にとってであるが、それは私の身体的能力でもあるし認識的能力でもあるから恣意的なものとして明示する)→説明原理の常套化→クオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への還元→新たな説明原理を立ち上げること→その常套化→新たなクオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への還元・・・・・・。(第四章 第三節の図式)その反復である。
 勿論その都度の説明原理も意識もクオリアも差異が備わっている。つまりドゥルーズ的に言えば、差異と反復においてこれらは条件づけられている。
 しかし問題が一つある。
 それは私が生まれた時から日本に住んでいて、日本語を話すようになって今日に至っている。しかし哲学的には私は何も日本語の世界の住人のことだけを考えているわけではない。例えば過去について想起するとか、追想するとか、未来に対して思いを馳せるということはアメリカ人でも、イスラエル人でも、韓国人でも、ザンビア人でも同じである。 しかし哲学的にいくら私が話し、考え、全てを思いつくのは日本語であるが、それは「たまたま」そうなのであると納得してもやはり、私の中には最初の思い浮かぶ言葉の世界が絶対的であり、それを相対化して語る自分というものはそこはかとなく空しいという思いを持ってしまう。
 このことはどう考えたらよいのだろうか?やはりそれすらも英語でものを考える人は英語以外の言語を原書で読んだとしてもそれはあくまで概念的に理解しているだけで、あくまで最初に思い浮かぶ英語世界こそが絶対である、と、私は日本人であるがそれ自体を相対化して、英語圏の人にも同じ事情があるとそう考えるにとどめることでよいのか?
 例えばスーザン・ブラックモアの対談集(「意識について」)においてデヴィッド・チャーマーズはデカルトの「コギト・エルゴ・スム」を援用して語り、ブラックモアからの質問「デカルトに賛同するか」においてイエスと述べている。つまりチャーマーズは意識こそが主体の感受性を支えていると考えている。
 しかしよく考えると意識を意識として意識の俎上に載せることが可能なのは、言語的思惟であり理性である。科学者としての立場から茂木健一郎氏は重松清氏との対談において(「涙の理由」)日本には伝統的に人間関係の中に生まれてくる価値しかないと残念がっている。つまり形而上学にまで発展しないのだ、と。氏の言葉を借りると「人間の相対評価を超えた絶対的世界にさえ人間の似姿を見てしまうということ」である。しかしそれを考慮しても尚、私たちは理性が自然の中にも擬人化しているに過ぎないということも言えることになる。
 カントが「理性の思い上がり」とか「理性の越権行為」とか「理性の僭越」と呼んだものとは、端的に理性が人間による最高の地位を獲得していてさえ、天上界からすればそれは取るに足らないものであるという視座を設けることによって得たヴィジョンである。つまりそれを神と呼ぼうと永遠と呼ぼうとそれは自由であるが、そういう風なマクロな世界から見れば人間理性は常に誤りやすいということを述べていると考えられる。すると理性自体が意識を生み出すとすれば、デカルトの我は理性が生んだものであることになり、それはやはり誤謬を齎す可能性を常に孕んでいる。
 私は日本語で神と考え、理性と考える。しかしそれを英米人はgod として、ドイツ人はgot として考えるだろうし、英米人ならreasonとして、ドイツ人ならVernunft として考えるだろう。
 しかしそれを全て同じ命題を表現していると見做す時私たちは明らかにそこに普遍を感じ取っている。しかしその普遍自体がある意味では理性が生んだものなのである。そして理性の生んだものはしばしば感性が感じ取ったものを否定する。しかしそれが正しい時も確かにあることは認めても、それが却って失わせるものもあると考えることも出来ないであろうか?
 理性は我々の欲望の正当化であるところの価値に釘付けにされている。つまり理性とは感性だけでは何か収まりが悪い、感性だけに全てを任せておいては何か心もとないという心理が生み出した一つの解決策なのである。従ってそれは価値的に行為を正当的なものとして意味づけることにおいて有効に作用している。しかしそれは同時に感性自体に対する信頼を著しく欠如させている。つまり感性を信じられない部分があるということは、即ち自己に対する信頼を不安によって欠損させているということなのである。だからこそ感性を称揚する価値あるものとして復権させることを時として我々は試みる。その時日本語で何か理性とか神とか呼ぶ時にだけ感じられるクオリアを感知する。そこに翻訳不可能な何かを見出そうとする。もし感性にだけ頼っていてもいい結果しか生み出さないのであれば、いい結果という概念さえ提出されなかっただろう。つまり感性的にある善とされる行為をしても、それが意志的に正しいという自覚の欠如した状態でなされていたのだとしたら、それは偶然的に作用しただけである。この屈託の完全なる欠如は、ある時には屈託なく悪事をすることへとも繋がるだろうし、事実そういう事例に事欠かなかったからこそ、カントは善意志というものを傾向性としての善的結果を生じさせた行為として認めなかったのだ。すると感性を感性のまま何ら反省意識の相貌で検証することの一度もない状態では、感性の価値は再検討に値するものにもなり得なかっただろう。つまり私たちは一度普遍という合理的責任倫理において翻訳という行為の価値を認めたからこそ、翻訳出来ないものを価値として再発見することが出来たのである。つまり翻訳する理性における発動される知性が合理的で、四捨五入してきたことへの着目が価値的に感性を理性と併存するものとして認識せしめたのである。カントはある意味では最終批判書における「判断力批判」において崇高とか偉大なるものへの憧憬をテーマとしたのは、「純粋理性批判」によって示された理性の思い上がりに対する一つの結実的な明示行為として感性的な出会いの持つセレンディピティーを存在論的に論証して見せたのである。
 チャーマーズにおいて意識とは多角的な知覚作用とか多目的な未来への志向それ自体に対する定義として扱われている。つまり情報処理システム自体を彼は自己とか主体ということと切り離して考えている。つまりそれらはあくまで知覚能力でしかないというわけだ。しかし他方彼はサーモスタット自体を意識のプリミティヴな形態としても考えている。
 つまりこの部分では彼はニコラス・ハンフリーの考えている<内なる目>という言葉で表現される内的自己意識(つまり行為をそれが自己によるもの、自己による選択であり自己による判断と決定であると知ること)の所有を意識の定義としていながらも、その原初的形態としては判断を基本としていることになる。
 すると日本語に固有のクオリアを表現するための創意工夫はまさに理性的判断であり高次の意識レヴェルの所業であるが、意識を意識として定義させるものとは、日本語であることを「感謝」と呼んだり、あることを「嫉妬」と呼んだりするような語彙選択の判断のことを差している。だからその判断自体を普遍化すること、例えば英語ではそれをgratitude と言ったり、jealousy と言ったりするのだと思惟することは、もっと高次の意識の認識的段階に属し、しかしそれを感性的にグローバリティーからナショナリティーへと再度引き戻す意識は更に高次の認識に属するということになるだろう。

Saturday, August 21, 2010

<感情と意味>第五章 第六節 思い出と価値

 私は社交辞令で何らかの形で疎遠になっていった人たちに向けて「あなたたちと共に過ごした日々が懐かしいです」などとメールで書くわりにはあまり全てに対して懐かしいと思わないのだ(この文章を書いたのは一年以上前だが、その時は多少そういう気持ちだったが、実は殆ど疎遠になっていった人にそういった文章を手紙等で書く習慣自体を今では失っている)。
 何故か?
 それは殆どのことを昨日のことのように思い出せるからだ。だからある意味では懐かしいという気持ち自体に対してよく分からないという気持ちの方が強い。だからと言って懐かしくなってみたいという気持ちにもならない。

 懐かしさにはもう一度その時間に戻りたいということがあるのだろうが、私はもう一度戻りたいと思える時間があまりない。もう二度と戻りたくはないという時間の方がどちらかと言うと多いが、そうかと言ってそれらもあまりにも悲惨で二度と思い出したくはないというほどでもない。
 まあ多少はそういうこともあるが、よく覚えていないということの方が少ないせいか、あまり懐かしくもないが、忘れたくもない。忘れたいほど悲惨なこともそうなかったということにもそれは起因する。無理に忘れようとするというのも案外疲れるものだ。

 そもそも懐かしいという気持ちは半分は忘れていて、その忘れたことに何か特別な理由もないのに「よかった気がする」という気持ちがあるのだろうが、そういう風に「気がする」というのは恐らく大したことではなかった筈なのだ。大したことだったらそう忘れる筈がないからだ。いや寧ろ大したことだったら逆に正確には覚えていないのかも知れない。どんどんその時の記憶を思い出す度に変えていくからだ。
 私は意外と大したことではなかったことの方をよく覚えている。いやある意味では全ての瞬間、全てのその時なりに持続していた時間がさして大して時間ではなかったのかも知れない。一体これからもそんな大した瞬間というものは訪れる可能性があるのだろうか?

 確かに私には親しい友人がいるが、その友人と一緒に過ごした時間もそれほど懐かしくはない。何故なら殆ど全ての時間をよく覚えているからである。向こうもそうなのだろうか?

 そうでもないかも知れない。でも私と会えば思い出すこともあるのだろう。
 私は今までさして忙し過ぎるというほどでもなかったのだが、ずっと暇だったわけでもない。どちらかと言うときちんきちんと計画を立てて何事もしてきた気がする。そしてそのわりには大した反響も常になかった。これからも恐らくそう大した瞬間は訪れてはくれないだろう。そしてある日突然死ぬのである。
 大した瞬間なんて後になってから勝手にそう思うだけのことなのだろうと思う。
 どなたかそういう瞬間があるのだと思える方がいらっしゃるのなら教えて欲しい。

 私は今でも単位が足りず、大学を卒業出来ずに留年してしまう夢をよく見る。その時国会中継があって、それを放映しているテレビをつけっ放しにしてベッドでそのままうつらうつら眠ってしまった時であるのなら、出てくる大学の教授が麻生首相になっていたりするのだ(この文章を書いた時点から今の首相は何人目だろうか)。
 そう言えば十八年前に亡くなった私の父もそうだとよく言っていた。何故だろうか?
 いつまでたっても若い頃に抱いたようなどうしようもなく消えない焦りが人間の心という奴を支配しているのだろうか?
 実はさっきもまさに麻生首相が出てきて私が単位がたりないので、あまり好きではない履修科目を、別の例えば文学の科目に変えて取ってもよいものかと私が麻生さんに尋ねると、全く私のことなどお構いなしに自分の話をしてすたすた大学構内を出て、歩いていってしまい駅の改札口を通り抜け、ホームに急いでいったのである。
 目が覚めたら、今日四時くらいに開設したばかりのこのブログのことが気になった目が覚めて、少し前にうとうと眠りこけてしまっていたことを思い出したのだ。そしてその時につけっ放しにしていたテレビでは国会中継をしていたのだ。
 あと二十年くらいして私が七十歳くらいになってもそんな夢を見続けるのだろうか?

 ある思い出がある。それは固定化されていていつまでたっても変わらない。変わるのは自分だけ、ということがある。
 しかしこれは嘘である。
 何故なら自分が日々刻々変わっているのに、思い出だけが変わらない<思い出す自分が変わるのだから思い出が変わらなければ思い出す思い出も変わる筈である>ように思えるというのは、変わっている自分にとっていつもその思い出だけが変わらないように思えるように思い出の方が常に変わっているからである。もし自分の方はどんどん変わっていっているのに、思い出だけが変わらないのだとするなら、思い出として記憶されていること自体に対して我々は日々刻々、その印象を変えている筈だからだ。
 つまり思い出とは常にその意味を変えることによって変わっていく自分に対応させているだけである。つまり自分が変わるということを知っているから私たちは無意識の内に「変わらない価値」として思い出の方を美化しつつ「変わりゆく自分にとって変わらないように思えるように変えている」のである。
 これは私たちが自己同一性というものに価値的に取り付かれているからに他ならない。そんなものはないのだ、と言い切ってしまえば一切の社会的責任を追及する術を我々は失ってしまう。しかし少なくとも外部的状況に対応するために我々は固定化した自己同一性を保持していく必要があって、自己同一性などないということは哲学者たちの想念に任せておけというわけである。
 しかし時として我々は念頭においておいた方がいいことがある。それは個人的であると思えること、つまり誰にも踏み込まれないような領域にこそ実はかなり大部分において他者とか、社会の掟とかが忍び込んでいるということである。
 だから思い出もそうである。我々は記憶されたことの実存を真に問うことを怠りながら実は「変わらない価値としての思い出」に縋り付いて日々刻々他者や社会の掟に自己を縛っているのである。記憶されたことがどんどん過去へと遠のいていくのに変わらない価値があるように思えるのなら、それは端的に「生きているということはそれだけで価値である」という思い込みが我々にあるからかも知れない。
 しかし私は敢えてこう言おう。生きていることは確かに価値かも知れないが、価値があるとかないとか問う余裕があるくらいなら、何かしている、そのしていることの是非を問わない方がずっといいかも知れない。没我とか、忘我とか言う状態を獲得するのではなく、それしか出来ないようになるということが生きていることの価値を問わない理想かも知れない。(Nameless-valueの考えてみたいこと 2009年6月1日更新記事加筆採録)

Friday, August 20, 2010

<感情と意味>第五章 第五節 表象と実在

 先日、社会教育学者の国井寛氏と一日共に行動した。大分前から計画を立てていて、当初横須賀術館に行き、展覧会を見てからフェリーに乗る積もりだったのだが、天候がすぐれないので、そういう時のために予め別の計画も立てていて、そちらに急遽変更したのだ。
 まず横浜まで東横線とみなとみらい線に乗り、馬車道で降りて、そこからBankArtStudioNYKにまで行き、原口典之展を見てから、新宿に戻り、角川シネマ新宿でオリヴァー・ストーン監督ジェフ・ブローリン主演の「ブッシュ」を見て、池袋のいつも二人で利用するパスタの店に行き、そこでワインを飲みながら、トーストとポテトで腹を少し満たしてから、本格うどんの店でビールを飲みながら、腹を満たした。BankArt1929でもビールを飲みながらグリーンカレーを食べたし、そこに行くまでにも、馬車道を降りてすぐのファミレスでオードブルとワインで一杯やっていたので、一日どこかリッチな気分とほんのほろ酔い気分で、いつものように哲学談義を繰り返した。横浜ではかなり歩きもした。
 この国井氏と語り合う時には圧倒的にワインがいい。そして少しほろ酔い気分になると、お互いにいい哲学的アイデアが浮かぶ。相手が誰でもよいというものではない。私にとって彼が、そして彼にとって私が最良の哲学談義のパートナーである。
 電車の中で国井氏は私に最近絵本作家の安野光雅氏がテレビの対談番組で、幼い頃によく食べて一番美味しいと記憶しているある果物をスタジオにゲストとして招かれていた時に出されて食べると、「よく似ているけれども、あの時の味とは違う」と語っておられたことを私に語りだした。その番組を私も見ていたので何のことがすぐに私は理解したのだが、国井氏は「あの安野さんの言葉を聞いて考えたんだけれど」と言ったことをきっかきにして二人で暫く表象のことについて話し合った。結局この日の哲学談義は<表象と実在との間の乖離について>が主題となった。

 つまり私の考えと国井氏の考えを綜合するとこうなる。
 私たちは日常的には殆ど哲学的表象というようなことを考えずに生活している。そういう思念に囚われているのは、哲学者以外ではいいところアーティストや文学者たちだけであろう。つまり全ての考えの中で夢想的な思いに浸ったり、ありもしないことをあれこれ想像したり、その時に不在の成員に対してその姿を想起するというような心の余裕などない。それはビジネス自体が一つの社会機能維持的な連鎖であり、ある程度そこで出会う他者たちに対して、全ての存在や出来事を記号的に取り扱わなければエネルギーを消耗してしまうからである。しかしにもかかわらず私たちはそんな生活の中でも何かに対しては極めて印象的で記憶に残り、それをいつまでも忘れない。一方かなり大部分を私たちは忘却していく。
 つまり印象に残ったものを記憶しておき、それが自分の中で価値あるものであると意味づけされ(殆ど無意識の内なのであるが)、どこかで美化されていき、逆にそうではなくあまり印象的ではなく、記憶にとどめておきたいと思えないような些細なことは大部分が忘却されていく。つまりこの記憶内容やエピソードに対する選択性と特化ということが、意味を派生させているのではないか、ということである。
 だからそこには情動も動員されているし、選好性ということも関係してくる。そして意味とはある部分では確かに実在のありきたりであることと印象に残ってしまっていること、つまり意味づけされたことの間の乖離に対して、どうしようもないやるせなさ、つまり完全には一致しないもどかしさを感じ取ってしまうというところから見出されるということだ。

 フッサールは晩年に「経験と判断」という名著を書いているが、判断とはそもそも実在と表象は完全には一致しないということ、つまり常に実在の方がありきたりで、そのありきたりな実在を表象する際に、表象されたものの方がずっと記憶においては印象的であるような傾向も強いというところから、「そうであるべきだ」とか「そうであるより他はない」というような現実と想念の間のずれを補正すべく折り合いをつけていることでもある。
 だから当然実在と表象が完全に一致しているのであれば、判断するなどという行為は全く必要がなくなる。機械はただ記録するだけでそこに記憶されるものとそうではないものという主観などない。しかし我々は違う。全てを等価に記憶することなど絶対に出来ない。しかも我々は不在の表象に対してどこか価値あるものにしたいと転化するような意識も持つ。今目の前にあるものを大事にするという意識と、そうではなく逆に今目の前にないことをあるようにさせたいという意識も共存させる。だからこそ希望や願望を持ち、意図とか目的を持つのだ。それ自体は倫理的な意味合いもある。つまり意味(価値体系としての)の呪縛を生きるということである。
 それはある意味では現在性においても、過去に対する追想という意味でも未練力が動員されているということでもある。印象に残ったものを大事にする一方で忘れてしまったことや見落としてしまったことをも価値あるものにしたいという欲望が我々にはあり、その欠如を穴埋めすべく欲望からの呪縛を正当化しようとするのだ。価値とは欲望の呪縛への正当化なのである。

 私たちにとって殆どの表象は現在的な知覚に費やされている。現実・現在の見えだけが世界であると言ってもよい。だからこそ過去において印象に残っているものは、ポジティヴなことであれネガティヴなことであれ、それらと遭遇したこと自体を価値的に捉えようとするのだ。ある種のかけがえのなさを実感するとはそういうことだ。
 人間はとどのつまり価値的認識の生き物なのである。言い換えれば、我々が選好性と行動の無思慮的な気分と衝動に対する自己正当化する生き物であるとも言える。意味もそのことのためにでっちあげて生活しているとさえ言える。つまり私たちは未来に対して何ら確定的な想定を本質的にはすることが出来ない。出来るように思いたいからあれこれ想定するだけである。そしてそこには不安がある。現在の自分の中に見出される欠如は、その欠如であるが故の空白を穴埋めするべく存在していると我々によって捉えられるし、その穴埋め自体が未来への意志となって好奇心とか希望とかが生まれる。つまり希望や好奇心とは不安の解消となって立ち現われているとも言える。 

 すると実在と表象の間の乖離性は意味を生じさせるが、その意味は不安をも呼び起こす。未来に対して今後記憶することに纏わる不安もそうであるし、過去に対しても今まで覚えていた大切なことを忘れてしまうのではないかという恐怖や、今までも忘れてきているのではないかという不安が私たちを苛む。
 要するに意味と不安は表裏一体のものとして存在しているというわけである。不安とはあったということは覚えているが、そのあったことがどういう風であったとか、どういう内容であったかをはっきりと思い出せない時にも抱くものである。健忘ということは、酔った時に話した内容もそうである(国井氏との哲学談義は例外である)し、気分の向かう先がそのはっきりと覚えていないこと以外のことに囚われている時もそうである。

 それにしてもデカルトは確かに神に対する抵抗と永井均氏の表現されるように神によって操られる私に対して、私が存在することこそが神に対しても優先されると考えることによって主体の神への優位を示したが、よく考えると我々にとって世界に対して抱かれる知覚も想念も全てそれ自体に私という意識は希薄である。その意味ではヒュームの言うことの方により説得力がある。つまりそのヒューム的な私ということの希薄さそのものがカントをして感性によって世界が作られるという発想を呼び起こしたのだろう。
 つまり私たちにとって意識やクオリア自体が、他のものを押し退けて全面に立ち現われることなど殆どなく、寧ろ常に私たちにとってそれらは意識やクオリアの内容であり、その都度<たまたま私によって>関心される外部や内部の対象の在り方(様相、記憶に残りやすさや残り難さ)である。私などということは寧ろ事後的、後付的な認識から派生するに過ぎない。
 デカルトのコギトが実際はどういう意味を持っているのかは尚再考する余地があるが、私は私という意識を呼び覚ますこと以前に既に何かに囚われている。それにもかかわらず、私意識を持たないままでいるとこれまた我々は不安になる。だから <たまたま私によって>関心される外部や内部の対象の在り方=世界 というハイデッガー的図式が不安を呼び起こすこともあって、だからこそ私を時々持ち出すと考えた方がよいのではないか、ということが私と国井氏との間で交わされた同意事項である。それこそがサルトルなども言っていた脱自ということ、つまり意味の呪縛からの解放ということなのである。意味の呪縛から解放された意識がしかし新たに意味を派生させることは言うまでもないが。(2009年5月31日記、Nameless-valueの考えてみたいこと 収録)

