Monday, August 16, 2010

<感情と意味>第五章 第三節 親しみのあるものを呼ぶ時

 先日、国立科学博物館に大恐竜展を見に行った。そのついでに特別企画展以外の地球館と日本館も観覧して楽しんだ。その時屋上に上がり、ジュースを飲んで喉の渇きを潤していた時、興味深い子ども(恐らく三四歳くらいの三人)の会話を聴いた。三十代くらいの母親が座って飲んでいた時周りに駆けずり回っていたのだが、その時その中の一人が階下に臨まれる上野駅の電車を皆で眺めながら、「ねえ、常磐線いた?」と別の一人に聞いたのだ。まるで人を探すように「いた?」と聞いたことが面白かった。言葉を習得する過程で、自分にとって親しみのあるものは全て人間のように「いた?」と聞くということが新鮮な発想に思えたのだ。
 私たち大人なら恐らく「常磐線見えるか?」とか「常磐線停車しているか?」とかそう聞くことだろう。しかし恐らくそう聞いた子どもたちは常磐線に乗ってそこまで来ていたのだろう。言語習得の過程で理解しやすいように言い、じきにその言い方がそれぞれ家族、他人、著名人や歴史上の人物、あるいはものや道具に対してそれぞれ固有の言い方があることを学んでいくが、その最初に抱いた親しみのあるものを「いる」と擬人化(勿論彼らにとっては擬人化という意識はない)することがごく自然であること自体が一つの発見であった。
 私たちは親しい人でも他人に対しては一定の敬意を示すような呼び方をするし、有名人とか歴史上の人物に対しては公共的価値から呼び捨てにする。そのような区別自体を学ぶのにあとどれくらいその時にいた子どもたちに必要なのかは分からない。勿論個人差もあるのだろう。私は大体においていろいろなことを他の子どもたちに教えてもらってきたタイプである。でもそれでもある時期から異様にそういう言い方に対して自覚的になっていった気がする。もうあまりにも昔のことなので、大分うろ覚えになってしまっているが。
 言葉に対する感性は恐らく一回そういう感性を全て失ってからもう一度取り戻すということにおいて才能がいるのだろうと思う。
 三十年くらい前あるゼミに参加した時、そのゼミは現代アートの理論と実践のゼミだったのだが、今では故人となられたある主催者は私たちゼミ参加生に対して「一度失ったものをもう一度取り戻していく作業がアートだと思います」と述べておられたことを昨日のことのように思い出す。
 文学や哲学にもそのような性質があるだろうと思う。つまりある言葉自体に対してその成り立ちや、その言葉に接する時のこちら側の感性、クオリア、ニュアンスの把握の仕方といったことが鋭敏であることを求められるのだ。
 確かに恐竜にはある親しみを持てる部分がある。そしてそれは私たちにとって馴染みのある動物、鳥の祖先であるという感覚もあって見ることが出来る。しかし全ての生命には共通した遺伝子その他のコードがあることを知ると、また違った見方を恐竜に対しても持つようになる。何故人間の十数倍以上の長さ君臨してきた生命がそんなに短期間に絶滅したのか?(隕石衝突説など諸説ある)
 だからそれは私たち人間にも当て嵌まる。それは親しいものを私たち自身のように呼ぶ子どもの発想から考え直す必要性を物語っているようにも思われる。
 別に私はエコ的な発想でそう言っているわけではない。あと千年たったなら、南極さえ溶け出すそうである。そして三メートルくらい標準海水面が上昇するそうだ。その時人類は恐らくその時なりの自然に対する対応をしているだろう。あるいはもっと早く人類は絶滅して、イルカのように頭脳の優れた動物の中から人間の立場に近い地位まで進化し続ける種が登場するのだろうか?そんなことはあり得ないと考えている脳科学者の方が多い(例えばジョン・エックルズ)だろうが、別のタイプの進化学者ならそういう可能性も考慮して未来図に臨むかも知れない。
 それでもその時人間くらいに進化した高等知性生命体がいたとしたら、タイムマシーンに乗ってその時代に今から行けるものなら、彼らと話してみたいとそうも思う。そういう考えってどうだろう?

 端的に動物を自分たち人間と親しみのあるものとして取り扱うという意識には羞恥が付き纏う。それは科学者であるなら忌避したいところの心理(読まれたくはない)である。それと似たことが言語習得期の子どもにも付き纏い、親しみを持って「常磐線いる?」と聞くことに対してある時期から羞恥を感じだすのだ。親しい者を親しくない者の前でぞんざいに紹介するということにおいて日本人は長けているが、では欧米人であれ親しい者のことを他人に紹介する時褒めたり自分にとって重要な存在であることを強調して紹介したりしても、そこには羞恥の克服が伴っているだけのことであり、日本人のように羞恥を文化的に許容することと羞恥自体を存在認可しているという意味では同じである。

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