Friday, October 30, 2009

第十七章あるいは結論に代わり得るもの②

 最後にレヴィナスの記述に続いて、武蔵、ヘーゲル、ハイデッガーの記述からその相互の相関を感じさせるものをピックアップして締め括ろうと思う。

 <レヴィナス>
 かの有名な≪死へとかかわる存在≫l etre‐pour la mortを超えて、私なしにあるような時間へとかかわる、私の時間の後の時間へとかかわる存在_つまり私に固有の持続を外挿するのは凡庸な思考ではなく、∧他なるもの∨の時間へと移行なのである。このような移行の極限へと到達する犠牲の可能性だけで、こうした外挿がけっしてあたりさわりがないわけではない性格を持っていることが発見される。すなわち、それは私の後に存在するものへとかかわるために死へとかかわる存在なのである。(「他者のユマニスム」中 意義と意味 Ⅵ意味と作品、86ページより)

 <宮本武蔵> Ⅰ
一、 場の次第といふ事
 場のくらゐを見わくる所、場において目をおふといふ事有り、日をうしろになしかまゆる也。若し所により、目をうしろにする事ならざる時は、右のわきへ日をなすやうにすべし。座敷にても、あかりをうしろ、右脇となす事同前也。うしろの場つまらざるやうに、左の場をくつろげ、右のわきの場をつめかまへたき事也。夜るにても敵のみゆる所にては、火をうしろにおひ、あかりを右脇にする事、同前と心得てかまゆるべきもの也。敵をみおろすといひけて、少し高き所にかまゆるやうに心得べし、座敷にては上座を高き所とおもふべし。扨戦になりて、敵を追い廻す事、我左の方へ追ひまわす心、難所を敵のうしろにさせ、いづれにても難所へ追掛くる事肝要也。難所にて、敵に場を見せずといひて、敵に顔をふらせず、油断なくせりつむる心也。難所にても、敷居・鴨居・戸障子・縁など、亦柱などの方へ追ひつむるにも、場をみせずといふ事同前也。いづれも敵を追懸くる方、足場のわるき所、亦は脇にかまひの有る所、いづれも場の徳を用ゐて、場のかちを得るといふ心専にして、能々吟味し鍛錬するべきもの也。

 〔訳文〕
 場とりの良否を見わけることが大切である。位置をしめるのに、太陽を背にするということがある。太陽をうしろにおいてかまえるのである。もし、その場所によって、太陽をうしろにすることができないようなときは、太陽を右わきにおくようにせよ。
 座敷のなかでもあかりをうしろ、または右わきにすることは、これと同様である。また、自分のうしろがつかえてしまわぬように、左側をひろくゆとりのあるようにし、右わきをつめてかまえたいものである。夜でも敵が見えるところならば、火をうしろに背負い、あかりを右わきにすること、同様に心得てかまえるべきである。
 敵を見下ろすといって、少しでも高いところでかまえるように心得よ。座敷においては上座を高いところと思わなければならない。さて、戦いとなり、敵を追いまわす場合には、敵を自分の左の方へと追いまわす気持ちで、難所が敵のうしろにくるように、どうしても難所の方へ追いかけることが肝要である。敵が難所において、場の位置を見る余裕を与えず、敵がまわりを見まわすことのできないように、油断なく追いつめていくのである。座敷においても、敷居・鴨居・戸障子・縁、あるいは柱などの方に追いつめるのに、敵にまわりを見させないということでは同様である。
 どのようなときにも、敵を追いかけるのに、足場のわるいところ、あるいはそばに障害物のあるところなど、すべてその位置の優位さを生かして、場所の上で勝利を得るということが大切なのである。よくよく調べ鍛錬しなければならない。
 (159~161ページより)

一、かどにさはるといふ事
 角にさはるといふは、物毎つよき物をおすに、其儘直にはおしこみがたきもの也。大分の兵法にしても、敵の人数を見て、はり出つよき所のかどにあたりて、其利を得べし。かど〱に心得て、勝利を受くる事肝要也。一分の兵法にしても、敵の躰のかどにいたみをつけ、その躰少しよわくなり、くづるゝ躰になりては、勝つ事やすきもの也。此事態々吟味して、勝つ所をわきまゆる事専也。

〔訳文〕
 「角にさわる」というのは、どんな物でも強いものを押すのに、そのまま、まっすぐに押しこむのは容易ではないことである。
 多人数の戦いにあっては、敵の人数をよく見て、つよく突出した所を攻めて、優位に立つことができる。突出した角が減ると、全体も勢いがなくなる。その勢いのなくなるなかでも、出ている所、出ている所を攻めて、勝利を得ることが大切である。
 一対一の戦いでも、敵の体の角に損傷を与えれば、体全体が次第に弱まり、崩れた身体になっては、容易に勝を得ることができる。この道理を、よくよく検討して、勝をえることをわきまえることが大切である。
 (191~192ページより)
Ⅱ  
  一、ひしぐという事
  ひしぐといふは、縦へばよわく見なして、我つよめになって、ひしぐといふ心専也。大分の兵法にしても、敵小人数のくらゐを見こなし、又は大勢也とも、敵うろめきてよわみつく所なれば、ひしぐといひけて、かしらよりかさをかけて、おつぴしぐ心なり。ひしぐ事よわければ、もてかへす事あり。手の内ににぎってひしぐ心、能々分別すべし。亦一分の兵法の時も、我手に不足のもの、又は敵の拍子ちがひ、すさりめになる時、少しもいきをくれず、目を見合はせざるやうになし、真直にひしぎをつくる事肝要也。少しおきたてさせぬ所、第一也。能々吟味有るべし。

〔訳文〕
「ひしぐ」というのは、たとえば敵を弱く見なし、自分は強い気で、一気におしつぶすことをいう。
 多人数の戦いにあっては、敵が少人数であることを見ぬいたとき、または、たとえ多人数ではあっても、敵がうろたえて弱味が見えれば、はじめから優勢に乗じて、完膚なきまでにうちのめすのである。もし、一気におしつぶすことが弱いと、盛り返されることがある。手の内に握って、おしつぶすということをよく理解せよ。
 また一対一の戦いのときにも、自分より未熟なもの、または敵の拍子が狂ったとき、退り目になったときには、少しも息をつかせず、目を見合わせないようにして、一気にうちのめすことが肝要である。少し立ちなおることができないことが第一である。よくよく吟味せよ。
 (195~197ページ迄)

 一  そこを抜くといふ事
 底を抜くといふは、敵とたゝかふに、其道の利を以て、上は勝つと見ゆれ共、心をたえさゞるによって、上にてはまけ、下の心はまけぬ事あり。其義においては、我俄に替りたる心になつて、敵の心たやし、底よりまくる心に敵のなる所、見ゆる事専也。此底をぬく事、太刀にてもぬき、又身にてもぬき、心にてもぬく所有り、一道にわきまへべからず、底よりくづれたるは、我心残すに及ばず。さなき時はのこす心なり。残す心あれば、敵くづれがたき事也。大分小分の兵法にしても、底をぬく所、能々鍛錬あるべし。
 
〔訳文〕
「底を抜く」というのは、敵とたたかううちに、兵法のわざをもって形の上では敵に勝つように見えても、敵が敵愾心を持ちつづけているので、表面では負けていても心底では負けていないことがある。そのようなときには、こちらはす早くかわった心持で、敵に気力を負けた状態にしてしまうことが肝要である。こうして「底をぬく」ことは、太刀によっても、体によっても、また心によっても、ぬく場合があり、一概にわきまえることはできない。
 敵が心底から崩れてしまった場合には、こちらも心を残しておく必要はないが、そうでないときには心を残しておかねばならぬ。敵も心を残していれば、なかなか崩れないものである。
 多人数の戦いにも、一人一人の戦いにも、この底をぬくということを、よくよく鍛錬しなければならぬ。
 (199~200ページ)

 武蔵の兵法「五輪書」のここで示した∧火の巻∨は実際のところ大まかにその内容は技術論的戦法指南と、心理的戦法指南に大別される。Ⅰに示したものが前者であり、Ⅱに示したものが後者である。しかしこの二つは相互に絡み合っていて、敵に不利になるように仕向け自ら敵が不利な位置へと移行するように持っていく技術自体は、心理的な面も大きく手伝っている。そして心理的な面で優位に立てば後はゆっくり技で勝負し得るというわけである。
 しかし也と書いたかと思えば、別の箇所ではなりと平仮名で書いてみたり推敲とか校正をしたりしている暇のない武蔵の人生を彷彿する原文ではないだろうか?
 武蔵は次の「五輪書」で最後の大柱である「風之巻」を書いているが、これは一度も負けなかった者による自らの剣によって打ち滅ぼされた敵方の人々の弱点=自らによって打ち滅ぼされた理由、を描出している。つまり負けた中でも最も弱かった者から順に考えて述べているのだ。
 次はヘーゲルである。
 
 <ヘーゲル>
追加
〔婚姻の神聖であること〕婚姻が内縁と区別される点は、内縁では主として自然衝動を満足させることがねらいであるのに対し、婚姻では自然衝動が抑制されているという点である。それゆえ婚姻でない間柄では羞恥をおぼえさせるような肉体上の出来事が、婚姻においては顔を赤らめないで語られる。しかしまた、婚姻がそれ自体においては解消しがたいものとみなされなければならないのも右の理由による。というのは、婚姻の目的は倫理的な目的であり、倫理的な目的はきわめて高いところにあるので、これに比べればその他のすべてが無力であり、これの支配下にあると思われるからである。
 婚姻は情熱によってかき乱されてはならない。情熱は婚姻より下位のものであるからである。しかしながら婚姻が解消しがたいのはただそれ自体においてだけである。キリストの言うように、「彼らの心が無情いがゆえにのみ離婚は許されている」からである。婚姻には感情の契機が含まれているから、婚姻は絶対的ではなくて動揺するものであり、解消の可能性を含んでいる。しかし立法はこの可能性をきわめて困難なものにし、気に入るとか入らないとかいった気ままな意向に対して、倫理の法を堅持しなければならない。(「法の哲学Ⅱ」第三部倫理中 §163の追加 45ページより)

 最後にハイデッガーを記しておこう。
 
 <ハイデッガー>
 ①現存在が現事実的に実存することは総じて無差別的に、被投された世界内存在しうることであるばかりではなく、配慮的に気遣われた世界のうちにつねにいちはやく没入してしまってもいる。
 
 ②おのれに先んじてなんらかの世界の内ですでに存在していることのうちには、配慮的に気遣われた世界内部的な道具的存在者のもとで頽落しつつある存在が、本質上ともに、含まれているのである。

 ③現存在の存在は(世界内部的に出会われる存在者)のもとでの存在としておのれに先んじて(世界)の内にすでに存在している

 ④世界内存在が本質上気遣いとして、また世界内部的に出会われる他者たちの共現存在と共なる存在が、顧慮的な気遣いとして、とらえられたのである。何かのもとでの存在は配慮的な気遣いである。というのは何かのもとでの存在は内存在の在り方として、この内存在の根本構造である気遣いによって規定されているからである。

 ⑤気遣いは自己へととる或る特殊な態度を意味することはできないのである。というのは、自己とは、存在論的にはすでに、おのれに先んじて存在するということによって性格づけられているからである。
 
 ⑥おのれに先んじて存在するということは、最も固有な存在しうることへとかかわる存在にほかならないが、このことのうちには、本来的な実存的な諸可能性に向かって自由であることの可能性の実存論的・存在論的条件がひそんでいる。

 ⑦現存在は、非本来的に存在しうるのであって、現事実的には、差しあたってたいていこうした在り方において存在している。
 
 レヴィナスによる記述は明らかに私の死後、永遠ということの想念を生み出す契機として私が私であることのハイデッガーによる認識が語られている。しかしハイデッガーの考えていた歴史的存在である現存在や、死の個人性ということは、その後も形を変えて様々な論述において登場する。例えば推移ということで言えばハイデッガーにはない形で既にベルグソンが純粋持続ということを言っていたが、ベルグソンにとっての時間は、空無の中に漂う生<死としての背景に成立する変化>であるよりは、私たち存在者にとっての自由を生み出す場であった。自由という考えはサルトルが継承する。倫理学的、道徳論的な意味でベルグソンは明らかにサルトルの師であった。勿論サルトルはハイデッガーの死の概念や、存在論にも多大の啓示を得ている。
 自由とは時間をどう捉えるかという観点からしか生じ得ない。時間と私、あるいは私一般ということから考えることだ。その際に私にとってあるいは私一般にとって時間とは何かということから社会、私たちにとってという風に考慮した時、歴史という認識が生じる。
 その歴史を意義として捉えるという意味ではクリプキは「名指しと必然性」において、「そうであったこと」と「そうであるものとして語られたこと」が一致すること、つまりその差異に眼を瞑ることこそが歴史だという見解によって示している。本当の歴史的真実とはこれこれこうであったものの、言説上、通説としてこのように罷り通っているという考え自体は、逆にある「固定化された歴史的言説」という観念を通説に従って構成し、その存在を通して私たちが想像するものでしかない。それは歴史的真実の意義においては何ら重要なことではないとクリプキは考えたと思う。つまり「そうではなかったかも知れない可能性」とは、「そうであったとして伝えられること」によって構成されているわけだが、実際それが仮に「そうではなかったかも知れない可能性」の方に真実味があったとしても、その通説に対する変更自体に多大な歴史的認識全体を揺るがす意味合いがない場合、通説通りとしておいて何ら歴史的認識全体に修正を加える意味などないというのがクリプキの考えだ。言語と思考の関係に喩えられる。通説通りでも通説通りではなくても大意は変更されないのが思考であり、通説と非通説の間の差異を敢えて技術的な側面から考えることが出来るのが言語なのだ。通説とはしばしば現時点から見たその事実で変更可能なのだ。(第十五章参照)言語は思考を円滑にし、運路を整えるという、エドワード・サピアの「言語」の中で示されている「道」説(道を通るのが思考である。)に近いものとして考えればよいと思う。
 前頁の記述はそれぞれそういった考えを説明するのにもってこいである。例えばレヴィナスのものには、「私の時間の後の時間へとかかわる存在」(つまり他者ということ)で、ハイデッガーの「存在と時間」に対する解釈として、「私にとっての時間」が「私たちにとっての時間」に転換されること自体に内在する言語的認識をも含む思考の運命が示されている。この考えこそ永井均氏がライトモティーフにされているものの起源だと私は思う。しかもレヴィナスのこの記述は個体の死が生者の存在を理由づけ、全ての存在者は死して、他の生者を支えているという主張ともなっている。
 そしてヘーゲルのもの(「法の哲学Ⅱ」中45頁の引用記述。第三章参照のこと)には私秘的な出来事で行為でもある性行為自体が羞恥を含むものでありながら、それが公認されると婚姻が自然的衝動の抑制という形で社会通念として語られ存在者に対する権利となる。それ自体「私にとっての肉体関係」が「私たちにとっての肉体関係」へと転換される、つまり自然的衝動(性的快楽)の満足や肉欲である衝動を抑制し理性的愛へと転換される時には確かに権利上容認されつつも、実は社会機能維持功利性という観点からは社会的不安定要因を排除するという形で権利的に個へ付与するという機能主義的側面の主張となっている。これはアイロニーとして法秩序を語る視点であり、ホッブスの「リヴァイアサン」にはない側面である。(第三章を参照されたし。)
 
 武蔵の考えは家庭的平和という観念が完全に欠如している。それは求道者による記述以外の何物でもないのであり社会的成功と俗世間的な幸福を享受したヘーゲルと最もかけ離れている。よって武蔵にとって羞恥があるとすれば、それは羞恥について考えることであって、克服されるものとして語ることではなく、克服されてしまっていなくてならない。羞恥は武蔵にとって迷いや逡巡を生む最大悪だったのだ。それに比べヘーゲルは武蔵よりずっと俗な感性の持ち主だし、幾つかの婚姻に関する記述は妻との性行為を想起しつつ書いたようにさえ思われる。
 ところで家庭的平和ということで言えば武蔵に近いのは寧ろサルトルだっただろう。彼の「存在と無」には性交渉のことについて触れた箇所があるが、ヘーゲルのものと比較すると極めて即物的な快楽原則的記述である。ここに行動者としてのマニフェステーションに徹するサルトルの資質が伺われる。
 ハイデッガーは私が「存在と意味」という表題をこの論文につけた当の根拠である。サルトルの「存在と無」は確かにハイデッガーの「存在と時間」抜きには存在し得なかった。つまりその根拠の一つが存在の気遣いという概念である。
 ①は故に他者一般のことである。そして②は他者と自己の関係が与えられてはいるが、それを当然のこととして問うことをしないでいることであり、それを彼は頽落と呼ぶ。(第十五章参照)③はだから、そのような他者‐自己という合一的現実に現存在としての我が既に組み込まれていることを言っている。私たちは他者と離別することがある。だがその人物は今現在自分の日常において不在であるが故にかつては切実な存在だったと了解し得る。④はそういう他者存在への気遣いとして現存在としての我があると捉えている。
 ハイデッガーにとって気遣いということは既に運命づけられているのであり、それは性格づけられているという謂いで表されているが、それは自分に対するえこ贔屓というつまらぬ感情をさえ飲み込むものだという考えが⑤によって示され、「今の自分」の内にある過去から引き摺った「本来あるべき自分」から、別な形での「本来あるべき自分」を再設定することの内に私たちが自由であることを⑥に示し、そのことの別の言い方として旧「本来あるべき自分」に対し「今の自分」を新「本来あるべき自分」として見直すことにおいて、非本来的という概念を使用している。

 つけ加えておけば、第五章で祭りについて記述したが、この章の考えは当時読んでいた木村敏氏の「時間と自己」とバタイユの「エロティシズム」中の死に対する忌避が濃厚に影響を与えている。

 武蔵の晩年の絵画、例えば枯木鳴鵙図を見たのは京都旅行よりずっと前だった。しかし今回若い日の彼による観智院での仕事を見て彼は当時から既に心の仏像制作に取り掛かっていたと感じた。
 私にとっての心の仏像を作る旅は始まったばかりである。この旅がどれぐらい続けられるかは私にも未だ分からない。しかしこの心の仏像制作が日々私の平凡な毎日に何らかの心の旅、心の祭りにしてくれるのではないかという期待と共に筆を置こうと思う。(了)

 
参考文献
 プラトン「国家(下)」藤沢令夫訳 岩波文庫
 ホッブス「リヴァイアサン2」水田洋訳 岩波文庫
 スピノザ「エチカ(上)」畠中尚志訳 岩波文庫
 コンディヤック「人間認識起源論」古茂田宏訳 岩波文庫
 カント「道徳形而上学原論」篠田英夫訳 岩波文庫
 ヘーゲル「法の哲学Ⅱ」藤野渉・赤沢正敏訳 中公クラシックス
 エトムント・フッサール「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」細谷恒夫・木田元訳 中央公論新社刊
 アンリ・ベルグソン「時間と自由」中村文郎訳 岩波文庫
 エドワード・サピア「言語」安藤貞雄訳 岩波文庫
 ルドウィヒ・ウィトゲンシュタイン「哲学探究」藤本隆志訳 大修館書店刊
 マルチン・ハイデッガー「存在と時間Ⅱ」原佑・渡邊二郎訳 中公クラシックス
 エマニュエル・レヴィナス「他者のユマニスム」小林康夫訳 書肆 風の薔薇
 ジャン・ポール・サルトル「存在と無」松浪信三郎訳 人文書院刊
 カール・グスタフ・ユング「無意識の心理」高橋義孝訳、人文書院刊
 オイゲン・フィンク「実存と人間」座小田豊/信太光郎/池田準訳 法政大学出版局
 ギルバート・ライル「心の概念」坂本百大・井上治子・服部裕幸訳 みすず書房
 ジョルジュ・バタイユ「エロティシズム」室淳介訳 ダヴィッド社刊
 モーリス・メルロ・ポンティー「言語の現象学」木田元、竹内芳郎、滝浦静雄訳 みすず書房刊
 ジョー・ラングショー・オースティン「言語と行為」坂本百大訳 大修館書店刊 
 ソール・クリプキ「名指しと必然性」八木沢敦、野家啓一訳 産業図書刊、「ウィトゲンシュタインのパラドックスー規則・私的言語・他人の心―」黒崎宏訳 産業図書刊
 ダニエル・C・デネット「解明される意識」山口泰司訳 青土社刊
 ジョン・オルコック「社会生物学の勝利」長谷川真理子訳 新曜社刊
 リチャード・ドーキンス「神は妄想である」垂水雄二訳 早川書房刊 他多くの著作
 ジョセフ・ルドゥー「シナプスが人格をつくる 脳細胞から自己の総体へ」森憲作・谷垣暁美訳 みすず書房刊
 金谷治 訳注「論語」岩波文庫
 木村敏「時間と自己」中公新書
 中村元「龍樹」講談社学術文庫
 鎌谷茂雄「五輪書」講談社学術文庫
 小此木圭吾「自己愛人間」ちくま学芸文庫
 養老孟司「脳のシワ」新潮文庫
 中島義道「哲学の教科書」講談社学術文庫、「私の秘密」岩波書店刊 他氏の殆ど全ての著作
 永井均「倫理とは何か 猫のアインジヒトの挑戦」産業図書刊 哲学教育シリーズ、「転校生とブラックジャック」岩波書店刊 他氏の殆ど全ての著作
 小浜逸郎「言葉ななぜ通じないのか」PHP新書
 和田秀樹「<自己愛>と<依存>の精神分析」PHP新書
 茂木健一郎「脳とクオリア」日経サイエンス社刊、「「脳」整理法」ちくま新書 他多くの著作
 池谷裕二「ゆらぐ脳」文芸春秋社他多くの著作
 前野隆司「脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説」

 付記 私の論文「存在と意味」はこれで終了ですが、引き続き「意味の呪縛」(短論文)そして「感情と意味」(長論文)を更新掲載致しますが、数日休暇を頂きます。(河口ミカル)

Wednesday, October 28, 2009

第十七章あるいは結論に代わり得るもの

 本論、あるいはこのエッセイ風の私による記述は、京都旅行に端を発する。つまり私が尊敬する哲学者である永井均氏の講演を聴きに京都に三泊二日によるツアー高速バスによる学生旅行的な体験に根差している。
 そこで観た東寺内観智院での武蔵の襖絵の緊張感と独特の安らぎ、そして京都旅行で知遇を得た有志哲学研究の面々との永井氏講演終了後の対話、そして京都旅行の行き帰りのバス中に観想したことがベースとなっているし、その後埼玉県と群馬県の境に位置する城峯公園、神流湖、神流川、神川町、鬼石町、藤岡市、そして秩父夜祭りに行った時のことが第七章で書かれている。これらの記述は実は哲学を哲学外的に考えつつ、私自身アーティストとして生活してきたことをも踏まえて、アートをアート外的に、それ以外の一切を一切外として捉える視点を考えて書いた。
 武蔵が考えていた観智とは、心でものを見るということだが、その本質は知覚に惑わされるなということだ。しかしそう言いきるためには知覚の本性を知り尽くしていなければならない。
 経験とは驚くことの、と言うより驚く「べき」ことの価値と本質を見極める、見抜くということだ。そうする中で私たちは驚くに値しないことを自然と避ける。無視するのではない。無視は意図であり、自然と避けるのとは違う。何を見ても驚くのは赤ん坊だ。しかし我々は自然と驚く必要のないものを避けて、と言うよりあまり真剣に接しなくなり別の価値あるものを求める。つまり取るに足らないものを驚くべき対象外へと除外する。そういう判断をする。その仕方は各個人に内在する人生に対する思想に応じて個々違う。
 生と全ての存在の背景となる空無から捉えれば知覚の大部分が経験と記憶によって左右され、純粋な観智を妨げ、印象を主とした判断をする。知覚は意識が生む。しかし知覚に感けていれば意識は意識されない。意識の在り方は身体的存在という有が其の中にある無と接する(?)ことによって自ずと決まってくると私は考える。
 哲学は大半が言語的思惟である。だからこそ、逆に哲学で千年以上解けなかった命題が、ある日哲学に全く無知な人によって難なく解かれる可能性も十分あるし、またそうあるべきだ。いつの時代も全くその世界に関して無知だった人がその世界に何らかの強震を齎すことはある。私にとってそもそも哲学は専門のフィールド外のものだった。だからこそ、その固有の揺らぎに関心があったし今でも基本的にはそうである。
 私たちは存在する。だからこそその有の中で無を考える。しかしひょっとすると、その私たちによって考えられる私たち存在者としての有に対して、無が語りかけてきて、その語りに耳を澄ますということさえ私たちが気ついていない間に経験しているかも知れない、と京都旅行後に私は囚われ始めている。いや以前からそういう思いが強く、だからその思いが私に京都行きを促したのかも知れない。
 全ての出来事には何らかの契機がある。私の京都旅行にとっては永井氏の講演に関するホームページによる紹介だった。
 人生は全体から見るとそれは一つの長い映画のようでもあるし、祭りが始まって終わる一部始終にも思える。しかし哲学者は人生という語を好まない。(ヒュームは「人性論」を書いているがそれは人生とは違う)現代の哲学者は人生と言わず生、現存在、対自と言う。しかし敢えて私は人生という言葉を用いた。思想という語彙も多く用い、ビジネスパーソンの立場に立って、立場という哲学的禁じ手である社会的認識も多く用いた。そして武蔵の「五輪書」の持つ存在感を重要視し論を進めた。途中大衆文学的趣味の記述もあり、哲学外的に哲学を観る試みを貫徹した。私もまたここ数十年の間に確実に死に、人生全体が泡沫の夢だったという現実に吸引される。これは避けられないのに、人は常にそのことを必死にどこか忘れたいという気持ちでその存在するものの、存在者としての必滅の法則は自明のことでありながら、それは常に別の形に置き換えられている。例えば人生観とか、幸福感とか、生き甲斐とか、思想とか哲学という風に。
 しかし実はそのどれ一つとして明確な定義を持たない。つまり人間は最も感覚的に自明であるものには定義を施す必要性を感じないのか、それともそれが困難だと直観するのか、とにかくその周辺の瑣末なことばかりを定義し、明確化しようと試みる。
 しかしそう感じるということは、私自身が何故生きてきているのかその回答を生涯見出せないことを直観しているからかも知れない。昔年齢を重ねると色々なことが理解出来るものと思っていた。しかし五十を前にして私には未だ理解出来ないことの方がずっと多いと気がつき、ますます迷うことの方が多くなってきたと思う。四十不惑どころの話ではない。
 しかし何故か考え過ぎても埒が明かないということも言える。それはどういうことか。つまり私たちは考えるべきところと考えずに行動し、直観した方がいい場合もあり、それをその都度使い分けている。睡眠も一つの脳波的に言えば形を変えた<考えることを休息する行動>だ。
 あるいは食もそうだ。武蔵は常にご飯を掻き込むように食べていたのだろうかと想像する。武蔵の絵は以前じっくりと観たが、最初に理解出来なかった印象の正体は観智院での彼の仕事を見た時、理解出来た気がした。それは武蔵が心の休息で彼なりに遊び心で絵を描いていたのだろうということだ。勿論それは私の推測だ。しかし絵自体は用意周到に計画されたものではないと私は思った。
 京都旅行に前後して私はヘーゲルも読んでいた。ヘーゲルは極めて律儀で、オーソドックスな哲学者である。しかしヘーゲルの記述はどこか欲望・衝動を真摯に見つめる眼差しがあると思う。そして僅かながら羞恥にも触れている。しかし死を考えると、どうしてもハイデッガーに至り、欲望の正体を客観的に分析するのではなく、どちらかと言うと運命のように捉え、歴史という人間が解釈し、物語化することが不可避な思惟に位置づけられるものと考えているように私に思える。存在というレヴェルに抽象化すると人間が彼にとってどうしてもそうなったのだろう。ハイデッガー以前にヘーゲルも現存在とも世人とも言っていて、ハイデッガーと全て対立する存在ではないことを了解しても、私は世界そのものであり、世界とは私が考えること、命名することであるとする彼の考えから捉えるとどうしてもヘーゲルはハイデッガーにとって(デカルトが私あっての世界と考えていたことからすると)デカルトと一致する存在に思えたのだろう。つまり世界自体とヘーゲルの間に一定の距離があるからだ。その距離が認識上ヘーゲルにとっては重要だったのだろう。しかしそれはヘーゲルが全体ということを世界と等価に考えていたからではないだろうか?
 例えばハイデッガーは自らの死以降にも世界が存在し続けると考えていたが、そう思惟することはある意味で極めて永遠をニーチェ的に思惟することを強いる。欲望を真摯に見つめたということではヘーゲルは親鸞の思想を受け取って完成させた唯円の「歎異抄」的なところがあるが、先にも述べたようにハイデッガーは欲望を欲望としてではなく、言語的な命名、あるいは存在する者の運命、歴史的位置づけという時間論で捉えた。その意味ではハイデッガーは意義論者だと言える。しかし彼はサルトルのように行動へとアジテートする方法は採らなかった。ハイデッガーの言説的拘りを継承したのは、レヴィナスとデリダだったかも知れない。
 サルトルにとって世界は現存在にとって投企する場であり、行動を位置づける契機だ。しかしハイデッガーにとって世界は自らの死後も存続し続ける固有のやるせなさを示す。存在を位置づけるために世界を世界として位置づけるという思惟の他彼にはなく、そのことが既に私が世界を作っていることに他ならないと結論せざるを得なくなるとすれば、彼はデカルトの問うた問いの非反省的地平での再チャレンジをしたと言える。つまりハイデッガーは時間とは推移の顕現ではなく、永遠を私たちが作る場である空間をも成立させる空無に対する変化の側からの感謝だという思惟があったのではないだろうか?
 ヘーゲルは世界は自らが構築する言説上で存在する前に所与として提示される全体だと思うから、全体に対してそれを作る自分という発想は持たなかった。しかしハイデッガーは決してコギトを無視したわけではなかった。しかしハイデッガーにとっての世界と世界を作る自分は、デカルトのように反省的地平において思惟される同一性の基軸ではなく、反省を汲み出す私を存在させる、記憶、それは私の記憶でもあり、世界自体の記憶でもあり、あるいは私たちの記憶でもあるが、そういうものを産出する私が前章に言った空無の背景に浮かぶ一種の現象だったのかも知れない。
 それはウィトゲンシュタインが世界の限界を言語の限界であるとした、あるいは私秘的な言語の可能性から他者の存在の不可避性を考えたことの有の範囲、そして全ての相関、全ての関係を関係のように見えさせる場である空無と時間、それらが私にとって存在している、介在していると思えることがフッサールの考えた現象であり意識であるような意味でフッサールならエポケーの対象としたところを敢えてエポケーする必要ないくらいに感覚的に自明であることを皆が知っているものとしてそこに時空間と空無を見つめたということではないか。
 そういう観点からすれば、武蔵は恐らく生涯ヘーゲル的であると同時にハイデッガー的な視座で世界を凝視していたのではないか?あるいはその二つの合流点、一致点に対する模索そのものが剣士としての勝負だったのでは。武蔵は柳生一族のような意味で継承される流派であるより一代で終わる天才剣法二刀流である。そして個である武蔵が泡沫の人生の中で燃焼される緊張の一瞬に対する記憶を通して彼は後代の彼に匹敵する天才剣士の登場をもって初めて体験的に身体体得的に理解されるという思いで「五輪書」の記述をしたためさせたのだろう。