Wednesday, August 18, 2010

<感情と意味>第五章 第四節 不在感と私

 私は今一体自分が何に対して分からないかが分からないという感じを抱くことがある。でも何に対して分からないかが分からなければ誰に相談していいかも分からないから誰にも相談出来ないでいるのだ。こういう経験っていうのは誰にでもあるものなのだろうか?
 しかしそもそも誰かに相談して分かることもあるけれど、そんなことをしてもどうにもならないこともあるという直観をその時に持つ。つまり誰に相談していいか分からないから、まず自分自身に問いかけてみようとそう思うのである。
 しかしその時ふと自分が私という社会的に通用する名前や性格や容貌、特徴を持った私から、今ここにいなくても、他のどこかにいても、自分が他の誰でも一向に差し支えないような、それでいて他の誰でもないような一種独特の感じに自分が行き着いてしまっているような感じもするのだ。

 こういう感じを味わったことのある人ならこの気持ちを分かって貰えるかも知れない。つまりこういう感じは恐らく誰も経験することなのだろうとどこかではっきり分かっているような気もするのである。だから私はそうやってそういう気持ちになっていく時明らかに社会的に容認され、通用する私という自己同一性をするりと滑り落ちて、私自身を離れて何か独特の超越的な感じへと降りていく気がするのである。匿名的な私、私以前の自分自身になっている気がするのである。
 しかしそう感じると、今度は自分が自分自身以外の誰にも相談していないのに、他の皆と同じだという気分になってしまうのもおかしなことだ。つまり最初は一人で全部解決出来るのではないかと思いどこにいてもいいし、他の誰でもいいし、でも他の誰でもないような自分を通じて皆と同じような気分になっていってしまうのだ。
 しかしそれを自分の中で確認すると、いつしか私は自分に固有かも知れないとはじめは思っていたけれど、ひょっとしたら誰でもそういう感じがするということがあるのかも知れないとそう思うと、つい誰かにそのことを告げたくなることもある。
 
 しかしそのことを告げようと思うと、何故か最初にあの独特の超越的な感じ、つまり他のどこにいても構わないし、他の誰になってもいいけれども、他の誰でもないあの独特の感じを伝えようとすると、それは再びどこかにするりと滑り落ちて、それ以外の寧ろどうでもいいようなことしか伝えられず、もどかしい思いを味わってしまう。つまり伝えなくても分かっているような感じというのは敢えて伝えようとするといつもするりと滑り落ちてしまうように感じる。そして伝えられなかったものの方がずっと素晴らしかったのにといつも思うとになる。
 この独特の感じを少しでもここで伝えられればこの文章を書く意味があったということである。そして今私が伝えたような感じを一度でも感じた人は自由にコメントして下さればいいと思う。
 しかしその時恐らく私は、外部から私を私であると認めるような私からまたするりと滑り落ちて他のどこにいてもいいし、他の誰でもいいけれど、他の誰でもないような自分に下りて行っている気がする。(Nameless-valueの考えてみたいこと から)

 先日内藤大助がチャンピオンの座を何とか守ったのだが、結構見ていたら、危なっかしい場面も多かった気がするし、多くの人はそう思ったことだろう。
 ところで何で人はボクシングのようなああいう激烈な格闘技、スポーツを楽しむのだろうか?
 一つにはその凄まじさを前に自分があたかも応援するボクサーにでもなったような気分を味わうためである。しかし自分の周囲で見ている大勢の観客の全員がそういう気分でいるのに、何で自分だけがどきどきするのだろうか?
 これも不思議だ。つまり皆で一緒に観戦しているという状況にどきどきするのだろうか?
 つまり皆で見ているということを知っているということが、見ている自分、という意識を作るのだ。それは一人でテレビを見て観戦していても同じだ。つまり一人でテレビを見ている今の自分のような自分以外の大勢がいるに違いないという想像が「テレビを一人で見ている自分」という意識を作るのだ。
 すると一人でテレビを見ている状況が、自分一人で観戦している気分を盛り上げることになる。そして私はそういう気分でいながら、そういう気分でいる自分以外の大勢がいるだろうとどこかで想像する。
 もしテレビのスイッチをひねっても誰も見ていないということを知っていたとしたら果たして私はあの時内藤の試合を見ていただろうか?いやそんなことはない。私はどんな中継を見ていても、同じようにそれを大勢が見ていることを常に知っている。だからこそその試合を見るのだ。
 すると同じようなことを考えている自分以外の大勢がいるということを知っているということが、自分が一人でテレビのボクシングの中継を見ている自分という意識を作っているということになる。(Nameless-valueの考えてみたいこと から)

 
 上の二つは去年(2009年5月)からスタートさせた私の最も来場者数の多いブログの最初の二つの記事である。ここにはある私の哲学的考えの本質が漲っている。

 私が私であることは一見簡単そうでいてそう簡単でもない。何故なら私は私の全部を知っているわけではないからである。しかしそのことは私が私の全てを全く知らないということでは勿論ない。
 ある意味において私は常に誰よりも私のことを一番よく知っている。しかしそのことがある意味では私が私以外の全ての人からどう見られているかと言うことを一番知らないということをも物語る。
 私にとっての他者から見た私は私の外見からしか判断のしようがない。しかし私にとって私の内容は常に私の心、私の気持ち以外のものではない。
 しかしそれは私にとって私以外の他者に対して私が注ぐ関心というものが、私から見たらその外見でしかないものの内部にも、私のような気持ちがあり、心があるのだという確信に支えられているということをも意味する。
 私はそれを知りたいと願う。だからこそ私は他者と関係を作ろうとする。しかしその全てが自分の思惑通りに進むということはない。それを私は知っているし、私に対してどのような態度で臨む人もそのことに関してはそう思っていることだろう。
 しかしそれは本当であるかどうかは私にとってはやはり確かめようがない。だからこそ私は他者と「確かめようがないよね」と語り合う。つまりそう語り合うことを通して、確かめようのなさを誰しもが共有しているという事実を知りほっとしたいのである。


 しかし待てよ、ここでほっとしていていいのだろうか?
 そういつも自問自答する自分もいる。つまり他者に対する信頼や友愛と共に、距離を保とうとする心理と懐疑をも発動せんと欲する心理が常に綯い交ぜとなっているのだ。
 だが人の心など気持ちなどどうにもならないと知っていながら何故私たちは人の心や気持ちがこうも気になるのだろうか?そんなことどうでもいいではないかとどうして思えないのだろうか?
 実はこれが一番厄介なことなのである。

 どうでもいいことであるのならそんなに悩むことなどない。しかしやはりどうでもいいと割り切ったり、気にし過ぎないようにしようと思ったりしてそう決心するということそのものが、実はやはり他人のこと、他者のことなどどうでもいいことではないのだということを示しているのである。

 しかしそれでいてこういう私の気持ちなど、私の考えや心の状態などこの世の中に存在している人々、殆どの生活者にとってはどうでもいいことなのである。しかしそのどうでもいいことに私は安堵するし、暫く経つとまた気になってくるのである。
 そしてその繰り返しを私はどうすることも出来ないのである。明日も恐らくその繰り返しだろう。


 

Monday, August 16, 2010

<感情と意味>第五章 第三節 親しみのあるものを呼ぶ時

 先日、国立科学博物館に大恐竜展を見に行った。そのついでに特別企画展以外の地球館と日本館も観覧して楽しんだ。その時屋上に上がり、ジュースを飲んで喉の渇きを潤していた時、興味深い子ども(恐らく三四歳くらいの三人)の会話を聴いた。三十代くらいの母親が座って飲んでいた時周りに駆けずり回っていたのだが、その時その中の一人が階下に臨まれる上野駅の電車を皆で眺めながら、「ねえ、常磐線いた?」と別の一人に聞いたのだ。まるで人を探すように「いた?」と聞いたことが面白かった。言葉を習得する過程で、自分にとって親しみのあるものは全て人間のように「いた?」と聞くということが新鮮な発想に思えたのだ。
 私たち大人なら恐らく「常磐線見えるか?」とか「常磐線停車しているか?」とかそう聞くことだろう。しかし恐らくそう聞いた子どもたちは常磐線に乗ってそこまで来ていたのだろう。言語習得の過程で理解しやすいように言い、じきにその言い方がそれぞれ家族、他人、著名人や歴史上の人物、あるいはものや道具に対してそれぞれ固有の言い方があることを学んでいくが、その最初に抱いた親しみのあるものを「いる」と擬人化(勿論彼らにとっては擬人化という意識はない)することがごく自然であること自体が一つの発見であった。
 私たちは親しい人でも他人に対しては一定の敬意を示すような呼び方をするし、有名人とか歴史上の人物に対しては公共的価値から呼び捨てにする。そのような区別自体を学ぶのにあとどれくらいその時にいた子どもたちに必要なのかは分からない。勿論個人差もあるのだろう。私は大体においていろいろなことを他の子どもたちに教えてもらってきたタイプである。でもそれでもある時期から異様にそういう言い方に対して自覚的になっていった気がする。もうあまりにも昔のことなので、大分うろ覚えになってしまっているが。
 言葉に対する感性は恐らく一回そういう感性を全て失ってからもう一度取り戻すということにおいて才能がいるのだろうと思う。
 三十年くらい前あるゼミに参加した時、そのゼミは現代アートの理論と実践のゼミだったのだが、今では故人となられたある主催者は私たちゼミ参加生に対して「一度失ったものをもう一度取り戻していく作業がアートだと思います」と述べておられたことを昨日のことのように思い出す。
 文学や哲学にもそのような性質があるだろうと思う。つまりある言葉自体に対してその成り立ちや、その言葉に接する時のこちら側の感性、クオリア、ニュアンスの把握の仕方といったことが鋭敏であることを求められるのだ。
 確かに恐竜にはある親しみを持てる部分がある。そしてそれは私たちにとって馴染みのある動物、鳥の祖先であるという感覚もあって見ることが出来る。しかし全ての生命には共通した遺伝子その他のコードがあることを知ると、また違った見方を恐竜に対しても持つようになる。何故人間の十数倍以上の長さ君臨してきた生命がそんなに短期間に絶滅したのか?(隕石衝突説など諸説ある)
 だからそれは私たち人間にも当て嵌まる。それは親しいものを私たち自身のように呼ぶ子どもの発想から考え直す必要性を物語っているようにも思われる。
 別に私はエコ的な発想でそう言っているわけではない。あと千年たったなら、南極さえ溶け出すそうである。そして三メートルくらい標準海水面が上昇するそうだ。その時人類は恐らくその時なりの自然に対する対応をしているだろう。あるいはもっと早く人類は絶滅して、イルカのように頭脳の優れた動物の中から人間の立場に近い地位まで進化し続ける種が登場するのだろうか?そんなことはあり得ないと考えている脳科学者の方が多い(例えばジョン・エックルズ)だろうが、別のタイプの進化学者ならそういう可能性も考慮して未来図に臨むかも知れない。
 それでもその時人間くらいに進化した高等知性生命体がいたとしたら、タイムマシーンに乗ってその時代に今から行けるものなら、彼らと話してみたいとそうも思う。そういう考えってどうだろう?

 端的に動物を自分たち人間と親しみのあるものとして取り扱うという意識には羞恥が付き纏う。それは科学者であるなら忌避したいところの心理(読まれたくはない)である。それと似たことが言語習得期の子どもにも付き纏い、親しみを持って「常磐線いる?」と聞くことに対してある時期から羞恥を感じだすのだ。親しい者を親しくない者の前でぞんざいに紹介するということにおいて日本人は長けているが、では欧米人であれ親しい者のことを他人に紹介する時褒めたり自分にとって重要な存在であることを強調して紹介したりしても、そこには羞恥の克服が伴っているだけのことであり、日本人のように羞恥を文化的に許容することと羞恥自体を存在認可しているという意味では同じである。

Sunday, August 15, 2010

<感情と意味>第五章 第二節 無の創造と有限性(無限地獄の克服)

 まず私たちは何かを知るという能力がある。そしてその知っている内容だけで満足するのであれば、一切私たちはそれ以上知ろうとすることはないだろう。
 しかし私たちはあることを知ると、それ以上にもっと何か別のことを知りたくなる。そしてそのように知りたくなる自分というものを知っている。つまり言い換えれば何かを知ることによって、その知った内容(つまり知るまでは知らなかった内容が今は知ってしまった内容)と引き換えに知った内容以外のもの、つまり知らない内容というものの存在を知ることになる。あるいはそういう風に知らない内容を敢えて作り出す。
 つまり私たちは知ることによって、その内容とその内容以外にも何かまだ知らないことがあるということを知ることが出来る。その知らない内容があるということは、端的に「何かを知る自分」という認識(それを哲学や脳科学などではメタ認知と呼ぶ)なしには成り立ち得ない。
 そしてここからが極めて重要だが、何かを知ることによって、まだ知ってはいない内容があるということを知るとは、端的に知ってしまったことを有とすると、それらは全て無である。つまり人間は知ることによって得る有を有自体として認識することによって無を知る、つまり有を有であると認識することによって無を常に作り続けているとも言えるわけだ。
 ここも重要なのだが、人間のようにもし知るだけでそれ以外に知らない領域(あるいは世界と言ってもよい)があるということを知らなければ無に対する認識自体がないと言ってもよいだろう。事実動物は一切無という認識がないと私は思う。動物にも不在は理解出来るだろうが、それとここで言う無とは違う。
 このことを無知の知とソクラテスは考えたとか、ナーガールジュナは無について有ではないと考えたとかいろいろ専門的には言われるのだが、それらのことを一切ここでは無視していこう。

 私たちは何かがあるとそれ以外に別の何かがあると考えるから、必然的に無限という概念に到達する。しかし意外と無限という概念はただ単に思考の傾向であるに過ぎないかも知れないのだ。
 一切が無限であると考えるから矛盾するのであって、全てが有限であると考えればもっと全てが理解しやすくなることもある。例えば宇宙は無限なのではなく有限である、そしてその有限であることは無限に知ることが出来ないと捉えてみよう。
 つまり無限に有限であることを知ることが出来ないのだ。何故ならその有限自体が私たちにとって限りなく無限に近い有限だからなのだ。私たちは一生が大体どんなに長くても百年少しである。だから時間も一切はそれ以上を知ることが出来ない。にもかかわらず知ることが出来るのは我々が共同体を構築し歴史認識をしているからである。それを除外した時一切の時間の連続性を保証するものなど一つもない。その証拠に今までこの世界に生きた人もいつまで世界が存在するかを誰も確かめることなど出来なかったし、これからもそうだろう。第一死んでしまったのなら、それを確認することが出来ないのだから、死んだ後に世界が、宇宙が滅んでしまっても(そこで一切時間も終わってしまっても)一切それを確認することが出来る人はいない。そこで死んだ後にも世界はある、宇宙があると捉えることによって私たちは昔から何故か安心して死ぬことが出来たのである。そこに私たちが宗教を作ってきたことの理由がある。
 死んだ人が生きている人の世界に返ってきたということはなかった。臨死体験は生きているこちら側のぎりぎりの世界の人だから違う。
 だから私たちは一切有の世界の住人であり、死んだ人は一切そうではない。そして死んだ人を生きていた頃のことを考えて話すのは、その人たちが生きていたことをまだ死んでいない、今生きている人が思い出し、懐かしんでいるだけであり、既にその人は 生きている=有の世界 にはいないのだから、要するに無の世界の住人なのだ。
 今私は無の世界とあたかも無にも世界があるかのように言ったのも、私たちが無自体を作っていることの証拠である。私たちは有(知っていることの領域の全て)が拡張されることに伴って着々と無をも作ってきたのだ。だから無とは有、あるいは世界や宇宙を有であると認識する能力が捏造してきたに過ぎないとも言い得るわけだ。
 動物には言語がないから、無もない。そして知っていることを有であると認識することもないのである。従って無に対して恐怖しながら、生きていること自体を有であるという認識で生に未練を持つということもないだろう。ただ生きていることが死に近づくという意識だけはあると思うが、そこには死んで無になるという未練からではなく、生きていたいということだけを感じることが出来るのだ、と私は思う。

 ここにもし一切の変化なく、つまり同じようにただ反復して無限(永遠)に運動し続ける物体があり、それ以外に一切の物体がないとしたのなら、そういう世界は端的に変化のない世界、つまり時間のない世界と同じであると言ってもよいだろう。
 つまり時間とは端的に変化し続けるということである。実際の機械は最初同じように動くが、次第に機械は老朽化して、いつかは動かなくなる。そこには必ず変化がある。しかもその変化自体が予測し得ない、つまり不確実な要素を必ず含んでいるということだ。不確実であるということは規則的ではないということなのだ。
 例えば私たちの寿命に関しても、事故や事件で死ぬ人とか自然死をする人とか、要するにそこにはばらつきが必ずあり、ヴァラエティーがある(規則的ではない)ということ、そして誰がそうであり誰がそうではないかと言うこと自体も決定されていず、その都度変化し続けるということだけが時間を時間として成立させる。ある時点までは自然死する筈だったが、タバコを吸い過ぎだしたので、癌になって早世してしまったというように、不確実性が混入するからこそ、私たちはそこに意志があると感じるのだ(私は意志という捉え方も一つの安心量であると考える)。
 つまり意志(哲学的に自由意志と言っても構わない)とは、不確実であるからこそ、何かを自分で変えられる、希望を持つことも出来るし、自暴自棄になることも出来る、全ては自分の責任で何とかなる部分もある(全てではない、自分の努力だけではどうにもならないこともある)という風に、全てに対して常に両義的に捉えることによって完全に自由でも完全に不自由でもない、つまりそのどちらでもないということを知ることが出来るのである。
 そのどちらでもないという不確実性において緩やかに決定されている、確実に完全には決定されていないという定義が成立する。これらのことが基本的な考えだ。

 要するに私は私たちが永遠に無を理解すること、その正体を突き止めることが出来ないと考えているのだ。それは無がそれ自体私たちのもっと知りたいという欲望が作り続ける一つの幻想だからである。幻想とは常に変化し続けるので、その正体を突き止めることが出来ない。それは要するに私が動くたびに変化する影の正体を突き止めるようなものである。無はそれ自体何か性質があるかも知れない、とそう考えること自体が既に無の中に有を求めているだけのことなのだ。有以外には一切ないということを、私たちは理解しやすいように無という概念を有に対して設定してきたに過ぎない、と私は考えるのである。

 昨今の世界経済不況(百年に一度の大きさであると言われる)を前に私たちは丁度外出して、悪質のインフルエンザを抱え込みそれこそ数ヶ月以上も入院することを余儀なくされ、しかも完治するのに何年もかかるという事態に追い込まれたと考えてもよい状態なのだろう。しかしだからと言って私たちは一切これから自宅から一歩も出ず、外出することをよそうと、もし誰かが言ったのなら正気ではないと考えるだろう。
 元総務・金融・経済財政大臣竹中氏の考え方を日頃のテレビ等での発言から推察すると、昨今の「市場原理主義が世界を駄目にした」とか「経済優先主義が破綻を来たした」というような言説にはそれと似たような考え方があるということになる。私たち人類が絶滅する日まで恐らく私は市場経済=貨幣経済は続行すると考える。何故ならこの私たち人類の六百万年くらいとも言われる歴史においてもしもっといい人類にとっての世界運営の仕方があったのなら、丁度私たちにとって意思疎通の仕方にとって恐らく言語が一番自然であり、最適な手段だったからこそ定着していったように、そうではない仕方に定着していった筈である。しかし人類は聖書が出来た頃から既に貨幣経済を営んできたのだ。だから竹中氏がある討論番組において「リアリストたれ」と若者に呼びかけていたことを総括すると、私たちはとかく生というもの(=有)を、無=死との対比において捉えようとするが、私たちが無そのものを本質的に理解することが出来ないように、私たちは既にこうであってしまった 世界=有 からしかものを考えられない以上、どんなに世界経済不況であるからと言って、恐らく人類が滅亡する日まで続行するであろう貨幣経済や市場経済を軸にものを考えていくしか方法がないのだ。
 つまり私たちはどんなに死後の世界についてあれこれ思い巡らせてもそのもの自体を生きている間に明確に知ることが出来ない以上 死=無 から生を考えていくことが出来ないから、市場原理主義(それ以外の何かもっと理想的な人類にとっての世界運営の方法があるかのように幻想させる言い方である)といった言説自体が私たちの将来を考える上で有効であるとはとても思えない。つまり私たちは所詮生きている間には無それ自体を理解することなど出来はしないのだから、生きている間はいかに有意義に人生を送るかということを考えるしかないのであって、中島義道氏の謂いではないが、どうせ一回は人間は死ぬのだから死んだ後の世界については死んでみればいずれ分かることなのであり、生きている間はその間のことだけを考えればよいのだ。
 恐らく経済学が死について一切語らないのはそういう理由があるのだ、と私は思う。つまり経済学が哲学や宗教や心理学とは別個に存在し得るということは、心を語る学問でさえ今述べたものの他に思想とか脳科学とかがあるように、決して一つではないということを表しているように、一つの学問では語りきれないからこそ存在するのである。もしそれらの中の一つだけを選んで全てを語ろうとするとどうしても不十分であるからこそ、心について語る学問でさえ幾つものジャンルがあるように、必ずしも「心だけを語っていても私たち人類や人類にとっての世界の全てを理解することが出来ない」からこそ、死自体を語らない経済学のような学問が存在し、私たちにとって必要とされているのだ(やはりもし全てが哲学や宗教で考えるような心の学問でしかないとすればそれはそれでよくないのである)。
 私たちにとって世界もいつかは滅ぶだろうし、宇宙もいつかは消滅するような意味では、全ては有限であると言っていいだろう。しかし私たちはいつまでも時間も空間もその先があるのだ、と考えたくなってしまう。この無限に対する思念そのものを私は勝手に無限地獄(何でも無限であるように思えてしまうこと)と呼んでいる。しかし例えば国家経済自体にも限りがあるように、経済学は現実を軸に展開するから、恐らく有限性について最も実際的に認識している学問であると考えてもよいのだろう。それは裏を返せば最も無限地獄自体をよく認識している、ということかも知れない。カゲロウのように一日で死ぬ生き物は恐らく私たち人類の辿る運命などいつまでたっても思いも拠らないことであり、彼らにとってそういった世界は存在しないのも同然である。同じように人類の消滅した後の世界というようなことも同じだ。あるいは私たち現代に生きる者にとって人類が絶滅する時期における人類の世界運営ということだけを考えても仕方がない。だから取り敢えずは今現在の経済の行く末を考えていくしか道は残されていないことになる。
 尤もそれは経済学者の論理であり、その論理自体に検証をすることも許される。そこで思考の無間地獄があることも了解される。

