Tuesday, November 11, 2014

何処迄も何時迄も、動き止まり、果てしなく広がり狭まる(インターミッション・詩)

何処迄も広がり、何処迄も此処の内に入り込む。
時間は先へ先へ進み、誰もが最後は死ぬ。
どんどん老いてゆくけれど、どんどん若くなり、しまいにゃ母体へと戻り、父親の精子になり、そうやって辿って行けば全ての生命の祖先へと辿り着く。
時間の未来は宇宙の広がりに似て、過去は宇宙の誕生を目指す。
過去への旅は宇宙の点への果てなき入り込みみたいだ。
移って広がりを掴み、限りない動きの果ての無さもあれば、止まって縮まり内側に入り込んでゆく動きの果ての無さもある。
一方で益々速さを増してゆこうとすれば、他方益々速さを落としてゆこうとする。
果てしなく速さを増せば、空間はまるで止まっている様に見え、時間だけが経つ気がして、果てしなく遅さを増せば、時間はまるで止まっている様に見え、空間だけが迫っている様に見え、時間も空間も無と永遠が同一のものの様になる。
真っ直ぐに移動し続け加速を増せば、果てしなく動きを止めている様。
止まった侭みたいに鈍くゆっくり動けば、点を求めているみたい。
果てなき止まっているみたいな動きは果てなく動かない様にする動き。
迷いのない点の様に真っ直ぐ移動するのと、果てなくじれったく真っ直ぐでないみたいな真っ直ぐさが持っている、何時迄経っても到達しない、しつっこい点みたいであること。
心は世界なのか?
気持ちの移り行きはあてのない宇宙の旅みたいだ。
否気持ち自体が宇宙で、宇宙の旅が気持ちの移り行きなのだ。
心は宇宙が作り、宇宙は心を作る。
心は宇宙、宇宙は心なのだ。
心は何処迄も何時迄も止まらない、内にも外にもずっと。 (2014.11月から11日迄)