Monday, October 26, 2009

第十六章 武蔵とヘーゲル

 宮本武蔵は武道の精神についてのみ「五輪書」で記述したわけではない。人を本当に斬り殺すための実践的な技能についても多く書いている。次のような記述はそれを如実に示している。

一 心をさすといふ事
 心をさすといふは、戦にうちに、うへへまわり、わきつまりたる
所などにて、きる事いづれもなりがたき時、敵をつく事、敵のうつ
太刀をはづす心は、我太刀のむねを直に敵に見せて、太刀さきゆがまざるやうに引きとりて、敵のむねをつく事也。若し我くたびれたる時、亦は刀のきれざる時などに、此儀専らもちゆる心なり。能々分別すべし。

〔訳文〕
 心臓を刺すというのは、戦いのなかで、上がつかえ、わきをつかえているような所で、斬ることがどうしてもできないとき、敵をつくことである。
 敵がうちかかってくる太刀をはずす呼吸は、わが太刀のみねを素直に敵に見せるように切先を下げ、太刀先がゆがまないように引いておいて、敵の胸を突くことである。もし自分が疲れてきたとき、あるいは刀が切れないようなときには、この方法をもっぱら用いるようにする、よく分かっていなければならない。(143~144ページより)
 
 彼は絶えず自分の命を狙う剣客たちから窮地に追い込まれた時唯一自身の命を守る術を記している。それはまさに彼と似た真に強者で天才たる剣客(彼が生存中には恐らく彼が出会えないだろうような)に対して記したのだ。(尤も風之巻の最終部に近く彼は初心者に向けた指南も施しているが)しかしそれを考えるとまさにヘーゲルの「法の哲学」は武蔵の「五輪書」と対極の意図の下に書かれたと言えるだろうか?そのことについて暫く考えてみよう。
 ヘーゲルにとって法とはそれを形成する人間の内的必然的な要請によって外的に伴うものだ。つまりヘーゲルは客観的に法を遵守することが正しく求められることを外在的に語るのではなく、内在的に語る。しかしその語り口は前章でも述べたように存在者一般としてであり、他の誰でもない私(ヘーゲル自身)からではない。にもかかわらず彼はカルテジアン的な部分も濃厚にあり、そこにヘーゲルの両義性がある。それは例えば次の一文からも明らかだ。
 
 法律の形式をとって現存在するに至った法は、対自的であり、法について特殊的な意志や意見をもつことに対して、自主的に対立するものである。だからこの法は、おのれを普遍的なものとして貫かなくてはならない。このように、特殊的な利害関係についての主観的感情ぬきにして、特殊的事件において法を認識し実現することこそ、公の威力である裁判のなすべきことである。(「法の哲学Ⅱ」163ページより)

 ヘーゲルは「法の哲学」において法学・社会学・政治学・経済学・倫理学・教育学・生理学・心理学といったほぼ当時の全部の学を網羅的に叙述する。しかし彼はそれらいずれも専門的ではないし、そう目指しもしない。彼の時代にあってそれらいずれもが哲学者による視点の提示という射程にあっただけである。しかもそれはどこか万人に向けて語られているけれど、集団全体にこうあれと一般の政治学や兵学のようには語られてもいない。まさにそれこそが武蔵が孫氏と分け隔てられているところだ。つまりヘーゲルは武蔵同様全ての読者に内在する「個」の内的レヴェルに語りかける。このことはヘーゲルの「法の哲学」が武蔵の「五輪書」同様極めて心得書きの様相を呈していることからも明白だ。例えば次の一文はその意味で極めて示唆的である。
 
 (前略)王侯や統治者の側からの裁判制度の創始を、気ままなお情けやお恵みに由来するにすぎないものとみなすのは、無思想というものであり、こうした無思想は、法律や国家を論じるさいに何が問題となるかについて何も予知していないのである。問題なのは、それらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるということであり、それらの諸制度がどのようにして成立し創始されたかという形式は、それらの理性的根拠の考察においては肝要なことではないということである。(「法の哲学Ⅱ」164ページより)
 
 このヘーゲルの考え方に最も啓示を受けているのは、永井均氏だ。氏は「倫理とは何か」(産業図書刊)において次のよう述べている。 

 しかし、驚くなかれ、われわれはみんな契約後の存在なんだ。だから、その魔術にもうかけられてしまっているんだよ。むしろ問題は、もうかけられてしまっている観点から契約前のことを理解しようとしても、それは本当はできないということにあるのかもしれない。契約前と契約後を対等に見通すような観点に立つことはできないのかもしれない。
(前略)アクロバットとか魔術とか言うのは、自然状態で契約がなされたにもかかわらず、それによってつくられたはずの社会状態の規範がなぜかその契約行為そのものに遡及的に妥当してしまうってことじゃないのかな。(アインジヒトとの議論Ⅱ 社会契約は可能か 中77ページより)

 入信行為の意味そのものが、入信以後の信念システムの中に新たに位置づけなおされる必要があるからね。だから、入信以前の信念システムから見た、入信せざるをえなかった理由は、もう理解できないのでなければならない。それこそが、入信以前の問題がそこで本当に解決したことの証拠なんだ。(アインジヒトとの議論Ⅱ 社会契約は可能か?中78ページより)

 つまりここで永井氏は結果的に規範となっている状態から起源した仕方では、それ以前の状態を知ることは出来ないのにもかかわらず、規範自体を問う行為において規範成立後に起源するものからの視点においても、規範成立以前的な観点を求めるということを余儀なくする。しかし例えば戦前に生まれて戦中を過ごし、戦後社会を生きた人でない限り、戦後民主主義教育を俯瞰することは出来ず、戦後民主主義教育を受けて育った世代の人たち(私もその一人だ)にとって、戦前から戦中、戦後という時代の流れ自体を問うことを客観的に試みても、それは自分が育った時代の教育理念に基づいた社会通念によって理解しようとする行為だから、既に本当の意味で客観的に日本の歴史について考えることは出来ないし、それは戦中に生まれ育った人でもそうだ。それは歴史認識だけでなく、信仰心や宗教教義とは一旦それに入信した後は、それ以前の入信していない状態に立ち戻った考えを捨ててなければ入信したことにはならないから、必然的に入信以前と入信以後の自分を客観的に見ることなど出来はしないのであり、またそうでなければ矛盾になる。ヘーゲルの「問題なのは、それらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるということであり、それらの諸制度がどのようにして成立し創始されたかという形式は、それらの理性的根拠の考察においては肝要なことではない」というテーゼの中に既に含まれている真理を具体的な形で永井氏が示していると考えることは自然だ。
 それは本来あるべき姿としての自分に今から見てある時点(過去)からなっていたとしたら、それ以前の自分は今の自分にとって文字通り過去の自分であり、その自分の気持ちで今の自分を見ることは出来ないし、またそう出来たとしたら、ある時点で自分が生まれ変わったことが偽となる。しかし実際私たちは記憶という化け物に常に思い惑わされているとも言え、そう簡単に過去の自分から決別することも出来ない。しかし自分が生まれる前の歴史についてもただ考えることは出来るが、その場合完全に生まれた時代を基調とした通念から過去を振り返るしか出来ない。しかし寧ろ私たちはそれを自然であると考える。自分のことを客観的に見ることが出来ないことが、実はそれらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるという言説に示されている。私より若い世代の人にとって私にとって自然で必然的である不便さ、例えば携帯電話がない社会とはきっと想像することさえ出来ないだろう。そういった意味ではある制度が確立される以前から生活している者と、制度確立以後に生まれ育った者とでは必然的に拠って立つ視点が異なり、ダイアル式の電話を見たことがない世代にとって小林明子の歌の文句である「ダイアル回して手を止めた」という歌詞(「恋に落ちて」)の意味を理解することは即座には困難かも知れない。
 しかしそれは生き方とは少々違う。習慣だからだ。しかし習慣を受容して常に今の時代に対応して生活することからしか生き方は生まれようがない。そして常に自分にとって「本来あるべき自分」は時代と遊離したものである筈もない。勿論時代の精神全部が自分内部の「本来あるべき自分」を規定するのでないものの、固有の時代に顕著な生活様式や思想という俎板からしか「本来」とは認識しようもない。そして個々によって少しずつ異なる「本来」によって常に私たちは今という時代に対応している。しかしやはり自分はどんな時代に生きていようが自分でしかないという考えをも我々は一時も捨て去ることも出来ない。何故か?
 生き方とは行動によって示されるが、実は生き方自体は行動と全く同じようには思念されない。どういうことか?つまり私たちは「本来あるべき自分」を、「今の自分」とは常に少し違うものとして内的に理解しているからだ。だから生き方は、行動してきたこと、や今行動しているものより常に少し後(未来)まで意識が志向する先は向く。そしてそういった今の行動と今までの行動をプラスしたものに、それだけではない何かを求めて我々は「本来あるべき自分」を設定する。そしてその「本来あるべき自分」を糧に人生に対する思想を構築する。つまり人生に対する思想は、それが参考にする「本来あるべき自分」から構成されることもあるし、「今の自分」に対する反省(哲学的反省ではなく、通常の意味での反省)から齎されもする。だからこそ自分が私たちの胸中から離れることはないし、時代に沿った生き方をしていても、少なくとも今に関してはそれを自分の「生き方」以外のものとして感じられない。しかし過去に関しては何故か客観的に捉えることが可能だ。過去の自分を時代に振り回されていたと言う風に。しかし他者に対する印象は過去と現在に違いがあるわけではなく、全てが客観的だ。それは自分が内的に反省意識を持ち過去の自分を捉えられるが、他者に対し外見的な認識や判断以上の意識になれないからだ。にもかかわらずそれは内的関係での話であり、特にビジネスにおいて表向きはそういう思念を私たちは一切出さないようにする。しかも前にも言ったが、ビジネスとは本来そのように反省的地平のものではない。ここで言う反省とは、勿論通常の反省をも含めた哲学的地平の反省のことだ。構成された人生に対する思想は、それが自分にとって該当することは当然だが「判断力批判」でのカントの主張のように、他者に対しても自分の理念を基準に評定し、親しい間柄ではそれに当て嵌めそれに沿った存在として望む。そして反省的地平という観点でなくても、ビジネスパーソン同士では共通した人生に対する思想が成立する。教育者同士、公務員同士、作家同士あるいは剣豪同士etc。
 武蔵の生涯は、隙を他者に見せることを完全に封鎖することに対して全ての神経を使っただろうから、その隙を見せまいとする緊張を一時ほぐすために絵画や彫刻を創作することが人生に求められた。それは生き馬の目を抜くビジネスパーソンたちの、経営者たちの心理に近いだろう。しかしそれは別の観点から言えば、明らかに脱獄を目的とする囚人にも、エスニッククレンジングの対象となる民族出自の存在者にも該当する。あるいはリストラされて住居を奪われる派遣社員にも該当する。しかし存在者である以上、全成員はある時期反省的地平へと心理的に追い込まれる。それは武蔵とて例外でなかったろう。故に晩年細川忠利の客分以降「五輪書」を熊本霊厳洞で残したのだ。
 ヘーゲルにとって反省的地平とは恐らく法秩序、共同体、社会等、我々が進んで同化し得る価値としての集団的理性や言説に追随する制度的なものから呼び覚まされることだったと思う。だからこそ秩序としてコギトを考えていても彼固有のことではなく普遍が成立する存在者一般である必要があった。その意味でサルトルは完全にカルテジアンだったが同時にヘーゲル主義者でもあった。
 しかし武蔵は「この私」ということも考えただろうが、そのように私秘的世界に観想している暇は彼にはなかったろう。常に抽象的な他者と対峙し(だからこそ一々の敵という具体へと対峙し得た)、対決することの理念に精神と全神経を集中させ、揺らぎが皆無の状態に持っていく必要があった。とすれば、私は私ではないもの、つまり私を成立させる全ての状況と一体化して、無我となることが求められる。その意味で彼はヘーゲルが自我や欲求を成立させる場である同化し得る価値、理念、それこそが彼の人生に対する思想だが、生を発生させる死が恒常化した全存在の背景から自らの剣の哲学を考え抜いた生と離反した世界の住人ではなかったと私は考えるが、どう読者はお考えであろうか?

Saturday, October 24, 2009

第十五章 時間と羞恥②

 私はどんなに気恥ずかしい出来事でも時間と共に羞恥の対象から外されていくと言った。それは端的に「ちっぽけさに対して慈しむことの羞恥を大事にして生きる存在の存在理由」を無効化する。時間だけが永遠であり、その中でどんな存在者であれ羞恥を抱えて生きているが、それらに眼を留めることはセンチメンタリズムだけでなのかという時間への問いにおいて、再びそれは片隅に追い遣られる。しかし重要なことは、時間が羞恥を無効化するのも、再び過去の羞恥より現在の羞恥を重視するのも私たちなのだ。だから常に私たちは時間と共に羞恥を新たに更新している。そもそも私たちの存在自体が全存在(一体この認識は正しいのだろうか?)の中のほんのちっぽけなものであり、人生は時間においてもほんの一瞬の刹那だ。この存在の刹那性こそが永遠への希求の鳥羽口である。しかしそもそも時間すら永遠であるか否かは確認出来ないと私は言った。
 ところで私はかなり昔から、殆ど幼稚園時代まで遡るその時々のことを克明に覚えている。かなり以前に感じた羞恥を執念深く思い出し続けている。勿論それを敢えて他者には告げはしない。しかしそうする必要のなさこそがある意味で「それが私の世界である」ということだ。毎刻消滅し続けている無数の考えることと、クオリアは個々固有の過去の蟠りがある。つまり個々の消滅してゆく存在者の魂とは実は個々の蟠り、あるいは個々の知られざる羞恥である。
 すると時間とは無数の羞恥を飲み込む、無数のクオリアと考えることに纏わる後悔という名の蟠りを一瞬にして無化するエネルギーである。つまり時間は死そのものなのだ。死とは生を飲み込む場だから、その場全体は時間と一体化している。
 羞恥は記憶に刻み込まれている。武蔵でさえそれを携えていたろう。
武蔵は果たして熟睡できたのだろうか?常に浅い眠りしかしなかったとしたら、夢に魘されることがあったのだろうか?彼は常に自分によって打ち滅ぼされた剣士たちが負けた理由を考え、彼らに対する鎮魂を夢でも行なっていたかも知れない。敗れた剣士たちは明日の自分かも知れないと夢でそう告げられたかも知れない。武蔵も記憶に取りつかれていたのだ。
 しかし記憶は世界があることの証拠であり、死は記憶を消滅させる。そして無数の叫ばれなかった羞恥の魂がこれからも延々と無数の死と共に無数の叫ばれなかったクオリアと考えることを携えて時間の中に吸引されていく。死は何かとは他者の死が教えてくれる。私たちは死ぬまで羞恥を携えて生きる。過去の記憶は「羞恥を生きた」という実感だ。死ぬまで我々は羞恥を忘れない。だから誰かが死ぬ時「お前は生きている。死んでいく奴のお陰だ」ということを悟るために他者の死はある。定義してみると 時間=死者となる生者の姿を我々に目撃させる場 となる。
 ハイデッガーが言った頽落とは、社会が成果達成的行為にのみ追随する価値を半ば(完全ではないところがミソである)強制的に社会によって管理された教養の枠組みの中で提示された概念規定を飲み込むことを飲み込まされていると気づきもせず、寧ろそれを有り難いと思って生きていることである。しかし重要なことはハイデッガーが死を個人的なことであり、死が他ならぬこの私に降りかかることにおいて思考したことがヘーゲルと最も違うところだ。
 ヘーゲルは存在一般に思考が向いており、サルトルはその決起を促すテクストスタイルでヘーゲルのカルテジアン的な部分を踏襲した。しかしハイデッガーはサルトルに自分の中の多大なエキスを吸収させたが、ヘーゲルに対しキルケゴールとは違った意味で批判的だった。ヘーゲルのカルテジアン的資質を見抜いたのがハイデッガーだった。
 しかし私は死の個人性という考えが、生の個人性に直結していることは当然としても、クオリアがある個的存在にとって固有のものであるか否かとは存在者一般に当て嵌まるか否かとは全く異なった問題である。後者は科学の視点だ。しかし前者は明らかに一個の林檎に対する感じ方の問題であり、全ての存在者に備わっている知覚的確証能力とは全く違う。
 赤い林檎であるという客観的認識は、そのことに対してどのように感じ、どういうクオリアの質(感覚質の質、個に固有の感じ方)がどう作用しているかとは全く別で、後者には人格も絡んでくる。
 前章では昨今の金融危機的状況からペシミスティックで反体制的ニュアンスの形而上学を私は敢えて試みた。その背景にはハイデッガー的視座があった。ハイデッガーは存在論を存在する者による思惟であり、歴史的認識だと考えていたが、その歴史認識はしかしヘーゲルから吸収した部分もある。つまりテクスト論的にはメルロ・ポンティーが「言語の現象学」中<間接的言語>で述べたように、体系的な自らの歴史的位置づけを全ての著者がテクスト創造しながら既に内在させるという主張に見られるように、私たちは否定するものに肯定され、批判するものによって救われる。そしてそのこと自体私たちが羞恥的存在者であることを証明している。
 と言うのも存在と意味を考える時、私たちは自然科学があらゆる物理的存在、例えば分子、原子、原子核、クオーク等を有として捉え、例えば脳科学においても、準備電位とか、神経作用としてグルタミン酸とGABAといった+-の働きなども全て有の範疇の認識体系だ。しかし本来私たちの身体一個をとっても、実は空無というものを常に内包する。と言うより空無は掴みどころがないのに有の中にある。全ての存在物=有は、実は空無と、こう言ってよければ、接触している。だから空自体、無自体の性質、あるいは有にはどれだけ空無が紛れ込んでいるか(語義矛盾的だが)が、例えば我々の意識自体の性質や在り方を決定していると捉えられないだろうか?
 つまり自然科学自体が、これからは有全体の閉じた体系だけではなく、空無へと開放された体系として組み直す必要がありはしまいか?それは意味を意味の範疇からだけ捉えるのでなく、私が何度か言った哲学を哲学外的に捉え、科学を科学外的に捉えるように有を有外的に捉え、空無との有の接触(?)、あるいは有の中に内在する空無自体の作用ならぬ作用に眼を向ける必要があるまいか?
 つまり時間が、そもそも空間自体の空無に立脚すること、全ての変化と、全ての生(あるいは生の変化)という有を最終的には吸収してしまう空無自体の場としてのエネルギーに根本的に依存している以上、時間と空間を二分割すること自体に矛盾がある。つまり時間とは空間自体の空無的有を可能あらしめる場=全生の吸収可能力という死から見た生の存在理由(死を背景として生を特別なものとする)作成者なのだ。そして空間の生と変化を見守る能力を時間が与えているという意味では時間は空間の目撃者だ。空間はその目撃者の目撃者である。(空間の時間に対する凝視=場的性格+時間の空間に対する凝視=保証)
 ここに

 時間=生死全ての目撃者=生全ての変化を体験する者=生に対する死の宣言者=空間に意味を付与する者
 
 という図式が成立する。つまりこういうことだ。
 私たちは生きているから意識があると感じる。しかし意識がないとは無意識と同じではない。つまり「無=生の背景=全ての死を受けとめる者」だ。無自体は生きているものがないことであり、空間自体の存在の空無性は無時間だということだ。つまり空間の無時間的な無生、存在の皆無つまり死としての背景に、時間という変化を必要とする有的事象が発進されている。その中の一つの要素として我々の生がある。そして一個一個の生命は時間的に限界があり、種自体もそうだ。しかしその存続には変化がつき纏い、変化を体験するものこそ空間内の目撃者たる時間であり、時間が全ての生を見守るから自ら時間が死を迎えさせそれ(生)に宣言する。しかし空間内で全ての生命体の亡骸を吸収するのは、空間ではなく、空間内の物質だ。そして空間そのものの空無は依然として不変だし、無であり生きていない。しかしその生きていないという性質自体がそれを背景としつつ変化を続ける物質には必要だし、その無的性質に我々をも含む全存在の有が立脚している。
 そして我々には性別その他の様々な次元がある。変化は時間的な推移だけでなく、空間にも負っていて空間は性質差異的次元にもかかわっている。故に時間は悠然と全ての変化を見守ることが可能となる。それは空間に委ねている部分があるからだ。変化は時間に纏わる推移だけでなく反復する誕生と死滅の目撃者である時間に要請されている。生という有、存在=有における性質の差異を空間に委託している。だから時間は空間という場に対しその懐の広さを利用し変化を通し時間的推移を作れることに空間に対し感謝の念を捧げているだろう。そう考えると、あらゆる化学的変化や物理的変化自体(生命、非生命とも)が、実は対他的には他性認識を物質が有し、存在自体が原羞恥を有的事象性質論的に持つということから説明がつく。異・性に対する(あるいは作用に対する反作用といった)覚知が、実は私が言いたい羞恥なのである。
 時間は、空間内の空無が背景であることの証明として各性質や次元の変化を時間的推移だけはなく空間が負担していることから、自らは全ての生と死滅と、生ある物質の死への移行とそれに伴う変化を場的な意味で顕現されていることを無記録的に自ら覚知する。時間には無記憶的記憶があるのかも知れない。
 時間は全ての推移と、空間的変化の目撃者であり、認識自体となる。(意志のない認識とでも言おうか)時間とは存在=羞恥に対する空間内での目撃者として常に起きていることを事象として認識させ、起きていることを起きたこととして無記録的に記録する、少なくともその可能性を覚知する作用である。しかし人類が死滅すれば時間も滅ぶ。
 つまり時間とは我々、羞恥的存在者自体による歴史認識や物語的思考全てを含む推移的変化を現前的に我々が認識することが可能とするもので、それは空間を背景に性質状態の変化を見守ることが可能なことの感謝の念を空間に捧げるように存在者たちが意味づけしている空間とは違う性質のもう一つの場だ。だからカントは時間を感性の形式と言ったのだ。あらゆる歴史、物語という認識は時間という場を借りて顕現される。だから言葉を変えれば時間とは、我々が空間の空無を背景として行為すること、そしてその行為が全存在的変化の中に位置づけられることと存在自体に意味を付与する場であり、我々は不可避的にその場を選択している。

Friday, October 23, 2009

第十四章 羞恥と根拠

 羞恥心があるとは、羞恥心そのものを隠蔽する気持ちにさせることだ。でもそれが存在者の存在理由でもある。前章でくどいくらい述べたが、存在者が他者をもう一つの私であるとして意識することから羞恥が発生するとしたら、羞恥心も隠蔽したいし、克服もしたい。羞恥する内容は自慢出来ないものだけだからだ。我々は私を他者一般の中の一人であるとした時責任において他者‐自己を見る。その時責任遂行のために羞恥を克服したい。だからこそ羞恥は存在者にとって存在根拠になるだろうか?真理・本質・実存が冷淡で冷酷で残酷なのは全存在者がいつか死ぬという生命原則からだが、そのほろ苦さは存在を規定し得るか?存在根拠として認識可能か? そんな問いはセンチメンタリズムだと言う向きもあるかも知れないが、ではセンチメンタリズムはいけないことか?あるいはそれはヒューマニズムとどう違うのか、あるいは違うべきなのだろうか?
 個体は死滅しただ遺伝子のヴィークルとして私たちは遺伝子の生き延びる意志を維持するために奉仕される単なる道具だというドーキンス的認識を一方で持つが、逆に個々の存在理由をほんのちっぽけな存在だからこそ、例えば「生まれ変わったならまた男性に生まれたいですか?」と質問された時「いや私は何にも生まれ変わりたくありません。生まれ変われないからこそ、この人生を大切に思えるのではないですか?」と答えたくなるように生きていくとしたら、存在とはそのちっぽけさに対し慈しむことの羞恥を大事に生きることでしか規定し得ないとも言えまいか?何故ならそういう配慮を欠いてただ物質的に存在すると言うのが哲学的思惟だろうか?
 アダムとエヴァが林檎の実を齧った瞬間に全ては言葉の知の下に公的顔(大義名分)と私的顔を峻別することを人間は身につけた。公的利益のため農耕生活が始まり、私的利益はその公的業務遂行による権利上分配される体制へと人類が移行したとしたら、公とは理性が知性の化けの皮を剥ぐために用意した大義名分だったかも知れない。知性の化けの皮を剥ぐ理性を勇気と賞賛するのは、あくまで大義名分が存在するからで、見せかけの知性を虚飾と判断する可能性はその大義名分が存在するからである。
 私は第ニ章において「哲学的に生きる、哲学者として生きることは、科学的に生きる、科学者として生きるという決意が科学外的に決意することであると同様、哲学外的に決意することである。要するにそのように決意することは、一旦そのように生きだしたら再び何故そのような決意を抱くに至ったかを忘れる必要があるということである」と言った。このことは第十六章で詳述するが、本質的には敢えて哲学外的に考えることは哲学内的に考え過ぎることが定着した状態をまず必要とするし、そこからしか決意し得ない。「アーティストとしてではなく人間として考えたい」とあるアーティストが言ったとしたら、それは彼がそれ以外の生き方が出来ないできたことを知っているからだ。それは今言った「知性の化けの皮を剥ぐ理性を勇気と賞賛するのは、あくまで大義名分が存在するからで、見せかけの知性を虚飾と判断する可能性は大義名分が存在するからである」ことの理由である。
 つまり存在は存在するものからしか認識し得ない。存在していないことは恐らく今現前するものを通してその時存在していないこと一般の記憶を蘇らせている。今目の前にあるのは林檎であり蜜柑でもなければ梨でもない。だから何かの存在を論じることは存在していないことを論じることであるが、同時に存在自体を語るには存在者を前提することは「存在と時間」でハイデッガーが主張するとおりだ。また根拠と言う時我々は存在を主軸に考えるし、根拠は一度も存在しなかったものから生じない。だから存在し得ないものについて述べることも、問う無意味を考えるために存在理由を与えられる。それは思惟上存在するからだ。では私が言った「存在とはそのちっぽけさに対し慈しむことの羞恥を大事に生きることでしか規定し得ないとも言えまいか?何故ならそういう配慮を欠いてただ物質的に存在すると言うのが哲学的思惟だろうか?」ということの返答はどうしたら得られるのだろうか?
 それは考えることもまた羞恥の対象だという見解からかも知れない。つまり私たちは根拠について問うことを平素はしない。と言うよりそういうことに感けていたら全ての任務は疎かになること必定だ。社会的役割として考えることが得意なタイプの成員は一定数需要があり重宝され得てそれだけで生計を立てていけるが、ほんの一握りの天才に限られる。故に考えることだけしていたらまかり間違えば精神疾患と思われる。考えるだけの人間は敗者とされる。
 パスカルは「一個の人間の命は地球より重たい」と言ったそうだ。私はこの考えが嫌いだった。今でもそれを前提にして考えたくはない。しかしもしこの考えを否定すれば、私は自分の生命などちっぽけなものだからどうでもいいと割り切れるかと問われれば、私もまた「ちっぽけさに対して慈しむことの羞恥を大事にして生きる存在の存在理由」を楯にして「そんなことはない」と抵抗する。
 つまり現実問題として一人の生命を救援するために地球上の全エネルギーを消費することが決して出来ないことを了解していても尚、救われたい者の立場に立てばそう願っていけないと言える者はいない。その観点に立った時にのみパスカルの謂いには極めて説得力がある。だから私がこのちっぽけな頭で必死に考えていることを当然に思う現実も確実に数十年後には泡沫の夢となって費え去る。そう考えると考えること自体が社会全体にとって何の利益にもならないということで、天才以外の全ての成員に考えることを封印することこそ、悪辣な権力者なら考えそうなことだし、彼の意図を汲んで協力する中位権力者たちの真意であるなら、しかし同時に権利上では考え続けることの許された私秘的な脳のこの在り方は、それ自体羞恥の対象だが、同時に存在の根拠でもある。つまりこの私にとっては少なくともそうだ。考えることを失わないこと、それが私にとっては重要である。それが生きる根拠だと叫んで悪い筈がない。(ここで私が言う「考える」とは成果達成目的的思考外のことだ。)
 社会は考えないでただ行動し、成果を上げることによって賞与を配給するシステム以外の物でない。クオリアの重要性に対して全ての成員が目覚めたら、社会からは一切の従順や忠誠が消えてなくなるだろう。つまり滅私はクオリアに対する存在理由の忘却が出発点なのだ。しかし哲学者や脳科学者はクオリアに目覚めよと提言し続けるだろう。それを世人は教養の一部として組み込む。しかしそれを教養の一部に組み込めばそれは管理社会の一翼を担うためにのみ利用され、教養の一部に組み込まれる。教養は必要だが教養主義は権威主義に繋がる。そしてクオリアは概念としてその生きられた価値を剥奪される。それは哲学者や脳科学者の本意ではない。
 死は全てを解決する。それは外的に見ればまるで人生は最後に閉じるためにあるとさえ言える。しかし内的に見れば死は世界の消滅である。私の世界もやがて消滅する。しかし私が生きている間これらの文章が全て無視され続けても、恐らくこの文章に書かれた真実は私とは別個に存在する理由が与えられるかも知れないし、それでいいと言っても、私はそのことに与かれないだろう。日々毎刻世界は消滅している。無数の消滅だけが世界を日々活気づけるとさえ言える。それを皆知っていてそのことに口を噤んでいるだけだ。
 無数の世界の消滅によって支えられた世界の内実は、無数のクオリアの消滅によって世界は成立しているということだ。クオリアは数値化し得ないもの、概念規定し得ないものを指す。しかしクオリアを感得すること自体が成果達成的題目の下に供せられない形で「それ自体が価値だ」と規定されれば、それはそれで「考える」ことが何かの目的にされる。しかも世界は概念規定され得ないクオリアが日々毎刻消滅してくれてこそ残された生命が生存し得るのだとしたなら、クオリアをクオリアとして規定する言語的真理だけが無数の毎刻消滅してゆくクオリアを鎮魂することが可能になり、「ちっぽけさに対して慈しむことの羞恥を大事にして生きる存在の存在理由」を羞恥の正体であると私が主張すること自体が私のクオリアとは別個に意味化され、その事実が可能であること、それを可能化する言語だけが真理であることへ再び舞い戻る。そして言語は他者に伝えるべき情報的価値という側面から再び意味的差異という位相で語られる。するとクオリアは管理されるべき「価値ある意味」として概念規定され教養の一部に組み込まれ管理目的化された形骸化の道を選択せざるを得ない。それは日々毎刻消滅し続けているクオリアのちっぽけではあるが、だからこそ価値があるという本来の意味を剥奪される。それは結局語ることが語られることによって語ったことのクオリアを消滅させてしまうことと等価の事実だ。どんなに素晴らしい一句でも私たちはそれを延々一日中聞かされたら辟易する。この辟易との闘争こそが目的(目的とは社会が個人に価値ありとして提示するものだ)を産出し、その目的に沿って管理目的化された教養が日々権力者によって語られ、目的に供せられるものだけが社会管理上価値とされ、成果達成のためではない「考えること」、「クオリア」という二つの存在根拠は結局その主体である世界が消滅するという一事以外にその存在理由を語る術を無くしてしまう。
 描いた絵を発表することは画家にとって勇気が要る。そしてその羞恥の克服が画家のキャリアを作る。画家は自らのクオリアを信じている。しかしそのクオリアをどう定着させるか必死に考える。考えることも羞恥の対象だし、考えた末に画布に定着されたクオリア像もまた羞恥の対象だ。クオリア像を提示することも、考えることを提示することもほんの一部の特権者だけが実現出来、殆ど全ての存在者は提示された概念規定に対してそれをただ飲む込み、吐き出してもそれは誰からも眼に止められない。それが生きるということなのだ。つまりそうしていつか死ぬということ、それだけがクオリアと考えることの羞恥の辿る運命である。羞恥と根拠の関係は諦念に行き着くしか道がない。するとここで諦念に纏わる時間というものにぶち当たらざるを得ない。
 そうだ、羞恥と根拠の問いは時間と羞恥の関係へ戻ることになる。