Thursday, August 12, 2010

<感情と意味>第五章 言語習得と羞恥 第一節 羞恥の称揚と羞恥の克服

 「対話のない社会」や「うるさい日本の私」等の著作において中島義道が最も訴えたいこととは、日本社会が暗黙の了解や阿吽の呼吸というものを重視するあまり、端的に対話すること、とことんまで真意を語り合う機会を社会全体が封殺しているということに対する痛烈なり疑問なのであり、日本人は確かに他人が嫌がることをしない他人が嫌がることは言わないという氏の主張する「優しさ」によって自らの主体的な欲求を押しとどめることから全ての言語行為を出発させる。中島は帰国子女(ウィーン大学哲学科において博士号取得)の立場と、自己内に感じられる正当なるエゴイズムの呼び声によって「こういう意見を正真正銘の本音で語った論客を私は知らない」というスタンスで述べたことにおいて実践的哲学者として評価されるべきである、と私は考える。
 さて日本人とは古来から言われているように恥の文化を生きるのだ、という定説に対して、それ自体殊更否定しようと私は思わないが、実は其れは日本人だけなのかな、という疑問もずっと抱いてきた。例えば日本の恥に対して、欧米人は罪の民族であると言う。しかし罪に恥はないのだろうか?
 それは違うだろう。恐らく私は全ての羞恥は、自らにとって最も大切なもの、例えば家族であるとか、大事にしているものだとか、愛着のある土地だとか、要するに自分にとって大切なものを通して、しかしそれは自分にとってはそうであるが、別の人(端的に他人のことである)にとってはそうではなく、彼らにはまた自分とは全く違う人(家族)、もの、土地が大切であり、愛着があり大事なのだ、という意識を抱いた時、言語習得が飛躍的に推進されると考えている。そして興味深いことには、その羞恥を介在させること、つまり自分の愛しているものに対して愛着を素直に他人には言えないということが日本人にとっては言語習得、そしてとりわけ責任倫理の意識の獲得と期を一にしているということが、では欧米人にも当て嵌まるのだろうかと考えた。そしてその末に自分なりにある結論に達してのである。彼らにも決して羞恥がないわけではない。ただ日本人は必要以上に羞恥を美徳として意識することが多かったのに対して、欧米人は羞恥を克服することをモットーとしてきた、ということである。例えばアメリカ人は積極的に他人に自分は家族を愛しているとか、妻を愛していると憚りなく語る。私は古い日本人的なモラルからすれば多少図々しいという印象をかつては抱いていたが、そうではないということに気がついた。彼らはそう憚りなく公言することを通して極度の羞恥を克服しようと躍起になっているのだ、ということを。
 つまりその羞恥自体を日本人は美徳とすることが可能だったのだ。それはある程度社会全体が異民族から蹂躙する危険性が比較的少なかったということも起因しているのだろう。しかし欧米人は歴史的に見てもそうではなかった。
 しかしそういう歴史学的、文化人類学的な事実よりも重要なことがある。それは言語習得という本能的行為は全ての民族において共通している体験であるということだ。そして言語習得とは、それを通して他者と語るということを習得することであるから、必然的に他者の立場を自己に置き換えて考えるということが基本としてある。それは中島が批判している相手の立場を考え過ぎるということではない。もっと単純なこととしてである。つまり言語行為上で意味を伝達するということが、即ち自分にとって切実な意味が他者にとっても切実であると想定し得ることこそが、ある言語陳述を可能とするのである。それが一切ないものであれば、我々はそもそも一切他者に何かを語るという意志を抱くことなどないだろう。そこには言語行為自体を成立させる根拠に基本的に他者に対する信頼があるということを意味している。
 そしてそれはそれ自体を美徳とするにせよ、克服するにせよある羞恥を抱くことがあるのは、概して自分にとって切実なものが他者の目に晒された時であることを考えれば直ちに納得し得る。
 つまり自分の裸を他人に見られるということはアダムの罪と呼ばれる聖書の時代から変わらない真実であるし、あまり親しくない人に自分の素性を簡単に語りたくはないということもそうである。
 つまり他者を慮るということ自体が言語行為においてウィトゲンシュタインが言った私的言語を克服することであるとすれば、意味が自分にとっての意味であるばかりか、その意味を告げる相手にとっても同様の意味であるということの想定が言語行為=意味の伝達行為を成立させるとすれば、自分にとって有意味であることが他者にとっても有意味であるかどうかの査定を言語行為を通して顕現させることがコミュニケーションであることを考えれば次の記述はごく自然な図式であると言えるだろう。

自分にとっての意味(自分にとって意味があると思われること)がそれを告げる相手にとっても意味(がある)かどうかの査定=発語行為

つまりそこに至るまでの道筋にあるものこそ羞恥である。それを言うことには勇気が要る。しかしそれを押しとどめることが日本の文化であると考えられてきたし、事実中島の主張の通りそれは維持されているとしよう。それに対して欧米ではその勇気を賞賛するのである。だから私は日本文化を押し黙ること(他者への羞恥を隠さない)を美徳とし、欧米では少なくとも他者に対して語ること(他者への羞恥を克服すること)を美徳とする文化としてきた、と捉えたのである。
 しかしそういった文化上での差異はあまりこの章で考えることの上では大した意味を持たない。何故なら羞恥はそれを美徳としても、克服すべきものとしても尚、言語行為を成立させるものとしての重要性は一切変わりないからである。
 まず私たちは自分に家族があったり、大切なものがあったり、生活する上で重要なものがあることを直観的に知っている。しかし同様にそのことが隣に住む自分と同じくらいの年齢の友達にとってもそうであるかどうか自体は、推察とか類推によってではなく、尤も自閉症の子どもであるならそういう風に容易にはいかないにしても、少なくとも健常な精神の子どもであるなら、聞くことによって知ることが出来る。あるいはもっと勇気がある子どもなら自分にとってそれらは大切であると語ることによって相手の出方を見るという選択肢もあるだろう。
 つまり何らかの自分にとっての生活上での重要性ということが、意味連関的な一般性において理解される時、必要となってくるものが、言語行為による相手からの発言による自己確認である。全ての生活上での指針となっているものは、自分にとって大切なものは他人にとって大切であるかどうかということに対する査定である。
 勿論自分の両親や兄弟姉妹や、住んでいる家や大切にしているものは自分が言語行為をする相手にとっては他人のものであるという認識は最初からある。それが最初になされていないのならまず言語行為をするということにはならない。自分にとっての重要事項はあくまで自分にとってであり、他人にとってはそうではないという認識が成立した時に初めて、では相手にも自分にとって大切なものが存在し得るのかどうかという疑問が出されてくる。その疑問が相手を必要とする言語行為を成立させるのだ。
 人間界の全てのコミュニケーションは自分にとっての意味が相手にとっても同様に意味であるか否かということに対する確認が基本として備わっているように私は思うのである。それが一致する時もあれば、一致しない時もある。しかし概して一致するであろうと最初から思えるものとそうではないものとの間には何らかの差異が最初から認識されているだろう、と私は考える。
 例えば好きなマンガとか、好きなテレビ番組とか、好きな同級生とか、好きなこととは、恐らく一致するものもあるだろうが、そうではないものもあるという推察が可能であろう。
 しかし雨の日は晴れの日よりは外で遊べないから、憂鬱な感じがするということは、たとえ憂鬱という語彙を知らなくても何となく相手もそうではないかという推察が可能な範囲のものである。
 しかし例えば私の幼少の頃私の両親は私たち子どもにキスをしたが、私は一回もそのことを友達に告げたことがなった。と言うのも私の両親は私には三歳年少の弟がいるが、彼にも私を名前で呼ばせた。年少とか年長であるということを表に出すような教育を一切しなかったのは、西欧流でファーストネームで呼ばせることをすることで完成したのだ。そして西欧流に子どもにキスをする家庭ばかりではないだろう、と私は感じていたから敢えてそういう話題を一切友達には語らなかったのである。
 その意味では私も私の弟も名前で呼び合っているということを友達に告げたことも一度もなかった。
 つまりそういう習慣的なことというのは、端的に自分にとっては慣れていることでも他人にとってもそうであるとは限らないということから必然的にそう容易に他人に、それがたとえ同級生であってもよほど心を打ち明けあえる相手でなければ全て包み隠さず告げることは躊躇されることである。
 つまりその躊躇させるものこそ羞恥である。そしてその羞恥自体を如何様に解釈するかと言うことで、相手を見たり、相手にとってもそうであるかと判断したりすること、つまり自分にとって羞恥の対象であるそう容易には告げられないこととは、一方でそうではなくある程度容易に告げられることもあるということを認識上発生させるだろう。つまりその羞恥を介在させずには置かないこと(勿論自分にとってそう思えることである)と恐らくそうではないだろうと思われることの間の差異こそが言語行為上で何を安心して聞くことが出来るか、何はそう安心して聞くことが出来ないかということの認識を発生させるのだ。
 それは自然と相手に対するこちら側の判断によって会得していくものだ。例えば相手が異性であるか同性であるかもそうだし、相手の年齢もそうである。それらの差異をあまり気にしなくてよいことと、そうではないこと、つまりそれらの意味連関が私たちに言語行為をするモティヴェーションを授けるのだ。つまり質問内容から、こちら側から相手に知らせる内容に至るまでその都度の判断において羞恥の対象から羞恥をあまり介在させる必要のないことまでそこには当然幅があるわけだが、その幅に対する自覚こそが言語行為上で相手との間で確認し得る意味の領域を設定する。
 だからある場合には相手が誰であれ、どんな場合であれはっきり言ったり聞いたりする必要があると思えることから、ある程度相手を見て言ったり聞いたりすることをそれがいいことであるかそうではないかということを判断する必要があることの両方を認識することが言語行為において最初の難関として待ち構えている。勿論本来その間の差異自体も、実はかなり社会習慣的なことを会得していくに従って習得されるものである。それは人間が自分の裸を他人には見られたくはないということと同じようなものとして存在する。だから一定のそれらに対する習得の後に、例えば女性には年齢を聞くものではないということとか、そういう不文律があるのにもかかわらず、ある場合には異性間においてさえ年齢を告げあう必要があるのだということを習得していくのだ。
 
 もっと簡単に言えば、私たちには言いたいことと言いたくないこともある。そしてそれが権利上認められることとそうではないことの両方があるということに対する自覚が、言語行為の動機や意味連関に対する理解となっていると私は考えているのである。自由や権利と義務の両方があるということを私はかなり早い時期に子どもにも理解されていると思う。
 そしてそれ以上に重要であることとは、それら(つまり私にとって言いたい<言っても別段構わないこと>ことと言いたくないことの両方が存在するということ)に対する理解が、では他人にとってもそうなのか、つまり他人にも自分と同様の羞恥や躊躇があるかどうかということに対する認識的な自覚こそが言語行為を成立させていることの大きな柱であると思えるのである。
 だから当然そういうことに対する配慮をするべき時と、敢えてそれをするべきではない時というのが存在し得るだろう。前者はある部分では個人差が最初から類推出来ることであり、後者は最初からそれは誰にとっても同じである筈だという確信が得られるものである。
 例えば好きな食べ物は人によって違うだろうが、熱湯は手にかかれば熱いということは誰にとっても同じだろうという類推は最初から私たちにも備わっているだろう。だから自分が好きな料理を相手も好きであると勝手に解釈してしまうことはよくないから、例えば前者の例としては友達が来る時、その友達に料理を振舞う時には予めその友達の好き嫌いを聞いておくという判断は成立するだろうし、後者の例としては誰かに偶然的に熱湯がかかったとしたら、すぐさま大人を呼んで知らせるとかの緊急性に対する認識が即座に思い浮かぶということはあり得るだろう。
 つまりそういうことに対する判断が、例えば何かを決定する時に相手に聞く必要があるのか、そうではなく自分で全て判断していくべきなのかということの差異をその都度判断し、認識することが可能となるという意味では、道端で倒れた人があれば、大人になってからは一々他人に承諾を得る以前にまず警察とか救急車を呼ぶとかの判断をすることへと繋がっていくだろうし、来週パーティーをする時には出席の是非を相手の都合を配慮して聞くという判断にも繋がっていく。
 
 纏めよう。
 ある程度親しくなければ聞き難いこと、あまり親しくない人には聞かれても答えたくはないこと、あるいは告げる必要がないこととはプライヴェートなことであり、ある程度羞恥にかかわることである。例えば他人と話している時話の流れで自分が会社を辞めたことを告げた時、何故会社を辞めなければいけなくなったかなどの経緯についてたとえ相手が好奇心でそれを聞いてきても返答すべき理由はないし、返答したくなければ返答する必要などない。それに対して相手が親しくても親しくなくても聞かなければいけないことや聞かれたなら返答すべきことというものもある。例えば大怪我をしたので救急車で病院に運ばれ医師が輸血しなければいけなくなったので医師から聞かれたら返答しなければいけない血液型とか名前とか、要するに緊急の措置として相手に対して請求されたのなら返答すべきことなどである。
 この例から言えば前者は自分が聞かれた場合なら権利問題であり、相手に聞くことがよくないと判断した場合なら相手の権利問題であると同時に相手の権利を守る責任問題でもある。
 また後者は相手に対してなら義務である。
 要するに聞かない方がいいこととか聞かなくてもいいことには権利問題が付帯し、告げない方がいいこと(告げたくないこと)とか告げなくてもいいこと(告げる必要がないこと)もそうである。しかし一定程度自分が相手から助けて貰わなくてはならない時、それは今述べた医師から治療を受けている時とか、自分が被疑者となって弁護士からことの経緯を尋ねられた時などは返答しなくてはならない。
 そしてそれら全ては言語習得期において基本的な峻別が一定程度必ず習得され得るものであると私は考える。

Tuesday, August 10, 2010

<感情と意味>第四章 第六節 文化の閉鎖性と哲学上のグローバリズムはあり得るかの問題

 哲学者は扱う問題がかなり専門的(のように見える)で、扱う領域が浅く広いと言える。宇宙に関する思惟から、言語や習慣、慣習まで扱うが、例えば文化的なことに関しては文化人類学や社会学よりも抽象的な態度にとどまり、全てに対して網の目を張り巡らせるわりには、深度ということにおいてはどの学問よりも浅くとどまる。だから逆に言えばただ唯一哲学命題が深度を持つとすれば、それは文化自体が閉鎖的な性質を持っていて、その閉鎖性自体を肯定的に失われていく世界観を愛おしく扱う文化人類学が見損なっている部分、つまり何かが失われていくことと引き換えに、だからこそ得られる普遍に対して着目し得るという度量であろう。
 ある固有の文化はその文化を共有し得る成員間においてのみ価値があるものである。その知られざる価値に対して着目して、分類し、保存することが文化人類学であるとすれば、その価値自体を肯定的であれ否定的であれ検証することを潔しとする学は哲学をおいて他にはないだろう。その時確かに哲学はグローバルな学であろうとする。このグローバリズムに関して言えば、確かに科学一般もそうである。だから当然文化人類学自体も人文科学という視野から考えるなら、その失われてゆく価値に対する愛おしさを感じ合うということから言えばグローバルである。しかし哲学自体が持つグローバリズムはもっと抽象的なものである。それは文化を文明位相レヴェルや様相レヴェルからではなく人間実存的に捉えるから、その文化の意味連関からよりも、生の意味連関から文化の存在理由を問う。
 文化とはある部分では言語習慣的なこと、社会制度的な慣習性に依拠した伝統的なコードとか民族習慣的なことと密接に連関が組まれ、それが権威となったり、法制度となったりするのだが、実はそのような習慣依拠的なことは、職業的行為における連鎖自体が個に与えるものでもある。
 学者には固有の読書習慣とか、文章解析能力が備わるから、自己の専門分野外のことにおいて何か実力を発揮する時にも日頃の職業的感性は活かされるだろう。つまり自己が自己に対して課す使命感のようなものが、人間的実存の在り方まで規定するということは大いにあり得るのである。
 哲学者ももっと色々な形で応用的な領域に飛び出していくべきではないだろうか?哲学者がそうすれば、他の人文科学分野の学者達も又それに啓発され、態度を変えていく可能性は大いにある。
 