Sunday, April 27, 2014

存在と意味 第二部 日常性と形而上性 第十五章 田辺元『哲学入門‐哲学の根本問題』解析からカント三批判書の存在理由を考えるChart1

 田辺元は『哲学入門‐哲学の根本問題』に於いてマルクスをマルキシズムに拠って曲解された(そういう語彙を使用していないが)マルクス自体は、全くマルキシズムで提唱されている性質のものと違うと述べている。特に初期論文である『デモクリトスと自然哲学とエピキュロスの自然哲学の相違』という極短い卒業論文から、その思想は多分にデモクリトスに負っているそれ迄の哲学と異なってエピキュロスの思想を反映したものである、と解析している。その箇所で田辺は原子自体が自然界を統一する自然法則に拠って全く偶然性を介入させない筈だというそれ迄の思想に対して、つまり自然法則的必然性に対して偶然性の可能性を示唆したのだ、という論理を展開している。その偶然性を田辺は「原子の必然的運動逸脱の可能、それる可能」と言っている。そしてそれは歴史解釈でも展開され、「あらざるをえざる」を必然、「あらざるをえる」を偶然として、歴史を後者として規定した。そして我々の心の衝動の様な状態を自然であるとした時、動く事自体が無の有化であり、逸脱可能であるが故に理論的にはそれは偶然の部に入ると考えている。
 しかしこれはやはり凄く唯物論的視座での認識であると言えよう。 
 何故なら我々の心の方を基軸にすれば、あくまで何かをしたい、何かが欲しいという形で行動へ移すとすれば、それはあくまでどうすればそのしたいことが実現し得るか、どうすれば欲しいものが手に入るかという形で、其処には明確な行為因果的な道筋が形成される。従ってある欲求が衝動的に発生したとしても、その欲求実現の為に払われる行為全体は意図的なものであり、又其処で得られた成果や達せられた目的も当然偶然的な事ではなく、その意志の道筋に沿った必然的なものになるだろう。この考えはデカルトのコギトを据えて考えてみれば極自然なことである。従ってデカルトは自分自身の心を田辺の認識の様に偶然性としては決して捉えなかったであろう。
 このことから、田辺元はあくまで哲学史的にはデカルト系譜の哲学者ではない。ヘーゲル主義的認識を出発点にしていて、その後マルクス、そしてハイデッガーも翻訳しつつ、その哲学論理を批判するという展開を採っている。
 しかしカントはデカルト系譜をよく知ってはいたが、やはり全くデカルト的コギトを超えようとしたとは言える。つまり後にヘーゲルに拠ってマルクスの持っていた唯物論的認識を発生させ得る体系的思想、それは多分にアリストテレス的視座なのであるが、それを資質的には受け継いだマルクスの視点とはデカルトは異なっていたが、カント自身はヘーゲルの『精神現象学』(1807)を知らずに生涯を終えるが、既に少しずつ台頭していたヘーゲルの事を知っていなくても尚ヘーゲル的存在の台頭を予感したかも知れない。カント三批判書は1781年に『純・批』、1785年に『実・批』、1788年に『判・批』が発表されている。カントは1804年に八十歳で死去するので、その三年後に当時三十七歳だったヘーゲルに拠って発表された『精神現象学』はカントへのオマージュという意識もあったであろう。ヘーゲルは1831年に71歳で死去し、マルクスは当時十三歳の少年であった。因みにマルクスは『資本論』第一巻を1867年に四十九歳で発表している。結局『資本論』はロンドン移住後に書かれたが、完成することなく1883年に六十七歳で死去する。マルクスの膨大な遺稿とノートが存在する。二年後にエンゲルスが第二巻を、そして更に九年後の1894年に第三巻を発表する。