Wednesday, October 21, 2009

第十三章 責任と羞恥

 あの人は存在感があると言う時、私たちはその人に対してある潔さを感じる。潔さとは端的に私的なことを棚に置き内的な羞恥を払拭し、自信を持って臨む行動全般に責任感があることである。
 このことは公衆の面前で何かを述べたり責任ある立場に立ち自分につき従う者に対して責務的に何かを命じたり、委託したりすることにおいて政治家、企業の経営者、テレビやメディアに頻繁に登場する機会の多いアナウンサー、スポーツ選手一般に通用する。
 ある職業や立場に準じた能力とはその仕事に脇目も振らず邁進する姿を示すことだから、必然的に私的なことを処理する巧みさ、羞恥を払拭することが求められる。克服する対象として人間は各自固有の羞恥を持ち、克服すべきだからこそ大切だと既に述べた。
 権力はその種の私的な羞恥を払拭することの意志と勇気、潔さにより強力になる。だから逆に羞恥の本質を見抜くためには、権力と責任の関係を十分見極めなくてはならない。
 私は存在者の存在理由は、内的関係における羞恥の保持にあると考える。あらゆるピアプレッシャーや責務の裏には、私的事情とそれを大切にしつつも公的にはそれを第一の要求から外し他人に求めないことが公的・私的の区別となり、権利と義務の関係を作る。
 私たちは一方で他者に対する理想を職務上では私的欲求を抑制しつつ周囲の他者には私的要求を考慮する余裕を持ち、他方自分の権利として当然幸福追求する姿を垣間見せるという姿に見る。公私どちらか一方しか満たさない場合私的欲求だけに感けている人を私たちは責任能力のない者、あるいは法的に逸脱していれば犯罪者と呼び、公的義務だけをこなしている人に対し私たちは堅物とか、偏った変人とか、酷い場合には狂人だと捉える。しかし公私のバランスは実際周囲に巧く示すことは困難だし、要するに私たちは他者に対する印象をそれが外面に表された態度や所作によって判断するものの、その示し方から私的なこと、内的なことを想像するだけで、内的なことは当人だけが知り、当人さえ当人の全体を知ることは出来ない。当人はその者が外面的にどう見られているかには疎いことも多いからだ。存在者の全ては<明示される人格+内的な気持ち>だ。 
 だから当然羞恥は生理学的に判断がつく統計的な態度や外的に示される発話等でかなり理解出来ても、実際ある態度が示される時当人はどういう気持ちでいるかとは、他人には理解出来ないブラックボックスの部分もある。しかし責任はその者が努力しているかどうかや、あまり真剣に取り組んでいない風だとかの表面的態度からの判断とは別個に何らかの形で業務や成果によって示され観察され得る以上、非ブラックボックスだ。だからこそ責任と羞恥の関係は重要だ。私たちは尊敬する他者が責任を果たしていると内的にも充実しているだろうと、勝手に自分の経験から判断する。しかし本人が好んでその責任を果たしているか否かは全く別だ。
 宮本武蔵は剣客として生涯を費やしたが、本人の剣一筋の技能と精神の追求という意味(剣豪の責任)は、示される態度や決闘の際の勝敗、つまり生死を分けた結果によって示されている。しかしそれが真に本人の望んだ結果だったか否かは、武蔵が生涯幸福だったか当人に問うしかないが、彼はそう問われても返答しなかったろう。  
 そういう意味ではアーティスト、哲学者、文学者等にも共通して問われることとして家庭的幸福や出会う他者たちとの交流等があるが、仮にそれが充実していたとしても、いい仕事をしたという気持ちでいられたか(達成感)は全く別だし(外面的成功と裏腹に)、逆に仕事に充実感を得ていても家庭が不幸で辛いという場合もあるだろう。つまり幸福や人生の充実ということの意味を問う時、私たちはどういう人生が果たして幸福や充実の名に値するのかという判断自体が一律でないし、各自の主観に委ねられているとしか言いようがない。だから脱獄することだけを目的として所内で過ごす囚人たちの生活を不幸だと決めつけも出来ない。脱獄した後で仮に掴んだ幸福よりも脱獄までの緊張の方が幸福だったということさえあり得る。(「アルカトラズからの脱出」を見よ)
 だから羞恥は、その在り方や内容を刻々変化させていくものだとは、前章での欲望の独立性や年齢に応じた身体的精神的条件の変化を考慮に入れると一律に真理化し得ないし、責任となったら尚更である。と言うのも私たちはある成員個人の責任遂行能力を判定する場合、その者の年齢や経験もだが最も能力で判断するからだ。しかも能力を周囲に認可されていても図太い物もあれば小心者もいる。また良心を天秤にかけると同じ責任遂行においても、羞恥を払拭してなすべき責任の方が勿論職務上では大半ではあるものの、時と場合によっては羞恥を表明した方が有効な責任もある。最も顕著な例は陳謝、謝罪する時の態度だ。我々は何かを断る時、それが自らの羞恥にかかわることなら、決然としている(恥ずかしがらない)必要があるし、権利上正当だからそうあるべきだが、本当は断りたくはないのだが、止むに止まれず断る時には羞恥を表明する方が効果的だ。あるいは些細な苦情を言う時などもその典型だ。その苦情も迷惑をかけた者に対して言う場合でも、相手が明らかに悪意である場合は決然としていなければならないが、こちらも多少その者の世話になっている立場の場合、その者への苦情は羞恥を示しながらする方が効果的である。また何か否定する時でも自信過剰に言い張る相手に対しては決然とした言い方よりも躊躇する言い方の方が相手の良心を擽り精神的な威嚇効果がある(逆効果もある)。
 そこら辺の駆け引き自体が既に内的には羞恥領域に組み込まれているし、外的関係でも客観的立場の他者からの裁定を要する場合考慮される。刑法上の判断で情状酌量の余地ありとされるには改悛の情が必要であり、将来の更生可能性を考慮する基準になる。
 責任の重大性に応じて羞恥の払拭が重要になってくるし、内的には決断するために躊躇を吹っ切る勇気が必要なものも多くなる。つまり躊躇し、苦慮し、ある決断に踏み切るのに懊悩が伴うこと自体我々が羞恥的存在者であることの証だ。ハイデッガーはそれを存在の配慮と言ったのだ。
 ある決断が英断だったとされるのは、その決断が苦慮するに値するものだという目測からだ。だからこそ悩まずにあんな決断が出来たとしたら、それは人間的に尊敬に値しないと判断されることは、私的・公的の使い分けとどこか似た判断の構造がある。これはかつてよく言われた日本人は恥の民族だということともちょっと位相の異なる問題だ。恐らく恥と言えば欧米人には欧米人に固有の恥があるに違いないが、そういう文化規範的レヴェルの問題でなく、もっと普遍的かつ日常的なこととしての<羞恥の克服の問題>である。苦慮して決断に踏み切るからこそ、失敗して恥をかくことを怖れずに踏み切ったということで他者は潔いと判断する。そのことに恐らく洋の東西は関係ない。
 しかしそのことに関しては他者からそのように判断されるだろうと目論んで振舞う演技もあるだろうが、なかなかそう巧く人の気持ちを操縦することは出来ない。心底懊悩して出した結論と、そうではない結論とをいかに巧みに振舞っていても見抜くことの方がずっと普通だ。しかし時には稀代の天才詐欺師もいるかも知れないので、そこら辺の用心は時には必要かも知れない。つまり当然過ぎる真理の前で我々はそれが悪辣な詐欺であると知らずに騙されることもある。つまり虚栄とか虚構も手が込んでくるとそのあまりに巧みなあまり美と表裏一体な場合もある。嘘について考察などをする分析哲学がこの参考になる。思想や宗教もこれと似た真理があるだろう。
 私は「私は存在者の存在理由は、内的関係における羞恥の保持にあると考える。」と言った。そのことは他者に対して発話行為をする時のことを考えても納得がいく。他者と何か発話する内容に関しても、発話意義も、意図から鑑みても他の発話との間の意味的差異や情報的価値があるか否かにかかっている。だが問題なのは、そういう発話行為の意義や存在理由があるか否かは一度話してみないことにはわからない。伝達内容が自分から相手に期待したほどよい反応を得るか否か確認出来ない。だから勇気が要るし、相手の機嫌を損ねるかも知れない。だから何を話すにしてもその時に脳はあらゆる思考を巡らせて発話する。しかし知性を巡らした割にその語るべき意味内容が相手に聞く価値がないとされる場合もあれば、逆にそう深く考えていなかったのに思った以上に説得力を持つ場合もある。そのことを考慮するとつい何も語らずに終えたいという気持ちになることもある。それは保守的な判断だ。しかしそれではいけないと思いもする。そして再び積極的に他者に対話しようとする。その際知性ではなく理性で判断している。どんなに努力しても意思疎通が円滑にいかない、相互の利益にならない、こちらが工夫を凝らして発話しても、その意味内容に向こうは一向に溜飲を下げないケースもある。しかしそれでもそれを思い直すことが必要な時もある。それが羞恥の克服だ。羞恥を大事にして他者に何も悟られないよう配慮ばかりしていたのではやはり進歩はない。
 逆にこうも考えられる。私たちは他者に対して羞恥を感じるが、それは他人だからであり、せめて親密な関係の他者に対してはそんな配慮が億劫だという気持ちから、家庭くらいは羞恥をかなぐり捨てていられる場所にしたいと決め込む。だがこれも陥穽だ。例の綾小路きみまろの「あれから四十年」というフレーズで始まるギャグが飛び出すのもここからである。この家庭内での羞恥の欠如こそが家庭内離婚、そして遂には籍を抜くということに繋がる。家族もまた大いなる他者である。
 一般的な経験則はこのようなほろ苦い思い出に根差している。想起とは、ネガティヴなことの中にほんの少しよかったや幸福だったが普通であり、身に沁みて云々の有り難味が理解出来たということは、それまではそれが欠如した状態を知らず過ごしてきただけであり、だからこそ何か竹箆返しを食らった(大概他者からだが)ことを意味し、後悔も全くなく幸福だったというポジティヴな想起など滅多にない。
 責任は失敗体験に根差し、次は滞りなく遂行したいという気持ちが生む決意であり、羞恥と想起が織り成すほろ苦さが次は責任を全うしようと決意させるし、責任は羞恥による想起、想起の中の羞恥が促す。

Tuesday, October 20, 2009

第十二章 羞恥と想起②

 私はずっと羞恥を克服すべきこととして扱ってきた。しかしそれは羞恥を本質的になくすことを旨としていたわけではない。それどころかどんなにそれは捨て去ろうとしても捨て去ることの出来ない代物であり、寧ろもし容易に捨て去れるものなら困るのであり、積極的にその都度克服するために温存しておく必要がある。何故そうかと言えば、それこそが我々の判断、決意を確固たるものにするからだ。これは「論語」にも書かれている。決心がその都度いい加減ならそれは決心と言えない。羞恥がなければ決心する気持ちにもなれないから、決心するためにも羞恥が必要なのだ。
 決心へと至るまでに多くの躊躇や逡巡があれば尚更その結果下した決断は確固なものであるような意味で羞恥を介在させることは、そういうプロセスの一切ない行動よりも熟慮がある。本章では羞恥が判断や決断へ踏み込むプロセスでなされる作用について考えよう。
 心理学・脳科学でプライミング効果とかプライミング記憶と呼ぶものがある。primeは英語で「入れ知恵をする」という意味もあるし、これは、一般に「手続き」という意味で使われている。私たちは予め何らかの概念を提示されておくと、その概念に関係ある別の概念を容易に連想しやすいし容易に思い出せる。それは記憶において私たちがある関連した事柄を一まとめにして学習したり、記憶したりしておくと便利であるということも意味する。
 そのような心理学・脳科学的な見解を詳細に論じたのはスピノザだった。スピノザはその主著「エチカ」において次のように述べている。
 
 定理一八 もし人間がかつて二つあるいは多数の物体から同時に刺激されたとしたら、精神はあとでその中の一つを表象する場合ただちに他のものを想起するであろう。
 証明 精神がある物体を表象するのは(前の系より)人間身体のいくつかの部分がかつて外部の物体自身から刺激されたのと同様の刺激・同様の影響を人間身体が外部の残した痕跡から受けることに基づくのである。ところが(仮定によれば)身体はかつて、精神が同時に二つの物体を表象するようなそうした状態に置かれていた。ゆえに精神は、今もまた、同時に二つのものを表象するであろう。そしてその一つを表象する場合、ただちに他のものを想起するであろう。Q・E・D・
 
 備考 このことから我々は、記憶の何たるかを明瞭に理解する。すなわちそれは、人間身体の外部に在る物の本性を含む観念のある連結にほかならない。そしてこの連結は精神の中に、人間身体の変状〔刺激状態〕の秩序および連結に相応して生ずる。
 私は第一に、それは単に人間身体の外部に在る物の本性を含む観念の連結であって、それらの物の本性を説明する観念の連結ではないと言う。なぜなら、それは実は人間身体の変状〔刺激状態〕の観念にほかならぬのであり、そしてこの観念は人間身体の本性と外部の物体の本性とを含んでいるからである(この部の定理一六により)。私は第二に、この連結は人間身体の変状〔刺激状態〕の秩序および連結に相応して生ずると言う。そのわけはこれを知性の観念の連結においては精神はその第一原因によって知覚する、そしてこの知性の観念の連結はすべて人間にあって同一なのである。
 さらにこれから我々は、なにゆえ精神が一つの物の思いからただちにそれとは少しも類似性のない他の物の思いへ移るかを明瞭に理解する。例えばローマ人はポームム(くだもの)という言葉の思いからただちにある果実の思いへと移るであろう。この果実はあの発音された音声とは何の類似性もなくまた何の共通点もない。ただ同じ人間の身体がこの両者からしばしば刺激されただけにすぎない。言いかえれば、人間がその果実自体を目にしながら同時に幾度もポームムという言葉を聞いたというにすぎない。このようにして各人は、自分の習慣が事物の表象像を身体の中で秩序づけているのに応じて一つの思いから他の思いへと移るであろう。例えば軍人は、砂の中に残された馬の足跡を見て、ただちに馬の思いから騎士の思いへ、また騎士の思いから戦争その他の思いへと移るであろう。ところが農夫は、馬の思いから鋤や畑その他の思いへと移るであろう。このようにして各人は、自分が事物の表象像をこのあるいはかの仕方で結合し、連結するように習慣づけられているのに応じて一つの思いからこのあるいはかの思いへと移るであろう。((上)畠中尚志訳、122~124ページより 岩波文庫)
 
 私が妻に対して不貞を働いているという嫌疑をかけられている次のようなストーリーを考えてみよう。
 ある日妻は私が同僚の女性と親しげに話しながら歩いているのをみかける。たまたま私と彼女の帰路が途中まで同じだったので談笑しながらの徒歩を妻が買い物に出かけていて私たち二人と遭遇し目撃したのだ。そして別のある日私が社用でたまたま予約し忘れたがためにホテルに泊まれず、ビジネスホテルも満杯で急遽ラブホテルに一人で宿泊して、その時のレシートを捨てずに胸のポケットに入れたままにしておいて、妻はそれを出張後帰宅して脱いだ私の背広のポケットを探りそれを見つけてっきり私が彼女と不貞をしたと信じ込み、私の足の甲に台所にあった包丁で刺したとしよう。
 その時私は咄嗟に血が噴出すその足をタオルで覆って失血させまいとした。そして我に返りひどいことをしたと思った妻も百十九番に電話する。救急車がやってきて私は運ばれ、私は医師に対して、「実は私がいつもは妻がする調理を慣れない手つきでしたばっかりについうっかり包丁を自分の足元に落としてそれが刺さりました。」と言い訳するだろう。しかしその時の刺さり具合がたまたまあまり深くなかったので医師は納得していたが、あるいはもっと深く憎しみを込めて刺されていたなら、医師はきっと私と妻との間に何らかの諍いを連想して、警察に通報していたに違いない。妻を犯罪者にしたくない一念で私は嘘をついた。しかしその嘘は医師の持つ眼の確かさに応じて、つまり彼の連想力と、その連想力を働かせる部分が経験に裏打ちされた法医学的な知識によっても起動するか否かの差が生じてくる。私は妻がその後私にしたことを後悔したので、彼女を取り敢えず許しはしたものの今度は私が妻に対して見る眼を変えて、彼女は案外精神的に脆い部分がある、という風に今まで知っていた妻の性格から判断する人格像を修正する可能性がある。今回は些細なことだったもののそれはあるいは何かの兆候だったかも知れない、本当にひどい状態になった時に備え彼女のためにいい精神科医を紹介する必要性すら感じるようになるかも知れない。
 フッサールが「イデーン」などで言っている本質直観ということは、恐らくこの連想されるイメージとも協同していると私は考える。本質を見抜く力とは、端的に過去における類似した対象や状況からの想起に頼るところが大きい(スピノザの考えるように)からだ。
 また人間は同一性というものを懐疑的に捉えると、第五章で述べた個々の欲望の独立性ということに絡め取られるし、事実そういう見方も正しい。そしてこの個々のその時々の欲望が内的関係で捉えられる時、あの時感じたあの固有の気持ちは今の気持ちに似ていると気づく。内的関係が現在知覚にまで影響を与える。そして内的な想起事実やエピソード記憶内容と現在知覚が連動されると、今度は知覚判断や現在の感情的な受け取り方自体が、人生に対する思想を形成するのに貢献する。つまり私が前のページで引用したスピノザの定理18の主張が正しいと証明される。スピノザはこうも言う。

(前略)知る必要のあることは決して洩らさないために、私は「有」、「物」、「ある物」のようないわゆる超絶的名辞が起こった原因をついでに示すであろう。これらの名辞は、人間身体は限定されたものであるから自らのうちに一定数の表象像(中略)しか同時に判然と形成することができないということからも生ずる。もしこの数が超過されれば表象像は混乱し始めるであろう。そしてもし身体が自らのうちに同時に明瞭に形成しうる表象像のこの数が非常に超過されればすべての表象像は相互にまったく混乱するであろう。こんな次第であるから、この部の定理一七の条ならびに一八からして、人間精神は、その身体の中で同時に形成されうる表象の数だけの物体しか同時に判然と表象しえないということが明らかである。これに反して表象像が身体の中でまったく混乱するような場合には、精神もまたすべての物体を混乱してまったく差別なしに表象するであろう。なおこのことは表象像が常に等しく活撥でないということからも導き出される。しかしそれをここに説明することは必要でない。我々の目指す目的のためにはただ一つの原因を考察するだけで十分である。なぜなら、どの原因を持ってきてみても、それは結局、超絶的名辞はきわめて混乱した観念を表示することに落ち着くからである。
 次に「人間」「馬」「犬」などのような一般的概念と呼ばれる概念が生じたのも同様の原因からである。すなわちそれは人間身体の中で同時に形成される表象像、例えば「人間」の表象像の数が表象力を徹底的に超過しないがある程度には超過する場合、つまり精神がその個々の人間の些細な相違(例えばおのおのの人間の色、大いさなど)ならびにそれらの人間の定数をもはや表象することができずにただそれらの人間全体の一致点_のみを判然と表象しうる(なぜならその点において身体は最も多くそれら個々の人間から刺激されたのだから)ような場合である。そしてこの場合、精神はこの一致点を人間なる名前で表現し、これを無数に多くの個人に賦与するのである。今も言ったように精神はそれらの個々の人間の定数を表象しえないのであるから。しかし注意しなければならならぬのは、これら概念はすべての人から同じ仕方で形成されはしないこと、身体がよりしばしば刺激されたもの、したがってまた精神がよりしばしば表象しまたは想起するものに応じてそれは各人において異なっていることである。例えばよりしばしば人間の姿を驚歎して観想した者は人間という名前を直立した姿の動物と解するであろう。これに反して人間を別なふうに観想するのに慣れた者は人間に関して他の共通の表象像を形成するであろう。だから自然の事物を事物の単なる表象像によって説明しようとした哲学者たちの間にあれほど多くの論争が起こったのも不思議はないのである。(「エチカ」上、畠中尚志訳、岩波文庫、140~142ページより)

 すると職業的風体に繋がるタイプの認識が想起される。
 人間にはある社会的経験や人生体験によって形成される人生に対する思想の違いから、平素の「世界」への見方、ものの見方自体に異なった判断をする部分があると思うが、それは外にも現われる。
 私は先日東京から帰宅する時電車に乗っていた。私は郊外に住むが自宅の最寄り駅近くに差し掛かった電車内は比較的空いていたので傍の空席に腰掛ていると、隣に座る中年男性二人の会話内容が容易に聞き取れ彼らが会社員であるらしいと了解出来た。つまり日本ではビジネス外的な公的な状況(例えば電車に乗り合わせるとか)で、乗客の身なりとか、二人以上で会話している場合その会話内容から概ね働いている者とそうではない者、その二つから大きな分類に漏れるタイプの成員は極めて珍しいと思う。つまりそれだけ何らかのタイプに分類されてしまうくらい無個性である。タイプ分類を試みると、小中高生等の生徒や学生、大学生、会社員、地方公務員、国家公務員、その中でも官僚という風に分類出来る。それ以外は国公立の教育機関及び私立の小中高校・大学の教育者を合わせると、殆ど八十パーセント以上を占め、それ以外の小売店主、中小零細企業経営者、自由業者等は恐らく十パーセントにも満たないだろう。そして彼らそれぞれが個以上に集団帰属性に準じた行動パターンと、人生観を対外的に示し、日常的所作と会話内容をする。派遣社員さえ正社員に同化しようとして正社員的な会話をすると思う。
 しかしこの見方はある意味で極めてステレオタイプ化された見解とも言える。つまりそれは外面では自己欺瞞的にそのように振舞っている日本人の公衆道徳を物語っているに過ぎない。真に重要なのは、そう振舞う内的関係を形成する対自レヴェルでの真意である。
 内的関係とは文化論的な社会学的様相や行動パターンとは本質的に異なる。内的欲望自体はヘーゲルが法を考える時に礎としたものだ。(次章で詳しく論じる。)そしてこれが知覚と連動してある固有の想起内容を決定する。例えばスピノザ的な意味で連想を働かせると、特定の他者への警戒心とは過去における特定の自分にネガティヴな印象を刻印させた他者のエピソードに起因する。それはその他者に纏わる体験があまり芳しいものではないためにその者が眼前にいる場合必ず固有の「構え」を作ることへ直結する。それが最も通常に見られる拒否反応とすると、それは明らかに原羞恥に触れる。つまり自己の内的な「構え」の全てを形成するものとして私が考える原音楽を根底から支える内的な感情的記憶や、それによって形成されるある対象に出会った時に示す我々の個に固有の反応類型だ。赤い色への好き嫌いは、その赤い色をしたものを巡る経験事実の集積から形成された人生に対する思想にも繋がる固有の連想作用だ。
 それは当然ネガティヴな他者像に対してだけでなく、好きなタイプの他者像にも直結する。つまり好きなタイプの成員に対して我々は協調しようと自然と脳が働く。逆に拒否反応を起こす場合にはその心理は後退する。好感が持てれば率先し協調しようと思い、自然と行動は他者に「合わせる」原音楽へ発展するが、そうでないとそんな気持ちは萎える。「合わせる」行動はぎこちなくなる。
 つまり拒否反応、拒絶反応の場合の方がより、私たちは自己内の羞恥の本質、つまり原羞恥に接近している。だから嫌いな人に対してその態度を見せまいとする場合、防衛本能的原音楽で繕う。勿論好きなタイプの考え方、行動、所作、物腰の他者に対して共感する場合でも原羞恥が判断しているから防衛本能を解除するので、我々は絵を描く時の武蔵の心境のように好きな他者に対して接する。
 今述べたことは、人生に対する思想を形成する個々に異なった体験に根差した判断の問題である。しかし第五章で考えた個々の欲望の独立性という時間論的な意味での判断は、好き嫌いの問題とか、心に防衛本能を構えたり解除したりすることとも少し違う。そのことについてはフッサールの「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」の次の記述から考えることが役に立つ。この記述は第五章の欲望の独立性と同一性の問いを蘇らす。

(前略)客観性のあらゆる範疇、すなわち、科学的生活において心の客観的な世界を考えるさいの科学的範疇や、日常生活において同じことを考えるさいの前学問的範疇は、すべて虚構である。まず、数、量、連続性、幾何学的形象などの数学的観念がそうである。われわれの立場からすれば、これらは直観的な所与の方法的に必然的な理念化というべきものなのであるが、ヒュームの考えでは、それらの概念は虚構であり、さらに進んで、必当然的と考えられている数学全体が虚構だというのである。これらの虚構の根源は、心理学的に(すなわち、内在感覚論の地盤の上で)きわめてうまく説明できる。すなわち観念相互間の連合と関係に内在する法則性からうまく説明できるのである。さらにまた前学問的な、端的に直観的な世界の範疇、たとえば物体間の範疇(直接に経験する直観のうちに存在すると思われている、永続的な物体の同一性)、さらに進んで直接に経験されると思われている人格の同一性も、同様に虚構以外のものではない。たとえばわれわれは、あそこにある「あの」樹木というようなことをいい、そのいろいろに変わる現われ方をそれから区別している。しかし内在的、心的なものとしては、この「現われ方」以外には何ものも存在しない。あるのは感覚所与の複合であり、そのつどちがった所与の複合なのである。もちろんそれらは相互に、連合によって規則的に「結びつけ」られているのであり、同一のものが経験されているかのような錯覚も、これによって説明される、というのである。同じことは人格についてもいえる。同一の「私」は決して所与ではなく、たえず変移する所与の束である。同一性とは、心理学的虚構にすぎない。必然的な継起である因果性も、またこの種の虚構に属する。内在的経験の示すのは、ただ(中略、原語)〔それのあとに〕ということだけなのであって、それを(中略、原語)〔それによって〕、すなわち継起の必然性とするのは、虚構的なすりかえである。こうしてヒュームの著作『人生論』においては、世界一般、すなわち自己同一的物体の総体である自然も、自己同一的人格の世界も、さらにはそれらをその客観的真理として認識する客観的科学も、虚構に変じてしまう。その当然の結果として、われわれは、理性も認識も、真の価値の認識や、倫理的なものをも含めたすべての純粋理想の認識も、すべて虚構であるといわねばならなくなる。(細谷恒夫・木田元訳、中央公論社刊、122~12
3ページより)