Tuesday, August 3, 2010

<感情と意味>第四章 第五節 報道の建前と社会の建前

 一般的に全ての報道は意味連関的には建前上全ての人に対して開かれているように振舞っている。しかし重要なこととは、どんなに世界情勢的な大事であれ、世紀のスクープであれ、社会問題化しているニュースであれ、それらは全て今日明日という命である人にとってはどうでもいいことである。つまり自分にとって命にかかわる大事を抱えている人にとってそれらの一切は何ら意味を持たないということである。それは端的に報道というものが全般的に一切の死にかかわる哲学を回避して存在しているということである。それは要するにニュースというものの性質が今現在そのニュースを拝聴している人たちが安全であり、命の危険がないということを暗黙に前提しているのである。
 私は下町固有の長屋的人情話が嫌いであるが、実は本質的に全ての報道にはそういう要素がある。つまり端的に報道の建前とはそれを享受する人を差別はしないものの、本質的には全ての人が将来があり、未来があり、明日に希望があるということを前提しているのである。
 しかし実際には明日死ぬかも知れない、今日一日命がもつか知れたものではない人は大勢いて、それらを一切無視しているのである。つまり常に報道を気にすることが出来る心の余裕のある健常な人だけを相手にしているからである。それは社会自体が、経済白書から、あらゆる種類のGDPとかの数値を弾き出したりして生きている人だけを対象としているのであり、その徹底した合理主義は、実際本当は明日か今日死ぬ人にとってこそ世界とはどうあるべきか、ということが極めて重要であるかも知れないのに、そういった一切を無視することによって成立しているのである。
 これを社会による哲学の無視、報道の持つ非哲学的態度と呼ぼう。つまり建前上では全ての人に対して差別しないと触れ込みながらその実、そういった報道を余裕を持って享受することの出来る人だけを対象としている報道機関の欺瞞性を社会は積極的に容認しているのである。
 これは社会が冷酷であるからと言うよりは、例えば自分のことを考えてみればよく分かることなのだが、前節において私は「人間とは通常自分にとって関係のない事態に対しては静観するという態度を、とりわけそれがニュース映像などに関しては決め込む」とそう述べたが、実は別にニュースに限らず、全てのことについてそうなのである。隣に住む夫婦が借金苦に喘いでいるとか、息子が病気で苦しんでいるということを聞いても、私たちには基本的に何もすることが出来ない。第一他人を救うことが出来るということはよほどの財力と権力が必要なのである。また仮にそういう力が自分にあったとしても、救おうと思う当の相手がその申し入れを聞き入れるかどうかはまた別の問題である。
 つまり社会とは最低限に必要なことだけは全ての人々にインフラとして提供しはするものの、各社会成員にとって最大の困難や問題を解決するように配慮することなど出来はしないのである。だからこそそのように立ち入った問題には一切触れず、要するにそれら解決不能であることに関しては最初から取り組もうという態度は一切取らず、自己責任を全ての成員に対して暗に要求するのである。この種の徹底的な責任転嫁とは、公共的責任の在り方とはどうあるべきなのか、ということに対する現実的な限界というものの在り方を示しているように思われる。
 私は以前からこの種のマスメディアやマスコミの報道に関する徹底した健常者的立場、平穏で何事もトラブルのない人こそがまず何を差し置き、第一の視聴者であるという暗黙の前提は一体何故発生するのか不思議に思ってきた。しかしある時はたと気づいたのである。それはそのように取り扱わなければならないくらいにトラブルを抱えている人は大勢いて、そのそれぞれの苦悩や健常、健在でなさに対して一々責任をとっていては身が持たないというマスメディアやマスコミに携わる側の人々にとっての暗黙の約定なのだ、と。
 つまりそれだけ本章の主題であるところの意識やクオリアということをそれだけを取り上げて考えると哲学的に難解なのだ。つまり私たちは意味連関のほんの触り程度の部分を切り取り、それを表立って表明出来るように社会が機能していることを知っている。つまり死もそうだし、健常でなさ、健康でなさ、条理を逸していることなどの一切は個人的なことであり、相互に踏み込んではいけないということを無意識に忌避的に身構えているのである。本当に哲学的に考えれば意味連関とは全ての個における健常でなさ、正常でなさ、死を含む。しかしもしそれらを一々取り上げていたら、社会機能全体が麻痺することを何よりもそれらの問題が軽くは無いと知っている私たちが自主規制しているのだ。これはサブカルチャーなどを除いて、政治的舞台とか番組内などでは表現の自由を巡って自主規制することに慣れている日本人も、宗教的なことに関しては自主規制するけれども政治的には自主規制しないアメリカ人にしても全く変わらないだろう。
 何故意識やクオリアに関する問題が難解であるかというと、それはそれぞれの個によって大幅に感じ方が違うということもあるけれど、もっと本質的にそれが実は全ての外交的態度とか外在的態度表明、社会共同体的な深層心理に深くかかわっていて、それを一旦問題として持ち出すと、それだけで全ての時間が浪費されてしまうくらいに根深いということを私たちが知っているからではないだろうか?つまり真意の問題とは偽装全体にかかわっているということと、それが建前とか儀礼性とか形式とか社会構造とか共同体内の慣例や慣習全体に関わっており、個別の問題に対してその都度対処することだけでは済まなくなるということだからである。
 また真意とは意図的な志向によって形成されるものだが、意識とかクオリアとはそれだけではなくそれプラス反省的意識の問題に関わる。そして反省意識とは端的に個別的な記憶の問題に関わる。よってそれらを一律に定義することがまず出来ない。そこで私たちはそういう立ち入ったことは全て個人の責任において選択すべしということになるのである。だからもしニュースが倫理的にけしからんものであるなら要するに見なければよいのである。報道に接することが出来る余裕がある人だけが選択してニュースや新聞や全ての報道に接すればよいのである。しかしにもかかわらず、我々はどこかでピアプレッシャーによってそれらを話題の一つとして選択しなければいけないような雰囲気に自己を持っていってしまうのだ。このことは 第二章 第四節 自己と無関係のものごとに対する思念の必要性 で示したように、自分と関係のあることだけを知識や情報として脳内に記憶させると、ある臨界点を超えると、不安が倍増してしまい(端的に自分にとって残された時間というような死を連想する)いても立ってもいられなくなるという事態を未然に防止させながら自分とは直接無関係なことを多く知識や情報として吸収することで安堵しているのである。

Sunday, August 1, 2010

<感情と意味>第四章 第四節 差別表現の語彙への忌避を生む負のクオリア 

 言葉自体は一切それを使用する人を差別しない。例えば語彙自体はその語彙を使用する人を差別しない。
 小学校一年生が「H君が私に対する嫉妬に狂って私が思いを寄せるK君をぶちました」などと担任の先生に告げたとしたら、恐らくその先生は恐るべき子供たちだと思うことだろう。そのようにある語彙をある年齢の人が使用すること、あるいはある語彙をある職業の人が使用することに対して、「たかが~のくせに(の分際で)」とか「あろうことか(こともあろうに)卑しくも公務員であるにもかかわらず不謹慎な」とか言って、そういった語彙を使用することそのものに対する差別をするのはあくまで人間の側であって、言葉自体、語彙自体ではない。インテリではないとあるインテリによって思われている人が、高度な哲学的命題の概念を知っていて、それをそのインテリの前で口に出したとしよう。そのインテリが一定のレヴェルの知性と理性を持っているのなら、「自分がその人に対して見縊っていたのだ。そういう風に人間を表向き(見てくれ)で判断することはよくない」とそう思うだろうが、慢心していて、傲慢なタイプの人間なら「たかが~のクセに高度な概念を使いやがって、どうせ知ったかぶりに決まっている」とその語彙を語った者に対する差別をやめることもないかも知れない。その場合その者は真にインテリの名に値しないと言える。
 しかし少なくとも語彙自体は、言葉自体はそれを使用する人を嫌がることはない。動物なら動物が嫌いな人というのを直観的に理解し、その者がたまたま動物好きな人の前で社交辞令的に犬や猫をあやそうとしているとすぐさまその擬装を見抜き、拒絶反応を示すだろうが、語彙、言葉は違う。
 要するに言葉や語彙を差別するのは人間の方なのである。例えばかつてデブと言ってからかうことがあったが、最近ではメタボリック・シンドロームという語彙が定着すると、「あいつは少々メタボ気味だ」とか言って差別用語的扱いを受けたデブを忌避することを通して語彙自体が社会的なイメージとして通用する事態そのものを忌避しようとする。要するにそうすることを通してその表現が持つイメージを想起することを相互に忌避しようという暗黙の約定に従っているのである。
 何故そんなことをするのだろうという疑問は愚問かも知れない。何故ならそれはそういう言葉、例えば「売女」とか「人非人」とかそういう語彙を使用することで、その語彙を特定の個人に対して適用しているという事態を認識されることで齎される自己に対する不利益を、その語彙を使用することを自己に戒めている人は予め忌避しているからである。だからある一定の限度を超えて(この判断が意外と難しいのであるが)不必要に差別語を回避していることを目にすると却って意識してそれを使うまいとしていることを見抜かれ外から見たら不自然であり、却って意識していることが判明してしまうということが想像以上に多くある。つまり必要以上に気を遣い、ある言説やある語彙、表現を使
用することを回避している場合それをされる側はあざとくそれを見抜いてしまうのだ。
 それはその語彙や表現、言説自体に対する差別感情を、それを使用することを忌避している側の人が濃厚に意識しているということだから、それを自分の前では回避される側からすればその語彙や表現、言説を差別的に使用されるのならいざ知らず、そうではなく自然に時たま使用することがあった場合よりも寧ろ自分が内心では差別的に見られているということに気づいてしまうだろう。つまり内心の差別を必死に「理性的にそれはいけないことだ」と考え、その言説一切を封じ込める意図が見え見えなのだから。
 だから人間がある言説や表現自体が持つ伝達的メッセージに対して敏感であることは、それを使用することが「こういう場合には適切である」とか「こういう場合には不適切である」といった判断を意識的に認識させずにはおかない。つまり親しい間柄においてなら尚更その種の気遣いとか心配り、あるいは気配りといったことは、必要以上であると却って差別に繋がるということが言える。
 そしてそれを重々承知であるからこそ、多くの成員がこういう言説やこういう表現は慎みましょうという暗黙の約定がかつては多く存在し、頻繁に使用されていた語彙を差別語として締め出してしまうという異様な事態へと発展しているのである。これはある種の忌避論的なファシズムである。それを誘引しているのが負のクオリア、しかもそれが自分の内心でそう思うよりも、他人に言ってしまったならまずいとそう思うような負のクオリアなのである。
 しかし捕捉的に付け加えておけば、負のクオリアにおいて好例である形容詞でも動詞が変化した形容詞は然程ではない。例えば「嘆かわしい」とか「煩わしい」のような語彙は、原型が動詞なので動詞自体に負のクオリアの実感が吸収されてしまうからだ。しかし例えば「いじましい」とか「おぞましい」とか「せせこましい」とか「ややっこしい」といった少なくとも現代においてその原型である動詞が隠れていてその発祥が分からない形容詞の方がより、負のクオリアが実感され、原型に起因する抽象的観念性が剥奪されている分だけ切実であり、眉間に皺を寄せさせる趣を持つ。ネガティヴな形容に関する語彙には実は微妙な心理的差異が息衝いている。

 さて今まで書いてきたことは言葉自体のその使用者に対する差別しなさ自体が、逆に使用者たちがそれを誰に対して適用して伝達するかということにおいて配慮するという一種の差別の問題であった。しかし人間にはかなり克服の困難な二つの思い込み(哲学的には誤謬と言うことも多い)がある。
 その一つは人間とは相手が同じ人間である場合その外見で判断してしまうということである。
 ある部分では人間の外見とはその者の内心をこれ以上に表現してしまうものはない。だからある相手に対して敵意を抱いている者に対してある相手自身はすぐにそれを見抜くし、嘘をついている時の表情というものは、真実を告げている時の表情以上の説得力を持つことはあり得ない。
 しかしそういう意味での外見ならいざ知らず、もっとその人間の骨格とか人相とかそういうことになると、その者の内心の本質を必ずしも百パーセント示しているとも言えない場合もかなりある。
 しかしにもかかわらず人間は外見の、特に美観に囚われてしまう。そのことを茂木健一郎は「化粧する脳」においてかなり意識的に記述している。そしてその顕著な例としてかつてエレファントマンと呼ばれて映画化されたある人物についての記述において示そうとしている。
 要するに人間とは自分にとって選好性(特に社会生物学(進化心理学)者たちが多く使用する概念である)から逸脱する人相や顔立ちの人に対してなかなか「人を外見で判断してはいけない」と思うことが難しいのである。それは公的な場ではそうしようと決意しても、私的な部分では執念深くその思いを温存させることからも明白である。
 しかしもう一つの思い込みはもっと執念深く、厄介で悪質でさえあるが、克服がずっと難しい。それはある意味づけをしてしまったものを、その意味づけ以前の状態へと戻すことの困難さである。
 そのことをまざまざと見せ付けてくれた出来事こそ菅家利和氏の刑務所からの突然の釈放であった。菅家氏は十八年前の足利市幼女殺害事件の犯人として日本初のDNA鑑定であるという捜査当局の触れ込みがあったために、菅家さんが釈放後のインタビューで述べられていた「決して許すことが出来ない」と言われる(それは当然であるが)刑事たち自身が、相手は巨悪犯であるから心して捕まえ、心して取調べをする必要があると任務に忠実にそう思っていたのだから、「自分や自分の家族に対して謝りに来て欲しい」と菅家氏が主張されたとしても、恐らくそう容易には誰も謝罪に来ることなどないだろう。
 何故ならある菅家さんがご出演されたワイドショーでレギュラーの著名なタレントが「菅家さんをお近くで拝見した時私はこの人はとても人を殺せる人ではないと思いました」と告白していたが、実際それは刑務所から釈放されたからこそそう思うのであり、逆にその時そう思えるということは、氏が釈放されるまでは恐らく他の多くの国民同様凶悪犯であるという思いを拭い去ることが出来なかったということを示してもいる。事実私も例の45歳時の氏が連行される映像を見ては凶悪な犯人らしい風貌であるとそう思い疑いを差し挟むことがなかったのである。つまり人間はある言説、それが例えば「この者が凶悪殺人犯である」という説明を一旦与えられると、その指示を与えられた写真や映像の人に対して普段そういう説明を与えられていない場合にどういう反応(選好性的な意味での)をするかにかかわらず、その説明によって意味づけされたバイアスに従って判断するということである。「そう言われると人相が悪いわね」とそう思い込んでしまうのである。しかもそれが日本初のDNA鑑定であったという科学の進歩に対する妄信と捜査当局の威信だったのだから尚更である。従ってそれを誤っていると主張することはかなり佐藤弁護士たちにとっても困難な道のりであっただろう。ともあれ私はそういうこともないと思うが、もし菅家さんと対話する機会に恵まれたのならそのことを謝罪したいと思うが、そういうことがない限り私は氏に態々謝罪していくことなどないと思うからである。
 この種の司法と科学の過ちはその進歩に対する過信と、権威を守ろうとする意識がなした集団的犯罪であり、全ては責任転嫁の極度の形態を示している。それは人間とは通常自分にとって関係のない事態に対しては静観するという態度を、とりわけそれがニュース映像などに関しては決め込むということである。冤罪とはそれを冤罪であると主張しない全ての権威随順者たちによる集団的犯罪なのである。そしてそれを誘引することとして顕著なこととは、安易な顔つきや人相に対する個人的な選好性という殆ど理性論的には根拠のない判断なのである。しかしこの直観的判断を全く私たちから取り除いたのなら、その時私たちは自己防衛の一切の能力を奪われることにもなるから、万に一つそういう誤りがあったとしてもその能力一切をなくすことが出来ないということが最もそういう誤りを発生させることの前の困難として立ちはだかっている。

 ここで本節において示したことを纏めておこう。

① 言葉、つまり語彙や表現自体はそれを使用する者を差別しないが、それを使用する状況やその使用される言葉が適用される相手に対する配慮において人は言葉を差別する。しかしその差別が必ずしも結果的にその言葉が適用される相手に対する適切な配慮になるとは限らない。
② 人間は外見で相手を判断してはならないということを真理として知っていながら、公的にはその考えを明示することを厭わないのに、私的にはそういう判断を捨て去ることが困難である。何故なら全ての人間には自己防衛本能があり、それは選好性的直観に依存していることも多いからである。
③ 人間はある意味づけされた理解においてその対象を観察するということから逃れることが難しい。つまり一旦意味づけされた理解が誤解であったことを知るという一大転換を経てからでないと、なかなかその理解において得た観察結果を誤りであったと認めることが出来ない。

Monday, July 19, 2010

<感情と意味>第四章 第三節 退屈と辟易(との戦い)

 ストローソンの考えているようなカント像によると、確かに世界は私たちが存在するということに対して一定の認知を保持し得る限りでそのものを世界に含有させてよいということは、逆に世界そのものが私たちが存在するという風に認識し得るものの総体であるということになる。
 だからある出会いに対して「それこそがセレンディピティーだ」と言えるということ自体が、世界の中で、生活者が新奇なもの、それは決して自分にとってそのものと出会う前までは親しいものではなかったのに、一旦それを得てみるとどんなにそれが既に自分にとって不可欠なものであるようなタイプのものに対する出会いを後付的に意味づけていることを意味する。
 しかし一方どんなに素晴らしいものでもそればかりがずっと続くと辟易していくことというのがある。例えば私はコーヒーが好きなのだが、実際一日五、六杯飲んでも大丈夫だが、一日二十杯とかそれ以上飲めるかというと恐らく無理だろう。いい加減うんざりしてくると思う。
 つまりどんなに好きなものでも反復して続ければそれに対して飽きがくるということがある。好きな音楽でも一ヶ月くらい同じ曲ばかり聴き続けたらいい加減他の曲も聴きたくなるだろうし、恋しくなることだろうし、またどんなに好きな本でも数回続けて読めば別の本も読みたくなるものだ。
 またどんなに親しい人でも他人であるなら、一緒に過ごす時間が度重なれば、その人に対する欠点も見えてくるだろうし、第一夫婦や親子や家族でさえ毎日一緒に住んで過ごしている間には、たまには別行動をしたり、プライヴェートな時間や空間を持ったりしたいと相互に願うようになるものである。
 それに対して、ある出会いに対して新鮮であるとか、感動的であるということと逆に、同じような繰り返しの毎日に対して、何かに対して辟易していなくても、退屈であり死にそうであるというような気持ちというものも我々はよく抱くものである。どんなに順調に仕事や人間関係が持続していても、マンネリ化するということもまた避けられない。
 つまり人間とは退屈と辟易との戦いを常に繰り返してきたということが出来る。科学の進歩、社会制度の改革といったことの全てがその事実を裏付けている。
 私は前節において「意識して何かを語るということがある時、私たちはそう意識する自分の日常においてはあまり意識しないで語ることが多いということを知っている」と述べた。しかし実のところ意識して何かを語るという意志はそれはそれで貴重であるものの、本当にそういう積もりでしていてもあまり説得力を持たないことも多く、またそれとは逆にあまり深く考えていない場合でも、何気ない一言がかなり説得力を持つことも大いにあり得るのだ。つまりごく自然に他者に対して意図が伝わる場合もあれば、逆にかなり真剣に意思を伝えようと思っても全く通じないこともある。
 そして不思議なことには一定の固定化された価値に随順していても、その都度の何らかの工夫があれば、意思が伝わりやすいこともあるし、逆にいい方法であるからと言って、採用されたものでも使い古されてしまい、次第に辟易とされることもある。
 一般にここまで私が書いてきたことを綜合すると、次のようになる。

説明原理を立ち上げること(立ち上がることが私にとってであるが、それは私の身体的能力でもあるし認識的能力でもあるから恣意的なものとして明示する)→説明原理の常套化→クオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への還元→新たな説明原理を立ち上げること→その常套化→新たなクオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への環元・・・・・・。

 その反復である。つまりここにはいい意味での辟易から学ぶ私たちによる工夫が新たなクオリアに対する発見を齎すということが言えるように思う。つまり私たちは同じ反復にある程度は新鮮さを感じるも、次第にそればかりでは辟易としてくる。そして以前と全く同じことと出会っても一切そこにセレンディピティーは感じないままでいることになる。
 しかし何らかの変化がそこに付け加われば恐らく何らかのときめきを心に抱くことにも繋がるのだ。
 