 ハイデッガーはその六年後の1889年に生まれている。田辺元はその時四歳の少年であり、西田幾多郎は田辺より十五歳年長なので、十九歳の青年であった。
 先程衝動という語彙を田辺解説で使用したが、この語彙は西田に拠る『弁証法的一般者としての世界』(1934年)(西田六十四歳)に頻繁に登場する重要な概念アプリである。西田は終戦を待たず1945年の六月に急逝する。七十五歳であった。田辺は1962年に七十七歳で死去している。 
 デカルトは1596年に生まれ1650年に死去するので、僅か五十四年程の人生であったが、カントが生まれたのがデカルトの死去後七十五年後1724年なので、ほぼ一世紀程の時間差を持っていると言っていい。カントは田辺も指摘している様に、論理体系的な部分があり、それはアリストテレスへのオマージュであると言えるが、実際その思想はデカルトコギトとカントの死去後にヘーゲルが到達した体系論理的な視座との中間にあるとも言える統覚Aperceptionという概念アプリを提出した。
 この統覚はデカルトコギト程緻密に認識的ではないが、ヘーゲル‐マルクス的唯物論的体系性へ依拠する程メタ概念的でもない。西田が『善の研究』で示している当為とは、恐らくカントの言う統覚にそれ程離れていない。
 西田の当為は凄く意識的意図的な私とか、その目論見とかではない。しかし完全に不随意運動的な神経作用の様に完全身体自動的なものでもない。その中間にある何かだと思われる。意識と無意識を繋ぐ架け橋的なもの、或いは意図と非意図を繋ぐ架け橋の様なものと言っていいだろう。その分では西田哲学の本質はやはり西欧哲学文脈だけから理解する事も難しい。恐らく田辺哲学の方がより西欧哲学文脈から継承している部分が大きい。勿論自身の種の論理が戦争へと利用されていった経緯から『懺悔道の哲学』を発表しているので、その懺悔道では当然東洋思想も多く彼は引用している。しかしその後で書かれている『哲学入門‐哲学の根本問題』は懺悔道を構築する為に必要であった東洋思想を西欧哲学へと転化させている、と少なくとも論文自体からは読み取れる。
 そしてその際に重要なこととは、西田が明らかに閉鎖系的な体系性に依拠させようとする分で論理的構築である哲学を、東洋思想が準拠する開放系的な完成拒否性を提唱していると言えて、それは要するに哲学思想の純粋宗教実践思想性への昇華、或いは同化という目論見である事が窺える。その兆候は充分『弁証法的一般者としての世界』で観られ、完全に結実するのが『場所的論理と宗教的世界観』だったのである。
 しかし田辺はそれをもう一度哲学史的文脈の中に再構成しようとした。その意図の中で『数理の歴史主義的展開』中の論文である『場所的直観説の不備、時空「世界」の歴史性』があったと考えられる。
 次回はその田辺に拠る西田批判と西田が目指したものの分岐的意味合いを、前回取り上げた『弁証法的一般者としての世界』『場所的論理と宗教的世界観』を取り上げつつ、田辺論文『場所的直観説の不備、時空「世界」の歴史性』へと対比させつつ、その際にカント的「統覚」をキーワードに考えていってみよう。(つづき)  付記 今回は取り上げなかったが、ウィトゲンシュタインに拠る「私的言語」という概念アプリは明らかにデカルトコギト系譜的命題だと言える。ハイデッガーと同年に彼より少しだけ早く生まれているこの哲学者が現代哲学へ多大なエスプリを与えた事は言う迄もない。尤も今取り組んでいる命題を突き詰める為に再度彼に登場願う事もあるが、それ迄にしておかなければいけない作業は多く存在する。(Michael Kawaguchi)