 要するフッサールよればヒュームはその都度の異なった所与の複合として人間の像を考えていたのである。同一性とはフッサールによるこの謂いを借りれば心理的虚構なのだ。この心理的虚構が実は一番曲者だ。想起すらも実はこの心理的虚構が構築している場合もあるからだ。つまりあるエピソードを想起する場合、必ずしも我々は完全に「今の自分」とか「本来あるべき自分」から自由なわけではない。ある決断や決心は、その時々の気分や衝動に左右される場合も多いが、その気分や衝動を支えているものは、実は言語的認識自体の癖(あるいは判断の傾向)でもある。だが同時に判断の癖の方も次第に形成された人生に対する思想に左右される。つまりどんな一大決心であっても、百八十度の人生の転換であってもそこには必ず伏線がある。つまり体験的事実と、そのことに対するその都度の感情的な判断やその体験記憶の蓄積の仕方に応じて個々に固有の沈殿の仕方、判断の癖が我々に身体的にも精神的にも自然と形成されていて、直接的な言語認識的局面でも、クオリアを感受する仕方にさえ固有の傾向の癖として定着している。
 それこそが「今の自分」と「本来あるべき自分」を作る。この二つは常に連動している。つまり「今の自分」は「本来あるべき自分」に「沿っている」か「反している」という判断が成り立つ。
 しかしこの二つは他者への行動を決する時長期的展望においてザッハリッヒに物事を考え、人生に臨むか、それともそういう互恵的利他主義的正義や良識以上にその時の自分にとっての感情論的功利(気分や衝動に従う)を優先して臨むかという判断にも浮上する。それらは記憶内容の形成仕方や想起内容の傾向性とも関係がある。
 精神状態の在り方毎に全く異なった想起内容の傾向というものがあるだろうし、度忘れ、逆にある時何らかの拍子に思い出すことさえなかったことをすっかり思い出すことがある。ここら辺のことは池谷裕二氏やダニエル・シャクター氏の考えを参考にするといいかも知れないし、躁鬱(ポスト・フェストゥム)や、統合失調(アンテ・フェストゥム)、あるいは癲癇タイプ(イントラ・フェストゥム)に顕著なそれぞれ固有の時間認識の分析で知られる木村敏氏の考えを更に参考にしてもいいかも知れない。
 しかしこれは精神分析的にも脳科学的にもかなり困難な問題だが、哲学的にもそうだ。だがこの問題は次の問題へと収斂する気もする。それは想起する自分とは一体何によって構成されるのかということだ。つまりあることを想起する時、想起することで「今の自分」を何らかの形で認識している筈である。しかしこの「今の自分」と、何らかの意味で自分が考える「本来あるべき自分」は「ずれ」ている。つまりこの対自的な意味で恒常的な「ずれ」に対する無意識の判断自体がその都度の想起を促していると考えられないだろうか?
 人間はあるネガティヴなことばかり(人間は誰しも苦い体験、あるいはある状況に立たされた時に焦った経験などを持ち合わせている)想起することが多い悲観的な精神状態に固有の「今の自分」に対する認識を持っている。しかし同時にその「今の自分」とは常に「本来あるべき自分」の像を参考にして形成されてもいる。そして「本来あるべき自分」という「今の自分」にとって固有の像もまた、常に変化し続けており、その像の変化を支えているのは、その都度に固有の独立した欲望である。そしてその都度に固有の独立した欲望は、やはり「今の自分」という認識に支えられており、その「今の自分」は徐々に変化し続けてきているのに、「本来あるべき自分」という像に対して我々が持っている<同一性に対する幻想>によって辛うじて支えられ命脈を保っている。
 そしてここからが重要だが、この「本来あるべき自分」も「今の自分」も共に何らかの形で身体論的な要請から出ているということだ。つまり思考や言語的認識もまた、この身体的な同一性と不可分である(ある程度老いを経験してみないと理解出来ない心理もあるし、逆に若い世代の人間に固有の身体的な悩みもある)。このことに関しては分析哲学系の考えよりも現象学系の考えの方が参考になる。そして思考も、思考を言語化する作用と同時的な言語を思考化する作用(このことはメルロ・ポンティーが「言語の現象学」で詳述している。特に<アルゴリズムと言語の秘儀>)も身体的な条件とか、その時々の身体的同一性に支えられている。しかしこの身体的条件や身体的な同一性の方もまた、逆に言語的思考や思考的言語、あるいはそれらその都度の傾向性、考え方の癖に支えられている。その癖もまた、ある年代に固有の思考判断的な同一性(自分を規定するのに都合よい幻想である信条や人生に対する思想で作る)に支えられている。この点に関しては分析哲学系の考えが参考になる。

Sunday, October 18, 2009

第十一章 時間と羞恥①

 しかし勿論実質的には私は私に固有の過去を他者と共有することは出来ない。それは映画を観ている観客たちが、その映画を作ったスタッフやキャストたちと同様にその映画を撮った現場に居合わせられないという意味ではなく、過去のある時点で一定時間ある空間で私と同席していた親友と私の間にさえ大きな溝がある。何故なら私の親友にとっては私が私にとっては親友が他者だからだ。
 私が私に固有の過去を誰かと共有したいと望む時私は実現し得ない幻想を求めている。そうなのだ。私が誰かに私に固有の体験を話して聞かせても文字化しても、言語化すること自体既に過去の共有化という実質的には実現不可能な幻想を生きることなのだ。だから私が私に固有の過去について誰かに話す時当然私には羞恥が到来する。絶えず私が他者に私にとって固有の感じるものを告白する時に羞恥がつき纏う。逆にこの羞恥を払拭し得るのは意味と時間だけだ。
 私は私の過去を客観的に捉え得る。しかし人生に対する思想をそうする中で見出していっても、過去とは現在に近ければ近いほど切実なことも間違いない。例えばもう五十になる私だが、19歳の頃の私に固有の悩みは、今現在の悩みと性質が違うし、同じ内容でも感じ方は違う。つまり過去にあったことでそれを思い出すだけで顔から火が出るような思いさえ、時間が長く経過するとじきに客観的に捉えられるようになる。少なくとも私にとってはそうだ。それはある意味であまりにも取り返しのつかないような失態は一度もなかったと振り返ってみてそう言えるからだ。勿論過ごした時間は戻せない。そして人類の未来はある程度まだかなり長くあっても、私にとっての未来はごく限られている。あるいはもっと長いスパンで見て人類の未来さえ限りもあるし、宇宙全体の未来は未だかなり先まである。未来のいつか人類以外の知的存在者が存在して私たち人類の存在があったと彼らに知られることが可能だろうか?
 私は著名人でも芸能人でもないので、私自身が実像として写ったフィルムやヴィデオを見ることが出来ない。しかしそれが可能な人たちにとって特に動く映像の場合、二十年前の自分を確認することは、それだけで羞恥の対象となるだろう。
 私が緑のものを見た時刻(私は最初に何か緑色のものを見た筈であり、それからその色を緑と呼ぶことを知った、あるいは緑という言葉を私は聴いて知って、それからある緑色のものを見てそれを「緑」と 対応する=言う と知った)→私がそれを緑であると呼んだ時刻について定かな記憶などない。しかし恐らく私は両親が緑と発話することと、私がその当時見ていた緑の対象物とをどこかでリンクさせて緑と呼んだのだ。ある色を緑だとすることは、それを誰かが緑と呼ぶのを聴いたことがあるからだ。それを模倣することは客観的日常を私たちが制度的に受容していくことである。
 制度に対する受容の本質は模倣である。だが模倣はそれを最初に行う時にはそれなりに羞恥が伴うだろう。コロッケがテレビで物真似することを職業としていることの背後にはそれら一切の羞恥を克服する過程自体が芸人としての力量を磨くことと同じ筈だ。綾小路きみまろが老いをテーマとして話芸を披露する裏には、老い自体が羞恥の対象であることを熟知しているように思う。しかしそれを誰かの羞恥ではなく、誰しもが抱く羞恥という形で一般化し得ているから笑いを誘う。コロッケの芸は特定の著名芸能人の物真似だが、それはやはり皆が知る類型としての有名人の姿であり、その意味ではやはり一般化されている。
 時間は固有の羞恥を一般化し、たじろがざるを得ないことややりきれなさを対象化する作用がある。特定の人物の仕草を、同じような仕草をする「人たち」とすることによって、あるいはその固有の仕草自体を把握する一般の人にあれだと理解させることで、その仕草の模倣は模倣された者にとっても、芸を見るファンたちにとっても、芸人にとっても固有の羞恥から羞恥一般へ開放される。
 この羞恥の一般的開放の心的なメカニズムは明らかに私に固有の感じるものの把握、つまり私に固有の過去のエピソードを他者に対して開放し、共有化することと同じである。模倣はそれ自体に対してはにかみを持っている内は羞恥の対象となる。永井均氏は「<魂>に対する態度」の中で学会終了間際に自分の発表をし終える時に「なーんちゃって」と言うことを控えることが制度的なある種の強制力に随順し、社会に同化することだと考えている。だからお笑い芸人たちが誰か特定の芸能人の物真似をする時羞恥の表情を一点でも見せたら、笑いをとれないだろう。自分で噴き出しても駄目だ。と言うのも私たちは自分の解釈や理解を他者に示すことが私的なことではなく、公的な責任を伴う行為であると信じているからである。
 だから羞恥とは一瞬行為に踏み切る前での勇気のなさと他者に対して精神的にレスキューを求める甘えであり、依存心理であると了解出来る。責任の明示は余計な羞恥、責任遂行への信頼に水を刺す雰囲気を他者に示す羞恥を排除することで遂行し得る。羞恥が愛嬌として許される例は限られている。責任遂行を他者に示す有効な方法は他者に対し依存する態度を微塵も見せないことでそれが権威的威嚇になる。そういう態度を我々は「毅然とした」と言う。羞恥と時間の解消関係を一瞬で断ち切れるのは責任だけだと言える。
 羞恥が時間と共に解消されることは羞恥に内在する無責任の責任への移行過程である。勿論生をもって償うくらいの罪に纏わる羞恥は別だ。罪が現実に社会で自己‐他者間で生じ得る法逸脱ではない責任転嫁・回避の際に生じる羞恥は時間と共に潰え去る。
 説明責任は説明さえすれば、後は何とかなるという役割建前主義的自己欺瞞がある。それは真実を語ること以上に真実を語っているよう振舞うことが求められる。だからこそ会議が終わる直前参加者の面前で「なーんちゃって」と言うことは憚られる。つまり本当のことを言ってもそれが嘘っぽく響くなら言わない方がいい。説明責任とは、責任を果たしている風の解釈を説明されている側が安心して得られるか否かで正否が決まる。それはお笑い芸人が観客を笑わす時に、自分の所作やギャグや落ちに笑わないことと相通じる。
 宮本武蔵くらいの剣豪となったら、周囲にもその一匹狼振りに対して批判的な輩もいただろうが、賛同者とか協力者もいた。そんな協力者の良心に対して武蔵は恐らく素直に受けて、はにかむことなどなかったろう。はにかむことは、プロデビューするかどうかの瀬戸際の若い天才ゴルフプレイヤーにのみ許されるのであり、天才剣士という孤高の生き方にはそぐわない。つまり権力から手を差し伸ばされても、待ってましたとばかり羞恥を隠し切れずに喜ぶのではない堂々とした毅然とした笑顔で、レスキューを得ることが当然の権利であるように相手の良心を受け取るのがそもそも権力に阿ることなく孤高に努力してきた人間に身についた所作だった筈である。武蔵などはそのような態度にならなかった筈がないと私は思う。
 ここに羞恥と時間の解消関係と対極にある羞恥の克服に伴う自信がある。過去の何らかの失態に対して羞恥を感じ続けている内は、時間の経過が十分ではない。しかし一定の期間が過ぎれば小さな誤ちは羞恥から果たすべき責任外のものへと追い遣られる。しかし羞恥を常に克服して他者に対して過ちを示すことなく生きていることは、それだけで甘えを払拭している。羞恥を他者に示すことが愛嬌の度合いを過ぎれば、それは示される側から責任放棄と映る。つまり他者に対する羞恥の明示の態度は私たちにその者に対する私たちからの利用価値という悪意を生む。端的にその者の臆する態度が責任の不在を示してしまい、その者へ私たちが問う罪を作る。だからこそ堂々としていることは特に権力者には求められ、毅然としていることが責任遂行の明示となり、端的にそれが自信を作る。
 それは時間がたつにつれ忘れる羞恥を問題にすることなく他者と接する時、その者との間で一期一会的に人生を作品化することからのみ得られる自信だ。それは人生全体に対する思想における大きな羞恥(自信が持てないということに対する)を克服した時得られる自信だ。忘れた方がいい小さな羞恥に拘るのは時間の無駄だが、人間は案外これに拘る。しかし自信があり過ぎると些細な良心の発動に逆に羞恥を伴うが、その根幹にある傲慢もまた克服すべき対象だ。それは良心の発動が意外と格好悪いことに起因する。だからその羞恥の払拭が理性的な判断となる(良心の発動の毅然)。私たちは知性的に格好がよい典型をテロリストの颯爽とした姿に見る。全てのアーミールックは正直格好いい。それに比べ良心の発動や理性的行為の実現(思い遣り)はその場では敗けを認めることも多いので、格好悪いことも多い。私たちは格好悪さに対する羞恥の克服と、一々他者に示すべきでない羞恥の克服をし、長い時間的スパンで責任を全うするためにどの瞬間も堂々とする(責任を果たしているよう振舞う)ことで、信頼を獲得すべきなのだ。

Friday, October 16, 2009

第九章 存在と意味

 通常私たちは何らかの意味で安定した経済とか、安定した家庭生活という前提で生を考えている。勿論その際にも恵まれた環境かどうかという差はあるだろうが、少なくとも生を受けた段階で既に私たちを誕生させる何らかの礎があったことには変わりない。だから生を受けてから私たちが自分の脳で自由とか責任を考える前には、ただ只管制度(客観的日常)を受容する期間があり、それはある部分では一生続くが、その中に主観性を獲得し、主観的日常を取り込むことを誰でも少なかれ心の中で実行する。そしてその心の有り様が他の一切の行動にも反映する。しかしその自由や責任といった純化された概念は、実は極めて限定的で不自由な、責任の名にも値しないような現実によって逆照射されている。
 勿論生まれた時に国民全体からその将来を嘱望されるような出生を経験する者も大勢の中にはいる。しかしそれはあくまで例外であり、殆どの成員は自らの社会的使命を自らで見つける。
 つまり制度以前に親和的な触れ合いのような前制度受容段階(赤ん坊はそうである)を経験し、然る後制度を徐々に身につけ、その一つの大きな柱である言語を習得する。そしてその言語的思考の中から自由、責任、独立、自立、主体性とかの抽象的な概念に目覚める。私たちはまず私たちの意志によって生まれてきたのではなく、ある限定された所与条件=環境の只中に、ある日突然自らの意志とは無縁に突如放り出されているとも言えるわけだ。そしてその状態はまさに自由とか責任とは程遠い状態からの出発である。つまり私たちは存在を論じる。意味を論じる。しかしそれらは全て制度をあり難いものであるかどうかという判断さえつかない内に半ば強制的に、しかしそのことに対する善悪などという観念とは無縁にただ只管受容し、その受容した客観的日常の範疇において、その受容されたシステムの内部でそれを問うだけのことである。
 つまり存在することの根幹に存在する私、存在する自己と他者ということは、実は、存在することの意味も、意味の存在も一切問う能力はなく感覚的に全てを理解するような状態をまず通過して然る後初めて理解した言語、言語的習慣、文化、教育を獲得し受けることによって知ることとなる。それは幾多の知識が集積され初めて物事が体系的に理解出来るに従って問えることである。
 存在と意味は、その意味では存在者であるという自覚を、存在者ではない段階から徐々に制度を受容し、それを正しいとか正しくないという判断など出来ない状態から、それを出来る状態、と言うことはある程度そういう抽象的問いをすることが許される資格を経た後に、そのように問うことはあなたにはまだ早いと言われないくらいには社会に順応して生活していける状態を獲得した後に問える問いであり、問うことの意味を問うことも出来、問うこと自体が周囲から否定されることがない状態を獲得する。このことは永井均氏も常々主張されていることだが、その問題を本章では考えてみよう。
 私たちが何かを問う時にまず気がつくことは、端的にそのように何かを問うこと自体が既に私たちに与えられた能力の行使以外の何物でもないということだ。しかし既に述べたが、私たちはその能力の行使を何か自分の外部にあるロボットを遠隔操作するかの如く操作しているわけではない。これはダニエル・デネットが「解明される意識」で問題化したカルテジアン劇場という考えで主張している。つまり反省意識は、反省する以前にまず何か常に行動していてそれを普段は不思議とも何とも思わない原音楽行為の定常化という現実を基礎として然る後高次の意識の獲得によって得られるからだ。しかし一旦そういう高次の意識を身につけたら、かつてそんなことを知らずに行動していたことを逆に不思議に思えてくる。
 私たちは何かを思ったら、そう思っている自分というものの存在を自覚出来る。これが一つのカルテジアン劇場で上演される劇というわけだ。ロボットではそうはいかない。ロボットは命令された通りに動き、その動いている自分というものを恐らく意識しない(取り敢えずそう結論しておく。これさえ我々は確証出来ない)。
 つまり現存在の存在は、存在することで、存在しつつ、何か常に考え、何か常に行動をしている、それは睡眠をとっている時でさえ考えることの全てを止めるわけではない私たちの脳(尤も考えるという語義をどう捉えるかによって違ってくるが、少なくとも脳自体は睡眠時にも覚醒時とは性質が異なっていても、活動は一時も休まない)は、存在することを証明するかの如く、常に変化を作り続ける。
 存在という概念は、そのように絶えず変化し続けることと、常に動いていることを意味する。それはそのようにしながら時間自体の有効性を証明している。意味はその存在することの意味を考えるというところから発生しているように私には思える。
 例えばその会議に出席する意味とか、その会議をその時期にする意味は、会議自体の存在理由によって与えられるし、またその会議を行う存在者を待って初めて存在理由を与えられる。つまり意味とは存在理由を問う対象が存在すること、その対象を覚知しそれについて問うことの出来る存在者の存在、つまり両者の関係を前提する。
 例えば絵画には作者が必ずいる。そしてその作者によって描かれた絵を鑑賞する人も必ず必要である。たった一人でもその絵を鑑賞する存在者がいて初めてその絵画作品の存在理由が発生する。つまりその絵の意味が問われ得る素地がその段階で初めて発生するのだ。つまり存在とは意味を問われる運命にあるし、意味は存在するものに対してしか付与され得ない。そして存在するものがただの物質であれ、存在者であれ、その存在する者に意味を付与し、意味ある存在にしようとする、ある固定化された意味という価値判断によって何かを存在せしめようとする(例えば会議を開くとか、ある性格の捻じ曲がった男を矯正しようとか)ことも、存在する対象を認識する存在者が全ての前提である。要するに存在は既にそのように存在を問う時点で意味を発生していて、意味は存在するものがあると判断出来る存在者の存在を前提する。
 私はその存在者の存在の内部に羞恥の存在を考え、その羞恥とは他者存在が作ると考える。他者存在を知らない内は、その者は羞恥を持たない。他者存在はまず通常では両親である。普通母親の方が先だろうが、この段階で私たちに既に羞恥が備わっていたとしても、意志伝達という形で発動されることは未だない。尤も表情とか態度は既にあるが言葉は未だ知らない。最初の他人とはアパートで隣の部屋に住む人であり、母親と会話する誰かであり、自分に兄弟や姉妹がいれば彼らであり、彼らの親しい近所の友達だろう。彼らと接触する中で初めて他者に接する時に見せる羞恥を、母親に対しても見せることとなる。
 私たちは社会制度を受容する中で、それらの人間関係を何らかの秩序の下に理解し始める。存在理由を例えば母親にとっての自分とか、父親にとっての母親とか、自分にとっての父親というように、他者という存在者の存在理由を何かにとっての何かという相関によって理解しようとする。私にとっての弟の存在理由、彼にとっての私の存在理由という風に。つまり私たちにとって存在するものは、存在者というレヴェルの人間学的な様相から把握出来ない存在など一切ないのであり、意味とは存在者にとっての意味であるということでは、ハイデッガーの主張は正しい。
 この地球上に私を含む全ての存在者がいなくなったとしたら、恐らく存在と意味について問われることは一切なくなるだろうし、それを問う意味もなくなるだろう。(地球外高等生命がいたとしたらどうなるだろう?)それは存在と意味とは既に私たち存在者=人間を前提すると考えるからだ。
 しかし存在と意味の前提である私たちの存在は私たちが意味として与えているけれど、私たち自身が作ったわけではない。 
 
 纏めておこう。私たちが存在という意識を全ての観察し得る対象に対して抱くことが出来るのは、まず私たちが存在しているからだ。しかし私たちが存在していることを私たちが知るのは、一定の無意識的に行われてきた手続きを経て後である。つまり存在することは存在するものを通してでなければ理解することが出来ない故、存在している自分がまずあって、しかしそのように存在しているとか存在していないなどという思惟を持たない幼児期の我々は、既にそれを知っている前の世代の人々が作った社会とその制度を受容していく過程で、そのことを知る。そして存在を、存在する者、存在するとはどういうことかという問いを問うことは、それ自体一つの能力の行使であり、考えることだが、その能力自体は私たちが作ったのではない。私たちの祖先でもない。既に人間という存在者を作ったのは、確かに契機を作ったのは個々の存在者各自だが、考える能力は彼らが作ったのではない。既に子孫を残そうとしていた彼らは、その能力を行使しただけである。私たちもそうである。つまり存在と意味を問うことは、そのように問うことを可能にする能力の行使であり、能力自体を作っているのではないことに対する覚知こそが自然科学に対する学究的な欲望を産出している。
 私たちは与えられた能力を、自然からか神からかはともかく与えられた能力であると認識し得る。それが人間固有の言葉による理解だ。しかしそのような能力も私たちは自分で作ったとは思っていない。だからこそ、その私たちに与えられたものをザッハリッヒに対象化して問う時自然科学が誕生する。しかしそのように私たちが考えること自体を問うことは、私たちの存在を私とか私たちという意識を離して考えても所詮私たちの脳がすることでしかなく、私の考えた言葉を使えば、主観的日常的な考えに過ぎないということを最初に明示したのが、フッサールであり、彼の「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」だ。つまり彼はこの世界に純粋に客観的な捉え方など存在しないと言いたかったのだ。
 宮本武蔵は哲学的な文章を書くが、哲学者ではない。剣豪である。よって彼の書く所作一式は全て実践的に彼が体得した科学以外の何物でもない。しかしそれは通常の理論的な科学(例えば理論物理学)とは違って、彼自身の人生と生活上で体得した固有の経験に根差したものである。従ってそれはフッサールが批判しているものとは違う。
 フッサールが批判したのは、あくまでそれを唯一のもの、つまり信用することが出来る唯一のものだとしてきた科学的慣例である。しかし人間が科学を信用出来るとしてきた以前には神という認識があった。神は全ての実在を実在たらしめる根拠だった。それを今でも信じる人は大勢いる。宗教はその神に対する尊崇によってその信仰共感者同士の結束を第一義としている。
 デカルトはコギト・エルゴ・スムと言うことによって彼自身は神を信じていただろうが、その問いによって我々自身を神による実在という観念から、私たちの思惟による実在というレヴェルにまで問題設定を移行させた意味では、明らかに近代以降全ての無神論の発端と言ってもいい。フッサールは自身数学者出身である固有の直観から恐らく、神を否定することに無意識の内に躍起となってきた科学者を中心とするエリート近代人たちがガリレイとデカルトの科学規範を至上のものとしてきたことへの批判、つまり神に代わる価値の設定自体を再び外在的(科学外的に)に、つまり私や私たちという意識、自我から離脱させて考えた。フッサールの考えによってその試み自体も私たちに与えられた能力が私たちに行使させていると言うことが出来る。私たちは何事かを解釈しようとする。そうすることによって何らかの真理を一時でも会得し得ることを信じてそうする。恐らく存在とか意味という概念を我々が採用するのも、やはり我々の存在や存在理由を信じたいからだ。つまり与えられた能力を行使すること自体が既に私たちは私たちの存在を認可し、信じていることを意味する。でなければ我々は存在の意味を問う筈がない。
 他者に対して畏怖するのも、その他者存在を発端に羞恥を介在させるのも、全て他者存在を信じているからに他ならない。その他者存在を信じている私を私たちは厭でも信じざるを得ない。でなければ私たちは他者に対して畏怖や羞恥を感じる必要もなければ、それらを克服する必要もないし、そういう気持ちにもならないだろう。
 他者がいなければ私が私であるという意識にはなれない。他者が私意識を覚醒させ、私意識は他者が作る。そして他者が私に羞恥を喚起し、羞恥の存在を覚醒させる。そしてこの時信じること自体、既に自‐他という相関に組み込まれていることを私たちは知る。

 私たちは存在や存在するものを自らのものとして捉える時、自分以外の者にとってもそれが存在することから、自分にとって大切なものとか、自ら所有するものをそうではないものと区別することが出来る。つまり存在レヴェルの認識にはそこに自分以外の存在者、他者が介在している。意味が存在していることの意味を私が問うこととはその問い自体に「他者もまた私のように意味を問うだろう」という意味を持つことだ。そしてそう解釈することで、感じることの私にとっての固有性を、どこかで「他者もまた」という視点の下で理解しようとする。その時私たちは感じるもの自体も把握している。幼児は感じるものを感じているだけだが。
 つまり把握する(前章を参照されたし)ことは、自らの中に他者を作ることなのだ。自らの中の他者性に目覚めることなのだ。この場合他者がもう一人の私なのではない。私そのものがもう一人の他者なのである。つまり私意識は他者存在に対する客観的視点が日常化した客観的日常から産出される。私とは他者一般に含有された自分のことである。勿論そのために私たちは必死に社会に同化しようと試み、何とか制度を受容する。
 これを段階論的に敢えて位置づけてみると、
 
他者存在に対する覚醒(存在認識)→私意識の覚醒(自分の存在理由<意味>の認識)→他者一般の中での私の発見(存在認識と存在理由<意味>の認識の複合化、つまり責任の誕生)→他者がもう一人の私であることの発見(存在認識と存在理由<意味>の認識の複合化された視点の獲得、つまり思い遣りの誕生)→他者と私との関係の構築(存在認識と存在理由<意味>の認識の複合化された視点による行動・実践)

 勿論これらは必ずこの順序でなされるというわけではない。しかしある意味ではその理解通過でのその都度の重要度という意味ではこのような手順というものを考慮しても差し支えないと私は思う。

Wednesday, October 14, 2009

第八章 感じるものと把握するもの

 私たちは人生全体に対して「俺は人生における勝負で勝ったのだ」とか「他人からも負けなかったが、何よりも自分に勝ったのだ」とか過去のある体験に対してそう考える。そうする時私たちは人生全体を理性的に判断している。勝ちの充足も、負けの空虚も理性的な判断である。
 しかしそれは自分に対して過大な信用をすることを差し控えることでもある。例えばある他者に対して盲目の信用をすると、信用される者は自分を信用する者に悪(利用価値的策謀、策略)の発動への誘惑に苛まれる。理性とはこの人間の性悪を知った上でそれを出来得る限り発現させないようにと設けられた知恵である。しかし悪を発現させないままにしておくことは、端的に性悪(ここでは取り敢えず攻撃的エネルギーと欲求としておこう)を温存させておくための無意識の方策でもある。
 理性は無意識の情動に対する言語化(意味づけ)であり、秩序化に他ならない。これは前章で示した人生の作品化の基礎であり、そのために我々はその都度固有の物語を必要とし、それを生きようとする。それは各瞬間の本質的な無意味に対する恣意的な意味化に他ならない。これは後悔の回避、未来へと向けられたあらゆる意志決定の合理化であり、決心への構築である。しかし意味化は、端的に意味しやすいものと、意味し難いものを我々がどこかで直観的に区別することにも左右される。
 例えば一見私たちは論理を知性的なレヴェルからだけ捉えがちだが、本質的に論理とは音楽的なものだ。つまり説得すること、ある者の説得力に感じ入ることは性的なことでもある。それは時間体験がそもそもリビドー的なものであることからも明白である。
 それに対して空間提示は多少違う。勿論情動を刺激に対する反応として発動するという意味ではそれもまた性的なことだが(特に色彩的な体験などはそうだ)、視覚的に把握することは非性的なことである。我々が異性を前にして胸をときめかすということの内には、幾分聴覚的なこととか、音楽律動的な動きを視覚によって捉え得るところから発せられているのであって、それは視覚による同時把握という事態だけによってではない。
 つまり空間提示には、非論理的でありながら明確な非性的な理解ということがある(ロックの哲学が参考になる)。だから前章でも述べたが、生とは各瞬間の欲望の独立性ということで言えば、明らかに時間の連続性を否定するパワーがある。何故なら欲望の内容は、一定のレヴェルで充足されると直ちに次の内容へとシフトするからである。だから逆に欲望の推移を考える時初めてそこに時間の連続性を見出すのである。
 しかし欲望とは音楽的なことだから、非音楽的なこと、つまり美術、建築的な空間提示性格の把握においては、連続してあるという認識よりは、同一性の把握ということに意識が向かう。把握とは同一性に対してまず行われ、それを基礎として初めて異質性へと着目されると哲学では考える。しかし私が今問題にしているのは、そのようにこの二つがあたかも全く別個の切り離された作用の如く理解したがる私たちの性癖についてである。
 そうである。私たちはこのような二つに思考の上で分離出来る作用を常に同時的に探っているのだ。だからこそ感じるものと把握するものは、そういう風に常に二つに分離されてあるのではなく、寧ろ同じ一つの事態や対象に対して常に連動的になされている。(脳科学的には準備電位のように何らかの時間差はあるかも知れないが)しかし私たちは何故か言語の上ではこの二つ、つまり感じるものと把握するものを明確に分離し得るように思える。このことについて少し詳しく考えてみたい。

 真理・本質・実存は概して私たちの心情に対して優しくない。寧ろ積極的に冷淡、冷酷、残酷である。だから私たちは最初「客観的日常」という名の制度によって多く他者との共生を得るが、次第に独自の「主観的日常」を獲得するようになっていく。
 しかしそれもパターン化されると自己によって構築したパラダイムに逆に縛られることになるから、ただ「引用される意味」に転落する。我々は再び新たに「見出される意味」を求める。主観的日常が客観的日常に堕した途端に再び客観的日常に同化し直す自分を発見し、これではいけなと新たな主観的日常を求めだすのだ。私たちにとって制度は個が積極的に同化する仕来り、儀式、慣例などだ。ルティンもまた制度である。
 しかしその反復の中から自らの主観によってそのお定まりの日常に対して、自分なりの意味を見出す。それが新たに見出された主観的日常である。それは自分なりの客観的日常に対する遵守仕方、耐え方に他ならない。
 しかし同じ行為の反復においてもその意味づけ次第で全く違った人生の作品化を招来する。つまり 