 私たちは人間関係において常に相手に対して一定の距離を保たなければ、親子であれ夫婦であれルームシェアパートナーであれ友人であれ(少なくとも一緒に暮らす相手であればあるほど)少なくともある程度以上から死ぬまでだが、永続的関係を望むのであれば必ず関係の呪縛から解放されたいと思うようになる。
 それは仕事上でのルティンの遣り方や手順から、朝ご飯のメニューからいつも飲んでいるコーヒーの銘柄に至るまでそうである。つまりマクロな関係からほんの些細なミクロな関係に至るまでそうなのである。だからちょっとした些細な変化をつけていけば、案外もっとマクロな関係がマンネリ化していても辟易をたやすく超えられるということもあり得る。
 とにかくマクロとミクロ双方に渡って辟易との戦いという奴は私たちの人生、生活に控えている。そして厄介なことには辟易とはある日突然やってくる。故に予想もそれを避けるための処方もなかなか思いつかず、ましてや計画など立てられるものではない。後になってみればあの頃から二人の関係は冷え切っていたとか、愛情が冷めたということになるのだ。だからこそ案外ミクロな嗜好とか、趣味とか休日の過ごし方によってマクロな重要な人間関係を常に新鮮に保つことを工夫することで辟易を避けることが可能となることも多いだろう。そういう遊びが人生や生活にないと段々親しい相手に対して不満が募ってくる。つまりパートナーに自分の生活上での不満をぶつけてしまうのだ。これもまた極めて怠惰な責任転嫁の一つである。
 だが何故この辟易がやってくるかということを問うとなると、ケースバイケースでなかなか一律にその心理的メカニズムを解明することが出来ないだろうと思う。ただ哲学的には先ほどの反復図式のようにある説明原理、もっと簡単に言えば、自分に対して取り敢えずの納得をすることを可能にする自分に対する説明が色褪せて感じられてくるということを避けたいがために時々例えば哲学者でさえ、その究明する命題をリニューワルするのだ。文学者や画家が主題において変化を持つことと同じである。とりわけ説明原理を命題的に究明する哲学者や論理学者たちは、常に新奇なイメージを自分の学究に持ちたいがために必死に命題の意味究明に関して、移行や推移の必然性を見出そうとする。あまり突然のチェンジでは自分の命題に対する理解者からの納得を得られない。取り敢えずの納得であれそれはそれで本質的理解よりはもっと平明なものであってよくても、やはり重要なのである。
 つまりもしその関係を、それが人間であれ、住む場所であれ、職業であれ本当に永続的なものとして維持していきたいと思うのであればあるほど、一定の距離を保つこと、あまり短期間に集中的に親しくし過ぎないことが大切な仕方なのである。ある部分では短期的にかかわる仕事、あるいは精神科医や、ロックバンドやジャズバンドのメンバーであればあるほどその仕事のことをセッションと共に言うくらいだから、集中的に親しくすることはいいことである。それはいずれ解消される関係であることを相互に熟知した関係だからである。またそういう泡沫な関係であればこそその短期的密度によって相互に得るところが大きいということも言える。
 しかしもし永続的であることをかなり現実的な意味で重要であると思っている関係であればあるほどその相手との距離、相互に干渉し合わない事項、踏み込まない領域を保守するということが意外と重要となってくるのである。人間は初恋において流出されるくらいの短期的ではあるが極めて人生において重要な出会いというものはそう何回もあるものではない。そして極めて重要なこととは、そう何回もあるものではない関係というものが友人関係や上司部下関係、同僚関係、仕事上でのパートナー関係、夫婦関係、夫婦ではなくても異性パートナーとの関係といったものは、全てそれを失ってから大切であったと気づくことが多い。勿論短期的に集中して親しくして解消していくからこそ重要であった関係というものも多くあるだろう。それは対人間だけではなく短期旅行もそうだし、短期的に使用する道具、あるいは仕事内容といったものもある。
 つまり取り敢えずの納得がいい納得であればあるほど最終的な理解も素晴らしいものになる。確かに取り敢えずの納得自体は完成されたものではない。しかしだからこそ相互の納得の仕方がいい道具的なものであると、極めて最終的な関係であるところの真理の理解とは完成度が高くなる。だからこそ時々取り敢えずの納得の仕方自体を例えば論じ合う仲間、同じプロジェクトにかかわる同僚同士でリニューワルすることが求められるのだ。
 これは要するに先ほど言った人間関係や永続的に住む地域(地元)に対する距離の一定の取り方が重要であるということを念頭に入れておくことと無縁ではないだろう。自分の住む地元では周囲の人間関係は長く付き合う必要があるので、やはり一定の距離を置いて相互に踏むこまない領域を保守する必要があるし、地域住民としての責務(例えば祭りに参加するとか、自治会費を払うとか、ごみの集積日を間違わないとかの)を払う必要もあるだろう。そのように相互に配慮し合うということが、同一プロジェクトにかかわる同僚や、哲学者とか学者間での研究仲間や学会仲間間で必要なのである。そして案外取り敢えずの納得が相互にその納得を強いる相手が自分に対して独善的であると思われないような形で共通項を見出すことが重要なのである。これは地域住民間での対人関係に学ぶところが大きいだろう。
 つまり相手に対して新鮮さを保つということは、既知の人物に対して、親しい間柄において未知な部分を発見することである。それは最も必然的展開しか期待出来ない相手から得るセレンディピティーだから当然その大きさは新しい知人から得る何かよりも感動は大きいだろう。
 つまり辟易との戦いをする必要性を感じる相手とは、親しい間柄であるし、退屈であるような関係に陥ることを阻止する意志は同じような繰り返しの中からその意味を見出すことである。全く違うことを少しだけトライしてみるということが再び日常的ルティンに戻った時にそれが新鮮に感じるということである。だからただの赤いバラに見とれるということが習慣から全くなくなっていたのなら、敢えてそれを一日の内に五分でいいから設けるのだ。赤いバラのクオリア(を美しく感じるということ)はそういうトライアルから偶然発見されるセレンディピティーであるし、親しい相手の顔をじっと眺めることもいいかも知れない。
 そうすることによって意識を転換するのだ。そう言う時の意識とはゾンビとそれに対する永井用語のビンゾということを考える意識とは違うかも知れない。
 意識には二重の意味があるのだ。意識とはそもそも覚醒していて睡眠していなことを指示するために儲けられた説明原理である。あるいは眠っている時以外で意識を失っている状態を下に考えた「そうではない状態=自分で今の自分の状態を説明出来る状態」である。つまり意識とは覚醒していることと睡眠してはいないこと、そしてそのことを認知している自分という自己同一性において現在ここにいるということを捉えられることに対する説明原理である。そして「私」は意識が私自身にも同一性を求めて、と言うより殆どそれ以外には無いように信じて、そう言っている。「今」はその「私」が意識している、と言うより何かに注意が向けられていること自体を時間論的に把握した時に立ち上がるに過ぎない。それらは共に同一性と自‐他の相関を理解し証明するために自然と立ち上がる説明原理なのである。
 例えば私は敢えて「私」を持ち出さなくても常に私であり、私は常に何かしている時は「今」を持ち出さなくても常に今ここにいることは自明である。にもかかわらず私たちは「今ここ」であることを特化して考えたくなる。
 だが私はその全ての私に関する事実を他者の存在によって相対化せざるを得ない。つまり他者の存在が私を「他者ではない」と意識させる。しかしそう意識させるのも私が他者との間に何らかの約定として何かを説明する能力を備えているからだ。つまり指示も名辞もその説明能力が理解させている。つまりそもそも何かを理解するということ自体が自己内の自分に対する説明能力の内的な行使以外の何物でもない。
 意味連関が立ち上がることによって意識は意図とか感情とか、行為の目的に摩り替えられる。私たちは退屈だから考えるのだし、考えてばかりいて何もしないことの退屈さに辟易して行動する(例えば話す、書く)のだ。そして行動するから行為の目的ということを考える。そして同じ行為ばかりでは辟易する。だから新しい行為を求めもするし、同じ行為を別の意味から考える。
 親しい間柄での対人関係を重要であると考えるからこそ、退屈と辟易が立ち現われることを恐れるのだ。恐れるから意味づけしなおすのだ。どんなに親しい間柄でも、どんなに愛する土地でも退屈することもあれば辟易することがある。だから時として旅行をするし、祭りをするのだ。

Saturday, July 17, 2010

<感情と意味>第四章 第二節 デュアルな認識とクオリア

 私は半ば直観的に自分(自我的私)と自己(客観的認識を持とうとする責任と目的的な私)にとって私の中の他者を説明する時、既にデュアルな認識を持ち出してきていた。しかしそれ以上にその時私の内部では言葉の無力、あるいは私による言葉の駆使力の無を感じざるを得なかったのだ。
 しかし私の脳内の表象において視覚的能力に関して私は比較的信頼することが出来る。言葉がかなり言葉と言葉の間になんとも言えない隙間を感じるような意味では視覚はもっと詳細である。と言うのも言葉は段階と階層を作るが、視覚世界ではまさに私は見ることにおいてもグラデーションを感じることが出来るし、その気になればグラデーションを空間的に絵筆を使ったりして表現することさえ出来る。それは要するに知覚的にクオリア的に立ち上がる。
 しかしそれを立ち上がらせるのは感覚だけではない。それ以外にはまさに今私が述べた全てに対してデュアルな認識を、二項を設けることによって設置し(例えばよく知る世界と、よく知らない世界というように)その間の推移に視線を移行させようとする段階論的、手続き的な意図自体が私たちになんとも言えない無力感を与えるということ自体が、クオリアを立ち上げさせているのである。何故ならクオリアとはよく知っている(つもりである)ことの内にあるよく知らないことに出会った時にセレンディップに感じるような気がするからだ。それは知識内で、知識外的体験を得ることではないだろうか?

 ところで神という一語は未来への不安ということと抱き合わせのものではないだろうか?もしそうだとすると、神としての概念やクオリアを立ち上がらせる言葉の無力、並びにそれを作る当の日常的退屈な連鎖自体もまた一つのアンニュイとメランコリーを付帯させやすい現実自体もそれ自体として固有のクオリアを形作っているとは言えないだろうか?
 つまり神と私たちが何かに対して言う時、私たちにとって何かとは端的に一番知りたいことであるのに一切知ることが出来ない未来における事態の展開であるような何かである。受験に合格しているかとか、希望の社に入社し得るかとか、理想の相手と出会えるかとか。そしてクオリアとかそういうセレンディップな感受自体をとんと感じることなくやり過ごしてきているこの退屈な日常的連鎖自体が、一つの遣り切れないクオリアを放っているとさえ全体としては私たちによって言い得るのではないか?
 つまり私がずっと言い続けてきた漠然とした私を取り巻く大いなる環境や、厳然と私自身の能力を超え得る「世界」とは神とも不可分なものであるが、それは生活するこの主体の存在自体を成立させているという意味合いからは厳然としていると同時に密接でもある。世界は生活を成立させる私の身体を環境を吸収する能力の側からすれば「私の世界」以外のものではない。これは何も独我論的な認識でもない。もっと直接的感受の問題である。
 ベルグソンの純粋持続とは全てに固有のクオリアやセレンディピティーを吸収して無化さえし得るこの頽落した日常的責任と目的に縛られた行為の連鎖の別名だったのではないだろうか?
 私たちはこの不合理な日常を取り敢えずの納得でも、かなり進化した段階までも、より理解しやすいようにデュアルな認識を持つ。例えば主観的とか客観的とか。
 しかしその二分的常套性こそがクオリアを価値的に立ち上がらせている。本来デュアルな認識が「世界」を把握し、更に理解させるために用いられた合理的不条理であったのに、今度はそれを常套的なものに脱落させてしまう霊力のようにクオリアに惹きつけられてしまうこととは、まさに嫌味な人間から常にいじめに近いことを言われ続けた者が、ある日優しい一言をかけてくれる別の人間と出会った時の感動によく似ている。まさにそれがいかにもどかしくても、それ以外にしようのないことを感じ取っている時私たちは頽落した日常をすんなり受け入れているが、そうだからこそあるその頽落的日常から脱自し得る瞬間の到来はセレンディピティー足り得るのである。

 ここで再びカントが提示した問題にストローソンを通して立ち返ってみよう。ピーター・フレデリック・ストローソンは次のように第四二律背反に関する分析において述べている。(「意味の限界『純粋理性批判』論考」熊谷直男 鈴木恒夫 横田栄一訳、勁草書房刊)
 「(前略)カントがこうした要求者(すなわち持続的諸実体)の経験的に非依存的な現存在の身分に対する要求を考慮する限り、彼はまさにそうした要求を拒否する理由─但し説得力に欠ける─を与えることになる。その第一の理由は─これはほとんど真面目な考えとは言えないが─物質の非存在を考えても矛盾はないのではないかということである。しかしこうした拒否の理由が当て嵌まるのは、単に、概念的にもしくは論理的に保証された現存在というまさしくこの概念の名においてなされる要求に対してに過ぎないのであって、カントは正当にもこうした概念は理性の濫用であるとして否定しているのである。他の理由は、もし我々が物質の現存在を非偶然的と認めるならば、決して終結することのない説明の追求という統制的原理の自由な濫用に制限が加えられることになるであろう、ということである。しかしそうではないのである。というのはこうした非偶然的に現存在するものは我々の問いに対する答えではなくその主題を、すなわち我々の研究のまさに素材を提供すると考えられなければならないからである。〔こうして拒否の第二の理由を斥けられることになるのであるが、〕しかしもしこの論点それ自身が、〔2〕★に対応しているとかの要求者の要求を拒否する理由とされるならば、上に阻止しようとされた、非存在的に現存するものおよび最終的説明を与えるものという二つの概念の合体が再び肯定されることになる。」(Ⅲ超越的形而上学 中272ページより)
 ここでストローソンが「理性の濫用であるとして否定している」カントの主張は、実は概念的規定性において私たちが「世界」を漠然とした厳然性において理解しているからこそそれを世界と呼ぶようなこと自体への抗い難い容認である。確かに全てが虚無であるという認識自体も常に思念上では成立し得るだろう。しかしそれはそう問う当の素材から誘引される一つの誘惑にしか過ぎないということを「こうした非偶然的に現存在するものは我々の問いに対する答えではなくその主題を、すなわち我々の研究のまさに素材を提供すると考えられなければならないからである」の一節は物語っている。つまりそこから我々は問うことを始めているということなのである。「もし我々が物質の現存在を非偶然的と認めるならば、決して終結することのない説明の追求という統制的原理の自由な濫用に制限が加えられることになるであろう、ということである。しかしそうではない」とは必然に対してそれを必然化するもう一つ高階な次元の真理を求めることを意味するが、どこかで区切りをつけることを私は自我であると捉えているが、カントの主張はそうではないのだとストローソンは考えている。その根拠として厳然として存在しているが、その境界も臨界も限界も我々によっては知られることのない茫漠とした「世界」こそが、私たちに身体を通して世界を感受している事実を通して全ての問いを産出させているということをカントは問題にしたのだ。それは全人生において我々が納得する「今ここにいる」感じ自体を特化させる「世界」の成立根拠への問いが、その固有の感じによって得られているということに対するカントを通したストローソンの主張であると読み取ることが可能である。
 更にストローソンは次のようにも言う。
 「すなわち、世界の一切の特殊的現存在は経験的に偶然的であり得るが、しかし世界全体は経験的に偶然的であることはできない。というのは世界全体が依存できるようなものは何も存在しないから。こうして再び経験的に非偶然的な現存在は探求の終末を意味するのではなく、その主題を与えるのである。」(同 中273ページより)
 ここでストローソンが主張する「世界全体が依存するようなものは何もない」という謂いには解説が必要である。
 私が我々の知る宇宙を宇宙Bとし得る理由は、それ以前的に宇宙Aがあり得たかも知れないということから演繹されよう。しかしその宇宙Aをもその存在が確証し得たのなら、その時宇宙Aは宇宙Bとワンセットとなって一つの「世界」足り得よう。つまり「世界」とは境界も臨界も限界も全てファジーであるのだから、常に如何様にも拡張し得る。そこで存在が証されてしまえば、それをも含めて我々はそれを「世界」と呼ぶだろう。従ってその世界をさえ依存し得る思惟とは神をおいて他にあり得ない。しかしそれをここで依存性において理解することは出来ない。何故なら何度も言うが、神とは絶対的孤絶の別名だからだ。だからこそこの「世界」の茫漠とした厳然性こそを神と不可分のものとしたことこそ語彙「世界」の成立根拠ではないかという私の懸案はそれ自体説得力を持つように思われる。
 つまり以上のことを綜合して結論づけるとすると、何かいじめられた日常の中で自分のことを親密な態度で接してくれる人と出会ったことも確かにミクロ的な意味ではセレンディピティーであるが、私が言いたいことは、この身体において「世界」から全ての問うことの根拠を得ているという事実自体がまさにウィトゲンシュタインが「世界とは一つの事実である」という論考の有名な一節の示すようにそれ自体一つの、いやそれより最大のものの皆無であるところのセレンディピティーなのである。
 しかしそのようにセレンディピティーを感得させてくれる当のものは、カントもストローソンも考える上で利用した偶然と必然というデュアリティーであり、そのように二分性の名の下に概念提出してしまうことの必然的自然な感じこそが一つの「考えることにおけるクオリア」なのかも知れない。
 つまりこのようにデュアルに認識していってしまうことに疑念を抱かずに取り敢えずの納得をして進行させていく私たちの習慣依拠的性向こそが、「行為や思考の個別性ということもまた一つの哲学的表象以外の何物でもない」と私に記述させていったように私に対しても問うことの素地を提供した「世界」が茫漠たる広がりを持ち、境界も臨界も限界も全てがファジーであるような厳然性において、私たちが存在の根拠を与えられているということであるならば、赤いバラに美しさを感じる日常も、その美しさをずっと見過ごして記号的存在としてのみ赤いバラを取り扱ってきてしまったことのアンニュイとメランコリーな日常をも全てを吸収する 「世界」=厳然とした事実 こそが最大のクオリアであるとは言えないだろうか?そこにデュアルな認識が常に網を被せるように待機している、ということである。

Thursday, July 15, 2010

<感情と意味>第四章 意識・クオリア・意味連関 第一節 記憶とクオリア、意味とクオリア

 意識して何かを語るということがある時、私たちはそう意識する自分の日常においてはあまり意識しないで語ることが多いということを知っている。勿論明確にそう意識しているわけではなくただ何となくそう感じているからこそ、意識して語ろうと意志する。それはそういう風に意識しないで語ることが日常において多いのではないかという直観的な反省からそう決意しているのだ。
 赤いバラが美しいのは、赤い色自体が美しいということと、その美しい色をしている物質が花びらであり、花弁であり、それらを空間的に成立させている状況である。そしてその状況を美しいバラを鑑賞しているということとして成立させているものは、そのようにじっくりとそのバラを鑑賞する心の余裕を持てるというその時の生活事情に立脚している。と言うことはそれまでそのようにバラの赤いということが美しいなんて感じもしなかったという平凡な日常がそう感じる状況の周辺に常に介在していたということを意味する。
 その意味ではクオリアとは端的に比較的近い過去における習慣や、そういったあまり赤いバラの色彩的、質感的美しさを感受する心の余裕のない日常が横たわっていたということに対する漠然とした認知が赤いバラのクオリアを感知する当の存在者にあるということを意味する。
 その意味ではクオリアとは相対的に記憶と連関している。そして赤いバラがこんなに美しいなんて日頃から知ってはいても、それを切実に感じはしなかったというある平凡なクオリアを感知する心の余裕を持つことを軽く阻む、絶対的ではなくそれとなく失わせる習慣的記憶がまず前提されている。
 つまり端的にクオリアをクオリアとして成立させるものとは、そのようなクオリアを成立させる状況連関における相対的な記憶上での習慣と、その習慣に対して意識を向かわせる私たちの私たち自身の日常への意味づけに他ならない。
 例えば何て美しい赤いバラなんだろう(言語的知覚)、ということは、何てこの赤いバラは美しいんだろう(純粋視覚野的知覚)ということと密接である。それは赤いバラを一度も見たことの無い人もいるにはいるかも知れないが、それは恐らく極めて稀である。そして一度は、あるいは数度は見ていたが、それほどそれまでは感動することがなかったという経験的な習慣とそういう習慣を取らせていた何らかの生活的事情がある。
 まず目の前に空間的視覚的に提示された赤いバラは、それを知覚的に赤いバラであるように認知することと、その認知される以前的に視覚野において赤さとして意識されているということを同時に動員されていることによって、知覚を言語認識の側から理解しようとすれば、確かに以前にもこのバラを見た時のような経験もあったということと、純粋視覚野的な感受ということで言えば、最近こんな目の覚めるような赤い色をあまりじっくり見たことがなかったということにおいて、両面的に記憶に依拠している。前者は意味記憶的に、後者はエピソード記憶的にクオリアを把握している。
 しかしそのように赤いバラの美しさをクオリアとして実感し得るものは、視覚野でも、自分の日常的生活上での意味記憶からでもなく、その赤いバラをじっくりと見据えるという行為の状況を成立させる、生活連関的な意味、あるいは意味連関的な生活体系そのものである。
 つまりどんなに赤いバラを美しいと言ってみたところで、その赤いバラ自体が固有のクオリアを持っているということもあるが、それ以上にそのクオリアを敢えて美しいと感じる心の側の日常的な相対的状況連関ということにおける意味づけと無縁にクオリアが成り立つということはあり得ない。
 つまり気もそぞろな時にぼんやり眺める時、どんなに固有のクオリアを視覚野では感じ取っていてもそれを殊更印象的な視覚体験にし得るものとはその時に赤いバラを眺めている存在者による心の様相である。だから逆にその赤いバラが大して高価ではなく、どこにでも売っている平凡な種類の赤いバラであったとしても尚そのものを見る側の心がヴィヴィッドに赤いバラを印象的なものとして捉える様相がありさえすれば、即ちそれは赤いバラに固有のクオリア、あるいはそのバラの持つ赤い色や固有の質感を抱いたクオリアを成立させることが出来る。
 それは必死にワードを打ち込んでいた存在者が一定のワードによる記述が成功した時に達成感を得た上で一口飲み干すコーヒーがいつになく美味しいと感じるのと全く同じようなこととしてである。
 つまりクオリアとはそれをクオリアとして感知する主体による日常状況性とその日常状況性全体に対する日頃からの把握、理解、それへの感情的様相と、その日常的ルティン自体への反省的意識と生活連関全体への感情と不可分のものである。
 それは何かをする、行為する主体による意識的行為とは、それを意識的にしなければならないという反省的意識を一方で必要とするということと全く同じ構造を持っている。つまり何かを意識してするということ自体が既に何かを意識してすることがここのところあまりなかったという欠乏感に起因するのである。だから逆に真に感動し得るクオリア体験とは、常日頃からクオリアを感受することを心がけている例えばカラーコーディネーターやファッションデザイナーやアーティストたちよりも、一日中書類と顔を突き合わせているような職種とか、要するに色彩とか質感といったことに対して敏感に接することの少ない職種においてこそ、寧ろ多く感受され得ると言ってよいだろう。
 例えば日々風景や生物と格闘している画家の場合、その時キャンヴァスに向かう意識を活性化するものとは、端的に絵の具の色彩でもモデルにしている眼前の風景でも、セッティングした静物の構図でもない。それは端的にキャンヴァスにその時に向かうこととなった心的なモティヴェーション、それは絵を描く行為自体を動機付ける(それもまたクオリア的なことかも知れないし、全くそういうタイプのものでもないかも知れない)職業的本能的な心理であるし、生活上での戦略であるし、つまりそれらが一同に会した時に、たまたま眼前にモデルになった風景や静物の構図とか、使用する絵の具とかが綜合されてそれが契機となって発動される絵画理念と、絵画技術と、それらを成立させる画家のア・プリオリな美感である。勿論そこには画家が生まれてきてこの方感じ取ってきたクオリア全般に対する理解や自覚といったものがあるだろう。
 勿論クオリアとは視覚的なことばかりではなく、味覚もあるし、聴覚もある。しかし本節では取り敢えず視覚的なことが分かりやすいのでそれだけに絞って考えてみよう。(次節では音楽と情動を取り上げる)
 一日中ワードやエクセルに向かって仕事をしている者にとって休憩中に読む本の印刷された文字は目に優しい。逆に一日中本を読んでいる者にとって時々パソコンの画面に向かって読むインターネットやブログの文字、あるいは画像は鮮烈で印象的に映る。つまり視覚に限ってみても、既に我々は生活連関において、生活上での状況的連関においても相互関連的に常にその時々の視覚的感受自体を意味づけして捉えている。だからこそ夢に出てくる風景がそういう日常的な視覚体験と、過去における印象的なエピソードとが相まって作用していると考えることも極めて自然である。
 つまり私たちの脳は常に記憶も意味づけ、クオリア的感受自体も意味づけている。視覚体験的内容そのものも意味づけている。それは視覚経験的な内容や見るものの性質や対象の種類的なことに関しても生活連関、状況所有的相対的判断で、個々のものに接している。純粋にその時に目にしているものに対してのみ意識を集中させているように見えてもそうなのである。それが哲学者たちによって多く考えられてきた表象ということなのである。
 だから表象ということ一つ考えても、それはその都度の視覚体験において視覚野において顕現されることだけに限るなら話は別だが、その時その視覚的表象自体をどう受け取るかという意識の問題になると、感情と意味が関わってくる。それこそがフッサールが晩年表象を没落させていったと捉えたポール・リクールによる「承認の行程」中で述べられてきたことなのである。
 表象は日常的生活の連鎖の中から反省意識と日常的欠落感の中から立ち上がる記憶の想念があたかも恒常的にあるかのように思わせる哲学ターム上での幻想なのである。それは意識もそうだし、クオリアもそうなのである。目の前に見える赤いバラの美しさとは、そう考えれば確かに赤いバラを表象させる一つの脳内における視覚野の脳内発火現象であり、表象であろう。しかしそれはそう捉えることで得る一つの理解の仕方のミーム名なのである。寧ろ我々は常に赤いバラを眼にした時、赤いバラの美しさの内容を生きるのであって、赤いバラのクオリアを、それを意識と感じる私を生きるのではない。私とは常に<私による「意識やクオリアの内容」>なのである。
 言ってみれば、クオリアとはクオリアが立ち上がっているとそう言ったり、敢えて赤いバラを見た時に感じるとそう捉えてみたりすることによって、寧ろ責任や目的の名において自らゾンビを受け入れるような生を生きる生活者としての私たちが日常的生活の連鎖の中で価値として立ち上げるミームなのである。だからそのミームを実感として立ち上げることで視覚野的な表象全般に対して、それが何かかけがえのないものであるかのように思われてしまうのも、実はいつまでかは覚えていたことなのにいつの間にか忘れていったばかりに美しく思わせる恐らくそう大したことなどなかった記憶の仕業なのである。
 私たちは全てを等価に記憶しておくことが出来ないから、必然的に覚えていることを取り敢えずその時印象的であったとか、それが意味的に重要なことであるとかいってそれらを特別に存在価値があったこととして認識する。しかし同時に我々はいつか見て心にとめておいたにもかかわらず、日常的連鎖の中からいつの間にか取りこぼしてきてしまったように忘れてしまった記憶を何かあたかも人生において一番掛け替えのないもののように思い込む部分もある。つまりその掛け替えのなさとして実感させる相対的把握自体が私たちにクオリアを格別の雰囲気と相貌の下で特化させる。
 意識もそうである。確かに意識とは眠っている時は大半が失われているが、脳自体は一時も休むことは無い。そしてそれを知っているからこそ、意識が覚醒時に明確であることを何か特別のことであるかのように価値的に特化する。そのように特化させることこそ「意識」という名の哲学的表象であり、その哲学的表象を特化させる日常的連鎖の責任と目的のある(かのような)行為や思考(私は前節で行為だけを特に述べたが、思考や思念も個別性として捉え得る)を作る、つまり本来はそれらに内在していた筈の個別性を行為や思考から剥奪する、簒奪すると言ってもよい、意味の呪縛を受け入れる他者存在を自己の中の他者として実感する対他的志向の作用である。
 しかしそう言ってしまえば、そう言わせる行為や思考の個別性ということもまた一つの哲学的表象以外の何物でもないのではないかという批判が聞こえてきそうである。まさにそうである。それもまた私による半分意図的でさえある哲学的表象以外のものではない。
 しかし私に敢えてそう言わせる何らかの根拠があることも確かである。そこで次節ではそのことを中心に考えていってみたい。