Monday, April 14, 2014

存在と意味 第二部 日常性と形而上性 第十四章 西田幾多郎『弁証法的一般者としての世界』解析からカント三批判者の存在理由を考えるChart1

 カント三批判書の持つ空間的意味とは恐らく生者にとっての空間と死者にとっての空間とは全く異質のものであることの根拠の問題なのであり、それが恐らく『純・理』での神の存在証明(それは神の永遠の不死をも誘発する存在証明であるが)という概念を提示させているものと考えられる。つまり神が永遠的と考えられるのは、あくまで生者としての我々から観た場合のことなのであり、死者はそうではない、ということだ。死者は神の永遠性を把捉し得ない。だから死者とは神の一部だとも言える。
 カントは空間の事は殆ど字句的には示さない。しかし彼の哲学の背景には生者と死者の問題が横たわっている。背進という考えの中にそれを読み取れる。二律背反的に背進が成立するのは、我々が死者ではない、思惟し、思索し、熟考する事が出来るからだ。だから西田幾多郎が考えていた意味的統一に対する場所的統一とは死者の時間である。となれば当然意味的統一は生者の時間である。となると西田が『弁証法的一般者としての世界』から『場所的論理と宗教的世界観』へ至る中で模索していた合目的的統一という対象論理性を超えた有機的統一という誠(『場所的論理と宗教的世界観』四の後半に出て来る概念)とは、<一般的限定即個物限定、個物的限定即一般的限定>という別語でも示されているが、それは生者である我々の意識界で介在する対象論理を超えた中心のない円を育む時間、つまり死者の永遠を生者にとっての日常に取り込む、死を日常化させるという試みだと言う事も出来る。
 今回は『弁証法的一般者としての世界』一の大意から考えていこう。
 西田の言う「無限大の円でなくして、中心のない円でなければならない」とは、西田が別の場所で「夢といえども社会的・歴史的限定を離れたものではない。しかして我々は我々を、行為的自己として、我々が有ると考える」という一節へと論点が譲り渡されている。
 つまり、「我々は我々を、行為的自己として、我々が有ると考える」とは、正に俗な社会を生きる、社会のレイバータイムに観られる利潤を獲得する為に費やされる時間の長さ(つまりコスト)の中に自己を埋没させて、其処で社会的自己としてのアイデンティティを証明している生者の時間の概念規定である。しかしだからこそその頽落した時間の中で我々は中心のない円を自覚し、見出していくべきなのだ。それは死者の時間が絶対的に我々の様ではない、ということ、つまり自己がないということ(まさにそれこそが西田の言う自己否定を誘発するのだが)、そしてその死者性を生者である我々が取り込め、と西田はそう言うのである。
 だからこそ「単なるコギト・エルゴ・スムの自己は抽象的自己たるを免れない。我々の主観的世界と考えるものは、上に我々が内的統一(この語彙が重要である。筆者注加入)として直線的と考えるものは、その根柢において円環的でなければならぬといった意義において、円環的でなければならぬ。しかもそれは私のいわゆる無の場所的限定という意義をもっていなければならない」という箇所は、ベルグソン的純粋持続を意識しているものの、それを超え得るものを志向している。
 そのことはそれより少し先の箇所の「瞬間は固、摑み得るものではない。瞬間は現在の自己否定すなわち自己拡散によって成立する」そして「各人が各人の時をもつと考えられる」「現実の世界が世界自身を限定すると考えられる時、無数の瞬間が成立する」「時の統一においておのおのの瞬間が消えて生まれるということは、各瞬間が無限大の円の周辺を廻るというごとき意味でなければならない、否中心なき円の周辺を廻るというごとき意味をもたなければならない。各人が各人の時をもつと考えられる我々の個人的自己というものも、弁証法的に自己自身を限定する世界の自己拡散の方向に考えられるものでなければならない。故に我々の行為は歴史の中から生まれ、歴史の中に失せ行く」といった一連の記述は、歴史とは言う迄もなく生者の特権的時間であり、そうでない死者の時間を取り入れた自己の時間とは中心のない円なのであり、それを生者が日常に取り込む事は、歴史の中に所詮失せ行く時間という移ろいと儚さと空しさの前で自己が自己として生きる事は、本質的には(社会<それは全個としての他者の事である>の規定する時間を一方で知って居つつ、それだけに振り回されず)死者の時間を生の中で会得することである、という主張(当然それは日常的惰性的時間の批判ともなっている)なのである。