客観的日常の受容①→主観的日常の獲得②→客観的日常に堕す主観的日常に対する反省③→客観的日常の受容に対する見直しと同化し直し④→新たな主観的日常の獲得⑤→③→④(以下同) 
 
この反復を絶えず行っている。⑤の新たな主観的日常の獲得もやがて一つの客観的日常の受容に堕すというわけだ。これが自己や自己対象を他者や他性を通して確立している私たちの像に他ならない。
 私たちは私たちの性悪を発現させることを抑制するような理性を出来る限り発動させないような状況に自ら身を置くように処したい。寧ろそのためにこそ主観的日常を絶えず更新するように、制度(客観的日常)に対する主体的自由(自らの意志と努力によって獲得したものとしての本質的な自由)を獲得し、そのことに対する責任も共に引き受けたい。原音楽行為が制度の受容と同化に対して見出される意味なら人生の作品化でのその都度の修正を意味する。

 原羞恥的レヴェルで価値があるように一瞬で発見される「見出される意味」は、私たちが全てを言語化している私たちの不可避的習性を再び言語的に認識すること、把握することが同時に固有の現象的生の在り方も把握し得るのだと我々に気づかせてくれる。
 しかし本来このように捉えることは、現象的生の在り方という身体的実存、つまり感じるものに対する固有の直観に端を発する。つまりこの固有の感じるものは、それを他者へ伝える時「私に固有に感じられることは、あなたにもあるのか?」と質問し応答を待ち、同感だと報告されるかも知れないという目測の下で我々は身構える。そしてもし同感された時初めてその他者から共感を得ることが出来、自分の固有の感じが一般性を得る契機となる。
 故に感じるものは把握するものによって明確化し、把握するものも感じるものの把握し難さによって明確化する。
 真理・本質・実存はどれも残酷であり、冷淡、冷酷であることは、私たちにとって死がどの個人にも避けらないことと共に、この感じるものを犠牲にして生活している制度(客観的日常)に対する降伏の現実に存している。つまりそれは私たちが相互の私に対する相互の理解し合えなさによってのみ相互理解している不条理を意味する。つまりその理解し合えなさの相互了解において私たちは実は感じるものと把握するものを、自己において明確に分離し得ないにもかかわらず、自‐他ということにおいて感じるものは伝え得ないし、それが私にとってのそれと他者にとってのそれが同質であるかどうかも確認し得ない(例えば痛み、クオリアその他)ものの、その伝え得なさは理解し合える、そのことを把握することが出来るから、把握するもののみは他者と共有し合えるということで折り合いをつけている。またそのことに対する既知によって私たちはその二つを分離し理解していることも了解し合っている。

Monday, October 12, 2009

第七章 旅・祭り・仏像

 私はかなり以前から、仏像を何故人間は作り続けてきたのか不思議に思ってきた。そしてそれは今でも変わりない。だから2008年の秋の京都旅行は、契機は、哲学者、永井均氏の講演を聴くためだったが、それにかこつけて仏像を見て回ろうと思ったのだ。その旅行は色々な意味で収穫があったと思う。
 旅は人生に似ている。どういう行程でどういう場所を訪ねるかの選択は、人それぞれの個性が滲み出るし、敢えて人が大勢いかない場所を選ぶこともまた人生の選択を彷彿させる。だから当然、同じ区域、同じ祭りを見るにしても、私たちはどういうものを中心に見るか、どういう角度から見るかによって、旅、そして祭りの参加の仕方、楽しみ方も変わってくる。
 人はなぜ旅をするのかと問うことは、人は何故祭りをするのか問い、人は何故仏像を作り続けてきたのかと問うのと同様、生きるとは一体どういうことかと問うのと等しい。そう問い続けることが無謀と直観しつついつまでも問い続けることが止められないものだ。
 人がある方向へ流れていくと、私もついそちらへと押し流されることもあるが、時としてそれに逆らい一人別行動を取ることも私が大勢の人々が訪れる場所での旅や日祭日に取る私の行動パターンである。だから盆、暮、正月はそういう意識で臨む。
 何故そういう風に全ての人が特別の時間を過ごすかというと、人間が皆ハレとケの違いを知っているからだろう。つまり非日常として日常の中に何かを取り込むこと自体に内在する人生そのものへの批評性こそが私たちに旅をさせ、祭りをさせ、仏像を作らせる。
 そういう意味で私の去年行った三万円以内で済ませた三泊二日の京都旅行も、六千五百円以内で済ませた師走初頭の城峯公園近辺から、秩父夜祭りの日帰り旅行は実りの大きなものだった。そしてその際に何故人はあれほど多くの仏像を作り、何故あれほど祭りに熱狂するのかという以前からの私の興味を更に掻き立てた。本質的に、私たちは日常の中に潜む私たちの先験的に持っている非日常的な意識、例えば死への恐怖が逆に私たちをいつまでも同じ行為や同じ場所に私たちをとどめておくことをさせないようにして、一回安定を崩すことで、再び自らの立ち位置に関して認識を改めさせてくれるのではないだろうか?だからこそ祭りの熱狂は破壊へと誘うような心理に似ているのではないだろうか?つまり死に対する恐怖を死に対する愉悦に転換することで克服するということが祭りの熱狂の心理にはある。
 それに私たちは問う必要がないくらいに問うことが野暮な真理こそ最も魅力的だということもどこかで心得ている。節制とは、欲望にとって最もおぞましい。だから問うことを節制しないことがそのまま宗教や思想や哲学の歴史となっていると言ってもいい。
 つまり自己破壊的な欲求自体は、仏教的には煩悩であるが、それが常に私たちのどこかに渦巻いていることを知っているからこそ私たちが旅をしたり祭りに熱狂したりすることを通してその欲求を鎮静化しているのかも知れない。つまり旅や祭りとは、日常性への一時的な破壊欲求だが、それは永遠には続かない。死の瞬間まで途切れることなく続くのは私たちの心の旅だけだ。心の旅は一箇所に留まって生活する人間も絶えず行う。しかし私たちはたまに心の中で延々と続く旅を中断し実際の旅に赴こうと思うのも、やはり心の旅は時として危険な想念も生むとを私たちが知っているからだ。
 だから芸術作品を祖先たちが今までずっと作り続けてきたことも実は何もしないで心の旅ばかりをすることの危険性を祖先たちはよく心得ていたからである。仏像を作ることは、その中でも超度級に生の欲求的本質、欲望の正体を知り尽くした人間の行いである。
 つまり心の中だけの旅が時として私たちにこのままではいけないと教えてくれる。要するに反省意識から出た妄想の鎮静化に対するもう一つの心の欲求が私たちに旅をさせ祭りに熱狂させる。しかしそういう風にもう一つの心の欲求が叫ぶのはそれだけだろうか?
 私たち人間は各個人にとって必ず到来する死に対する恐怖がある。この理不尽な現実に対して抱く懊悩を解消するために仏像を作る行為には祈りとしての解消の意図がある。死や理不尽さに対して心を掻き乱されることへの鎮静化こそが仏像が私たちの祖先たちが延々と作り続けてきたことの第一の理由である。
 実は芭蕉の旅にもそのことは当て嵌まる。つまり私たちはどこか訪れた土地土地の風情や印象、あるいはその土地に残る伝統的な所作や風習をこの脳裏に焼きつけておきたいと願う。だから年に一回ある季節に巡ってくる祭りには、各個人にとってやがて到来する死(死とはどんなに長く生きて来た者にとってもその瞬間には人生とはいかに短いものであるかと実感させるものなのだろう)を集団で熱狂することを通じて、あるいは集団で何かをすることに陶酔することを通して一時的に反故にすることを無意識の目的としたものだったのだろう。その意味ではユングの集合無意識という考え方は現代でも有効である。
 つまり個人の死の恐怖に対する克服を知らずに生活すると必ず刹那的な衝動を生む。自殺もその一つだし、殺人もその一つである。そして賢明な人間はそのことを心が平静な時にも、いやそういう時こそ心得ている。つまり個人に内在する死への恐怖を紛らわすために我々が時として行う特殊意志を拡張することに熱中する無秩序に対する抑止と防止意図がどこかで祭りの集団的陶酔と熱狂へと結びついている。だからこそ年に一回の大きな祭りの際には多少の羽目を外すことが大目に見られるのだ。そしてそのような気持ちの小さな表れは私たちが仕事を終えて誰かと酒を飲むこと、あるいは一人で酒を飲むことにも自然と出ている。
 私はこう書いたことがある。
 
 例えば社会とは人間の虚構である。あるいは生活とは人間の虚構である。思考とは脳内の虚構である。(しかしそれらは実在する現実としての虚構である)自然全体が現実であるとしたら、人間はそういう虚構を自然に対して、自然に対する抵抗として捏造せずには生きていられない。聖書は端的に自然に拮抗する人間の創意工夫としての虚構である。

 このことを述べた背景は、私自身がそろそろ五十の坂を上る段になって、何か人生そのものも一つの大きな作品であるという意識が芽生え始めてきたからである。つまり私はこう言いたいのだ。人間はどんなに成功しようが、挫折しようが、幸福であれ不幸であれ、どの道人生そのものを作品のように、あるいは自分の歩んできた人生を物語として理解する形でしか生には接し得ないということを実感してきたのである。
 これを取り敢えず「人生の作品化」と呼ぶことにしよう。
 私はある人が開くある学問の塾に属していたが、一年少し前にそこを離脱した。その塾では東大出身の23歳で弁護士資格を三浪して取ったエリートの32歳の青年もいたが、彼のような青年でも生涯弁護士をし続けるか未だ決めあぐねているということだったが、私がその塾を辞めてから知り合ったある18歳の青年は、俊英で短歌を詠み、小説を書き、評論も書くのだが、彼が私の波乱万丈の人生について書いた記述を見て、人生そのものは作品のようだったが、作品は一つも作らなかったということだけはあっては欲しくないというような意見を私に示してくれた。が、私は敢えて人生そのものをいい作品にすることが一切出来ない人間は本当にいい作品を世に残すことが出来るだろうかと最近思うのである。
 これは何故人間が仏像を作り続けてきたかという問いとも関係する。つまり祭りなどに一切参加しない人間が真に人間の実像に迫った哲学を得ることが出来るかという問いとこれは似ている。どんなに成功している人間でも悩みはあるし、必ずしも幸福感情に包まれているとは言えないように、どんなに破天荒であれ、あるいはどんなに傍目からは平凡に見える人生でも本人にとって充実していて、必死に何かに取り組み、あるいは何か堅い意志を貫いてきているのなら、それは立派な人生という作品を生きていると言えよう。
 勿論人生には挫折や夢が脆くも崩れ去ること、負け犬になること、後悔によっても満たされている。しかしそれでもそういった一連の生全体の流れを私たちはどこかで覚めた目で客観的に「物語にいる自分」という認識を持つことだろう。つまり私たちはそうすることで人生の作品化を施しつつ、それを糧に期待が持てないなりに、大いなる願望を持つことが出来ないなりに実は将来とか未来に対して生きていく意志を保持し、人生に対する思想としている。祭りの熱狂によって仮のフラストレーションに対する解消をし、旅によって擬似引越しをし、そういう虚構を敢えて日常に挿入することで、節目を作り、人生を作品化しつつ、時間の流れの如何ともし難い無常な虚無感や理不尽さをその都度克服している。旅をして再び自宅に戻る時私たちは旅で得た非日常性を現実の日常へとエキスとして取り込もうとするし、祭りの熱狂と陶酔を自ら参加し生きることで、再び宴の後の空しさの中で反復されていく日常の意味を噛み締める。それだけで一つの思考における仏像制作である。人は何らかの意味において人生に対する職人である。それは人生の作品化というプロセスを通して何故人が仏像を作り続けてきたかという問いを問う場を改めて自分の中で発見することなのだ。

Saturday, October 10, 2009

第六章 羞恥と想起①

 脳科学は記憶することと、記憶されたものを想起することが同じ記憶に関することではあるが異なった作用だと考えているらしい。
 元々思い出すことは、何かを覚えておくこととは違う。何故ならいつも覚えていることと、ある時ふと何かの拍子に思い出すことはその内容にも差異があるように思われるからだ。
 しかし常に忘れずに心に留めておくことの内には基本的な知識とか、身体的な手続き記憶とか、人生に対する思想もそうだろう。しかしこの最後の人生に対する思想とは、ともすれば極めてある人間の行動や決心に多大な足枷になる場合もある。つまり自らが設定した意味に呪縛されるのだ。価値規範的な強制力として内的に立ちはだかる。外的には法律などもそれらの内に入る。フロイト的に超自我というと、私たちは外的にそうあらねばならないもののために内的な欲求を抑えることである。
 記憶は記憶違いとの戦いでもある。絶対正しいと信じ込んでいることの内にも記憶違いは必ず紛れ込んでいる。しかも自分自身で内的規制をかけて、ある気恥ずかしい思いを対外的な応答の際経験したくはないから、我々は羞恥を催す想像をすることを意識レヴェルでは規制する。しかし夢ではそういう規制はとっ外されるからインモラルな内容のものを我々は何の前触れもなく見る。
 しかし我々は夢がインモラルであると感じられるからこそ覚醒時の意識を他性認識においては「構え」を通常のものとしようという気になる。つまり他性認識を私が考えるように原羞恥と捉えれば、必然的にある他者に対して防衛解除することは、その他者に対してその解除された面に関して信用していることを意味し、逆に防衛非解除であることは、その面に関して偽装している、「構え」を一切取り崩さないでいることを意味する。つまりある面に関して決して真意を述べない、示さないことがある。ことにこれは自分とは異なった倫理とか政治信条のグループ内部にたまたま紛れ込んでしまった状況下で周囲の人間に適当に自分の信条を合わせて急場を凌ぐことで十分あり得る。しかしどんなに信頼する他者に対しても、我々は羞恥を介在させそれを保持する。
 他者を信用するに足るかどうか判断停止状態であり、保留状態な場合我々はその者に対してある面において真意を知られたくはないという気持ちになり、それを私は瞬時に直覚される原羞恥が原音楽に命令して体裁を整えていると考える。「構え」るように無意識になる。しかも他者に対する査定で、このことに関してこの他者にはあのことだけは他の他者とは違って伝えたくない、悟られたくないという峻別を瞬時にする。あることをある者に伝えることはどうということもないのに、別のある者に伝えるのはどうしても躊躇することはあるし、一瞬で特定の他者に対して持つ先入見もあるが、それは徐々に変更されることもある。普通十分くらい話していれば次第にその他者に対する自分が採るべき「構え」の質は決定される。
 恐らくこういったことは剣士だった武蔵は極めてデリケートだっただろう。ちょっとした相手の所作を見て、相手の剣士はどういう癖がありどういうことに鋭いかを一瞬で見破ったのだろう。
 要するに他者の性格に応じたその都度採るべき「構え」及び態度に対する判断が、原音楽に根差した判断だと私は思う。その判断を指令するものが原羞恥なのだ。するとある事柄、つまり他者にそう容易に悟られたくはない部分に対して琴線に触れる想起を催さしめる他者は、原羞恥という琴線に触れる要注意人物になる。つまり特定の他者を話題にする会話を耳にしただけで一瞬凍てついた感じになるくらいに固有で頑なな「構え」を躊躇なく身体が採る場合私たちはその者に対していっそ出来る限り自分の前には出現して欲しくはないという気持ちに自然になって、その者への拒否反応が極度に自分がその者の面前では粗相をすまいと心がけるように緊張を強いる。これは羞恥的な意味で極度に硬化させるに足る想起、つまりその者から連想する性質が原羞恥レヴェルでの「構え」を誘発することだ。その者の前では決してぼろを出すまい、つまりぼろを出すと通常の者に対しての時と違って恥をかくということを想定し得る。冗談が通じない相手とは主にこういうタイプの成員のことを言うが、冗談の質もまた個人的に親密なネットワーク毎に異なっており、地域差もあるし、自分にとって慣れが大きく作用している。
 私は集団内で言語行為とか、身体的所作において他者の視線を意識することを含めた「合わせる」ことを原音楽と呼ぶ。それをベースに考えると、固有の緊張感や警戒心を持たせる他者は端的に原音楽的にそう容易に言辞、態度、性格的波長を合わせることが困難だと判断しているから、当然その者は原羞恥に触れる危険性があると踏んでいる。しかしそれは逆に私の原羞恥領域にさえその者が踏み込まずにいてくれるなら、何ら私の生活に支障がないという意味では、その危険性さえ思い過ごしなのなら何ら疑うことなどなかったのにある時予想外に裏切られた他者のような存在に比べれば然程人生上で重大な存在ではないということだ。そういう意味では予想外に裏切られるとか、予想外に相手が激怒するようなタイプの他者から受ける経験が最も自分の中の判断学習と習慣において始末の悪いものなのは確かだ。そして原羞恥的な最も私秘的領域において警戒する本能的なことの中で社会的通常の判断さえある局面では通用しないタイプに対して我々は、原音楽、つまり社会通念的相互了解、相互同化協調姿勢において、最も我々は苦慮する。
 哲学者コンディヤックはそういう意味では徹底して原音楽的なバイオリズムを透徹した眼差しで追求した。彼のパントマイムに対する執拗な追求は、原羞恥的な他性認識を言語と意思表示に置換することにおける無意識の作法としてマイムが最も有効な言語外による言語的表現であることに着目する。しかしその言語的表現が成立することの裏には、言語外的な表現も可能だという想念が人間にあるということだ。その言語外的な表現の一つが明らかに羞恥である。それは私的言語とウィトゲンシュタインが呼んだものの基本的な心的動因だろう(このことはまた詳述する)。

 原音楽的な行動を支える最も基本的な人間にとっての観念は責任である。責任はある行為に対して課せられるので、本質的に責任を果たしたか否かは、行為が始まる時点より未来において判断され
る。これは責任能力の査定自体が人間の記憶能力に対する信頼に根差すことの証拠だ。つまり責任を問うこと自体が本来その者に対して自由であり、自立し独立した社会的存在である承認と認可を与えることであり、無能力者に対する介護とは本質的に異なる。このことから法的に責任放棄によって罰するとは、罰せられる者の法的権利並びにそれによって派生する義務を認可することだから必然的にその者に責任を承認することだ。
 しかしこのことは法的にその責任を問われ得ない、責任査定外の領域にまで拡張される。そこに良識とか見識とか通念と呼ばれる査定が人間学的に導入される。この責任‐自由の法的査定外的良識という極めてファジーな拡張原理が法規定外の場面で遂行しないことに対する良心の呵責こそが羞恥感情に他ならない(簡単に言えばした方がいいことでもしなければいけないことではないからといって、しないと悔やむということだ)。 
 つまり羞恥とは正規なる社会的規約で正否が問われ得ない良識的判断に委ねられている日常的場面で問われ得る個人的内面の良心に根差しているが故にカントのモラル論とも大いに関係がある(完全義務と不完全義務)。カントの定言命法はこのような社会的規約自体が人間理性の前では極めてその時々の状況に即した相対的な判断でしかないということに対する指南でもある。そのような良心の叫びに耳を澄ますことが、羞恥を想定することを自然なものにする。
 羞恥とは責任と折り合いが悪い場合も多い。羞恥の払拭が責任を遂行することを容易にし、その持続が権力を有効にする。権力と責任とは相性がいい。そして正しいことと、優しいことが乖離している場合、自らの良心と羞恥の責任への抵抗が夢に出てくる様々な内容を決定するのかも知れない。逆に覚醒時に想起するものは、良心と羞恥による責任や理性外の突発的表象であることも多いだろう。
 例えば夫婦の間で、あるいは親子の間で、あるいは親友同士の間で何らかの思い出深い会話の際に書き残したメモとかイラスト風落書きがあったとしよう。そのメモやイラスト風落書きはその当事者同士にとっては極めてそれを再び目にすると微笑ましいものでも、それらは通常その当事者以外の者にとっては何の価値もないばかりは、時には極めて不愉快なものの場合さえあるだろう。これはプライヴェートな時間における親しい者同士の会話が公的に許され得る範囲内の悪も含むことを意味する。しかしそれらは要するに私的だからこそ何であっても許され得るのが公的には全く違う。つまりそういった私的な会話内容こそがウィトゲンシュタインが考えた私的言語の基本的な根拠だ。その仕方で、それを理解し得るのが自分一人の場合を通して彼は、それを見た時微笑ましいのがそれを書いた本人だけであるということを通して考えたのだろう。それはそれが公的なものとして公表された場合羞恥を呼び起こすことが最も大きいものだろう。だからこそ本人にとっては懐かしい感情をその走り書きとか落書きに対して抱く。それは個人的であり私的な思い出が、概して格好悪いこと、他者にそのまま告げることを臆すような気恥ずかしいものであることも多いことと関係がある。つまり思い出とは、どこかほろ苦く、どこか後悔の念にも彩られている。しかしそれは決定的な誤りでもないものだからこそ思い出す価値があると私たちは考える。決定的なミスに当初思われていても、今現在いる自分の地点から見て将来が絶望的である場合以外は、つまり未来に希望がある内は、微笑ましいミスとしてやり過ごす可能性を秘めているからである。

Thursday, October 8, 2009

第五章 私は今ここにいる‐同一性を保証するものを求める‐個々の欲望の独立性‐時間の連続性

 私は昨日の今頃と今とでは全く違う気分でいる。そしてその時考えたことと今考えていることも全く違うし、次に何がしたいかも違う。にもかかわらず私は昨日の今頃と、今とでは同じ私だと信じている。しかしそう私に思わせるものとは一体何なのだろう?
 考えられるのは、まず私は昨日考えていたことを過去のこととして認識し、且つそれを今考えていることとの間で時間的な連続性を認めているからこそ昨日と今の私とを同じであるとする確信を作り上げているということだ。私という人間の同一性は昨日の私と今の私とでは欲望の状態(在り方)が全く異なっているのにもかかわらず、ある欲望(例えば昨日の欲望)が、昨日から今日へと続く時間におけるある時点で何らかの形で充足し、次の新たな欲望を作り出してきたことを私が記憶している(正確な形ではないにしても)からこそ、その連続した時間において私が昨日の私と今の私を同一だと保証しているのだ。つまり時間の連続性を信じることが、私が昨日の私と今日の私を同一であると保証する。そしてその時間がずっと連続している、持続していることを私たちは信じている。世界に永遠という概念が成立するのも皆この信念からである。
 同一性、個々の欲望の独立性、時間の連続性ということを哲学の三大要素だと仮にしておくと、時間の連続性を認めること、即ち過去の個々の出来事に順序を認識することがその時々の異なった心の状態を同一の身体に宿るその都度の異なった欲望(の相関)という風に我々は理解する。つまりそれらが充足され、新たな欠如を見出し、再び充足へ向けて発進された経緯そのものを我々が何らかの形で記憶しているからこそ、私たちはその経緯を体験する体験者として私の同一性としている。だから逆に今こそが全てだと捉えるなら、必然的に「その今」はやがて過去になるから、私という同一性は一時たりとも保証されなくなる。また今の欲望だけを私の同一性の柱にするのなら、その欲望が解消され別の新たな欲望が出現した時既に私は私ではなくなっていることになる。にもかかわらず私は常に<今ここにいる>いう感じをいつまでたっても払い除けることが出来ない。この払い除けられなさ自体もベルグソンはやはり純粋持続と呼んだのではないだろうか?
 しかしよく考えると心の状態の一つである今何かしたいという欲求は一つだけではなく幾つも同時にあり、共存してある場合もあれば独立してある場合(例えば便意を催した時はそれだけが優先される)もある。そして本質的には個々のものは個別に説明し得る。つまり個々の欲求が複合化され幾重にも折り重なっていること自体を総括して欲望と私たちは呼ぶ。そしてその時々の欲望の内容は異なっていても、恐らくそのように複合的な欲求の重層性とか、共存、個々独立に並存していること自体は常に変わりない。その変わりなさ自体、つまり<私たちは常に欲望を持つ=どの今も固有の欲望に満たされている>ということを通して私たちは<今ここにいる>と思う。と言うことは、私たちは常に変わりゆく欲望を携えていることで私の同一性を<今ここにいる>としながら捉えていることになる。私はどこにいても<今ここにいる>を通してその時々の欲望を生きる。
 ある出来事に対する記憶はその出来事を記憶している者の数が増えれば増えるほど内容の一致が困難になる。過去事実に対する相互の記憶違いがあるからだ。それは相互に不安を掻き立てる。つまり記憶の曖昧性に我々全員が直面する。一人一人が不安に直面しているわけだし、この不安を他の成員も持つのではないかとも思う。
 その時我々はこの記憶内容間に横たわるぶれを何らかの形で解消したいと望む。つまり記憶の曖昧性に対する不安を解消したいと望むのだ。だからこそ私たちは法を作り、出来事を記録し、文字を書き、作品を残し、その都度何かを表現する。あるいは祭りをし、酒宴を設け何かを(それは何であるかは定かでなくても)忘れようとして、気持ちをリセットし、苦悩を鎮静化するために音楽を聴き、再び論理を相互に戦わす。会議をして、ニュースを見る。
 それら全ては記憶の曖昧性に起因する固定化への欲求に他ならない。つまり固定化とは相互に記憶違いが横たわるが故に不安になると同時に自己に対する同一性が確固としていない不安もが、全ての確固とした同一性に対する希求となって、法化、作品化、記録化等の形をとる。それらは本質的には記憶の曖昧性に纏わる不安の解消と除去を志向する。法化、作品化、記録化は、価値規定する側面が拭い難くある。そうして意味による呪縛を作り出している。
 また我々はよく覚えていることは当然のこととして、よく覚えていないこと、あるいは記憶から徐々に薄れてゆくものに対して愛おしさを感じ、郷愁を感じ、そうではないこと以上に何か特別の価値を与える心的傾向もある。つまり失われた記憶の美化だ。失われた記憶の美化は価値に転化され、やがて過去を麗しいものとして設定し、現在において新たな欠如を作り出す。つまりある全体とはそれが獲得され得ると途端にそれ以外のものをも含めた全体の中の一部になり、新たな全体を私たちは志向する。この果てしないオデュッセイは、価値規定された意味の呪縛の世界を破壊する欲求を齎す。
 法化、作品化、記録化は価値的一元化への道である。想起しようとする際の記憶内容の曖昧性に対する不安と他者と同じ出来事を想起する時に起きる相互のぶれの解消こそが固定化された不動点の希求となり法化、作品化、記録化が行われる。
 私たちは私たち自身を常に不完全なものとして認識している。だからこそ常に何かに関与する。ものに対して、他者に対して関与していることが既に我々一個の存在が不完全なことの何よりの証拠だ。そしてその不完全性に対する認識こそが相互に責任を与え合う。それは責任の名において同一性を相互に認め合うことになる。
 私たちが何かに必ず関与することは例えば道を歩いている時に、その情景、光景といった全てから何かを得ることでも証明される。
 私はある散歩中にある光景に出くわす。若い母親が幼い子供を連れて歩いている。子供がぐずるとそれをきつく嗜める母親の態度から仮に私が幼少の頃にあった記憶を蘇らせているとしよう。すると今度は幼少の頃見た桜の木に対する記憶を呼び起こし、桜と言えば近所の公園は春先には桜が綺麗である、そうだ今日はいつもの散歩コースではなく公園の方を通って山の方へ行ってみようと思う。
 想起とは衝動的なものである。脳科学で言うセレンディピティーもこの想起の突発性に根差しているのではないだろうか?
 想起だけは努力して思い出せないことでも、例えばある時向こうから勝手にやってくる。全く違う状況下で我々はそれまで必死に思い出そうとして思い出せなかったことをふと思い出す。それは想起自体が極めて不随意的なことだからだ。つまり想起とは意志や努力や計画性ですることだけでない。と言うことは時間の連続性とその体験と目撃によって同一性を保証している私たちが実は各瞬間には全く別個の独立した欲望の状態でいることと想起は関係している。つまり日頃の努力、意志等が想起に大局的に影響を与える面も勿論あるが、突発的で偶然的な要素も想起には潜んでいる。つまり想起とは同一性を保証するものを我々が求める際に人間の性格的傾向性や意志決定の合理化の傾向性とかによってではなく、つまり予め求められる一貫性によってではなく記憶の曖昧さ、その時々の都合のいいように記憶内容を変容したりする脳活動と密接であり、人間の判断の不確かさとか、気休め的な判断のいい加減さと密接である。 理性論的判断によるものだけではない。それは不随意的に我々の身体が環境に関与し自然の一部に溶け込んでいることに根差す。
 私たちは現在知覚に支配されているようでいて、同時に記憶のオデュッセイをしている。それを我々は俗に魂の彷徨とか魂の放浪と呼ぶが、端的に現在の知覚によって想起を促されると同時に、過去の亡霊に常に悩まされる。だからある種の創造的閃きは往々にして過去想起がヒントとなる場合も多いだろう。
 だから私たちは人格的一貫性とか統一性に深くかかわる同一性に対する保証という局面からでなく、寧ろ各瞬間における欲望の独立性から想起を、あるいはそれを可能にする記憶を考える必要がある。それは私たちが記憶のオデュッセイを常にしていることとその当の記憶の極めて曖昧である性格によってでもある。次章ではその記憶の曖昧性によるオデュッセイに肉薄して行こう。