Monday, July 5, 2010

<感情と意味>第三章 第十節 行為の個別性と責任における行為の目的性

 行為が個において充足しているのなら、それは外部から見れば個別的なことでしかない。あっちはあっちで勝手に何かしているということなのだから。
 しかし一旦集団内で役割分担と責任が発生している段階では行為には一定の社会的目的が与えられる。つまり社会内での責任遂行という側面からの認識が与えられるからである。社会内的行為は全て社会機能維持の観点から個人の自由ではなく、社会内の秩序として認識され得る。だからこそ一々の個人の行為を異なった個人間で異なった語彙で示すことの無意味が発生するのだ。ある行為はただその行為をする個人にのみ帰着し、還元されるのなら、それは個別の個人に固有の行為であるが、社会機能として職業的な行為となった時、それはどのような種類の行為であれ社会内の機能に寄与し、貢献するものとして、一定の社会的目的という名目が与えられる。たとえそれが建前上でのことであっても、名目が与えられるということが大事なのである。何故ならそれはその行為をする者がいい意味での社会的責任転嫁し得る相手として社会内で認可されることを意味するからである。もっと簡単に言えば「あの仕事はあの成員に任せておけばよい」という認定が与えられることを意味するのだ。
 つまり行為に責任が与えられるということはその責任遂行に伴って報償や権利が与えられるということを意味する。行為が社会的目的を与えられるということにおいて初めて責任という概念が個に発生するのだ。それは個人的な二人の関係、それがオフの日の対話であっても、その二人にとってのプライヴァシーにおいて社会的責任が適用されている。つまり個人的なこと、非社会的義務以外の時間における対話や会話にも社会的目的に伴って発生する責任が付帯してくるのだ。
 だからこそ私たちは意味から自由ではなく、意味を金繰り捨てるという意志さえもが意味の範疇で語られてしまう。脱自と言えば意味の呪縛からの解放を意図しているが、それもまたぞろ「意味からの解放」という意味を帯びてしまう。ここで言う意味とは社会的目的に供せられる行為が責任を発生するということにおける何らかのものへの従属という関係自体が、社会内では意味として認識されてしまうということから考えられることとしてなのである。
 現実があまりにも煩瑣で雑駁で不浄であるからこそ観念やイデオロギーはそれに対する印象として崇高な像を我々に抱かせる。しかし一旦我々に抱かれたイメージはそう易々と打ち砕かれ得ない。これが実は陥穽なのだ。つまり現実自体の不合理性の中に確固たるイメージを見出すことも大変だが、その見出せなさ自体を写像的に認識することもかなり大変なのである。その時私たちは観念や図式、イデオロギーの持つ正義的な正当性に依拠し、思考停止状態に陥る。
 私が友人の国井寛氏と対話する時も、谷口一平氏と対話する時も、そこには本質的に一切の虚飾を打ち払い、社会的常套的な責任倫理や制度的呪縛から出来る限り遠のいた地点で考えたいと望む。しかしそれにもかかわらず、私は一切の言説を自分の内部で理解しているようには語ることが出来ない。つまり私は相手が親しい友人であれば尚更自分が語る言葉の無力を知る。その言葉の無力とは端的に行為の個別性の中から国井氏や谷口氏に対して私が吐こうとしている言葉自体が既に言説化される過程の中で説明原理的なメカニズムを持っている言葉を使用するということにおいて、責任における行為の目的性に私の伝えたい私による行為や全ての思考を還元させてしまっているということである。
 私による私の内部の理解は意識でもクオリアでもない。ましてや言説的な構造でもない。それは端的にその都度の様相的なニュアンスでもあるが、同時に固定化を常に逃れ行くものでもあるような何らかの抽象的であり且つ具体的でもある存在の仕方をするものである。それはものであると同時にことでもあり、現象でもあると同時に原理でもある何かである。しかしにもかかわらず私による言葉は<「私による」言葉>から一挙に<私による「言葉」>へと転落する、と言うよりそのように変化する。それは価値的になることと引き換えに私からどんどん離れていく。
 だから本当に相手に理解して貰いたいのなら、いっそ全ての言葉を語ることを停止し、沈黙して相手の表情の動きや息遣いに対して同意をするか、さもなければ相手から私の表情の動きや息遣いを汲み取って貰う瞬間を待つしかない。
 しかしそれでは一切の理解が得られないように私たちの言葉が私たちの首根っこを掴む。つまりそれだけ私たちは「価値から逃れたい」と望みながら価値に益々拘泥していくことを意味する。つまりもっと分かりやすく言えば私の行為の個別性を私が国井氏や谷口氏に対して訴えれば訴えるほど相手にも同じ行為をしているという理解を得ることとなり、それは私の行為の個別性をするりと抜け落ちて、相手と私の差異を無化する方向にしかシフトしないのである。
 行為の個別性とは端的に語られることによって責任における行為の目的性という無名性と、一般性を性質的に請け負ってしまうのである。
 そこで現実自体の不合理性の中に確固たるイメージを見出すことも大変だが、その見出せなさ自体を写像的に認識することもかなり大変なのである、と私が言ったことをもう一度考えてみよう。
 それは現実に最初確固とした像を与え、観念的図式で捉えていたものが、実際に経験する現実の間に齟齬を持ち、やがてその齟齬に固有の意味を見出さざるを得ないことに覚醒すると、現実自体が合理的に理解することの困難さにぶち当たり、その不合理さえも合理的に解釈しようとする我々自身に対する自己嫌悪となるが、しかしその自己嫌悪自体、あるいは不合理性を不合理性として理解することの困難さ自体を合理的に解釈することの困難さを言ったものなのである。
 つまり論理的な決定性として名詞がコミュニケーションツールとして存在しているということ、そして志向的個別性無視(通り一遍性、あるいは行為的常套性)において動詞がコミュニケーションツールとして存在しているということの二つに対して、形容詞が修飾欲求と説明不毛性の説明意欲としてコミュニケーションツールであることを我々はどこかで知っていて、その三つを組み合わせることの中で動詞と形容詞を複合化したものとして副詞(英語では前置詞も含めて)と間投詞を、前者はより中間的に、後者はより動詞の説明を不毛にするような感嘆において私たちは使用している。しかしそれらも一旦使用されると途端に常習的な慣用性に依存していってしまう。そこに崇高さも新奇性も一切なくなる。つまり使用の運命とは新奇性の剥奪と崇高さの剥離以外の何物でもないのである。
 しかし同時に一切の使用をやめてしまうと、説明の不毛を語ることはおろか、説明しないことの不毛も語られなくなる。その時記述を差し控えれば、発話へ、あるいは一切の意思疎通の停止を、発話を差し控えれば、記述へ、あるいは一切の意思疎通の停止を招聘するだろうが、何度も述べたように既に意思疎通の停止は、停止という一つの語り以外のものではあり得ないのだ。
 勿論私たちは品詞に固有の性格を知っていてそれを利用しているわけではない。ただその時々の感情的様相に忠実に、いやそういう言い方が不適切であるなら自然に、表出する。その感情の様相が自然と動詞、名詞、形容詞、副詞、間投詞を沈殿させつつ沈殿されたものの相互の類似によって集合的に決定しているのだ。
 だがここで私たちは再び意識とクオリアという問題に引き戻される。つまりそれが果たして意味と独立に語られ得るのかという問い掛けにおいてである。

Wednesday, June 30, 2010

<感情と意味>第三章 第九節 取り敢えずの納得と理解

 原初的には説明が不毛であることの方がずっと広大である。しかし我々はこの広大な領域に網をかけようとする。それが説明原理である。それを誘引するのは他者存在である。何故なら、説明が不毛であること自体を何らかの形で誰かに説明したいからである。そういう意味では全ての説明が不毛である固有の感じは、全て説明の網の中にあると言ってさえよい。
 しかし当初網をかけたばかりの時には、通常我々はその説明には完全には納得していない。寧ろ取り敢えずの納得であり、その時は未だ説明されるべき問題の全体を把握するために方便として納得しているに過ぎない。だから多少ずれていることがあったとしてもそれでよしとする。
 しかしやがてそれらだけでは納得がいかなくなり、詳述する必要性が出てくる。その時二つの事柄が理解される。

① 大まかに把握することがその都度必要であること。
② それにもかかわらず、それだけでは十分ではなく、より詳細かつ精緻に理解する必要性も常に残存すること。

 つまりここには二重の理解ということがある。何故そのように二重になるかと言うと、取り敢えずの納得だけでは不十分とする経験上信念となり得るような理解を我々は必要としているからである。
 
 私たちは何かを習慣化すると、その習慣となっている行為自体に対して、別段大いなる疑問を抱かなくなるものである。例えばファミレスの店員は入店してくる客に対して笑みを浮かべ「いらっしゃいませ」と言うだろう。その時彼等は別段楽しいわけではないだろうが、そのように習慣化された笑みを浮かばせることによって楽しい気分に自分も、それを向けられた客にも与えるということはあり得る。つまり笑うという習慣が心まで楽しくするのである。
 そのように考えると行為への意志が習慣化するということは、ある意味ではその時どんな悲しい感情を携えていても、それをしている間は忘れられるということを我々が知っているからである。
 だからこそ愛する家族を失った者は、その悲しみに打ちひしがれながらも、仕事に情熱を傾けることによって、その情熱を維持している瞬間の連続においては、悲しみから解放されるということがある。そしてどんな愛する家族の死であっても、長い時間が経てば、次第に悲しみの持続という、愛する家族の死において決意した習慣も消滅していく。そして習慣もまた実は何故そんなことを習慣化するのかといざ問われれば、正確に返答することが困難な「ただ何となくそうするのがいいと思えるから」としか答えられようのない説明が不毛に思えることの一部なのである。
 だから取り敢えずの納得が何故必要であるのかと言うと、それはそうしておいた方がどんどん先に論が進行することにおいて円滑であろうという目測(説明が不毛であると思えること)によるものである。しかしそれは習慣的な理解のステップであって、もっといい遣り方があるのなら、そちらに変更しても一向に構わないものなのである。
 しかし哲学上ではかなりその習慣化された思考経路に呪縛されることが多い。
 例えば哲学者は宗教家に対して「宗教とは救済という目的があるが、哲学にはそのような目的はない」とそう言うことだろう。しかしそれは違うのではないだろうか?
 ある意味ではアートも文学も宗教も科学も目的などというものなど一切ないと言ってもいい部分がある。確かに一面では宗教は死に対する恐怖を和らげてくれたりもするし、心の平静を保つというある種の目的性がないとも言えない。しかしそれを言うのなら、数学も問題を解くことで心の平静を保てるのなら、数学だって宗教と同様の目的があると言ってもよいだろうし、逆にどんなに優れた宗教家であっても自らの死への恐怖や不安を完全に克服していった者など殆どいなかっただろう。
 それにもかかわらず哲学者は往々にして哲学を特化するために「宗教には救済という目的があるが、哲学にはそのような目的はない」とそう言いたいのである。しかしそう言うとしたなら、その者は二流の哲学者なのではないだろうか?何故なら宗教の本質とは一体何かということがそう容易に外部から理解され得るのであれば、私たちにとって宗教などというものは必要ではないだろうからだ。
 それは哲学においても言えるし、科学やアートに関しても言えることである。この世の中にはまさに説明を不毛にするようなものの方が圧倒的に多く、例えば宗教でありかつ科学であったり、哲学でありかつアートであったりするものも多いと思う。
 しかし我々は取り敢えずの納得をするためによく確かめもしないである言説を理解した振りをするものである。つまり前節で述べたように「世界」とは実は決定ではないし、確定的ではなくその意味も在り方も常に変えている存在である。にもかかわらずそれを固定化された決定された全体として語彙化して「世界」と告げることをしなければ我々は何も伝えられない。そこで私たちは意味の流動性、世界の恒常的変化に一時目を瞑り不動のものとして、あるいは静止したものとして「世界」を捉えそう伝える。つまりこの言語行為上での語彙選択に既に私たちは取り敢えずの納得ということを自己の中の他者に追随して心的にしている。しかしそれだけではやはり物足りなくなるのである。そこで真理の究明ということが欲せられるのだ。その時意味伝達ということだけではなく体験ということがたちまち価値ある相貌の下に現出するのだ。
 ところで私はよく不幸が続く家族が何か悪いものが取り付いているかのように考え、お祓いして貰うという宗教的行為を決して否定するものではない(何故なら心の平穏をそれで取り戻せるのなら安いことだと思うからであるが)が、そうかと言って一切その因果論的なものの見方に科学的根拠などないと考えている。そしてそれは恐らく一生変わらないだろうと思う。つまりだからこそ何故人間がそんな愚かな考えをするのかに関心がある。
 それはある意味では取り敢えずの納得をすることを人間が常に求めているというところに根拠があるのではないかと考えている。
 例えば「世界」という語彙は、何らかの漠然とした自然や人間の力の及ばない霊力であると人間が感じたことを総体として理解した時出来た語彙ではないかと考えているが、それはある意味では「私にとっての世界」や「あなたにとっての世界」という個別性を一切無視している考えでもある。
 例えば今あなたが動いたとしよう。それはトイレに行くためにそれまで座っていた椅子から立ち上がったのだ。そして私が今動こうとしているとしよう。それは喉が渇いたから水を飲もうと思ってのことである。するとあなたの動く理由と私が動く理由は全く何の関係もない。
 しかしあなたの動きと私の動きを両方監視している者が仮にいたとして、その者が私とあなたの動きについて誰かに報告した場合、両方とも「あっ、二人とも動きました」とか言うことだろう。あるいは「あっ、二人とも立ち上がりました」とか言うだろう。つまり動詞さえもが、個々の個別性を一切無視して語彙化するために個々の事情を無視することで成立させているのである。
 つまり語彙を形成するということは言語発生論的には明らかに個々の個別性、差異を一切無視しなければ成立し得ないものなのだ。それは取り敢えずの納得をしないことには、「それ以上」問題や、関心や、究明そのものが先に進まないからなのである。
 しかし同時に一旦その取り敢えずの納得で理解出来た後にはただちに、我々は「ではそれはどうしてそうなったのか」と考え始める。そして取り敢えずの納得で得ていた理解の一部に矛盾があることなどに気づき言及し始めるのである。その矛盾に対して覚醒する際に重要となってくるのは、個々の成員において個人的に判断する自己経験に根差した判断である。「それはおかしい」とか「ちょっとニュアンスが違う」という判断を成立させるのは、個人的にある陳述に対してその合理性に対する懐疑を成立させる論理的思考である。しかしそれはある程度は個人を超えて誰しも同じようなものとして個人に付与されているが、たとえそのように同じような判断を誘引するものであっても、その判断に至るまでの経路は個人毎に全部異なるだろう。つまり真に理解するということは、真に意味を理解するということであるが、意味理解ということとは、端的に個人の経験・体験に依存しているのである。
 だからこそ語彙において「動いた」と私とあなたを監視している者が監視させている者に報告した場合、その司令官は「どんな風に」と尋ねることだろう。そこから私とあなたの動き自体の個別性が問われ、監視者は詳細に報告するために「なんか一人はトイレに行くためみたいです。そしてもう一人は水道の蛇口を捻っていますから水を飲みたかったみたいです」とそう言うだろう。
 つまり報告においては理解させるために報告者は必ず動きに目的や意図を説明する。形容したり、修飾したりすること自体が一つの理解を誘引するためになされるのだ。
 しかし私は次のようにも考えている。それは人類が果たして最初からそのようなコミュニケーションをしていたとは限らないという風にである。つまり国家が形成される以前に人類はあるいは語彙、例えば今挙げた例でいけば、動くということ一つをとっても、ある集団内において家長並びに集団の長や、その配偶者、あるいはその子供たちなどが一々別の、例えば家長が動くのなら「うごちる」、母が動くのなら「うごはる」、その子供たちが動くのなら「うごこる」という風にである。更に子供同士でも兄なら「うごあにる」、弟なら「うごおとる」という風に全て区別されていたとしても何ら不思議ではない。だが共同体が結集したり、国家が形成されたりするに至って初めて全てを「うごく」に統一していったという可能性は大いにあり得る。要するにそのように一切の個別性と個人的差異を無視して語彙化すること、つまり語彙形成における一般化の定着こそが共同体、国家の形成であったと考えることも自然ではないだろうか?
 しかしもし「うごちる」「うごはる」「うごこる」「うごあにる」「うごおとる」というように使い分けることが出来たのなら、少なくとも家族内では名前を呼び合う必要がない。だから必然的に言語発祥という観点から考えれば、名前がつけられる前にそのような動詞や名詞(尤もこれは所有とその時に使っている人との両方の区別が必要なので一層複雑になるが)による成員毎の使い分けがあったと考えることも理に適っている。しかしもし名前がないままで親族、親族以外の他人にまで言語行為をするとなると、使い分けするために膨大な数の動詞や名詞をその都度作らなくてはならない。それは極めて不合理である。そこで名前をつけるということが考えられた、という思考実験も強ち全く説得力がないわけではないだろう。この考えでいくと名前とは共同体、国家の形成と不可分な人類の発明であるということになる。
 尤もやはり最初に名前がつけられ、動詞も名詞も行為する成員、使用する成員に応じて変えるということなく、始めから一般化された語彙を使っていたと考えることが通常であることを承知で敢えて私は提言してみたのである。
 要するに各成員に固有の行為や所有・使用に対して一々動詞や名詞を使い分けることで取り敢えずの納得をしていたことから、成員に対して名前をつけてその自己同一性においてその者の行為や所有・使用を理解するということへの移行というのが私の思考実験的提言であるが、しかし移行した先の理解の方がこと行為性に関してはより個別性を無視した形になること、つまり成員が共同体内での同一性という社会性に縛られることが、逆にその者の存在を明確にはするが、その行為性においては一般化され得るという二律背反が私の本節において主張したいことなのである。