 と言うのも我々は何かをする時連続した時間の中で行為を実感する。そしてそれを今と呼ぶ。しかしそれは瞬間の連続ではない。その点ではベルグソンにせよメルロ・ポンティにせよ同じ事を言っている(各人の哲学の志向する先や目的は違っていても)。しかし「瞬間は固、摑み得るものではない。瞬間は現在の自己否定すなわち自己拡散によって成立する」で言っている様に、それを自己拡散すると言う事は、即ち死者の時間へ生者の時間を送ると言うことに他ならない。死者の時間に思いを馳せる事は、生者の時間を社会的コストから離反させた時間を自己内統一という形で会得する事に他ならないからだ。自己否定しなければ(つまり社会的自己の頽落した時間の中での行為性から自己を解き放たせなければ)真の時間は見えて来ない。西田は真の時間とは死者の時間を会得した末の生者の時間だと此処で考えているのだ。勿論死者は永遠に死者であり、死に時間はない。だから逆にそれは絶対的静止であり、絶対的瞬間の永遠だと(我々生者からすれば)言える。
 しかしそれを一旦認めてしまえば、却ってその絶対静止(無時間性)の無限大の集積、絶対的統合として我々の生の時間を把捉し得る、認識し得る。
 「真に内的統一として、真に個物から個物に移る、瞬間から瞬間に移る、真に消えて生まれるというには、かえってそれは円環的意義をもたなければならない。これに反し円環的限定が真の円環的限定として、個物を包むという意義を有するかぎり、それは直線的限定の意義をもたなければならない。それは単に無限大の円でなくして、中心のない円でなければならない。」に観られる西田思想の晩年の本質とは無限に発見し得る瞬間(それは正に死者の時間に他ならない)を把捉せよ、という生者にとっての使命、義務、頽落した社会的義務ではなく宗教的自己にとっての義務を述べている、と捉える事が出来る。
 西田の言う自己拡散とは自己否定へと至る最良のメソッドである。瞬間に気を取られている訳にはいかない日常的に頽落した時間を無限大の瞬間の集積、絶対的統合として捉える視点を西田はこの語彙に拠って提供している。西田が言う各人とは永井均の<私>でもあるし、認知科学一般で言われるクオリアの未解明性のことでもある。
 「我々の自己というものは、かかる世界の自己限定と自己否定との間に考えられる個物的なものなのである。故に我々の自己はパスカルのいうごとく、いつも無限と無との二つの深淵に臨んでいると考えられるのである。全体と無との間にあると考えられるのである。我々の現実の世界が現実の世界自身を規定することから考えられるのである。我々の行為は無から出て無に返ると考えられるとともに、絶対を主体となすということができる。時の瞬間が周辺なき円の周辺を廻ると考えられるごとく、我々の行為も絶対の世界を廻ると考えることもできる。」は、一の最終部の記述である。此処で西田は「我々の行為は無から出て無に返る」そして「絶対を主体となす」とも言う。「時の瞬間が周辺なき円の周辺を廻ると考えられるごとく、我々の行為も絶対の世界を廻る」に拠ってその二つは説明される。
 絶対とは永遠の時間にして我々の様な生者しか把捉し得ない永遠という想念の場そのものであり、それは絶対静止的空間(其処に全物質が存在する)であり、その揺ぎ無さは永遠である、そして永遠は我々生者しか把捉し得ない。そしてその中で周辺なき円の周辺を廻る瞬間を見出す事、会得する事を生の極意としている、という意味で西田は明らかに哲学を宗教へ一体化させようとしている、と読む事が出来る。そして「絶対を主体となす」こそ死者の時間(永遠の静止にして永遠に不滅)を生者としての我々の日常的には頽落した時間の中に取り込み死者性を生者性へ導入せよ、そうすることで本質的時間、つまり永遠の中心無き(ある意味ではそれでも尚飽くなき中心への志向を留めることの出来ない)生の時間を自覚せよ、勿論それは生の有限性を語っている(「我々の行為は無から出て無に返る」で示されている)事でもある訳だが、そういう風に読み取る事が可能である。(つづき)