Tuesday, October 6, 2009

第四章 不合理的な理由である生きるということ

 哲学的にはしかし生きるということほど不合理的なものはない。どんな生命も生まれてくるが、いつかは死ぬからだ。だから私たちを含めて全ての生命は死ぬために生まれてくると言っていい。死ぬからこそ子孫を残したいとか、自分の考えを残したいと私たちは願う。そのことに関しては宮本武蔵のような剣客も、ヘーゲルのような哲学者も同じではなかったか?
 前章で述べた「意味」を私たちが求めるのも、この生の不合理的な運命に対してである。もし死ぬことがないのなら、私たちに哲学も宗教も思想も必要ないかも知れない。個々の個体は死滅するが、種としては存続するということが私たちに与えられた唯一の救いだが、その種もいつかは絶滅するし、地球も宇宙もいつかは無くなるだろう。だから存在というレヴェルにまで拡張しても、尚この不合理的現実は変わらない。
 心理学的には不幸なことを遠い将来に追い遣り、幸福なことを身近な将来に引き寄せて考えるということが脳にとっては自然な傾向らしいから、私たちは自分だけは何とか生き延びられるのではないかとさえ考える(全能感)。ある意味では生きるということは、非哲学的に暢気に構えていて、それで気にならないのなら、それが一番いいのかも知れない。
 前章の②のようなトライアル的な決意や勇気はだから、そういう暢気でいることに対して、時折哲学的に物事を考えずにはいられなくなる時に浮上する考えだ。どうせいつか死ぬのなら、いっそ思い
切った行動に踏み込むことを試みてみようということだからだ。
 人間が将来のことよりも、どちらかと言うと過去のことを考えることが多いのは、人間がいつか自分も死ぬことを知っており、死を考えるくらいなら、生きてきた事実に向き合い、生きてよかったと思いたいからだというのはハイデッガー的な見解だが、マーク・トゥエインはドーキンスに拠ると(「神は妄想である」中520ページより)「死の恐怖の追い払い方はまた別である。「私は死を恐れない。私は生まれるまでの、何十億年ものあいだ死んでいたのであり、そのことから、ほんのわずかな不自由さえ感じたことはない」。この発想は、私たちが避けることのできない死という事実について何も変えていない。しかし、この不可避性について、私は別の見方を提供されたのであり、だからこそそこに慰めを見出すかもしれないのだ。トマス・ジェファーソンもまた死を恐れていなかったが、彼はいかなる種類の死後の世界も生命も信じていなかったように思われる。クリストファー・ヒッチンスの記述によれば、「死が近づいてくるにつれて、ジェファーソンは、友人たちに向けて繰りかえし、希望も恐れももつことなく迫り来る死と対峙していると書き送った。それはまるで、もっともまぎれもないような言葉で、自分がキリスト教徒ではないと言おうとしているかのようだった。」と述べている。そして別の箇所で彼は、キリスト教徒が安楽死を人間に適用することを拒むことを、「素朴に考えれば、私たちのなかに安楽死や自殺幇助に反対する者がいるとすればそれは、死を移行としてではなく終末として見る人間だろう。なのに、それを支持する側にいるのは私たちなのである。」(私たちというのは無神論者のことである)(同書、525ページより)と言って、結局安楽死を否定するキリスト教信者たち彼らも信仰という名に縋りつきながら、本当のところは死をただ恐ろしい救われないものとして捉え、天国に行けるから恐れないと言いながら、死の恐怖に対する克服を完全にはなし得ていないことを皮肉交じりに主張している。
 要するに私たちは死ぬことを分かっているから悔いなく生活したいと望む一方、どうしたって思い切った行動と言っても制約があることを知っている。つまり思い切った行動も仮に私たちが試みたところで、かなり限られている。空を飛びたいと思っても、鳥のすることだし、私たちには願望でしかない。イルカのように自由に泳ぐことさえ出来ない。しかし人間が理解し得る限りで私たちはそれを動詞として言語行為において活用してきた。つまり自分に出来ることと、出来ないことの両方を動詞として語彙化してきたのだ。
 あらゆる行為、しかしそれは完全に人間になし得る範囲か、なし得なくても理解し得る範囲のどちらかしかない。語彙使用を巡る選択肢としてそれらは存在する。そして全て一つ一つ別個の語彙による表現として成立するが、言語活動の範囲内で一つ一つの文章が成立するだけでなく行為選択する時時私たちは自ら採るべき行為を言語的にも認識していて、それ以外の行為は成立し得ない。つまり後で「あの時はこれこれこういう気持ちでいたので、あれこれのことをした」と他者に説明し得るということだ。殆ど無意識に採った行動でさえ、後から説明することが出来る。
 しかしこのように自分で出来る行為表現を説明する動詞を知っていて、自分では出来ないことを表現する動詞を含めても、私たちは依然かなり限定された世界で表現しているに過ぎない。空を飛ぶ鳥を見て彼らが飛んでいると理解しても、それは彼らの身になって飛ぶことを理解しているのではない。ユクスキュルたちによる環世界で言うなら、あるいははドーキンスの表現を借りれば、「私たちの生存にかかわる物体は極端に小さいことも、極端に大きいこともない。そこでは事物はじっと立っているか、光速に比べればゆっくりした速度で動いているかである。そしてそこでは非常にありえなさそうなことは、起こりえないこととして処理しても問題はない。私たちの精神的ブルカ(イスラム教国において女性が顔ほんの一部だけを露出して後は身体全部を隠している衣装のことを、ごく限られた視界からしか全てを見渡せないその状態を私たちの現実把握のための比喩として使用している。著者注)の窓が狭いのは、私たちの祖先が生き残るのを助ける上で、それをひろげる必要がなかったからなのである。」(540ページより)と述べているし、また別の箇所で述べている「私たちの想像力は、祖先が慣れ親しんでいた狭い中間領域の外にある距離に対処するには、わびしいほど備えを欠いている。私たちは電子を、陽子および中性子を表す大きな球の塊のまわりを旋回するちっぽけな球として思い描こうとする。これは実際の様相とはまるで違っている。電子は小さな球に似たものではない。それは私たち認識するいかなるものとも似ていない。」(534ページより)と言い、更に「20世紀の科学的達成の深遠な頂点である量子力学は、現実世界についての予測において輝かしい成功を収めた。リチャード・ファインマンはその正確さを、北アメリカ大陸の幅ほどのある距離を、髪の毛一本までの精度で予測することにたとえている。予測におけるこの成功は、量子論がある意味で真理になったことを意味するように思われる。つまり、きわめて現実的で常識的な事実までを含めて私たちの知っているあらゆることに対して真理であるかのように。しかし、そうした予測をひきだすために量子力学が要求する仮定は、あまりにも不思議なものであるため、偉大なファインマン自身でさえも、こう言わざるをえなかった(この引用はさまざまなヴァージョンがあるが、次のものがもっとも近いと思われる)。「もしあなたが量子力学を理解したと思っているなら・・・・・・・・・・・・あなたは量子論を理解していないのだ」。(536ページより)とまで言っている。これは不可知論だし、犬をカニス・ファミリアスとか、猫をフェリス・カトゥスと学名的に呼ぶ自然科学者たちでさえ、それは彼らが敢えて犬をイヌと猫をネコと我々をホモ・サピエンス(ヒト)として取り扱う科学者的な立場に同化しているからであり、彼らでさえ、研究所からその日一日の仕事を終えて、帰宅して出迎えた妻子やペットたちに対しては、そのような学名的認識を喜んで忘れて、ただの通常の庶民に戻る。つまり犬や猫や人というごく限られた範囲内での判断に明け暮れている。つまり理解とは極めて限定された範囲内から、もう一つの限定された範囲内へと飛翔することを恣意的に想像することとそう違いはなく、それを意図的に理解しているのだとしているに過ぎず、コウモリという生き物にとってドーキンスの考えの下では彼が次のように述べているようなものの見方にも適用出来る。
 「私は『盲目の時計職人』やその他の場所で、コウモリが耳で色を「見て」いるのではないかという推測をしてきた。三次元の空間や航行をして昆虫を捕まえるためにコウモリが必要とする世界モデルは、ツバメがほとんど同じ課題をこなすため必要とするモデルときっと似たものでなければならない。そのモデルの変数をアップデートするのにコウモリがエコーを使うのに対して、ツバメが光を使うという事実は、付随的な事柄である。コウモリは、ひょっとしたらものの表面の音響的な肌理のような、反響音の有効な側面を表す内的なラベルとして「赤」や「青」のような形で知覚される色合いのようなものを使っているのではないかというのが、私の説である。ちょうど、ツバメが長い波長の光や短い光に対してラベルを貼るために、同じ知覚された色合いを使うのと同じことだ。要点はモデルの性質は、そこにかかわる感覚の様式(モダリティー)よりも使われ方によって決まるということである。心のモデルの一般的形式は_感覚神経からたえず入力されてくる変数とは反対に_、翼や脚や尾と同じように、動物の生活様式に対する一つの適応なのである。」(546~547ページより)としている。「ひょっとしたら、赤は光沢のある、青は柔らかな、緑はざらざらした表面かもしれない」。(548ページより)
 この考え方は幾分ウィトゲンシュタインの言語理論による使用ということを象徴してもいる。カテゴリー認識はその種の固有の必要性に応じて進化してきた筈であり、それを可能にするのは、日常的な使用という反復行為によってである。しかし理解出来ることは私たちに付与された生物学的条件に左右されていて、鳥の立場から飛ぶことを理解することも、分子や原子の立場からそれらを理解することも出来ないということを意味する。それは先にドーキンスが言ったこと、つまり似たものが一切ない場合でさえ、何か似たようなものを探し出してそれをこじつけて理解しようとする私たちの想像力の限界も示している。
 このような考えを適用すると「五輪書」に書かれた武蔵による記述の大半は、精神統一とかそういう宗教テクストである以前にまず科学的方法論のテクストだというのが私の考えだ。理解することは、時々に固有の体験を限定的に法則化して定理のようにする恣意的判断だ。だが武蔵が科学的に書を書いたのは死の恐怖から逃れるためだったのかも知れない。
 
 理解することは、日常的な反復行為において私たちが不可避的に必要とする目的に応じた「分かりやすさ」において、つまりドーキンスの言う精神的ブルカにおいて知覚判断的にも最も妥当な範囲内のものに収まるようになっているということだ。それは「信じられやすさ」にも大いに関係している。だからこそ古代からの哲学者たちによる哲学的理解と、昨今の自然科学上での法則的な発見との間で幾分ずれ込んでくる現実があるわけだ。  
 フッサールが「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」で述べている科学自体もまたそういう人間の極めて限定的な範囲内での「理解の仕方に関する一つの様相」でしかなく、要するにモデル化することを通してそれがあたかも日常的に判断していることの一つのように私たちの脳が勝手に決め込んでいるということだ。(常識とはそういう曖昧な区分けによって成立している)それは「正しいと思えること」の信念の問題へと行き着く。
 例えばドーキンスは例の色合いということについてクオリアさえ実は脳の内的なラベルであるとする。つまりクオリアとはコウモリにとっての音響学的波長の差異であっても、我々のように色彩的な官能性であっても、所詮それ自体は脳内でモデル化された像であり、それらを幻想として享受するということ以外のものではないということだ(ロボット工学者の前野隆司氏の考えもそうだ)。
 またクオリアは要するにその時々の記憶内容と、想起と、現在知覚による心的な過去と現在とのアナロジーやそれ故のその時々に固有の感情的様相と恐らく関係があるだろう。つまりそれは感動という質に対する信念によっても左右されるのだ(まさにクオリアとは現在知覚の生きられたデータそのものだと言ってよい)。
 それならばカントが「プロレゴメナ」において示したア・プリオリな知覚判断もそうだし、また先ほどの犬や猫や人間の学名的理解も、考古学的、進化論的認識論的カテゴリーによるものだ。つまり信念の一つのパターンだということになる。それは私たちの「分かりやすさ」に収まるものとしての一つのパターンだということだ。
 確かにある時ある状況において私がふと思い出したネコの肌触りに対する想起とは私に固有かも知れないものの、それを私以外の誰かが私と同じような状況に立たされその時私の時と同じように想起しても、恐らくそう違わない形で感受するのではないかという信頼の下に少なくともそのネコのことを想起した瞬間について私の記述は成立する。記述しないままでも恐らく私と似たような猫に関する経験があれば誰でも同じようにある状況でのある者のネコの肌触りに対する想起とはあり得ると私は常に信じて他者と発話する。
 実は私は私の同一性をそんなに信じてもいない(これは私に固有のことなのか、意外と多くの者と似た感覚があるかも知れないが、現時点ではこれは確認済みでない)。しかし少なくとも他者との間で私が成立するということは、少なくとも私以外の成員にとって私という存在に対する把握は何らかの形で統一された同一性という幻想を頼りにしているということだ。それは私が私以外の全ての他者に対して下している判断と同じようにである。またそれを私は知っていて、常に私は他者全てとあらゆる私の人生上での経験を共有していながら、同時に私に固有の経験の質というものもあるのではないかと常にその二つを往復している。
 例えばそれは剣士にとっての敵対する状況における集中力ということでも言えるのではないか?つまり武蔵にとって集中力は彼以外の全ての武者たちがなし得る体のものだったという意味で彼は「五輪書」を書いたろう。しかしそうしながら自分に固有の経験を他者に伝授するという意図もあったのだから、当然彼の時代において周囲の他の武者たちが容易に到達する術ではなかったとも言える。
 武蔵の「五輪書」の次の記述を下に少しそのことを考えてみよう。

 〔参考〕
 ⑥一 目付の事
 目をつけると云所、昔は色々在ることなれ共、今伝る処の目付は、大体顔に付るなり。目のさめ様は、常の目よりもすこし細き様にして、うらやかに見る也。目の玉を不動、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざは不及申、左右両脇迄も見ゆかる也。観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よわく見るべし。若又敵に知らすると云う目在り。意は目に付、心は不付物也。能々吟味有べし。(鎌谷茂雄「五輪書」講談社学術文庫 101~102ページより)

 観見とは見ていても自分の好きなように見るのではなく、本質を見抜く、つまり自我を超越し見て理解することである(武蔵は程よいあわいということを観察においても言っている。つまり心を強く見て表面の現象に囚われるなということである)。これは観智であり仏教では心で見ることを意味する。武蔵はまさにこのことを色々な語彙で示そうとしたのであり、それを少し考えてみると、こうなる。
 つまり我々は何かを言おうとする時は、何かを言いたいという気持ちでいる。その気持ちは何か私的な経験に根差している。それを一言で言い表す言葉があれば、それを使えばよいが、なかなか言いたいこと全てに対応すべく語彙が用意されていない。だから逆に一言で要約された語彙があることは取り立てて、他者に告げるまでもないことも多い。勿論それが初体験である場合感動して他者に告げることはあり得るが。
 つまり私的なことで少なくとも語彙化されていないと自分で思える体験であればあるほど他者に説明したい欲求に駆られる。そして何とかそれを説明して相手に理解して貰うよう試みる。その時そういう体験のことを仏教ではこう言いキリスト教ではこう言うと教えられるが、実際、既成のそれらの語彙によって示されたことが、自分の体験に該当するものかどうか終ぞ確かめようがない。そこでウィトゲンシュタインは私的言語を考えたわけだ。武蔵が考えていた観智には、体験を語彙化し、説明することを拒む想念を想念のままにして、精神を統一することを言っていたのではないだろうか?
 体験自体の身体論的なクオリアとは概して語彙選択して説明することを拒む。勿論どんな体験であれ語彙化して他者に伝えることは出来よう。現に武蔵でさえこのように語彙化し得ないものとして語彙化している。しかしその語彙化、つまり既成の概念に該当しない体験自体は誰しも持っていよう。それがどんな成員にとっても同じものかどうかは確認出来ない。その確認の出来なさ自体が心で見るということなのではないか?それはとどのつまり自分の内心によってのみ確認し、自分なりに理解することが大事であり、他者と説明し合って理解し合うとか、知識として共有し合うということではない形での体得のことを言いたかったのではないかと私は考えた。
 このことを言語行為に翻って考えてみると、どんな親しい間柄の会話でも、私たちは全て私的言語を棚上げにし、公的な言語で会話する。公的な語彙化された概念を私たちがその都度選択し利用し私的体験を語る。その語彙選択の際に私たちは表現出来なさを感じつつも、表現し得ることに置換する。つまり表現出来なさ自体を表現するという欲求が、その発話内容を敢えてその場で発することの意味を我々に感じ取らせている。いつでも当該する当たり前の事実であればあるほどわざわざ語るに値するとは思わない。発話する内容の選択が行為遂行的存在理由を持つ。
 それは同時に書かれたものの性質を実は、書く動機とか書く時の気分によって仮に同じ語彙、同じ文章、同じ意味内容を別のパラグラフに別の著者が示していたら、その背景となる思想や、私的経験は質も何もかも違うということだ。つまり「人生は長いが短い」という言葉を二人の文学者が別々の作品で書いているとしよう。しかしその二つの同じ意味内容の言葉は全く異なった体験とか異なった状況、異なった人格によって語られている。にもかかわらずその二つの言葉の意味内容は全く同じだ。しかしその書かれている文章の前後の文脈で、あるいはその作品が発表された時代状況とか、その著者が発表したモティヴェーションの差異によってかなり異なった意味、つまりその言葉に対する存在理由の与え方がある。
 それは武蔵が決闘毎に異なった相手(敵の剣士)と相対してその都度異なった判断をして命を繋いで来たこととは又別の意味でそうである。勿論同一の著者による同じ言葉においても、その都度異なった文脈的意味合いがある。つまりその言葉自体へ与える存在理由の意味が異なる。しかし体験者が異なれば、その言葉を体験として過去のある時点で生きたことの私的意味も違ってくることは当然だ。それは比較が同一人物の異なった時点での体験とは違って成立しないからである。だからこの比較し得るというところに私ということの同一性が考えられ、逆に比較し得ないというところに他者と私との間の断絶がある。
 と言うことは、私たちが日頃なし得ていると思っている理解もまた、極めて不合理なこととなる可能性がある。つまり理解し合っていること自体が幻想となるからだ。違った人格、違った身体、違った時点でのAという人物とBという人物の同じような体験という形でAがBに自分のある体験を語り、Bから理解され、共感されたとしても、それはとどのつまり比較し得ないもの同士の同一性への仮定でしかないからだ。しかしそれを敢えて同一のものとすること、それを敢えて理解し合えるとすることが他者の存在の在り方を自己にとって意味づけることである。つまりそのような仕方で他者に対して私があるということとなる。
 それは要するにどのような段階の、どのような濃密さがあるかはともかく「信じる」ということに尽きる。死をもって全てが終了するこの不合理である生の理由を前に何もすることが出来ない心の状態から救い、その不合理性を一時でも解消させることこそが、「信じる」ということだ。それは再び生を死への旅と考える不合理へと直面させる。しかしその度に我々は「信じる」ことで生に向き直る。要するに「信じる」ことは一つの生に向き合った時の決意なのだ。理解し合う可能性を信じることがその基本だと私は思う。
 剣士たちは剣の腕を磨くことによって剣術、武術の腕を磨く。同 様に作家や哲学者たちは皆文章を書くことで自らの思想の在り処を見出し、思想を練磨する。剣においてするか筆においてするかの違いがそこにあるだけだ。それらは端的にそういう練磨し熟達した世界観によって固有の「信じる」、つまりその道の真理に対する信仰を構築する。そうすることで生の帰着である死への旅という不合理に対して決着をその都度つけている。これは論理で導かれる結論ではなく、生の只中にあって私が実感し得ることである。

Sunday, October 4, 2009

第三章 意味を意味として受け取るということ

 武蔵が特定のライヴァルを持たず、全ての他者が敵であり得るという意識をどこかで持っていて、ライヴァルとライヴァル足り得ないことの差を自らの中で設けなかったことが、生涯一度も敵に打ち滅ぼされなかった理由だろうと私は思う。しかしそのように多分に懐疑主義的な態度で全ての他者に臨むことは彼にとって意志的な選択だったのだろうか?
 それを考えると、まずその前に意志的選択とは何かを規定しておく必要がある。意志とは時間的な意識でもあり、いつの間にかそういう気になっていたこともあるし、一定の段階を踏んでかなり自覚的にそういう気持ちにすることもある。いずれにせよ突発的にそういう気持ちになっても、少しずつそういう気持ちになっても時間と深いかかわりがある。
 それをベルグソンが純粋持続と呼んだのかも知れない、と私が言ったのは一瞬の寛ぎ的間隙を挟むことにおいてだったが、このこと、つまり突発的ということも少しずつということもそうだが、間隙があるからこそその他の緩やかで同質的時間があるのであり、少しずつ成就することがあるから、逆に突発的なことがある。
 武蔵は別に人一般に対して不信だったというのとも違うだろう。彼にもお通さんという人がいたわけだし、人を信じるという気持ちもあった。しかし同時に一旦どんなに善良である風に普段見える人でも、彼に襲いかかる悪鬼に豹変する可能性も秘めているということを知るという意味ではやはり純粋に他者を信用することに対して懐疑的だったと言ってよい。だからそういう相手に遭遇した時の突発的な他者に対する判断と同時に、幼少期から少しずつそういう体験を積み重ねていった判断もあったろう。しかしどこかで仄かに確信として立ち現われると言えば意志的だったが、色々ある中から選ぶと言えば選択的だったわけではなかろう。
 人間には常に何かをする時に必ず次のような選択肢があると私は思う。
 
① 当たり前のことを間違いなく行う。
② 多少間違ったことになっても、ただ当たり前のことではない何か新しいことに挑戦する。

 これは何も前者が年配者の常であり、後者が若者の特権という風にも単純には言えない。例えば①の判断を常にモットーとする若者も大勢いるし、若い頃そういうタイプだったので、年配になってから②の判断を貴重だと思う年配者も大勢いる。勿論①の判断を下らないと思う若者もいれば、②の判断を持っての他と考える年配者もいる。 
 端的に新しいこととか、チャレンジングなことは、伝統に対する破壊という性質がどこか伴う。だからそういうことは、安定感はないし、失敗するかも知れないが、モティヴェーションという意味では純粋だ。一方当たり前のことで、常識的にも順当であるとされることは、概してそれをしていることを誰に告げても怪訝な顔をされることも非難されることもないかわりに、賞賛されたり、凄いと言って貰えたりしないし、保守安定的に思われるかも知れない。だから二つの内どちらを選択するかというと、その時々の選択する側の人間の事情如何によるだろう。
 それは何かことを起こすとか、それまで通りに何かを踏襲するという選択肢だけではなく、愛や結婚にも当て嵌まる。例えばヘーゲルは「法の哲学」において、次のように書いている。

§一六四
 
 ちょうど契約の言葉による儀式的約定がすでにそれだけで所有の真の移行を含んでいるように〔§七九〕婚姻という倫理的な絆を結ぶことの同意を儀式的に宣言し、これに応じて家族と地方の自治団体がこの絆を承認し確認することが〔この点に教会が関係してくるということはもっと先の規定であって、ここで詳論するわけにはゆかない〕_婚姻の正式の締結と現実性をなす。だからこの結合は、こうした挙式が先に行われることによってのみ、倫理的なものとして確立されるのである。こうした挙式は、精神的なものの最も精神的な現存在としての言語というしるし〔§七八〕による実体的なことがらの完結なのである。 
 したがって自然的生命活動に属する感性的契機は、それの倫理的な関係のなかへ、倫理的結合の外面的な現存在に属する一つの結果および偶有性として位置づけられている。じっさい倫理的結合は、愛し合い助け合うことだけにつきるわけである。
 だれかが、法律的な諸規定を汲み出したり論評したりしようとして、何が婚姻の主要目的とみなされなくてはならないかと問う場合、この主要目的という言葉は、現実の婚姻生活の個々の面のうちでどれが他の面に比して本質的な面と認められなければならないか、ということを意味するものと解される。
 しかし、どの一つの面をとっても、それだけで、婚姻の即自かつ対自的に存在する内容の全婚姻、倫理的なものの全範囲をなすようなものは何一つないのであって、現実に現われた婚姻にあれこれの面が欠けることがあっても、婚姻の本質がそこなわれることはないのである。
 婚姻の締結そのものである儀式によって、この結合の本質が感情や特殊な愛着といった偶然的なものを超えた倫理的なものであることが表明され確言されるのである。
 しかし、もしこの儀式が、外面的な形式と解されたり、いうところのたんに市民的律法と解されるならば、この行為の意義として残るものは、たとえばこの行為が婚姻という市民的関係を教化し確証する目的をもっているということとか、そうでなければ、この行為が市民的ないし教会的な律法のたんに既成の恣意であるということだけになる。この後の場合は、この律法は、婚姻の本性にとってたんにどうでもよいものと考えられるだけではない。律法だからという理由で、この正式の締結に心から価値をおかなくてはならず、この締結を、相互に完全に身を捧げ合うことに先行すべき条件とみなさなくてはならないとされるかぎり、この律法はまた、愛の心術を汚すものとされ、疎ましいものとしてこの合一の真心からの繋がりに逆行するものとされるのである。
 だがこうした意見は、愛の自由や愛の真心や愛の完璧さについて最高の概念を与えると自負しながら、それどころか逆に、愛の倫理的な面を、すなわちいっそう高い位置に立ってたんなる自然衝動を抑え退ける愛のはたらきを、否認するのである。だがこのはたらきは、もともと自然的に羞恥心のうちに含まれており、また、もっと明確な精神的意識によって高められて貞潔や躾のよさになっているのである。
 さらにいえば、右の見方では婚姻の倫理的規定は投げ捨てられている。婚姻の倫理的規定はつぎのことにこそあるのだからである。すなわちそれは、意識が自然性と主観性を脱して実体的なものについての思想へとおのれを集中し、感性的愛着の偶然と恣意をいつまでもおのれのもとに残しておかないで、こうした恣意から婚姻の結合を取り出し、そして家神たちに義務を負うて婚姻の結合を実体的なものに委ねる、ということにあるのである。そしてまた婚姻の倫理的規定は、意識が感性的契機を、たんに制限された一契機へと引きずりおろすことに、すなわち婚姻関係における真実にして倫理的なものによってたんなる一契機へと引きずりおとすことにあるのである。この実体的関係の思弁的本性をつかむことができないのが破廉恥というものであり、また破廉恥を支持する悟性なのである。だが腐っていない倫理的心情は、キリスト教諸国民の立法と同様、この思弁的本性と一致している。(「法の哲学Ⅱ」47~50ページより、藤野渉、赤沢正敏訳、中公クラシックス)
 
 この文章にはヘーゲルその人の愛という名の理性の前に存在する彼の肉欲的本性というもう一つの存在者の実存に対する羞恥とそれに対する「構え」がよく示されている。つまりこの文章から私たちは愛を手続きであるとして、その持続とか社会的安定と考えるか、それともそのモティヴェーション的な純粋さにおいて考えるかということを、当のヘーゲル自身がいかに懊悩していたかが読み取れる気が私にはするが、どうだろうか?しかもモティヴェーション的な純粋さを彼は肉欲としてではなく、それを理性へと高めるエロスのアガペー化とでも言うべき価値真理として考えている。と言うのもこの文章でまず初めから「婚姻の締結そのものである儀式によって、この結合の本質が感情や特殊な愛着といった偶然的なものを超えた倫理的なものであることが表明され確言されるのである」までにヘーゲルは制度としての結婚への社会からの承認をまず言い、続いてそれを形式的な追従なだけであることから、愛の心術という言葉で示される、愛を育むそのプロセス、モティヴェーションに対する純粋さを通して制度追随的選択を批判しておきながら、再び前言を撤回するかの如く「だがこうした意見は、」から逆に今度はただ単なる自然衝動を悪として捉え、それを抑制する理性論の立場に立って、そういう純粋主義の危険を指摘しているからである。ヘーゲルは少なくともここではどちらが正しいかの結論を控えている。
 と言うことは、ある意味ではそのどちらが正しいかということで思い悩むこと自体を別に悪いことであるとしているどころか、それを通過しない安易な選択を批判していることになる。
 これを私が示した①と②の選択肢を通して考えてみると、愛の動機の純粋さと、その清らかさを称揚するとしたら、人生全体をある種別次元の幸福と至福の感情へと誘う②を選択することが正しいことになるが、そうではなく社会全体に対する調和とか、安定ということだけを考えれば①が正しいことになる。これはある意味では深く問題提起された課題に対処していくことを避ける、つまり愛を手続きだけでよいとか、それ以上深く理性論的に追求していくことを忌避することにも繋がる。しかし愛は実存的に捉えればなるほど肉欲的であり羞恥を伴うものだ。だからこそ何故人は異性同士で愛し合うのだろうという問題提起で、肉欲とその純粋な精神的目的との折り合いをつけることに悩む。ヘーゲルもまたそうだったのだ。
 これは恋愛とか結婚が若い人にとってではなく年長者にとっても重大事であることを考えれば、①の場合制度的に結婚していい条件として、定収入があるとか、相互に健康であるとか、周囲の社会が
彼らの交際そのものを健全なものとして認め、それを結婚という形で一定の制度として位置づけることを順当であると周囲の人間共々認め合うことが第一で、その恋愛の契機となる感情の純粋や恋愛に費やされるエネルギーを節約し得るし、結婚することで相互の人生の在り方がよくなるか悪くなるかは今のところ未知数ではあれ、少なくとも恐らくかなり生活状況とか周囲の人間関係自体もネガティヴに変化させてゆくだろうと推定されるような冒険とは、対極に位置するものである。
 つまりこの二つはある意味ではたまたまここで恋愛と結婚という形で示したが、どういう仕事に就くかという選択肢においても普通に安定した企業に就職するかとか、自ら起業するかとかの判断にも繋がり、あらゆる行為選択につき纏い、全てのケースにおいて①と②を適用して考えることが出来る。
 何故そのように考えるかというと、私たちは人生そのものをどのような瞬間の出来事であれ、その一瞬を過ぎたら、その瞬間は二度と取り戻すこともその瞬間が訪れる以前の状態にも戻れないという一回性として誰でも理解して、出来るなら後で「あんな選択をしなければよかった」と後悔しないようにしたいと願っているからだ。
 そして後になって考えた場合①の選択肢と②の選択肢のどちらが自分にとって悔いの残らない決心だったかということに対する考えにおいて、人それぞれ①だと主張する人もいれば、②だと主張する人もいるだろうし、その選択を迫られる当の状況次第で概ね常に①か②の選択肢を採る人でも、ある場合には逆にすることもあるだろうし、立場が反転することもある。
 言ってみれば、それが人生に対する思想である。そのようにある条件を示されて、その条件下ではこれこれこういう決断をすると思うことに対する判断の即決性こそが信条だし、性格でもある。人生全体をどのように捉えているのかに対する自分なりの判断がそれであり、それは人生や、生自体の意味、つまり価値判断なのである。
 しかしその生に対する価値判断や意味を、第一に考えることも出来れば、そういう題目よりも実利的な幸福とか利益を第一に考えることも出来、後はその人なりの主観領域に属すが、もし前者のように捉える者は、意味に対する洞察を好み意味とは何かと考え、後者のように捉える者は、意味とは何かと考える前に意味あると思うものに従えばいい(行動すればいい)というモットーであると言ってもいいだろう。しかしそのことは①を後者、②を前者とすることが出来るくらいには単純ではない。と言うのも②もまた後者に属する場合があるし、①も前者に属す場合があるからだ。よく考えて①を選択する場合があるし、即決的に①を選択する場合もある。また周囲の環境からの影響で②を選択する場合もあるし、自分一人で周囲の大勢に反対して①を選択する場合もあるからだ。
 そこで①と②の選択肢を次のように言い換えてみよう。
 
