Tuesday, August 24, 2010

<感情と意味>第五章 第八節 言葉の二値論理

 私たちは誰かに自分にとって知らない人の名前を聞かれて、例えば「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と言われた時、その~のスティーヴ・ジョーンズを知らない場合「知らないですね」と答える。さてこの「知らない」という明示は実は明示される対象が指示されていなければ成立しない。例えば全く指示されていないものを「知らない」と言うことは出来ない。つまり「知らない」という言辞は少なくとも指示されている対象が存在するというくらいには「知っている」ものに対してのみなされ得るのだ。本当に何も知らないことに対しては「知らない」とは言えない。
 勿論私たちは自分にとって知っているものやことは僅かで、指示されれば知らないと返答するしかないものの領域が広大であるということだけは知っている。
 しかし重要なこととは、「知らない」と返答する時私たちは「知らないと返答するくらいには知っている」ということを表明しているのである。そうである、この場合誰かが私に「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と質問してきたのだから、当然そういう風に私に対する質問者の側が指示するスティーヴ・ジョーンズという人物がいるということだけは確かかも知れない、というくらいにはそのことを知っているのである。
 と言うことは言葉の論理とは、とりもなおさず、「よくは知らないがあるということくらいなら知っている」こととか「内容については全く知識を持ち合わせていないものの形式的に存在するということくらいなら知っている」と態々克明に言明しないままで「知らない」と返答することを通して端的に知らないことにしてしまう、そうすることでそのものに対する言及責任に関しては責任回避しようとする意図を言明しているのである。
 つまり二値論理、二分法と言ってもよいが「知っている」か「知っていない」とすることによって、その先においてそのことについて意見を表明したりすること、あるいは逆に一切の意見の表明を固辞することを明示しているわけだから、本当に全く知らないことを述べることなど出来はしないのだから、少しくらいなら知っている、つまり「よく知らない」と言い得るくらいなら知っているということを表明する労苦を省略しているわけである。その労苦の省略において質疑応答的な意思疎通上での言葉では一切の綿密で精緻な描写をしないで中間にある一切の豊かさをないものとする性質があることが判明する。
 これは意思疎通上での極めて興味深い特徴である。
 しかしこの言葉の性質は陥穽でもある。つまり言葉とは意思疎通し合う者同士が相互の説明を含めたあらゆる責任の範囲を明示しているわけだから、その責任を負うことと回避することを通して、その中間に存在する様々な実在、様相を一切取りこぼしているということを意味するからである。
 企業ではあるプロジェクトで困難に行き当たった時など、代替案を模索し合うが、必ず最善であると思われるプランだけを決定事項とする。しかし意外と最善ではないからも知れないが、ある程度なら信頼出来るというようなプランは一切棄却される。勿論全てを考慮に入れることは出来ないが、最善ではないものでも、ある程度は説得力があったり、信頼出来るようなプランとか、研究においてならデータであるなら一応考慮するに値するとしたり、保存しておくことに越したことはないだけであるどころか、かなり役に立つことも多いのではないだろうか?
 つまりある程度なら信頼出来ること、ある程度なら実効性があるということを一切捨て去るのではなくバックアップしておくということが意外と選択肢の豊かさに依存し得る心の余裕を育むとは言えないだろうか?
 つまり重要なこととは、「知っている」、「知らない」という責任明示的言語行為における二値論理にだけ信頼を寄せることの危険性というものが存在することを常に念頭に入れておくべきである、ということである。その時私たちはそう返答した者の顔色とか表情とか返答した時の語調とか、仕草とかをあざとく見抜いて相手の返答の意味を判断する。だから完璧な論理とか完璧に説得力を備えた真理が理想であることを知りつつも、そうではないが、そうかと言って全く聞くに値しないとまでは言い切れないことを重要視するという心構えは、進化した段階の論理や説得力ある結論、プランを練り上げる上ではかなり有効であるとだけは言い得る。そのことの自覚とは、言葉にはそれを発する者の間合いとか、文章で言えば行間が存在するということと、二値の間の段階的に様々な実在や様相が豊かに存在し得るということの自覚とかなり密接な関係にある、ということである。
 もっと簡単に言えば、完璧であるものがあることは理想だが、完璧ではないものでもそれはないよりはあった方がずっと有益である、ということである。

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