Friday, February 14, 2014

存在と意味 第二部 日常性と形而上性 第十三章 現実の嘘臭さを克服する処方の持つ運命

 現実を嘘臭くしか感じられないとするなら、それは完全に自分の望み、そうである筈だと思う像と現実が乖離していると感じられるということであるから、必然的にそれは現実感覚以前的なイデア的感覚を感性的に何事に対して判断するにしても、捨てられないということを意味しよう。
 空間的なことをカントが考えていた様だとは今言えるが、今回は直接彼のテクストへ向かうのではなく、一体哲学的想念とはどの様に形成されるのかということから少し考えてみよう。
 空間は時間を運ぶわけではない。何故なら時間が存在すると言い切れる程我々は時間自体の正体を知らない。要するに事物や空間内の全事象が変化する。我々は空間を移動する。移動する際に時間を要す。従って空間は時間的な移動に拠って体感されるし、空間の移動に拠って我々は空間の存在的絶対性を覚知(把捉)する。
 その空間とは事物や事象を全て包み込む場だと取り敢えず見做し、その内部での(この内部という考えもそれ自体検証する必要があるが、これも取り敢えずそう単純にしておこう)あらゆる変化や移動、動き一般全体を嘘臭く感じてしまうとしたなら、それは要するに現実以前的な「現実とは~である筈だ」とか「現実は~であるに違いない」という想念が立ち上がっているからだ。
 しかし我々はやはり決定的にそういった想念があればこそ、実際の現実で起きることに対して一喜一憂したり、こんなことがあり得るのかと驚いたりする。つまり現実を現実の侭に受け入れることとは、最初から単純になし得ることではなく、現実への否定という形で想念的にはまず立ち現れる。しかしこれはヘーゲル的な視座である。彼は否定ということをあらゆる名辞に対してなし得ると考えた。それが止揚ということを生む。何事かとは何事かではないということと対にしてしか認識され得ない。
 現実が嘘の様にしか見えないという感性こそが、現実のどうしようもない抗い難さの前でどう対処するかの全ての判断を促進する。
 デカルトは今観ている全事実が幻想かも知れない、悪霊に拠ってそう見える様に仕向けられているのではないかと考えた。しかしその仕向けそれ自体をそう認識すること、つまり現実に今~が起きつつあるということそれ自体を幻想ではないかと疑うこの私だけは否定し得ないとした。今私が目の前で確認出来る全てを私は確かに疑うことは出来る。昨日観た夢の続きかも知れないとも言い得る。つまり昨日夢を観たと察知して起きて今こうしてパソコンの前に居ることそれ自体が、実は昨日の夢の唯の続きで、夢から覚めてパソコンに向かっているという夢かも知れない。そしてそうではないと私は確かに一方では知っている。しかし確かに今起きて文章を打ち込む私の行為それ自体を、もう一人のそれを夢かも知れないとする私は、実は先程の現実の方が実は私が脳内で想念する現実とは~である筈だということよりずっと嘘なのかも知れないと言い得る。何故なら私は恐らく後数十年の間に必ず死に、その後は今世界をこうであるとか、こうであって欲しいとか、そう認識したり把捉したりすること全てが今の様ではなくなるだろう。そしてそうなっていった後の(それは私そのものではないかも知れないが)何かを感じるということがないその状態の方こそ真実に現実であり、今私が仮に現実に対して疑いを持つということ、嘘の様にしか感じられないと思うその感じ方の方こそ全て幻想かも知れないからである。これはある意味ではデカルトの何かが何かであるということ自体を疑う、現実だと思う全てがそうではないかも知れないと思う私そのもの(デカルトはそれだけが疑い得ないものとしたのだが)をも俯瞰する地点に別の私が居ることを意味する。
 これは二重の意味での懐疑論である。しかしこの懐疑論はそうメタ私の様なものを規定した瞬間、実はこの規定の仕方自体が一種の痛烈なるどうしようもなく展開するこの現実、世界のあらましの全てをそうなっている、そう展開している(様に見える)ことそれ自体は否定しようがないということを主張してもいるのだ。
 事実仮に今私は夢から覚めて起きてパソコンの前に座ってワードを打ち込んでいるこのリアル自体も夢かも知れないと思うことも、又仮にそれこそが事実で、現実に起きてパソコンの前に座ってワードを打ち込んでいる夢を見ているということそれ自体だけはやはり決定的に夢ではなく現実である。或いは事実である。
 つまり今観ているのが現実であるかとか、そうではなく夢か幻想かということの是非が重大なのではないのだ。寧ろその様に現実に起きているのか、あたかも現実に起きているかの様にそう見える、或いは幻想している、ということ(という事実)の方が重大なのである。その点ではこの現実に起きていることとか、現実に起きているとそう感じられる、そう認識出来るという事実だけを抽出すれば、当然そういう事実を抽出し得るこの私こそ、或いはデカルトが考えた私なのかも知れない。恐らく寧ろこちらの方をこそデカルトは私と考えたのだ。
 これはしかしある意味では極めて認識というものが、認識する主体である私と不可分で、同時にその認識をすること(その事実)自体に対しては肯定的であるということは、即ち結局現実が本当にそうであるのかとか、否そう本当の様にそう見えているかということなどは、それ程重大なことではなく寧ろ些末なことであり、兎に角現実にはそう起きている様にしか見えないということこそが重大だということとなり、このことは結局、現実とか「~であるべきだ」という倫理的な現実認識をも含み、その様に実際にはその様に、あるべき姿としては展開していない現実を、しかし「~であるべきだ」と、あたかもヘーゲルが考えた否定を通してしか現実の事実AもBも、名辞としてのそのAもBも認識し得ないという把捉的な在り方をも含め、その様に想念すること、その様に思念すること、その様に認識することそれ自体からの不可避性とは、其の侭ダイレクトに結局それこそが現実肯定であるとしか言い得ないという結論へと持ち込まれるのだ。
 従って現実の嘘臭さを克服する処方の持つ運命の名辞とは、唯一現実を嘘の様だとか幻想の様だとか、そうである筈はないとか、こうである筈だとか、こうであるべきだとそう想念すること、そう思念すること、そう認識すること、そう把捉することそれ自体の、ある意味では恐らくそれこそがデカルトの言いたかったことである処の事実性こそが、現実を肯定するしか我々には残されていない、というある種の唯一の意味となり得るのではないか、とは取り敢えず言い得る処のことである。
 しかし同時に先程の私が死んだ後に恐らく現実が嘘臭く見えるということそれ自体さえ無さだけである様な処の感じ方でさえないかも知れないことが現実であるとしたなら、やはり決定的にこうなっていまっている、今その様に展開しつつあるこの世界の、現実としての全ての変化、動き、移動等の事実も所詮幻想でしかない、或いはそれは存在していようが、いまいがそんなことなど寧ろどうでもいいこと、つまり本当らしさも嘘臭さも所詮決定的に無でしかあり得ないという想念も、又二重にメタ的に湧き出て来るとも言い得る様に思われる。