① 失敗を省みない行為の無謀さを恥じる勇気
② 失敗をも恐れないで何かを行う勇気

 例えばこの二つの観点を再びヘーゲル的な愛と結婚という形でまた暫く考えてみよう。
 私は愛ということを異性愛に限れば、かつてで次のように書いたことがあるので、その文章を一部そのままの形で引用してみよう。

 人間は社会的責務とか義務とか社会からの要請によって行動することが多いということは君にも理解出来るよね、あなたはそういうことなら遠の昔から知っていただろう。しかし人を好きになるという感情はそういう責務とか義務とか社会的要請とは別個の形でやってくる。例えばクラスメートだから、同僚だから巧くやっていくという決意は誰しも持っている。しかし一人の同僚の中でもクラスメートの中でも好きなこととそうでないことの両方があるのは仕方ないだろう。好きになる理由は、仕事で知り合った人と仕事上で巧くやっていけることからその人がいい仕事仲間とかクライアントとかということで好きになることはあるだろう。しかし恐らくその中でもその人間的な性格や人間性が好きになるのは、そういう巧くやれる関係というのともまた違うものとしてあるだろう。
 昨今猟奇的衝動無差別殺人が多くなってきたが、彼らは果たして弁護側が常に持ち出してくる心神耗弱ということが当て嵌まるのだろうか?彼らは殺人が道徳的にも法的にも許されないことを知っているし、その上で二人以上殺したなら死刑になるということも知っていて尚且つ実行している。そういう意味では怨恨による殺人以外でも人を殺して充実した気分でいるということも生理的にも心理的にも原理的に可能だろう。あるいは死刑になるという可能性を受け容れてさえ、ひょっとしたら死刑だけは免れる可能性に賭けてもしそうなった時に儲けものだと思える時の愉悦を味わいたくそれで人を殺す動機とする者さえいるかも知れない。そういうスリルを自分の命を賭けてでも味わいたいという欲求が人間の潜在的な部分にはあるのかも知れない。
 そういうことというのは、恐らく被害者の家族からすれば許せないことなのだろうが、人間はかように衝動的な部分もあるのだということだけは彼らとて認めるだろう。しかし裏を返せばあなたが、そして君が人を好きになる時、果たして倫理的な理由からだろうか。あるいはその人が理性論的に道徳的、社会模範的だからだろうか?そうではないだろう。恐らく君は、あなたは僕と同じように、好きになった人を褒めるために褒められる理由を探し、あの人は家族を大事にして、仕事にも責任感があると言いたいのだ。つまり人に対する好感情も、悪感情も全て衝動的な部類に属す。しかし一旦好きになった人と巧くやりたいために我々は友情とか愛情というモラルを持ち出す。そしてその人の人物評定として道徳的だとかいう修辞を持ち出すのである。
 そしてこうも言える。特に異性間での愛情とはまた一層厄介で、ある意味では異性を愛するという行為決断は、人を殺したいくらい憎むということと似ているところもある。つまり好きになった人を異性として抱きしめ、性行為することは、衝動的レヴェルでは人を殺すことくらいに突発的なことである。そしてその決断が正しかったとしたいから我々はただ後づけ的に結婚という社会形式とか慣習を受け容れ、保険に加入するような具合で配偶者と権利を分け合うのだ。しかし最初に結婚したい人が見つかることとは、恐らく義務的であるとか社会的責務であるよりは遺産相続を巡って配偶者を必要とするような特殊なケース以外では現代では稀だろう。つまり誰と結婚するかという初期段階での選択の問題とは、好きになる人に対してどうしてその人が好きになったかという理由を説明が出来ないのと同じようなレヴェルの衝動的な気分の問題である。恐らく幼少の頃から昆虫採集が好きで好きでたまらかったとか、楽器を演奏することが苦ではなかったとか、哲学に関心があり、特にその中でもこれこれこういう命題に熱中してしまっていたというようなことと同じように、説明出来るようなレヴェルの理由では決してない。
 それらは衝動的にある人が嫌いになり、あるいは最初から嫌悪感を抱かずにはおられないということや、どうしても許せない一言をあいつは吐いたのだとかいう判断と同様、好きになることはどうしようもないし、その中でも超度級に異性を愛する衝動は、相手との合意がある場合に限ってだが、どうしようもない運命的な出会いとしか言いようがない。恐らくこう言えばあなたにも、そして若い君にも似たような経験があるに違いない。繰り返すが、道徳とか常識とか世間体とかそういうことは、出来上がった感情を日常生活において後づけ的に正当なる位置づけをするために拵えたものでしかない。つまりある好きになった人と常に一緒にいたいから結婚という社会的制度を利用するのであり、好きになった友人と長くつき合いたいからその人に対する人物評定をするために様々なモラル論的な価値基準、例えば友情を持ち込むのである。(「アンニュイとメランコリーを抱きしめて」から)

 愛という衝動は、ある意味では相手に対する慈しみという意味ばかりではなく、これは生物学的に実証されていることだが、相手に対してこちらのエゴイズム、それは精神的なものだけではなくもっと生理的本能レヴェルのエゴイズムを発揮し、自分の遺伝子がそのメリットのために相手のデメリットを承知で相手をパートナーとして獲得するような行動や、恋愛そのものに纏わる決心をさせるということもある。
 それはたまたま私が殺人と比喩的に捉えてみたが、例えば武蔵の一生とは、彼自身の剣士としての能力と技能を追求し、それを立証するために多くの他者の命を彼自身が奪うことの選択だったが、その犠牲となった魂を弔うために彫刻を作り、彼自身の大勢の死者の魂への鎮魂と、贖罪の心理が渦巻く精神的不安定を除去するために絵画を描いたとも捉えられる。そしてそれは①と②の選択肢を両方とも充足し得るようなタイプの行為の連続だった気がする。それは後悔が、どういうことに浮上するかに関する人生に対する思想の違いと言えば言える。つまり死者を大勢出しても彼は自らの剣の腕を証明することを怠ることの方により大きな後悔を感じ取ったのだ。
 それは恋愛に関しても結婚に関しても周囲の関係者全員をひどく苦しめることを分かっていて敢えてそこに突入するという選択肢は存在し得るし、そうしたために非難を浴びてさえ、それをしなかった時の方が後悔するということは選択肢を巡る人生に対する思想上あり得る。
 パブロ・ピカソは生涯で八人の女性を愛したが、その内一人は自殺へと追い込み一人は精神疾患へと追い込んだ。そしてそうしながら尚且つ若い頃だけは貧困であったが、ある時期を境に彼は経済的にも成功し、アート史上でも類を見ない成功者となった。彼の人生は権力志向ではないが少なくとも彼の業績自体は立派な権力を持っている。それに対してどんなに剣士の間で敬意を集めていたとしても、武蔵の剣豪としての業績自体は権威があっても、権力とは無縁だ。それはピカソの絵画のように世界に名だたる美術館に保管されないし、死ぬまで誰かに狙われて殺される危険と隣り合わせだったからだ。武蔵は生涯権力と無縁の男だったのだ。
 しかし彼の「五輪書」中、∧地之巻∨の結語で彼は次のようにしている。

 また集団の兵法としては、立派な人物を部下にもつことに成功し、多くの部下を上手に使い、わが身を正し、国を立派に治め、民をよく養い、世の秩序を保つことができる。
 どんな道であろうと、人に負けないところが分かり、身を助け、名をあげることが、そのまま兵法の道なのである。
 正保二年(一六四五)五月十二日             新免武蔵
  寺尾孫丞 殿
 寛文七年(一六六七)二月五日        寺尾夢世勝延(花神)
  山本源介殿

 つまりここで国とか世という語彙を使用していることに私は人間の欲望の凄まじさを感じる。つまりそれは一介の剣士が哲学者へと昇格することを渇望していることを意味するからだ。
 確かにソクラテスは生涯権力と無縁だった。しかしプラトンはアカデメイアを創設し、ソクラテスの意志を継ぎつつも、権力保持者だった。ヘーゲルもまた権力というものを少なくとも当時のアカデミズムにおいて保持し得た数少ない職業哲学者としての成功者だ。だからプラトンの「国家」もヘーゲルの「法の哲学」も成功者の書いたテクストである。
 しかし声望とか剣士の間での神話とか尊敬的な意味での権威があっても、武蔵の生活自体が裕福だったわけではないし、生涯風呂にも入らなかったとさえ言われるその生活は権力志向でもなければ、権力附帯的現実とも程遠いのに、テクスト上ではこのような国とか世という観念が浮上していたことに私は人間の奥深い理念的な欲望と、後世へと現世の貧困とか、苦悩の結果とは裏腹に理念として実現されるという名望への執着、権威として威光を放つことを望む心理が垣間見え興味が尽きない。(浅野裕一氏「儒教ルサンチマンの宗教」によると孔子もまた今私が述べたような野望を弟子へと引き継がせたという主張となっている。)
 ここで権威ということと権力ということの違いと共通点について簡単に整理しておこう。
 端的に権力とは対立によって生まれることもあるが、それは結果的なことであり、概して権力そのものを欲する者は対立を避ける傾向があると思う。それは保身ということだけの意味でそうなのではない。例えば対話の内には相手を押し退けても自らの意見を通すという性質があり、それは自らの拠って立つ地盤そのものの根幹を揺るがしかねない行為である。しかし真に安定した権力を望む者はそのような危険で不安定な可能性へは賭けない。つまり平和裏に全てを行い、特に自らよりも下位者に対して木目細かい包容力を示し、彼らから人望を得ることを望む。そして彼への人望に惹かれて集まる下位者たちは、彼の権力の術数に嵌り込むという仕組みである。
 しかし権威はそういうものとは本質的に異なる。結果的に権力を保持した権威者という意味ではピカソもそうだろうが、権威とは全く権力を保持していない場合も多い。その端的な例として武蔵を挙げてもいいだろう。つまり優れていること、そしてその優越さが認可されていることと、その優越さが政治力に直結していることはまた別の問題だからだ。だからある時期の皇族とは日本史においてそういう存在だったし、今でも政治的権力という意味では皇族の存在理由は(文化的)権威という面が大きいと考えていいだろう。
 しかし権力とは盲目の下位者からの信頼が前提される。しかしその持続期間は必ずしも長いとは限らない。しかし権威とは一旦多くの者に受容されると、権力よりは長い期間文化として持続する場合も多い。それは盲目の信頼ではなく寧ろ堅実な見識、あるいは伝統的な文化概念に則った安定したコードなのだ。そしてそういう安定性のコードは最初は失敗を省みずに行った行為だった。例えばピカソの「アヴィニョンの娘たち」は時代の空気を敏感に読み取ったピカソによる一世一代の大当たり博打である。しかしそれが一旦確立した様式や表現方法の中にキュビスムという形で認可されると、そのスタイルを踏襲することはアーティストにとって無難な現代アートの技法になる。それは現代アートの文脈では①の選択肢だ。
 それは天才的な剣士が編み出した剣法とて同じだろう。あるいは天才茶人が生み出した所作とか茶道の仕来りと同じである。
 しかしある行為を通り一遍の仕方であるとか、革新的であるとかの意識を普段から私たちはしているわけではない。何らかの目的的行為である場合を除いて私たちは、ただ単にある反復に飽きたり、たまには全く今までしてきたことと違うことをしたりするというだけのことだ。だが一番重要なことは、何をするにせよ、我々はいつかは死ぬのであり、しかも完成された生を生きることなど誰にも出来はしないのだ。つまり未完成な生を生き、未完成に欲求も、願望も、理想も実現せずに死ぬ。(寺山修司もかつて確か、僕たちは未完成の死体として生まれ、完全な死体として死ぬと言ったと思う。)いつ死ぬにしても完成された形で、あるいは予定調和的にある特定の与えられた目的のために充足していたと結果的に言える生などは一つもない。我々は未完成に生まれて未完成に死ぬ。ただそう思いたくないだけのことだ。だからこそある行為を①とか②といった価値判断の下に我々は勇気をどのように捉えるべきかと思い悩むのだ。また一々そう意識しないでも、そのように意志決定がそういう性格を帯びて判断している。 
 
 ①失敗を省みない行為の無謀さを恥じる勇気
 ②失敗をも恐れないで何かを行う勇気

 ここに示された考えは、その時々の潜在的な欲求にも根差している。①では思い切ってやってみたはいいものの、悲惨な結果を招いたという前例に対して、それを二度と繰り返してはいけないという判断であり、②では何ら思い切ったことをすることも出来ず、通り一遍で大胆さの一滴も見いだせず、生活上で大きな変化を待ち望みながら実現されていない状況全般に対する打破の欲求に満ちている。つまりその都度我々はこの二つのいずれかを最良とするかという二極分離的なことを象徴させながら、その中間とか、どちらかというと①か②という風に決定している。
 例えば武蔵は常にこの二つの選択肢の二つを同時に満足するようなこと、つまり双方が他方へと接近して一致する地点を目指して剣を持って敵に相対したのではないだろうか?①が充満してきたところの一瞬の間隙を狙って②を採用し、②の決定に従って①を拠り戻すというようにである。
 人間は未完成に生まれて未完成に死ぬ。その現実と運命において全ての目的、全ての後悔が生まれる。だから①はしたことに対する後悔で②はしなかったことに対する後悔だ。しかし心理学ではしたことの後悔より、しなかったことの後悔の方が大きいと考える。しかしそれはしたことの内容にも拠るだろう。あるいは人間はそれをしたことによって死刑になるような運命を引き受けても尚、してよかったというようなことがあるのだろうか?あるかも知れない。と言うのも最終的には全てはそれをした者にしか分からない心による判断の問題だからである。
 消極的な行為に終始してきた敗退者こそ心理学の言うようなしなかったことによる後悔の方のした後悔に対する優位を主張するだろう。しかしそうなるとどういう行為が積極的で、どういう行為をそうではないと言うかという判断に全てが委ねられることになる。
 そこで行為自体の意味、つまり人生全体に寄与する存在理由を我々は考えざるを得ない。つまり行為をある目的に供するものと考えながら、その目的設定自体が人生全体にどんな意味を持つのかという判断をするのだ。それは意味、つまり生きる意味の設定による。つまり生き方の選択の問題にかかわる。
 ある生き方をする者にとって別のある生き方は自分にとっては何の意味もないということになるし、一つ一つの目的設定とは人生全体に関する生き方の選択の問題である哲学的な問題設定へと直結し得る。問題設定とはミシェル・アンリが「現出の本質」で、あるいはヒラリー・パットナムが「理性・真理・歴史」でも多用した概念である。つまりそれは哲学者にとって人生が意味によって規定し得るものなのかという問いのことである。それはもっと単純に言えば人生は果たして意味のあるものなのかという究極の問いという深遠を覗き込むことなのだ。 
 そうなるとまず問題となるのは、意味とは相対的なものなのかということである。つまり意味が絶対であり、その意味に従って人生は組み立てるべきものなのか、それとも意味というものはそもそも人生を価値あるもの、あるいはもっと世俗的に言えば年老いてから後悔することなく送るために見いだされた便利な概念にしか過ぎないのかということである。前者が意味の絶対説と言ってもいいし後者が意味の相対説と言ってもいい。
 人生が意味とか価値とかによって規範化する以上に何か崇高だと考えたり、あるいはそういう風に規定したりすること自体に何らかの誤りがあるのではないかと感じる向きには明らかに意味とは相対的なものである。しかしそのように人生を何らかの概念によって規定することが無謀だと感じたり、価値化したりすることより一切そう考えずに何か常に行動することが重要であり、いやそれを重要だと考える以前に行動してそれについて一々反省しないことが価値規範的に人生を嵌め込まないことだと感じることは、そもそも私たちが既に意味を信じて、それを疑うことなく生きているからではないか?そう考えると、意味は絶対であるとまでは言えなくてもやはり不可避的に何かが存在すると考えたり、存在するものに対して何かを考えたりすることの根幹のものだと考えられる。
 それは意味を意味として受け取ることであり、そういう思惟を携えて生活するとは、意味を意味として受け取る生き方であると言える。私が二つ前までの段落で示した相対説とは、端的にある種の思い込み、恣意的な決意であるとしか考えられない。つまり意味とは信じるように私たちがしているものなのであり、その意味の存在を「存在する事実」として認可することなのであり、存在していることに対して意味づける限りで存在するが、通常の存在物のようには存在し得ないものとして意味を捉えるべきなのである。故に私にはそういう風に不可避的に立ち現われる意味に対して相対説は明らかにその不可避性に対して目を背け、行動する渦中に常に身を置きたいと願う自己の行動し得ない優柔不断に対する踏ん切りのように思われて仕方がない。意味の相対説とは恣意的な決意なのだ。
 だから意味とは不可避的に立ち現われる限り絶対であるが、それは存在する事物の実在のように絶対ではない(それも本当のところは存在するものだって絶対かどうか分からないのだが)とだけは言えそうだ。だから逆に意味を意味として受け取ることは、意味を、実在する事物ではないから大したことはないとする見方か、いやその見方はそもそも存在するものを存在すると言い、その認識から存在物を私たちの存在と関係づけることをして、意味を見出し、見出された意味から全てを存在すると考えているのだから必然的に虚無的な誤謬を含むとする見方かということにおいて、私は後者の考えである。意味を存在するものとして受け取るということは通常の実在物と等価に捉えることから、そういう風には存在しないのだから大したことではないとするように誘引する可能性も一方であるが、他方意味そのものの存在とは、通常の実在物とは本質的に違うが価値があるのだとする見方を誘引する可能性もあり、私は後者の考えに与する。
 意味を意味として存在すると捉えればよいのである。それはそうすることで、人生をただ生物学的なその都度の本能という形で捉えるのではなく意味あるものにしたいという意味の在り方へ直結する。それが前章において捉えた人生に対する思想へと結果的には繋がっていく。①とか②で示したようには通常哲学では言わない。それは思考実験を哲学者がする時それを比喩であるとかアイロニーであると言わないことと同じようにである。だから今私が示した見方はある意味では哲学外的な哲学への見方かも知れない。(第一章を参照されたい)つまり思想から哲学を捉えるということである。しかし人生に対する思想を哲学者が携えている限り彼らもまたそのものを直視せざるを得ないのではないだろうか?

Thursday, October 1, 2009

第二章 価値と判断

 哲学は科学と違って、判断、つまり何が正しく、何が正しくないかということに対する判断において、個人間に横たわる信念の差異に応じて異なった仕方が立ち現われる可能性を常に考慮に入れて論じるべきものである。
 科学では本質的に同意し得るものを基準に、そこに向けて実験、証明が行われる。しかし哲学は本来科学の持っているような反証可能性よりは、もっと証明が不可能なようなタイプの心の問題に肉薄する。そのために哲学では論理的に正しいと立証されたものや論理的に正当性があるとされるものを前にしても、それを信じることがたやすいかとか、心の奥底で納得し得るのかと問われれば、百人が百人異なった考えを持つような意味で個人的な主観に根差した反応の在り方を一般化して論じるので、必然的に仮に出された結論も、ただ従い同意することを目的としてはいない。何故なら心の問題とはそもそもルールに従うというようにはいかないからだ。
 例えば論理的に立証されている正しいことでさえ、その正しさ自体の内的な信憑性とは、極めて曖昧であり、仮に多くの人々にとって信じがたい事実でも、科学的真理としては正しいものとして認めることが社会的には求められても、その事実自体に対して自分はどう思えるのかという問いに対しては、それぞれ異なった判断が成立していようとそれ自体を咎める必要はさらさらない。従って内的な判断の問題は本質的に個人に内在する経験的直観に委ねられている。そして外的判断を巡る一般的な真理に対しても、私たちはそれを内的ルールとして規定してつき従う義務はない。勿論ある哲学的なリサーチグループ内で取り敢えずの真理としてそれを採用するという試み自体はあり得るし、あって然るべきだ。しかしそれはそのルールが一般化され得るようなタイプの捉え方で存在するのではない。
 つまり哲学とは本質的に、ある判断をする時、その判断が一般的真理として立ち現われることを別に期待しない。それは哲学が基本的に価値領域に論争の向かう先が設定されているからである。価値はルールとして採用されるべき一般的真理ではなく、たとえそのように一般には思われるものであっても、そのルールは社会的な欺瞞かも知れないし、因習かも知れないという風に懐疑的に取り扱われるべき筋合いのものとして認識すべきである。
 しかしそのことで哲学は相対主義だという結論に至ることはない。何故なら相対主義とは、端的に全ての論争を封印する性質があり、哲学では避ける傾向があるからだ。論争などする必要がない、何故なら全ての判断は個人でなすべきであり、判断の正当性を論争することが不毛であるという判断が基本にあるのが相対主義だからだ。
 つまり哲学では論争すること自体が封印されることがないばかりか、ある正当なる論理において一般化され得るルールが提出されても、そもそもそのルール自体に対してどう思えるかということ自体を他者に対して強制することも、変更を迫ることも不可能なのであり、端的にそのような心の在り方への強制に対する不可能性という無力さ自体が哲学の基本的な姿勢であり力でもあるからだ。
 だから哲学の場合、論争すること、あるいは常に取り敢えずの真理を提出することは不毛ではないと同意しているし、同時に仮に出された真理でも、それに対してルール化して常に従うことを一般化することは決してない。そしてその真理に対する個々の思え方に対して再び別の取り敢えずの真理が出されて、やがていつかは不動の真理の到達点があるのではないかと思えたとしても、その思いそのものが幻想であるということをも常に論理的射程、論理的可能性、倫理的選択肢の一つとして残しておく必要がある。
 つまり価値に対する判断は、それが相対主義であると納得することは許されないが、と言って、その判断の個々の差異そのものに対する一般的真理が見出されても、それは普遍化されたルールにはならないという自覚だけが、その判断の差異に対する真理へ向かう論争を正当化する。つまり哲学論争するのも、将来絶対正しくつき従うべきルールを見出すためではなくそんなものを私たちは求める必要などないことに価値を見出したいという欲求からなのだ。
 つまり哲学において到達すべき真理があるとすれば、それは往々にして大したものではないということがある。それはフィロソフィーという英単語の意味にある「諦念」がギリシャ以来延々と普遍的に介在してきていることにも関係ある。その真理の中には当然論理的正当性や論理的説得力も、論理的に正当性が容易に見出され得ないものに比べればさして重要なものではないという考えを認めているからに他ならない。つまり哲学においては仮にカントが定言命法と呼んだものが「あるとしても」、それは「ある」としたその瞬間に逃れていく可能性を認め、そのように常に「ある」とすることを不毛化する反復自体をどこかで常に持ち、仮に不動の定法を要求するような心理に私たちがなっていった場合すら、残しておく必要があるという思考の容認なのである。
 カントは恐らくそのことを知っていた。しかしそれを敢えて言及しないことに意味があったのだ。つまり哲学者ではない者に哲学を理解させるために幾多の便利な言説を彼自身がしたわけがない。だからカントを読めば確かに定言命法というものが確固とした形で存在し得るかの如く幻想を得る。しかしそれは直ちにカントの言説が意味するところを示しているのではない。しかもそれを彼は比喩(アレゴリー)として示したのでもない。メタファーでもない。それは意志的に充実したカント自身の何らかの世界に対する願望、いや意志的な世界への、いや神への命令であったかも知れない。それは個から発せられているから個的なものである筈だが、我々がカントを読むとそうは感じられない。そこに我々は普遍を発見する。しかもその普遍は誰しもがその者に固有の解釈によって自己内のルールを構築することを意志することが可能なように配慮されている。例えばその端的な例こそが「自らの格律を誰しもが格律とし得るようなものとして設定せよ」ということである。
 だから哲学では仮にルールがあったとしても、そのルールは定法として存在する必要がないばかりか、そもそもそのような定法そのものに対する懐疑をも(心の余裕とでも呼ぶべきものとして)常に残しておく必要がある。それは哲学が限りない能力への信奉そのものを捨てている、その無力性、あるいは限界そのものに寧ろ積極的な可能性を見いだしているからである。(だからこそ哲学は真に権力とは無縁である。)だから哲学において限界と言う時それは必ずしも無力だと言うことではない、いや仮に無力であったとしても、そのどこが悪いという問いをも封印することがない。無力の価値を残しておく必要があるということだ。それは価値判断が、そもそも個人の主観とか相対的なものだということに拠るのではなく、あらゆる価値判断を支える何かを「信じる」ということが生きる上で最も個人的にも、対他的にも基本的なことであり、それはルールに従うという社会規範的なことと両立し得ることであり、論理的正当性とも別な形であり、それと一致しなくても共存し得る。
 価値とは相対的なものなのではなく、「信じる」ことが常に内的に不可避的に必要であること、判断することが「信じる」ことを支えとして行われているとは言え、それが行動において必ず実現しなくても、行動全てが「信じる」ことに追随していることは理想だが、そう理想どおりにはいかないこともあると認めている。その意味ではアクラシアもまた私たちにとってなくならない。
 だからこそ価値を巡る判断が私たちを再び哲学的論争へと誘う。その論争では価値と判断と行動と信念の間の関係を問う。
 例えば私たちには、真理を見いだす必要があることと、真理を見いだすことにさして意味があるとは思われないことがある。だがそのことは前者が意味のあることであり、後者は意味がないとは意味しない。真理を見いだすことに意味や価値がある場合もあれば、真理を見いだすことに意味や価値がないことに意味や価値がある場合もあるとだけ言える。
 あるいは哲学的であるということは意味のあることかも知れないが、常に哲学的であることが正しいとか、意味があるということでもない。例えばある場合には最も非哲学的な判断こそ最も正しく意味があることもある。
 つまりそのことを常に選択肢として残しておく態度こそが最も哲学的であるかも知れないし、哲学的であるとか哲学的ではないという問いは別に意味あることかどうかはともかく、それを知る上でも哲学が必要なのだ。
 哲学的に生きる、哲学者として生きることは、科学的に生きる、科学者として生きるという決意が科学外的に決意することであると同様、哲学外的に決意することである。要するにそのように決意することは、一旦そのように生きだしたら再び何故そのような決意を抱くに至ったかを忘れる必要があるということである。(このことは哲学者、永井均氏が常に主張していることである。第十六章で詳述する。)
 永井均氏は、デレク・パーフィットが示した思考実験(「理由と人格」)に対して強い関心を示している。もし今私と全く分子組成の同じもう一人の私が、今の私が消滅したその瞬間誕生したなら、その時私とそのもう一人の私は意識や記憶ということだけではなく、私の心全部をそのまま引継ぎ、私は私が一瞬死んだということさえ理解出来ないようにいつものままでいられるだろうかということや、私がほんの十秒くらいだけでも、そのもう一人の私の誕生を知っていたのなら、私は死に、そこで私の人生は終わり、しかしもう一人の私は私とは別人としての人生を生きるだろうが、それは死んだ私にはかかわりないかということを論じている。
 しかし恐らく現代の科学的見地からは、そのような状態が具現化されることはないだろう。しかしもしそのような状態になったのなら、ひょっとしたら、前者の場合私は私が死にその瞬間別の私が誕生したということを理解することさえなくそのままいつものように生活していることになるのかも知れない。これは結構恐ろしいことだが、よく私たちが言う人が変わるということは他人から見ればよく分かるのに、自分だけが気づいていないことがある。だが問題なのは後者の方である。後者のようなことというのはもっとあり得なさがつき纏っているように私には思える。しかしにもかかわらず、もしそうだったなら、私がもう一人の私と意識を共有することはなさそうだとだけは誰でも言える気がする。
 茂木健一郎氏もまた「脳とクオリア」で似たことを述べているが、氏の場合明らかに何億年くらいたってから、再び私と同一の分子組成のもう一人の私が誕生したなら、私が死んだ瞬間そのもう一人の私の気持ちになっているだろうというものである。これは先ほどの前者の解釈の時間スパンを一気に拡張した考え方である。そして同一律に対する信頼もある。と言うことが逆にそのような同一のものが別の空間に、あるいは別の時間枠に登場する可能性が限りなくゼロに近いという確信が我々にあることも示している。
 それはしかし私が哲学者として生きることと、哲学的に生きると決意すること二つの場合でも言えるのではないだろうか?確かにこの決意はそのままではただの人生観である。しかし決意してそのように生きることがたやすいのなら、それはそれで同一律を巡るパーフィット流の思考実験と似てはいないだろうか?
 つまり何かを決意してその決意を百パーセント実現することが通常(勿論ゼロではない)限りなく不可能に近いからこそ、私たちは常に百パーセントを目指すのではないだろうか?つまりこう言える。私たちは自分の考えを他人に押しつけることも出来なければ、他人から押しつけられることもない代わりに、常に自分の考えさえ揺らいでいる。だからその揺らぎを限りなく同一性を保持することが出来たと思えるくらいに是正しようと努めるからこそ、他者と論じる。その意志と行為そのものが哲学だということだ。(それは哲学者として生きるということではないが、哲学的に生きるということでもない)「それはあいつの考えだ」とは端的にそのようにその者を社会的にその者の同一性として容認することだ。そのように同一性の中に他者を位置づけ、自分も他者から位置づけられることによって私たちは社会生活を全うし、そうしているという気分を得る。
 つまり私たちは価値を同一性の中に見いだしている。しかしその見いだされたものとは見いだし得ないということの中に潜んでいる。つまり「それはあいつの考えだ」と私たちが言う時、それは限りなく私たちが彼に期待することであり、彼がその期待に応えていることであり、それは本当の彼自身とも少し違う。だから同一性とは、端的に極めて曖昧で、欺瞞的なことでもある。勿論私が限界と言う時そこには否定的ニュアンスばかりではないように、この欺瞞的というのも同じである。
 すると同一性として語られたパーフィットの思考実験は、私は私であってもう一人の私とは違うとも言えるし、同じとも言えるとしか言いようがなくなる。要はどのように私ともう一人の私との関係を考えるか、いや「信じる」かということになる。
 例えば私は確かに三十年前の私の記憶を保持しているが、今の私は明らかにその当時の私とは違う。記憶の連続性ということを言うなら、私は過去の私と繋がってはいるが、三十年前の私と今の私は徐々に変化してき続けている。しかしそのことは三十年前の私と二十九年前の私とが同じではないが、今の私と三十年前の私の違いよりは近いと言える気がするという意味で私は変化し続けているから 、どの時点でも私は私だが、その時に立たされた身体的条件や周囲の状況が異なっているとだけは言える。しかし常にその時々の私の気持ちを私は覚えており、そのことを通して私は今の私と三十年前の私を一瞬で、一々三十年を順次辿ることなく同じ私と理解し得るし、その時の気持ちも一瞬で蘇る。
 つまり記憶も記憶内容も私にとっては順次連続していることを理解出来るが、同時に「あれはいつのことだったっけ。京都旅行の後だっけ、それより前だっけ?」と誰か私を知る人に私の周囲であったことを質問することがある。勿論それは少し時間が経ってからが多いが、これは記憶が前後関係のシステムの中にだけあるのではないことを証明している。つまり一つ一つの記憶内容は因果論的な意味での先後関係としてではなく時間順序的ではない形での個々のエピソードとして独立して記憶されている。
 しかし私たちは一瞬前のことでも「蝿が僕の目に近づいてきた」と誰かに告げることが可能だ。そうすることによって一瞬前のことを明確に「今ではない」という形で過去化する。これは中島義道氏も述べている。我々は何かを報告し、その何かに言及することを通して過去化する。その何かを今ではない形で理解することを通して過去へ追い遣り、事実化することで記憶内容を固定化する。
 つまり固定化された記憶を通して過去を理解したがる。またそのような記憶を引き出す判断自体もまた固定化された私の中の価値に支えられている。だから過去の出来事に対する捉え方がおかしいと感じれば、その都度私は私の中に固定化された価値を修正しようとする。そして私たちが恐らくその価値が私たち自身によってその都度固定化され直してきていることを知っている。ただ普段は固定化し直していることや価値を汲み直しているとは気づかない。
 つまり同一性とはそれに縋ることが可能なくらいの設定値として常に作られ続けているのだ。価値とその判断によって示される揺らぎとその修正ということを考えればそれは納得出来よう。同一性を保証したいために私たちは常に価値を判断し、その判断の正当性を巡って苦慮する。同一性とは同一だと思える連続性によって私たちが自身に保証している。何故同一性をそうやって保証しようとするかと言えば、相互に他者間において私たちは彼とか私とかあなたと呼ぶことを可能にするためだ。全ての同一性が幻想だとなれば、その時には完全に私とあなたと彼、彼女との関係は曖昧化していく。しかし哲学的論争ではその都度の結論(それは先に真理ということで言った)を出すことが目的であるなら、当然私たちはその都度真理を見いだすために誰それがこういう意見だったとか、その考えは誰が考えついたのかと、ノーベル賞を授与する人物を特定するように調べる必要はあまり意味がないという意味では、同一性を一々特定の個人に帰着させる仕方は、科学の場合で言うならディタッチメント(茂木健一郎氏が「「脳」整理法」において強調している)という観点とも共通してあまり意味のあることではない。つまり私の今の考えは次の瞬間私とは別の誰かの発言によって修正を余儀なくされる可能性を絶えず秘めていて、論じて何かその都度結論を出すことにおいて個々の発言の功績とは取るに足らないからだ。
 そうなると私にとっての価値より、私たちの価値が重要だということになる。判断もまた私のものよりも私たちのものが優先されることになる。そして私たちは皆、私に限って考えれば、私は常に「私たち」の価値と判断と「私」の価値と判断とが極端に乖離してはいないかと私自身に対してチェックしている。それを考慮に入れれば、私であるということとは私以外の全ての者との相関でしか考えることが出来ない。
 しかし今私は「私たちは皆、私に限って考えれば、私は常に私たちの価値と判断と私の価値と判断とが極端に乖離してはいないかと私自身に対してチェックしている。それを考慮に入れれば、私であるということとは私以外の全ての者との相関でしか考えることが出来ない」と言ったが、これは私の経験を通した私以外の成員への私の側からの勝手な解釈にしか過ぎない。本当は違うかも知れない。
 しかし様々なテクストや人の話によって私は今私が述べたような仕方で、私を通した私たちという像を構築している。そしてその時私の意見、あなたの意見、彼の意見、彼女の意見という風にそこに、少なくとも論争をしていた時のことに限ってそれぞれに同一性を持たせてその相関を解釈する。しかしその同一性は次に皆が一同に会した時にはまた微妙に変化している。すると、私たち一人一人の記憶を巡る変化の軌跡が示されることになり、再びそこに履歴、来歴的な同一性が個々に付与される。
 価値とはそういった変化の履歴、来歴、あるいはそのことの固有性に対して付与され、その価値を価値とするのは、価値であるとする判断だ。そしてその判断もまた先ほど述べたように価値という基準に縋っている。これらは常に全てが全てに対して相補的である。
 価値が同一性と深い関係にありそうだとだけはこれで理解出来た。しかしその同一性とは端的に他者間相互の相手に対する記憶とは相互にチェックし合う記憶の相同性である。「あの時俺はこう言った筈だ」と誰かが言ったとしてもその場に居合わせた他の全員が「違う、君はあの時そう言ったのではない、こう言ったのだ」と認め合えば、それ以上その者は自己の記憶の正当性をそこで主張することが困難になる。だからこそ逆にある者を陥れることも出来る。
 価値と同一性に対する判断もまた、何らかの形で価値と同一性に依拠している。そして価値と同一性に対する判断が意味を産出するとも言える。「あいつの意見はころころ変わる」とか「あいつは何事にも一直線過ぎてついていくのがやっとだ」とかいう意見が出される。それは彼とか彼女に対する期待値に関する判断に依拠している。それが彼や彼女の同一性に対する合意だ。そしてそのように彼や彼女に対して下された判定が、一般化されると意味となる。そしてその意味が反復されたり、全く別の場所や状況でも確認されたりすると、その時それは真理化する。それが彼の性格だ、と。
 勿論それはある方向から見た他者像というものに対する偏執的な固着に過ぎないとも言えるし、そういう偏向した見方である可能性は常に否定し得ない。だがそうとも言えない場合もある、と私はそう言った時、私は私以外の大勢の人から同じような体験談を聞かされたと言って他者を説得する。その時私は私の意見を真理として固定化させるために大勢ということを利用して、私の意見を権威的なものとして正当化する。
 しかしよく考えれば全ての発言、全ての論述、全ての言説は、この権威正当化(以下権威化と言う)の過程だと言えまいか?私は何かについて述べること自体がそのことを通してそれを過去化させ、今ではないという形でその何かを意味化することを既に述べた。そうしながら私たちが過去の何かに対する解釈やその何かに対する存在理由=意味に対し現在の私たちの側が権威化しようとしているのだ。全ての判断、全ての価値ありとされたものにも権威化の過程が潜んでいる。
 つまり意味化ということが既に過去に対する現在優位性の誇示であり、現在からの過去の何かに対する解釈の自由の確保であり、それは未来へ向けて思考することが出来る「現在の我々」の権威の誇示なのだ。しかし「転校生とブラックジャック」で永井氏が示しているように、実は忘れられた過去にこそ真実があるかも知れない。
 哲学外的に考えられるからこそ、哲学的に生きようと私は決心出来ると言った。このことは哲学外的でいられることの自由を私が放棄しない限り常に可能だ。しかし哲学的に生きることを常に決意するとしたら、それは結局私が常に哲学的には生きていないということであり、私の生活での非実現に対する願望にしか過ぎなくなる。しかしもしそうなら私は哲学外的に生きることも出来ない。哲学外的に生きるとは哲学的に生きた者にしか可能ではない。
 常に非科学的に思考するのが好きだったが「そうだ。俺ももう妄想するだけの毎日に飽きがきた。明日からは少し科学的なものの見方をして生活しよう」と心に決めた者がいたとしよう。しかしそういう決意を心に抱くことが出来るのは、彼が恐らく明日もまた今日と同じように生活することが出来ると固く信じているからだ。勿論明日になる前にその者は事故に遭うか殺害され死ぬかも知れない。
 しかし重要なことは、そう決意することを通して、私たちは常に過去の自分と決別して、未来で実現する自分の方を優先させることだ。そして現在というものの優位を誇示するために、絶えず過去をそのための道具として利用しているということだ。つまり記憶とはそのためにあるのだと考えることも出来る。勿論その時々の過去はその時だけに固有の意味がある筈だった。しかし過ぎてしまえば、全ての過去はその時々の現在のための道具としてだけ利用される運命にある。私たちはそのようには未来に対して接することは出来ない。未来とは未だ起きていない、どうなるか定かでないものの総称だからだ。にもかかわらず、私たちは未来にどうなっているかということを想像して、あるいはその想像を現実のものとしようと目的を立て、決意する。それは未来に対しても私たちが現在を権威化している証拠だ。未来までも現在の手下にする腹積もりなのである。
 だから当然未来において私が今したいと思ったことの全てをなすことは出来ないが、ある程度過去における決意の通りになることもある。その二つの間の食い違い、つまり決意内容と決意したことの内で実現出来なかったことの間の違いこそが、新たな意味を創造する。それに何か固有の価値があるとつい私たちは判断してしまう。それは「過去において私が出来なかったこと」としてどういうわけは固有の輝きを放つもののようだ。これは何も意図的に過去の思いを美化してそうなるのでなく、自然にそう思えるのだ。勿論そこには別の予定外に獲得し得たことも横たわっている。
 実は生きていくこと、生活することというのは絶えずこの二つが共存しているということだ。価値は一方で実現し得たことの味方であるにもかかわらず、他方では常に実現し得なかったことの味方となり、それが理想となる。前者は恐らくそれが集団であれば文化とか、伝統とか呼ばれ、個人であれば性格とか資質とか呼ばれる。
 