Thursday, June 10, 2010

<感情と意味>第三章 第八節 自己の中の他者

 「君は自分にもっと素直になれよ」と言うタイプの人には警戒しなくてはならない。何故ならそういう人には本当の自分というものがあるように信じているか、信じていないのならそのような自分を見出すことこそが正しいと教条的に信じているに違いないからである。しかし自分の中にそう問い掛ける別の自分が常にいるということは正しいだろう。だがそれは自分の中の他者であるよりは、自己の中の他者なのである。つまり「君は自分にもっと素直になれよ」とは自分に対してのみ言っていいことなのである。
 自分の中の他者を追い払うのは比較的たやすい。何故なら自分の中の他者とは真意では何かをしたいと思っているのに、その行為に付帯する障害故に躊躇している、つまりその行為を持続させるために払われるあらゆる努力や手続きを怠りたいと願う怠惰な心に根差しているからである。それは自分の中にある他人から見たらそんなトライアルは「格好が悪いよ」という保守的で怠惰な自分なのだから、自分の中の他者であると言ってよい。自分から見たら全ての他者は外見とか表面でしか分からないし、その分からなさが他者を信頼したり、信用したりすることのもとになっている。
 しかしもっと自分に素直にならなくてはという思いは、社会的な個ということから発生する義務感とか奉仕の感情とか対人関係的な展望であるとか、要するに素直になることによって自分の中の他者を追い払うこと、つまり怠惰であることをいけないと悟り、そのいけなさが常に付き纏うことを念頭に入れて、自己に対して批判的な眼差しを注ぐことを誘引するのだから、対自己的批評者の視点である。だから私はこれを自己の中の他者と呼んだのだ。
 私は前節において「自分の潜在意識という奴自体が既に他者や社会的掟からの規制という呪縛に随順している」と言ったし、「記憶の意味化とは外部からの強制に対する何らかの屈服である。つまり変わらなさを保持していなければ社会的体裁が悪いと無意識に感じ取ってしまっている」とも言った。このことをもっと詳細に考えてみたい。
 私は実は常にころころと自分の考えが変わっているし、その変わりやすさに対してある種の可能性さえ感じ取っている。しかし社会では一貫性とか主義主張といったものが尊いとされている。少なくともそのようにシンパ的に人は集合していることを皆知っているし、そのことに対する認知を私もまた持っている。そこで変わりやすさをあまり他人には容易には告白出来ないままでいる。つまり昨日決めたことでも今日覆されることは多くあるし、だからと言って一度立てた計画で頓挫したものはどこかではずっと覚えているものである。しかしその計画の頓挫自体は一々報告しなければ終わりよければ全てよしで片付くことも多い。そこで私は変わりやすさを他人に対して、対他的には隠蔽する習慣になっている。
 しかしこの変わりやすさは思い出に対しても適用される。一度こうであったと思い込んだなら、それがいかなる状況やいかなるその後の事情の変化においてでも、反省することを億劫に思うが故に、「あれはあれでよかったのだ」と思い込みたいものであるが、ある意味ではそういう思いが障害になることもあり、逆に「もっとこうすべきであった」とか「あれはするべきではなかった」と思い失敗を素直に認めることも必要である。つまり変わりやすさを隠すこと自体が既に変わり難さにおいて社会的自己同一性という社会や他者が自己に押し着せる強制的な友愛を意識してのことであるに過ぎない。だから私が記憶の意味化を否定的に前節において扱ったのは、実は意味の固定化に対してなのである。意味が流動化することを承認しさえすればそれはそれで一向に常に意味を書き換えることを潔しとして、その都度意味づけすることを躊躇しないわけだから別段どうということはない。
 つまり首尾一貫しなさを常に意識していることだけを一貫させていることが、対他的にも対自的にも反省しやすく、あるいは展望を持ちやすくすると私は考えるのだ。だから前節の最終部で私が「「今のようではなかったかも知れない現在」を常に私は想定することが出来る。その今のようではなかったという想定こそが、希望・願望・目的・意図を作る」と言ったことは正しいと確信している。
 何故なら今のようではなかったかも知れないという想定自体が自己の中の可能性を信じているからである。これは安易な他律的自分ではなく、もっと端的に冷厳な観察力を持つ対自的批評家を自己の中に巣食わせることを意味する。可能性は諦めることからではなく、無謀に試みることから始まる。
 中島義道は「英語コンプレックス 脱出」において若い頃語学の家庭教師や予備校教師を自分ではそこそこでしかない実力と知っていながらも自分の語学力以上のトライアルを率先して実践したことによって打開してきたことを告白している。しかも日本の英語教育におけるネイティヴは絶対に使わないような表現の英語を試験問題に出すことに対しても、それを外国語一般に対する適正チェックとして有用性を認める。つまり氏は日本人の教師が教えやすい外国語学習の生徒の適性チェックと見做しているのだろう。これはある意味では竹中平蔵の「マトリクス勉強法」における二十代の頃に率先してしたエリートたちなら絶対経験しないであろう雑用的な仕事が三十代以上になっていった時に役立ったという話しとどこか共通する。困難さに立ち向かうという前向きさでも共通性がある。要するにこの二人に共通した実務性というものは、一冊の本を「読み物」として理解した時に立ち現れる説明原理というものの存在を想起させそれがここで問題になってくる。
 これらは対自己批評性を持つこと、つまり自己の中の他者によって、一旦認めてしまった変わりやすさを逆利用することである。変わらないということを他者に触れ込むことで自己を閉塞状況に陥らせるくらいなら、いっそ最初から私には一貫性などないと公言していた方がずっと責任倫理にも適っている。ころころ変わるということの内には一定の必然性が常にあるのである。関心もそうであるし、主義もそうであるし、信条もそうである。もし一回もそういうことで変わらないままで来ている人がいたのなら、そちらの方に寧ろ問題がある(それは寧ろ狂人である)。
 私たちは世界や個、宇宙といったものを限界としては知らない。私という個でさえある意味では死ぬまでどんどん変わるし、能力の全体を確定的に説明することが出来ない。私は私に対してさえ知らない部分を多く持つ。また新たな知識が常に付け加わるし、忘れたこともある。だから全ての枠組みは本来ファジーである。これについては既に述べた。しかし考えの上でそれらを一旦確定的なもの、固定化された何か明確なものとして扱うということも私たちは自然な思惟のプロセスとしている。
 つまり意味は本来流動的なものであるが、同時に極めてその都度においては確定的なものである。つまり流動、あるいはこう言ってよければ進化上での変化を持ちながらも、それを言語化して、他者に伝える時私たちは明らかに確定的で、明確に枠組みを設けて語っている。
 つまり私が一貫性などないという責任の明示とは、そうすることで確定的な責任を必要以上に自分以外の他者に対して幻想させないように、つまり不確定な事態をも考慮に入れた考えである。しかしそう言いながら私たちは、限定的には常に固定化された価値を捉え、「ここまでなら出来る」と明示する。つまり限定的な責任の明示自体が既に私たちが世界を常にファジーに限界を捉え、その限界を明確なものにする欺瞞的な認識を取り敢えず常に採用していることを習慣化していることを示している。
 それら全ての現実は一重に言語自体の持つ説明原理に帰着する。つまりこの言語的説明原理こそが自己の中の他者であると言っていいかも知れない。明らかに自己ということを考えると、説明に納得する己と、そうではなく説明が不毛であると感じる己がいるように少なくとも私には感じられる。そしてその二つは常に拮抗し合っていて、双方とも必要であるどころか、無くてはならないもののように思われる。説明が不毛であるもののことをクオリアとか意識と呼ぶことはたやすい。しかしやはりそれらの語彙によって示されるものだけではないような気が私にはするのである。
 何故ならそれらはどこかで自己の中の他者に対しても何かを常に語りかけているように思われるからだ。つまりそれらは決して説明原理にそっぽを向いているわけではない。つまり「それは言葉では言い尽くせない」ということからも、そう言うのは実は言葉ではなく説明に納得しない己なのである。

 卑屈ということも同じことが言える。政治家は信用という二文字によって政治活動が可能となる職業である。その時その都度の発言自体が有効であるよりは、確固たる実績と信用だけがその政治家の発言を説得力あるものにするか否かを決する。と言うのも私たちは彼等の発言だけでなく実績自体を注視しているからだ。信用とはただ単に習慣の問題なのである。それと同じことが先に示した通年男性をいびる老人の卑屈にも言える。
 さて卑屈とは一体何か?それは端的に自らのコンプレックスを感じているのにもかかわらず、そのコンプレックスを意識することが多大な意識の変革を要することを知っているから、保守的な自分、つまり自分の中の他者に他律的に忠実であるわけである。彼(自分の中の他者)は彼自身にこう教える。つまり相手は才能も力量もあるし、端的に自分などより将来の可能性は十分にある。しかしお前には大勢の知人がいるし、人的ネットワークも豊富だ、何より彼よりもずっと長く生きてきたじゃないか、彼など少し皆の前で恥をかかせるようなことをさりげなく、しかも周囲の人にはあまり気づかれずに、彼本人にだけ敏感に察知されるように侮蔑的な一言を浴びせかけてやればいい、それくらいの権利くらいならお前にもある、それがお前の威厳である、とここで彼は端的に卑屈を背負い込むのである。それをしなければ済む心が、一層それをすることによって逆に自分の将来のなさを自分の内部で露呈するからである。それでも卑屈を背負い込むことの方がやはり彼にとっては楽なのである。だからいつの間にか習慣化するのだ。やめておけばよいものを説明だけでは不毛である生理的直観が「そっちの方が楽だ」とそう言うのである。
 実はこれらのマイナスの感情も、赤いバラを見て感動するクオリア的な感受とそう変わらないものなのだ。何故ならそれらは一括して説明し得ないものであるからだ。説明が不毛であるということに関しては「じれったい」とか「まどろっこしい」とか「もどかしい」とか「うんざりだ」とかもそうである。それらは説明原理を常に跳ね除ける。
 しかしそれらだけでも持続し得ない。私たちはそれらの感情を暫く抱くと痛烈に心が消耗するのを感じる。そこで歯切れがよい説明原理を求める。いらいらした時案外数学の問題を解くと心がすっきりすることがある。
 勿論黄色いヒマワリを見て綺麗だと感じる心は説明し得ないけれども、自分の中の他者ではないだろう。卑屈や怠惰や横柄とは端的に私が示した定義からすれば確かに自分の中の他者である。しかし色彩的なクオリアや食べ物に感じる味覚のクオリアといったものたちは、自分の中の幸福の他者かも知れない。しかし意外とそれらが「まずい」とか「汚い」という感受と隣り合わせであることも事実である。大らかであり、前向きであり、豪放磊落であるということと、卑屈であり偏狭であることなどは隣り合っている。
 これはどうしてなのだろう?
 つまりこう考えればよい。私たちはあまりにも言葉を絶することとは、感動においてもそうだし、不愉快であることにおいてもそうである。しかし感動は何とか言葉に言い表そうとするが、不愉快は出来る限り早く忘れたいと願う。そこには自分の中の他者が「早くもっとお前にとっての快を取り戻せ」と囁くからだ。しかし前者の感動はそれを言葉の美に置換することに価値があるように思う。その時私たちは幾分言葉を美化している。そして自己の中の他者とは端的に知性的な我である。そして自分の中の他者は自我的な我であるから、出来る限り自己防衛に余念が無いので楽をしようとする。この二つは常に隣接しているからこそ、バランスが取れていくのである。だからこそ逆にどんなに和やかな雰囲気でも一瞬にして崩れるということもあり得るわけだ。
 私は取り敢えず自己と言う時物差し的基準や規範意識を持つ知性的なものと考え、逆に自分と言う時感情的な流れに自然であるようなものを考えることにしたい。

Sunday, June 6, 2010

<感情と意味>第三章 第七節 意味と記憶

 意識は通常哲学や脳科学では人間だけしか持っていないと捉えられている。それは意識が何かについて考えたり、意図したり、志向したりしているだけではなく人間がそれをしているのが「私」であるという風に自分自身を自己対象化し得ていると捉えるからである。我々はこのことを通常メタ認知と呼んでいる。しかし意識至上主義的な捉え方に陥りやすいのもまた人間である。
 私たちは誰かから肩や肘を後ろからそっと叩かれたなら一々その誰かからの行為の意味を考える暇もなく振り返るだろう。この時意図的にそうしているのではなく意識的にそうしているのでもない。しかしそうされた一瞬後、私の肩を叩いたのが友人であったなら、その友人による私への行為を即刻意味づけしようとするだろう。つまり肩に触れられて振り返る行動を誘引するのは学習記憶的なもの、あるいは経験的記憶による。つまり身体記憶とか、習慣的所作の記憶による。ここで意味に対して経験と記憶と習慣という事柄が大きく関わっていることが分かる。意味自体は反省的意識の下で理解され得るが、即刻何かを判断したり、身体的所作に移行したり出来るのは明らかに経験的記憶が大きく介入しているし、また意味記憶的な面でも所作自体を容易に行動せしめるように動員されている可能性が大きい。つまり身体的所作や表情、仕草といったもの全部が一定の意味連関に組み込まれていて、それが条件反射的な身体記憶と結びついていてある行動へと移行させるのだ、と言い得るのであろう。
 つまり意味とはその都度理解されたり、記憶されたり、解釈されたり、把握されたりしながら、同時に記憶において収納されている意味が引き出されてもいるのだ。
 意識というものに対するこの種の人間の固有性というものの見方は、ある部分では人間存在に対する特化という逃れようもないメタ知性レヴェルに対する踏み絵的認識になっている。つまり人間を動物と同じであると捉えることが、「敢えてそう捉える」という風に理解することなくして、本当に心底そう思っているのなら、そういうタイプの成員は人間社会の惨敗者であると見做す不文律である。私の父はこんな俳句を残している。「貧しきオーバ最も鳩を集めいる」
 ここに本当は全く尊敬もしていないのに、相手があまり知的レヴェルも優れていず、しかしあまり幸福そうではないと思える老人を相手にかつての栄光に対する思い出だけに浸っていることを気の毒に思って接する働き盛りの中年男性がいるとしよう。彼は彼が憐れに思う老人に対して敬意を示す態度を相手に対して気の毒に思うので常に示しているので、相手の老人はその配慮に対して気づきもせずに、本当に自分を尊敬してくれていると勘違いして、段々中年男性に対して横暴な態度に出るとしよう。すると相手に対する憐憫から尊重した態度で接しているのに、そのことに甘えて親しき仲にも礼儀ありの謂いをすっかり忘れた老人は、その自分への老人からの態度が苦痛になって段々自分から遠のいていく中年男性に対してあろうことか懐かしさを抱くようになる。しかしその懐かしさは本当に自分から努力して勝ち得た相手からの尊敬心ではないということを気づいていないだけその老人は益々中年男性から見れば憐憫の対象になる。憐憫自体は知的レヴェルの水準が高い人からすればニーチェの考えではないが、忌避すべき感情なのだ。しかしこの老人はそれに気づかない。だがこの老人が働き盛りの中年男性に対して横暴であるのは、どこかで自分から彼への嫉妬感情があることを薄々知っていながらも、彼は寧ろ自分はそれだけ長く生きて来たのだからそれくらいする権利があると思い込んでしまう。あるいは思い込もうとする(その二つに境界はない)。
 つまり自分で自分がしたことに気づいていないということに最大の不幸があるのである。自分が周囲から愛されていないのに愛されていると勘違いすることくらい不幸なことはない。それを不幸と言うのなら、命を狙われる殺し屋や、ギャングのボス、あるいは借金取りから逃れ夜逃げをする家族でさえそんなに不幸ではない。何故ならそれだけ必死に苦境からその場凌ぎに逃れようとし、辛い状況を忌避しようと必死になって脳を回転させているからである。つまり自分が相手に知らず知らずの内に傷づけていることに気づかないという本質的な差別の起源に対して無頓着であることこそが最大の無知であり、この最大の無知に対して反省することさえなく、それどころか差別してきた相手を懐かしむということこそ人間最大の罪である。そしてその罪に対して無知であることこそが最大の不幸であり、自分が不幸であるとに気づかないことこそが最大の不幸であることの理由である。だから逆に自分の苦境や孤独に対して自覚的であるということはこの不幸に比べれば然程不幸ではないとさえ言えるのである。
 つまりだからこそどんなに愛しているペットに対しても、そこに人間と同等の魂を認めようとすることにあまり躍起になっていると、惨敗者であり、要するに今挙げた例の老人のような憐憫の対象と化してしまうのである。それが特に欧米社会の不文律であると言ってよい。ノブレス・オブリッジ的な冷たさがそこにはあると私たち日本人には思えてしまう。
 日本人はそこを曖昧化するところがある。要するに結論を保留しようとするのである。しかしその実本当は人間が動物と同等であるとも思っていない。端的にそう断言すると動物が可愛そうであるとそう思うのである。しかしこれは欧米社会的倫理からすれば気休めでしかなく責任を見ようとしない安っぽい感傷であると見做される。それは動物愛護の精神とは本質的に違うものなのだ。
 かつて支配階級と呼ばれた歴史上での豪傑たちや、革命を起こして支配を獲得しようと躍起になっていた人たちに共通する性質とは、支配そのものが土着に根差していたということである。つまり土地を巡る覇権や領有権とは端的に所有を正当化するために必要な土着を価値とした支配に対する美徳という観念がある。つまり支配者は被支配者から恐れられるだけでは不十分なのである。支配者は被支配者から適度には恐れられる必要が確かにあるが、それ以上に羨望の目で見られる必要があるのである。そしてある土地を巡ってその土地に対する領有権があるという事実自体が被領有者によって羨望の眼差しで見られる、つまり価値的に容認されることによって初めて支配は構造的に確立するのだ。もし土地を支配する者がいたとしてもその事実に価値的に何ら羨望を抱かない人しか周囲にいなければ支配は成立しない。
 あるいは支配者は被支配者から憧れられることによって初めて支配する者の特権を精神的に享受することが出来る。物質的、物理的に支配するだけでは不十分なのである。支配権力とは端的に精神的に被支配階級から尊崇の対象となる必要があるし、偶像的に憧憬の対象とならなければならないのである。このことは現代社会においても全く変わらない。
 マルキシズムにおいて疎外ということや剰余ということが言われるのは、端的にこの被支配者自身が支配自体を価値として捉えることを自然なものとして受容させることと、彼等から眼差される愛着を獲得することそのものの喪失と、喪失後の新しい付加価値を必要としていくプロセスにおいてである。つまり土着であることに対する執心自体に対する憐憫がグローバリズムを正当化する論理にはある。これは土着的支配、つまりナショナリティーや民族性、自民族中心主義からすれば新しい偶像である。しかし私がここで言っている偶像とは決してグローバリズムを否定するニュアンスからのものではない。それどころかこれからの世界は益々グローバリズムに推進していく必要があると考えるのだ。だから逆に土地への愛着という土着主義的支配とは端的に常に偶像崇拝的な盲腸として部分的なものに留まり続けるであろう。つまり実体としては経済に関しても、政治に関してもドメスティックな愛着とは日本人が密かに満州国に対して郷愁を抱くような意味でのノスタルジーに留まるだろう。しかしそれは労働意欲とか生産的な起爆剤としては今後も大きな存在であり続けるだろう。つまりオリンピックやWBCで自国の選手を応援するような意味でである。
 だからここで偶像には二種類あると言っておかなければならない。つまり本質的な偶像、つまり絶対的に私自身の能力から自由であるということ、絶対的にその領域は自分の手に余ること(つまり責任を取れないということ)、つまりそれがあることは知っているが、その内実を知るにはあまりにも自己の卑小さを知る以外ないということにおいて立ち上がる他者としての偶像と、そうではなくあまり本質的でも重要で不可欠でもないけれど、それがないと寂しいと思えるから、ないよりはやはり絶対にあった方がいいようなタイプの他者、つまり先ほどの働き盛りの中年男性から憐憫をかけられる過去の栄光の余韻に浸るだけの老人にとって自分に対して敬意を示してくれるから態のよい気休め的な意味で自分より若い中年男性をペット化していることに満喫出来る、自分はその者を嘲笑の対象であると思えるけれど、そう思う相手からはその実憐憫をかけられていてそのことに気づきもしない(と言うことは嘲笑の対象ともなっている)老人にとっての中年男性の存在理由のようなものである。
 勿論それほどネガティヴな意味でだけ気休め的なことがあり得るわけではない。当然選好性ということは常に権利上なくてはならない。人生はそれ自体楽しくなければ意味がないとも言えるからだ。理念だけで人生を生きることは出来ない。
 しかしそのことが逆に理念型とマックス・ヴェーバーが呼んだ生き方が存在し得る理由でもある。何故そういう生き方が存在し得るか?
 答えは簡単である。私たちは案外この権利上での選好性と例の老人の二度童的な我儘との間の区別がなかなか自分ではつかないからなのである。またそれは老人に対して言えるだけではなく権力者に対してもそうなのである。権力者とは誰も彼に提言したり、批判したりすることが出来ないということが、同一の権力中枢においては命令系統上発生してしまうからだ。権力者に対する批判とは端的に権力を保持していない成員からのみ成立するのだ。そこにも無知であることの能力が発揮されている。憐れな老人に屈託がないのは、端的に自己対象化することに対して老化しているからである。だからそれを二度童と呼ぶのである。だから権力の全くない人が権力者を攻撃したり批判したりすることはある意味では微笑ましいとされることにおいて既に無知であることと、自己の不幸を不幸であると思わないということにおいて憐憫の対象となるべき資格があるのだ。これらも全て意味と記憶のなせる技である。
 何故なら権力に対する記憶のない者は、権力を保持したことのある者に固有の他者に対する思い遣りが皆無だからである。端的に子供には思い遣りなどない。つまり権力のない者にとって権力を保持したことの意味を理解することが出来ず、真理的なことしか思い浮かばないのだ。真理とか原理とは少なくとも人間社会では「そうはいかないことが多い」からこそ真理であり原理なのであり、意味的に他者に対して思い遣りが持てるということは、他者が立たされている立場や事情を記憶として呼び覚まさせることが自己内で出来るということを意味しているからである。
 だからこそ一度は敗者を経験することも必要だし、一度は権力を持ち勝者になることも必要なのである。勝者しか経験していなかったり、敗者しか経験していなかったりするということは意味と記憶が繋がらず、意味は記憶のない状態でただ観念的な判断にしか終始しないままでいるということを意味するのだ。
 意味が観念的な判断で終始するということは認知レヴェルで意味を判断しているからだ。意味は本来情動的に理解する段になって初めて意味の持つ真理、それは先ほどのように否定的な意味ではなく実利的にも、価値的にも全てに適用し得るイデアとしてだが、その真理を持つのだ。よく言う骨身に沁みてそう思ったとはそういうことだ。