 私たちは考えていることの全てを実現することは出来ないにもかかわらず、例えば今私が書いているこの文章は何らかの意味でここ数日考えてきたことをベースに書かれている。つまり考えの全てを実現不可能であるにもかかわらず、記述も発話も全て考えに従っているということだ。つまり発話も記述も考えたことの一部が具現化されたものだ。
 しかしその内には取りこぼしたものも多いので、ならばいっそ考えたことを全て実現しようともし決意するなら、他者に向けて一切発言せず、想定した他者に対して記述するという行為さえ一切差し控えた方が効果的である。だが我々は全ての人に自分の考えを伝えることも出来ないので仕方なく記述する。それに心の中で思いついた願望には行為にするには倫理的にはネガティヴなものも含まれていてその実行を我々は危険だと知り差し控えている。だからこそ私たちは発話とか記述も立派な行為だと認可している。ここら辺の考えはプラトンからヘーゲルらに至るまで普遍的視点である。
 考えたことのほんの一部だけが実現され、そうなることで社会は安定を保つ。つまり価値というものは考えたことのほんの一部だけがなり得る可能性を秘めていると我々は判断する。それは他者に何かを発言する場合でも言える。そこには多分に選択が介在する。しかもその選択は極めて文化的にも伝統的にも、あるいは性格的にも資質的にもなされる。ただ単純にあの時こう言ったから今度はこう言おうという判断だけからではない。にもかかわらず一旦出された発言や記述は全て公的な意味合いにおいて、真理命題論的に解釈される素材になる。つまりカントがどのような人間であってあることを記述したということよりも、カントによってたまたま書かれたある記述自体が意味するものの方を私たちは優先する。意味とはある個人によって出された意見であっても、その個人の資質や性格とかその者固有の事情とかとは別個にそれ自体で独立して存在し得る。それは実在論的には存在と呼べないような存在の仕方でである。ここで少しこのことを考えてみよう。
 つまり「言及」や「考え」自体は必ずしも存在というレヴェルでは事物ではない。つまりそれらは我々によって事実とされるだけだ。「言及されたこと」や「考えられたこと」とは、認識論的に存在したのだ。しかしそれらの記録は存在する。従ってこうなる。
 意味自体は存在ではない。意味とは存在するものに対してなされる認識である。ハイデッガーは「存在と時間」において存在することすら哲学的存在者である私たちによってのみ得られると考えている。動物たちにとって事物は存在するのではない。ただそこに見え、聞こえるだけだ。それらは全て彼らにとって現象しているだけでだが我々のように現象であるという認識すらもない。
 しかし私たちはただ存在しているものだけを頼りに生活しているのではない。農業をするのにも、ある穀物とかある果実が食用として適していると考えそれを生産している。つまり存在するものと存在し得るものとを意味づけ、その意味づけに従って農業とか漁業とか、全ての産業を成立させている。つまり存在するものを通して存在し得るものも存在させることで、存在に意味を付与している。
 となると、私たちは存在するもの以上に、存在し得るものや存在自体への意味づけを優先していることになる。勿論存在しているものがあるからこそ存在し得るものに対する意識は形成される。しかし私たちは存在するものに対して存在し得るものという対比でそれを見ることが可能だからこそ、存在という概念に到達してもいるのだ。つまり存在するものを、今ここには不在のものとの対比で考えることが出来る。これは不在に対する表象能力と同時に、不在と存在とを重ね合わす能力だ。
 尤もごく単純なこととしては動物にもそれは出来る。しかし彼らはそれを認識化し、認識全体を構造化することが出来ない。つまりある植物を食用にするという発想は動物にも可能である。しかしその行為を行為自体として拡張して、農業行為まで出来ない。
 勿論ハキリアリは新鮮な葉をちぎり、それを倒れた樹木の裂け目の湿った箇所に植え込み、それが発酵するのを待って、キノコ類が発生したらそれを食す。しかしそれは丁度ビーバーがダムを作り、そこで漁猟をするのと同じで予め行動全体が遺伝子に組み込まれている。自らの行動は既に決定されている。その中でも多少の工夫はあっても、全体的に例えば私たちが農業生産需給率を上げるとか、生産を抑制するということを直観で理解しているだけであり、そのシステム全体を明示することが出来ない。明示化するということから、人間だけがアート(そこから派生した図で示した概念)を理解することが出来る。(脳科学が最前線で証明されたい)
 今ここにある地図に示されたこの箇所があのここから見える山だという認識を人間ならたやすく得ることが出来るし、イーゼルの前に置かれた画用紙に絵として描かれたポットが今目の前に置かれたポットであると同定することが出来る。それが存在する事物をシステム論的に全体として理解することだ。動物には恐らく左とか右という明示的な認識もないだろう。(右にあるものと左にあるものを区別出来ても)
 つまり私たちは存在に対するシステム論的全体像の理解をすることが容易だ。この存在認識は本来そういう仕方の理解を既に含んでいる。しかも私たちは価値に対するシステム論的全体像の理解ということさえする。空間を前にして何かを見るように倫理とか価値について考えることが出来る。どれそれの考え方は別のあれこれの考え方とどういう関係にある、という風に、空間的に解釈することも可能だ。
 永井均氏が利己主義に対して利今主義、独我論に対して独今論、唯物論に対して唯今論という風に論を展開しているのも全てこの応用だと言える。つまりそれら異なったカテゴリー間の関係に内在するアナロジーを見出し永井氏は適用しているのだ。
 例えば小浜逸郎氏が「言葉はなぜ通じないのか」(PHP新書刊)で次のように述べている。

(前略)
 私の考えでは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、言葉の無理解、齟齬は、言語それ自体による齟齬ではないのです。言い換えると、言葉の無理解、齟齬といった事態がはらんでいる問題のいちばん根っこにあるのは、表現された言葉の論理的なつじつま合わなさとか、表現が難解であるとか、支離滅裂なことを言っているとかいうことではないのです。
 もちろんそういう場合も多々あります。しかしこれらは、言語のもっているロゴス的な側面そのものをきちんと整えることによって、原理的には解きほぐすことができる問題です。これまで確認してきたように、言語はたんなるロゴスではありません。それは発生の母胎を、私たちの情緒的な同調に置いています。(中略)言葉の無理解は、話し手の心身を聞き手の心身がなぞりなおすところにはじめて訪れてきます。
 そしてまた、言葉というものは、世界を論理的に明らかにするとか、世界の構造をそのまま映し出すなどのためにあるのではなく、私たち自身の関係のそのつどの組み替えのためにあるのです。いわゆる真理の解明のための言葉もまた、その目的を、人間自身の関係の組み替えというところに置いています。
 ですから、ある発せられた言葉の価値は、命題の真偽というようなところにその究極的な根拠をもつのではなく、発話の状況のなかで適切か不適切かというところに根拠をもつのです。つまり関係をどう変えたかが、言葉の価値を決める尺度なのです。
 論理的に偽であるような命題や、パラドキシカルな命題、同語反復的な命題を、冗談やお笑いのセリフ、皮肉、暗喩などで使えば、意味や価値をもつことがあるのです。
 また、何度も同じことを強調するというようなことも、それを発する感情的な根拠というところに要点を置けば、発話者当人にとって価値をもつけれど、聞いている人間にとってはマイナスの価値しかもたないということになります。ケンカなどを延々と続けると、双方が同じことばかり言っていて決着がつかないということがよくありますね。でも、それは感情の表出として、当人たちにとっては意味があるのです。(194~196ページより)

 つまり私たちは論理命題真理というものがあるからこそ、論理的ではないつまり小浜氏が指摘されているような意味での情緒とか感情的な同調というようなことが考えの内に存在し得るのだ。考え方の順序として、まず存在しているのは、小浜氏の指摘されているような発話者相互の現実なのである。しかしそれを小浜氏の謂いのように分析し得るのは、小浜氏が批判している分析哲学的な方法である命題真理的真偽という認識なのだ。つまり小浜氏の指摘は、その指摘を支えている批判対象に依存している。それは端的に空間同定的なシステム論的全体像、例えばあるりんごが机の上に置かれてあるその背景にはカーテンが垂れ下がってりんごの一部を覆っている(まるでセザンヌの絵画のようなシチュエーションだ)ような状況的認知こそがはそのシステム的全体の印象から受ける意味を実存として我々に喚起するように、感情とか意思疎通を人間社会で考える時に、ある発言の背景にはその発言をした者の心理にこれこれこういうことがあってその心理は彼のどれそれの経験に起因してというような一枚の絵画や一つの空間でのインスタレーション的な関係や情景を捉えたものの全体性をどこかでヒントにしたような絵図が頭に浮かぶ。(だからこそ感情は、その認識の枠組みにおいて発見した事実に対して例えば憤りを感じたりするのだ。「あいつの一言はやはり侮辱だったのだ」という風に。)概念図や概略図をテクストで示しながら自説を展開する学者たちの意図とは、読者に印象づけるためである。ここら辺のことは寧ろ脳科学者たちの方がより巧みな解説をされるだろう。つまり記憶させやすい仕方をその都度選んでいる。これは演説においてよりそれを聴取している大衆に印象に残るような語り方とか内容を選択している政治家の手法にも通じる。つまり理解しやすい形で何かが示されれば我々はそれを意味として受け取り、記憶しようと一々意識しないでも自然と記憶に残る。そして記憶しているからこそそれに価値があるように私たちは思う。そう判断している。
 クオリアはクオリアを必要とする何らかの形式的な知覚とか、言語論理的な構造がまずあって、然る後に「それだけではないだろう」という哲学者や脳科学者たちの要請によって出現した概念である。だから逆に論理的命題とか、真理といった形式的な概念が提出されていない状態ではクオリアのような発想は出てこないままでいただろう。そもそも色彩とか質感とか、触感とか食感といったものは、言語が私たちの下に意思疎通の手段や思考の手段として存在し得ないのなら、いつまでたっても概念化することすらなかっただろう。何故ならそれらは要するに言語化されたものと言語化からどうしても抜け落ちてしまうものという区分けによってのみ提出され得る認識論的発想だからである。
 言語のない世界において私たちは果たして今のような形で私たちであり得るだろうか?あり得ないだろう。そこでは言語化され得ないままのものしか存在し得ないから、必然的に瞬間的な印象と学習的な記憶しかないから、私たちは世界を、存在を、意味を把握することなくただ生きている状態を享受するだけだろう。夢くらいなら見ることがあってもあのデカルトのように夢と現実とを二項対立的に認識することすら不可能のまま時だけが過ぎ去っていくだろう。私たちは幸い時だけが空しく過ぎ去っていくということを言語的に認識しつつ、その「時の流れの空しさ」自体を実感し得る。それは私たちがそのような感慨自体を言語で把握しつつ、その把握した意味から世界を、時間自体を見ようとするからである。
 そのような見方自体は、恐らく時間とか時間の中を生きることを価値論的に優位に考える我々の習慣があるからだ。何故そのような価値的優位性が存在し得るかとは私たちが皆やがて死んでいくことを知っているからだ。人生において全ての瞬間が充実していると感じる者には真の充実ということは訪れないかも知れない。寧ろ常に空虚な思いで満たされている者だけがある時何かに覚醒することの充実に神からの恩寵だと感謝する。
 私たちの記憶は絶えず意味的に変容している。記憶された内容に関してではない。その内容そのものの現在から見た在り方、つまり記憶内容そのものに我々が意味を付与するその付与の仕方自体がその都度変わり得るからだ。それはあるエピソード記憶に対する想起の仕方にも相違をその都度来たすし、そのエピソードが人生に存在したということの存在理由の位置づけに対してもその都度変化していくことを意味する。
 例えば美しさとは常に美しいものには訪れない。だからクオリアという概念が形式化された知覚全体に対する認識によって逆に尊いものであると脳科学者たちが考えているような意味で、詩人が美しいものを感じるという場合にその美しさを際立たせる幾多の凡庸的な現実が必要となる。そのような対比的な認識は科学者、論理学者、哲学者、アーティスト、詩人全ての仕事に言える。いや全てのビジネスマン、私も含めた全ての生活困窮者たち、全ての政治家にも該当するだろう。
 美しさという認識は、醜さによって引き立つというよりは、美しくもなく、醜くもないということによって引き立つ。何故なら醜いことは極めて美しいことと隣接しており、似ているからだ。真に美しいものほどそれが翳る時には醜く感じられる。例えば日常的にあまり親しくない、いや敵対するような相手から得られる共感や親切ほど染み入るものはないように。
 しかしそれは親しい者の存在を別に軽くしたり、意味的な充実から逸脱させたりはしない。真に充実していることは、全てが共存しているが、拮抗していたり、対立していたりということが仮にあっても、相互の存在を無効化するということでは恐らくない。存在の否定は途轍もないエネルギーが必要とする。相手を抹殺することを意味するからだ。しかし存在を否定された者は肯定された者よりもより必死になる。従って存在の否定とは概して功を奏さない。だから逆に存在の肯定よりも存在の否定の方が相手から絡めとられている。つまり相手の存在をより強固に認可している逆説的状況を生む。しかしその時私たちが相手の存在を否定も肯定もしないで、共存を持続し得るなら、私たちはその時最も相手からも、こちらからも相互に大きな存在理由を、しかも暗黙の内に認めることになる。これは相手に対する配慮であると同時に尊重や敬意であると同時に敬遠でも不干渉でもある。こういう状況を全ての他者との間で構築し得る者を不幸と呼ぶのなら、いかにこの不幸が充実した緊張であると言えないだろうか?
 幸福の定義とはそう簡単ではない。生涯を逃亡に費やした犯罪者たちが真に不幸だとする見解も無効だ。それはニーチェ的な意味で同情が許されないからだけでなく、レヴィナス的な意味でも私たちは死刑囚や戦争の犠牲者たちにさえその人生が不幸だったなどとは不用意には発言してはいけないのだ。それは死が崇高だからではない。生がそう簡単に幸福という名で定義され得ないからだ。権力を十二分に行使し得た者と同様に戦争で一番に射殺された兵士、処刑された者の人生はそれはそれで充実していた筈だ。ここら辺はサルトル的な見解かも知れない。サルトルは確かに自由意志絶対論者としてハイデッガーより死や無意識といったものをより殺伐と捉えた。彼にとってハイデッガーのように死は崇高ではなく即物的であり、絶対即自的に死を扱う。
 しかしサルトルは価値や枠組みというものを例えばギルバート・ライルによって思考の枠組みを取り違えた者がルールを本当の意味ではよく理解していること(それは大学という定義を巡って「心の概念」に示されている。)とは全く違った形で示した。それは、価値とは汲み取るものではなく、勝ち取るものだということである。それは彼の場合自由の獲得と同じなのだ。
 ライルは、クリプキがルールが与えられているものではなく、寧ろ創造するものであるという認識から逆に既存のルールに従うこと自体に内在する無自覚的な自己欺瞞に対する批判として「ウィトゲンシュタインのパラドックス」において示したような意味で、既に命名ということに類する了解における常識が、常に問われないままでいる非哲学性に疑問を抱いていた。それはオースティンが命名することに内在する意味化作用、存在理由としての位置づけ、あるいは行為する決意を明示することに内在する言語的な命題真理外的なことを主張したこと(「言語と行為」)とも大いに関連がある。
 物事に対するアレゴリーやメタファーやアイロニーといったものは全て価値に対するシステム論的全体像の理解が誘引する。何かを主張することは、その何かに対して思いがあるからとは限らない。勿論最も非哲学的に主張することが効果的な例は先に述べたように幾らでもある。事実今目の前で溺れている子供がいたのなら、「私は果たしてこの子供助けるべきなのだろうか?」というような哲学的問いはない方がいい。またある哲学者がある言説を記述している場合、そのままに解釈していった方が哲学者の意を汲むことになる場合もあるし、そうでない場合もある。ライルとかクリプキは私から見れば文の読解だけでは哲学の本質的理解は出来ない。
 しかしカントはそうではない。そのまま論理を受け取る必要があるのでもない。つまり今言ったどちらにも該当しない。私はカントを神に対してさえ命令しているのではないかと述べた。そうだ。既に賢明なる読者たちはお気づきであろうが、カントは既にクリプキの述べたルールの自己創出性に対する主張をしていたのだ。しかしカントは言い過ぎない形でのクリプキ的な省略主義ではない。アレゴリーも彼の場合は豊かではない。アイロニーにしてはどぎつ過ぎる。それは神への命令という願望であり(無神論の萌芽とも言える)、その願望を自らの哲学を理解する者に対してのみ共有させようとする意志である。故にそれは理解する者にとって重要なテクストとしてではなく、共感し得る者にとってのみ重要なテクストだということをカントの場合示している。それは私的言語という形で「哲学探求」において示したウィトゲンシュタインのテクストが持っていた性質と似通ってもいる。
 しかし日本人は基本的に仮に正しいことを言っていてもその意味内容において同意するよりは、もっと話者の対話中の物腰とか付随的なこと、つまり言及内容を信頼あるものとして演出する能力の方から評価するところがある。まさにこのことが「言葉はなぜ通じないのか」で小浜逸郎氏が指摘しているところなのだ。
 これはある意味では欧米人たちが究極的には理想としているところを、既に能力として保持してしまっているということに他ならない。しかしこれは安心していいことではない。カントに見られる極度に不器用な比喩の貧しさやウィトゲンシュタインの執拗な言語行為とそれに付随する心理に対する拘りが日本人には欠けている。クリプキに見られる極度の懐疑主義的な天邪鬼、それらは、それらを通過した者にしか見えない真理として、解脱的な真理にまで到達することを真に望む試みとして私には理解出来るからだ。
 私には既に殆ど夢というものなどないし、野心もない。ただ楽しく生きたいと願うだけだ。それは争いを好まないということではなく、寧ろ本当の正義を信じることが出来ないということの方に近い。京都に住む者は殆ど真剣には巣晴らしい文化遺産を見ないだろう。そうするのは一部の人を除けば殆ど年配者である。つまり死に対してそろそろ準備する年頃になったのだと私は今回京都旅行をして感じた。
 私より少し若く三木清は死んだが、彼もまた死に対してある種の親近感を抱くようになったと晩年のテクストで述べている。少し死に対して準備するには早いかも知れないが、少なくとも青年期に固有の野心とか正義とは無縁の地点に自分が立っていることを感じざるを得ない。この章を閉じるに当たって、価値とは何かということの結論を敢えて出さずおこうと思う。何故なら価値とは規定し得るものではないからだ。それは個々が誰にも相談することなしに、見出すものだ。つまり価値と判断が全ての人にとってどのようであろうとそれに対してとやかく言う筋合いはないからこそ、それを誰しもが求める。しかしいざそれを見いだそうとしながらいつまでたっても見出せないと誰しもいらいらし、焦りを感じ始める。しかしよく考えると、焦って誰かに相談して何になろう。深夜高速バスに乗って旅をする若者も、彼らの「夜行の時間」が誰しもいつかは死ぬことを知っているからこそ、「このバスに乗っている間は私たちは隣人だ」という意識を持てるのだ。これはキリスト教倫理に限らない。何故なら我々日本人でも聖書に書かれた説諭に心惹かれることからも、仏教とかキリスト教とか、イスラム教とかいう宗教伝統や文化はそんなに深刻な問題ではない。ドーキンスが「神は妄想である」で述べていることは、宗教感情そのものを教義=法秩序としている宗教権力に徹底的に糾弾しているのであり、彼は宗教感情の発露それ自体を否定しているのではない。何故なら宗教教義自体に対して懐疑的になる彼の考えそのものが既に一つの宗教感情に他ならないからだ。価値はそこら中に転がっているが、それに気づかないことの方が多い。気づかないという判断に私たちは既に価値を見いだしかけている。