 過去は確かに変わらない。ある時点での過去の出来事はどんなに時間がたってもそれ自体は変わらないとそう人は言う。しかし私たち自身が変わっているのだから、変わるこちら側に合わせて向こう側も変わらないのであれば、変わらないあの時の出来事は時間が経つに連れ、変わっていく筈である。しかしにもかかわらず変わらないように思えるのは、そういう風に変わらないように思おうと常に我々が過去に対して身構えているからである。
 過去に対して身構える必要があるのは、実は常に変わりつつあり、一時も同じ自分ではいないということを忘れたいがために我々は「変わらない自分」を想定しつつ、その想定の中で「変わらない過去」を捏造し続けているからである。だから二十年経っても色褪せないとか、これから何十年経っても恐らくそれは変わらないなどと言うのである。
 では「変わらない自分」とは一体何か?それは自己同一性に当て嵌めて、刻々と変わりつつある自分を「変わらない自分」に仕立て上げることを怠らない想定である。それを私は社会性として考えている。つまり自己を同一のものとして対他的に身構えているということ、つまり「いつも変わりない彼(女)」というポーズである。そのポーズは自分の内奥にある考えとか、自分の潜在意識という奴自体が既に他者や社会的掟からの規制という呪縛に随順しているということを意味している。
 つまり記憶は過去の変わりなさを「変わらない自分」という想定の視界からしか見ないようにする。記憶自体が常に皮が剥けるように更新されているのだ。それが過去の意味の一元化、つまり過去を一切変わらないものとして扱う一つの大きな記憶の作為、つまり記憶の意味化である。記憶の意味化とは外部からの強制に対する何らかの屈服である。つまり変わらなさを保持していなければ社会的体裁が悪いと無意識に感じ取ってしまっているのである。
 それは過去というものが他者に対して、とりわけ歴史的人物などに対してフィクションの世界では「そうであったかも知れない」という死者の無言を利用した捏造が容易なように責任転嫁的な偶像としていることと関係がある。自分だけが何よりも誰よりも責任を負わなくてはならないということを誰でもよく知っている。だからこそ責任の呪縛から一時でも意識上で逃れようと責任のオブセッションに対して過去とか過去の人物の行動ということに対して想定すること、つまり過去を記述対象とすることによって、現在、あるいは現在ここにいる自分に対する記述をしないように、少なくとも「現在自分」を記述する重苦しさから逃れようと無意識に画策しているのである。
 それは何故か?
 答えは簡単である。我々はいつか死ぬことを知っているし、それは刻々近づいているからである。死が徐々に遠のくような成員はこの世界には一人もいない。
 過去は少なくとも自分にとっては記憶の中にしかいない。だからこそ記述するのにはうってつけの素材である。しかし記述とは常に現在においてするべきものである。今日は明日のためにあると考えることをするべきだ。しかし脳科学で判明する脳の作用において未来に対する思念が過去に対する思念に近いような意味で、過去を記述することで未来に役立てようとするのも人間の通常の心理である。
 私たちは過去だけは記憶と意味が一致しているように思えるのだ。しかし本当は違う。記憶と意味は常に一致していない。記憶したことの中から都合のよいものをピックアップしなければ意味は捻出され得ないからだ。そして記憶と意味が何よりも一致しないのは現在である。それはそうである。何故なら現在とは未だ過去ではないから、記憶の上での意味が貼り付けられないままであるからである。そして記憶の上での意味と全く一致しない現在はそれが過去になっていった時初めて意味を付与され、記述対象と化すわけだ。
 しかし未来だけが、今現在存在し得ないからこそ、ある意味では記憶と意味が一致しているのかも知れない。何故なら未だないということは常にどの過去においても現在においても同じであったからだ。
 しかし一年前の未来とはその一年後の現実がそっくり抜け落ちている。だから一年後になった今になってみれば一年前の未来とは一年間だけは確定的であった筈だと言いたくなるが、そうでなないだろう。その時は私たちにとって一年後がどうなるか知れたものではなかったのだ。その知れたものではないということこそがその一年間私たちが意志を持って生きてきたということの証拠である。どんな自由であれ、過ぎ去ってしまえばそれは自由ではなくなる。過去は変えられないからである。一年間私は必死に生きてきた。しかしその時の感じた達成感や自由は、今となっては過去における記述対象であり、評価対象でしかない。しかし「今のようではなかったかも知れない現在」を常に私は想定することが出来る。その今のようではなかったという想定こそが、希望・願望・目的・意図を作ると言ってもよい。

Thursday, June 3, 2010

<感情と意味>第三章 第六節 他者・偶像と責任

 私たちは他者に取り囲まれている。私とあなたがいれば、私とあなたにとってそれ以外の他者は、特定の個人を指示しない限り,他者一般、他者全般となり、それは茫漠とした存在なので、必然的に偶像化し得る。しかし一方あなたもまた私にとっては私にとっての知人で友人である谷口一平は確かに私が氏の才能をよく知る者であり、素晴らしい短歌を作り、小説も書く。そして何より哲学を深く理解している。しかし私は氏の母方を存じ上げないし、氏を知った時氏は既に大人だったので、子供時代も知らない。そういう意味では私は私が知る範囲内で氏の存在に対して責任を負えるが、全部に対してではない。つまりどのように親しい他者、たとえ肉親であれ全てに対して了解という意味では責任を負えないのである。社会的に例えば私が私の息子に対して責任を持つと言っても、それは私によるパフォマティヴなだけであり、全的に責任を負うことは事実上不可能なのである。
 私は一応知っているが、よくは知らないことを多く持つし、それ以外にもないかも知れないけれど、あるかも知れないとどうしても思えることをも多く持つ。それはあるかないか未だ確認出来ていないものである。またあると知っているけれど見たことのない多くのものを持つ。それら一切は端的に想像するしかないから、必然的に偶像と言ってよい。
 つまり私が谷口氏への返信で述べたように私はほんの微々たる私が知り且つ責任を負えること以外は、残り全部、そしてそちらの方が私をも部分とする「世界」においては大半であるが、私にとっては殆ど無意味なものである偶像に取り囲まれている。私はそれらのほんの一部を残りの私の人生において知り得るし、知りたいと願うし、馴染みたいし、慣れたいし、親しくなりたいと願う。それが私が願望を持ち、希望を持ち、好奇心を持ち、思考し、予想し、推察するということだ。つまり私はそれが正確にそうではないかも知れないが、概ねこういうものであろうという予想を持つことが出来る。それは予想し得るということにおいて親しみがあるものであるに違いない。
 他者の心は如何に私にとって親友であれ、終ぞ正確には知り得ないが、私が別のそれほど親しくない他者から、彼(女)のことを尋ねられたのなら、「素晴らしい人です」とそう返答するであろうという意味では、私が彼(女)に関して知り得る範囲内で責任を持つことが出来るが、私は彼らが半年後までの間に一切風邪を引かないとまでは責任を負えない。その意味では全ての他者は私にとって限定的に偶像である。つまり親しさの度合いに応じて実像の度合いが増すというだけのことである。しかしここが重要であるが私が認める存在は、少なくとも私の内的世界においては虚像ではない。勿論百メートル先のホームの端に私は幻影的な他者であるかのような虚像を見ることというのはあり得るので、確かに百パーセントではないだろう。しかし私はそれでもそこに他者がいると確認し得るという意味ではそれらは一切虚像ではない。ただ完全にその他者の内実を知らない以上やはり彼もまた偶像の一部でもある。つまり存在し得るという意味では実像であるが、存在の意味を知らないという意味では偶像である。

 少し話しを脱線指せて、しかし同時に何らかの偶像としての他者、他者に対しての偶像とは何かを考える契機としよう。
 アートとデザインの関係は常に微妙なものであった。確かに19世紀までは多くがデザインはアートの反逆精神に対して、一定の商業資本主義のルールに則ったものだった。装丁しかり、服飾しかり、プロダクト然りである。しかし20世紀中盤(尤もその萌芽は例えばバウハウスやアール・ヌーボーやアール・デコにあったのだが)になって様相は一変する。要するにデザイン自体が主張するようになっていったのである。アートは一方で額縁などの登場によって印象派以降確実にサロンを獲得し、一般市民によっても絵画が購入出来るようになっていった。そのことを助長したのがアート・ディーラー(画商)たちである。そしてブルジョア絵画が定着していったが、他方アートには常に反逆者の精神で闊歩する一群のアーティストたちがいたので、そのムーヴメントが例えば表現主義とか象徴主義とかフォービズムとかキュービズムといったスタイル上、表現理念上の革新的なトライアルが続き、後にダダイスムやシュールレリスム、そして戦後抽象表現主義やポップアートやミニマルアート、コンセプチュアルアートといった潮流が席巻した。しかしその際に起爆剤になったものの多くは商業デザインの領域での様式等だった。勿論そこにはバウハウスやアール・ヌーボーやアール・デコといった様式が先鞭をつけたという側面も忘れてはならないが、要するに大衆のニーズに沿ったモード自体がアートに反映し始めたのだ。そしてデザイナーとアーティストの境界も曖昧化していき、アート然としたものの方がニッチマーケットに堕して行った。つまり大衆にとって神秘化された偶像は最早デザインを反映したものの方であり、アート固有の一点性(作品が一作だけであるということ、つまり複製性がゼロということ)が障害となって立ちはだかるのである。
 つまりアートにとって隣人であり他者であったデザインは既に19世紀後半には端的にアート自体に侵入してきて、次第に様式的な差異はどうでもよくなっていったし、事実デザイナーがアーティストと名乗ることの方が多くなっていった。つまり他者としてのデザインの偶像性はアートのドメインでは既に無価値なものとなっていったのである。そしてそれと同時に大衆にとっては寧ろデザイン的な発想やモードの方がずっと偶像化された、要するにその正体がよく知られないがために好奇をそそるものとなっていったのである。その内実を知っていたのはプロフェッショナルなアーティストやデザイナーたちだけだったというわけだ。寧ろ彼等にとっては大衆のニーズの方が偶像であったことだろう。常に生き馬の目を抜くような過当競争という現実に遂にアーティストたちさえ晒されたのだ。
 要するにアートにとっての他者内偶像性が実像に取って代わり、そのトレードオフとして大衆の欲求はかつて印象派の画家たちに対して抱いた憧れを、寧ろナビ派とかエコール・ド・パリといった一群の人たちはアーティストとして積極的にデザインにかかわったが、彼等に注いだ。ロートレック(彼は世代的には後期印象派くらいであるが)、ミュシャ、ビアズリー、シャガール、フジタといった人たちがそうである。ムンクやピカソも積極的にデザインに関わっているし、デザイナー出身のアーティストとしては戦後世代ではアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンシュタイン等が代表である。三宅一生は「20世紀は紛れもなくデザインの時代だった」とかつてアート紹介番組で述べていた。
 ここにはアートがかつて宮廷お抱え画家たちが跋扈した時代に、彼等の生活自体が宮廷から宮廷への放浪であったことから、風景画などを描き始め、次第に宮廷から遠ざかっていったことの内にあるアーティストの内部のアンチ・ヒーロー志向が次第に今度は商業資本主義自体のヒーロー志向に取り込まれていったということを示している。そして現代では寧ろアーティスト以上に評論家や文学者の方がよりアンチ・ヒーロー志向(アウトローといってもいいが)へ転換を余儀なくされている。
 尤も本質的にヒーローに一切なる気のない非商業資本主義的アーティストも常に共存しているのだが。しかし私は一応それで生計を立てている人のことをアーティストと呼んでいるのだ。つまり生計を立てているということ自体も、ヒモとして文学者であると自称して生活している人のことも含むのかと問われれば返答に窮してしまうのだが、要するにプロフェッショナルと言えばよいだろうか?勿論セザンヌもゴッホもそういう意味ではプロフェッショナルではあったものの、生計を絵画で十分成立させていたかと言えば、セザンヌはかなり資産が予めあったからよかったし、ゴッホは弟テオからの援助があったからこそ絵画を続けていくことが出来たのであるが、それでも後世においては、他のその当時売れていたどの画家よりも歴史的に残っている。つまり趣味で絵を描いている人は仮にそういう仕方でアートに関わることが仮に自分では一番尊いと考えていたとしても、それをプロフェッショナルとは呼べないということである。

 話を戻そう。私たちは他者に取り囲まれて生活している。しかし他者を他者として認識するためには予め確かに我々の中に他者を他者として意思疎通し合える相手であると認識する能力が備わっていなければならないだろう。つまりリゾラッティーらによるミラーニューロンの発見という事実からもよく理解出来るが、他者を他者として認識し得る能力こそが意味を発生させていると考えても間違いではないだろう。それに関して前節の付記において示した谷口氏との送受信の遣り取りの後で私は氏に追伸を補足的に送信したのでそれをそのまま掲載しておこう。

追伸
 谷口一平さま

 昨日送信した返信メール中において不分明な箇所があったので、追伸として示します。

>ぼくの立場としては、もちろん「意味」が先にあって、それが「あなた」を作り出すという考えです。

 あなたのこの考えは、「意味を把握する能力」が先にあってそれが「あなた」を作り出すというのなら分かります。しかし意味それ自体はやはり関係認識や差異認識があって、然る後、個別のケースに対する判断で理解する、納得すると考えるのが私は自然であると考えます。私は関係(これが差異も理解させる)が先に悟性的に理解され、然る後その関係把握から意味理解に進むと考えます。しかしあなたの主張の通り、意味理解とか意味把握能力は予め備わっていなければ、関係から意味へと理解することは出来ませんね。
 例えばペットの動物は犬とか猫とかそれぞれ固有の把握の傾向がありますが、飼い主の中で誰が一番偉いかということに対して判断が出来ます。私の家族が飼っていたある猫は私の母を一番偉いと思っていました。それは一つの意味理解です。しかし動物は言語がありませんから、意味を「意味」として理解すること、つまり概念的に把握することは出来ないということになります。しかし少なくとも彼等も関係を理解することは出来ますし、そこから意味を理解することも出来ます。しかし動物は言語を持ちませんから、意味といっても感情と不可分なものでしょう。つまり人間の場合意味は最初(理解レヴェル)では感情も同伴されますが、それを概念把握として感情から切り離すことも出来るというわけです。

>死者とは責任転嫁を逃れた存在ですが、私が責任転嫁し得る存在であるのではないでしょうかね?

私がこう言った理由はこうです。つまり死者は確かにあなたの仰るように死者本人の側から言えば全ての他者からの責任転嫁を逃れます。しかし同時に「死人に口なし」ですから、知られざる過去を幾らでも他者の側から捏造され得ます。ですから歴史作家によって例えば織田信長も、豊臣秀吉も皆ある程度虚構的に捏造されていますよね。そういう意味では皆が過去とはそこに戻って確かめようがないので、勝手に自分の責任逃れのために死者に責任を押し付けることは可能です、そういう意味で言ったのです。

河口ミカル

 谷口氏の主張する意味の二人称に対する優先は、私の解釈では意味把握ということの能力である。従って意味理解というものは意味把握能力という身体的能力、脳作用の付与によって得られる。それは形而下的解釈だが、それ以上それを形而上的に捉えたい誘惑を抑える必要があるように私には思われる。つまり自由意志とはでは一体というような論議は不毛である、と。何故なら私たちは既に脳科学とか自然科学認識自体も一つの選択肢として獲得しているのであり、私たちは私たち自身を生存機械であると捉えることをも自由意志の範疇で可能なのであり、それでは自由意志は成立しないという論議自体が、既に形而上的な優位を前提していると思われるからである。
 最早形而上学的優位において自由意志優先であるとか、形而下的認識の肥大化というような論議は不毛であると私は考える。ある時には形而上的認識を優先する必要があるし、別の観点からはあくまで形而下的に認識する必要があると考える。
 だからここで結論的に言うと、他者を他者として認識し得る能力は悟性的に差異を認識する能力とミラーニューロンによる作用の両方が同時に展開していると考えればよい。そしてそれは意味把握能力の発現である。しかし意味自体はやはり納得とか理解を通してでなければなされないので、他者を他者として把握しその存在理由を理解することを通して意味に到達するとしてよいのではないか?つまり私の言いたい意味とは、存在理由のことであり、その時々の状況把握と密接なものとしてなのである。意味体系とか意味連関ということにおいてであれば谷口氏の主張されるような<意味把握能力=二人称に対して先験>と考えればよいだろう。 
 ここで明確化しておく必要があるが、偶像と私が呼ぶものは、端的に想像することによってでっち上げるその像のことなのである。私たちの脳は理解出来ないことに直面すると、理解出来ることの仕方で何とか折り合いをつけようとするわけだから、どうしても知らないこととか親しくないことの内容も、そのままにはしておけず固有の像を作り出そうとするということである。つまり知っていることや親しみのあることを通してそうではない知らないことや親しみがないことに対してそれなりに理解しておこうとするということだ。だからそれは誤解や曲解の場合も往々にしてある。要するに脳は知らないことや親しみの持てないことをうっちゃっておくことがなかなか出来ないのだ。
 そのことはカプグラ症候群においても立証済みである。彼等疾患者はある人の顔を自分の母親と知っていても、それは違う人が成り代わっているのではないかと考えてしまう(ものに対してもそう考えてしまう)。それは何らかの脳部位障害により、あるものを「そうだ」と認めることと、あるものを「それは本当だ」と認める情動的なことを繋げるパイプが欠落しているからではないかとも考えられている。
 それは通常では情動を通して同一性を認知し得る(情動的な作用によって何かを信用することが出来る故)ことが障害されていると考えることが出来る。
 だからそれと逆にそういう障害がないということは、よく知っていることや親しみのあるものに対して共感出来るということだから、必然的に親しみあるものを糧に親しみのないものを関連づけることによって理解したいという欲求がよく知らないことを想像することが可能となっているのかも知れない。