Sunday, August 29, 2010

<感情と意味>第五章 第十節 自分より年少者に対して感じることから伺えること 

 自分より若い世代の人たちがどういう考えで生活していっているかということへ興味が出てくるのは四十代以降の人々にとってはごく自然なことだろう。そして今現在四十九歳で五十を目前にした私にとってもそれは同じである(この文章を書いた時点で私はそうだった<この文章は去年(2009年)秋口前くらいに書いた。今現在私は来月(9月)末に51歳になる目前でこの文章をチェックして更新している>)。
 そして概して若い人たちがある真摯な大人意識を持つ時、中年以降の人々は彼らが徒党を組んでいて、その狭いセクト的意識にしがみ付いているとそう思ってしまう。これは恐らく自分の年齢へと向けて歩み始めている人たちが、既に歩んできてしまっている自分の年齢に近づいてくるという歩み自体に対して、既に歩みを終えた者が歩み始めた者の意識を、かつての自分という風に理解することに起因しているのだろう。つまり自分にとっては終えてしまったことを今から始めようとしている者に対しては、私たちは何をしてもどうなっていくか分からないのは向こうだけで、こちらからすればある程度予想し得るとそう勝手に思ってしまうからだろう。年配者の意見をよく聞く者は概して出世が早いだろうとかそれくらいのことなら判断し得るが、それとて自分を中心とした勝手な判断でしかない。要するに嫉妬感情も手伝っている。向こうはこれからなのに、こちらは既に歩みきってしまっているからである。従って相手が年少者の場合、自分の言うことをよく聞く若者に好感を持って接するというだけのことなのである。しかし自分が若かった頃の時代背景と今とでは全く事情を異にしている。しかしそこは自分から見たら、勝手に一般化してしまっているというわけである。
 だから逆にその自分勝手をよく納得して最初から一切の自分の側からの主観を差し控えるタイプの年少者に接する年配者とはそれだけである程度用意周到な感情抑制論者であり、端的に若者の心理を掴むのが巧妙であるとは言えるだろう。しかし主観を極端に抑えることが可能なタイプの成員とは、多くは、自分の真意をあざとく悟られたくはないから、相手に対しても真意を表出させないようにもっていくことをモットーとしているということだ。するとそういうタイプの人間に若い頃に目をかけて貰えると、そうではなく自らの主観を前面に常に押し出すようなタイプの年配者に対してあまり素直に自分を表出することを控えるようになる。
 人間は思春期前後に知り合い啓発された年配者のマナーにある部分ではかなり支配されやすい。だから逆にそのことに自覚的であれば、一旦受けた影響を振り払うために意図的に努力する必要がある。勿論思春期以降にはそれくらいの分別はつくから必然的に影響を受ける大人、つまり自分より年配者のメンバーはころころ変わり得る。またある意味ではどんなに青春期に出会った人に大きな影響を受けても時間が経つと冷静に「あの人との出会いは自分を変えなかった」とそう思えることも大いにあり得る。
 そういった時期こそが青春期であると知っている四十代以上の世代にとってハイティーンから二十代にかけての青年たちの振舞いに対して一定の批評眼を抱くのは当然のことである。しかし自分にとって極めてよく靡いてくれる青年に対して贔屓の気持ちを抱くと、ついもっと啓蒙してやろうという下心まで芽生えつい行き過ぎた指導を若い世代の人間に与えようというお節介が出てしまう。しかしそれはあまり行き過ぎると相手は引いていってしまうということを何より自分が若い頃遠のいていった年配者との経験で知っているのである。しかしそれでも尚自分の若い頃と似たタイプの青年にはなかなかそういう巧い距離の取り方を出来ないということも多くあり得ることである。そういう風に覚めた目で相手と距離を取りつつ交流していくことが理想であると理性的には知っているのが中年というものである筈だ。しかしそれは「本来ならば」であるし、その格言自体が一つの規定的価値でしかない。
 しかしつい自分の主観を前面に押し出しあまり体裁的に建前主義的に自分より若い世代に接することが下手な成員が却ってそうであるが故に熱心に若い者を指導しようとする時、それは良心的であると自分では思えるが、逆にそういう主観を前面には決して出さないマナーをごく自然に叩き込んでいるタイプの成員はそれはそれで結果的には悪辣さを相互に認め合うという形で利他的である。また主観を最初に相手が自分よりも若い世代であれ惜しみなく示すタイプはタイプで、結果的には良心というものを素直に相手に示すことを享受するという意味では利他的である。従って利己的であることを示すタイプの後者であれ、最初から人間は利己的なのだから建前的な不干渉主義(相互に利他的に振舞おうという)をルールとして採用している前者であれ、結果的には利他的に位置づけられてしまうということは両者の共通した運命なのである。
 前者を正義は個的な良心を抑制し合うもの(お節介回避型)であるとして利他的であり、後者は正義を信じる以前にまず個的な良心で相手と接することをマナーとしているという意味(真意表出型)で利他的なのである。そしてそのいずれを選択するかということは概して相手次第であり、前者でも後者でも自分にとって交際しやすいタイプというのは若い世代であれ、中年以降の世代であれあるだろう。また今挙げた二分法では収まりきれないどちらとも言えない態度も多くあるということだ。
 要するに我々は正義を信じていても、そんなものなど幻想であると思っていても所詮、利他的であることの範疇を他者存在のどうしようもなさにおいて自覚せざるを得ない存在なのである。それは寧ろ利己的であると自覚したり、そう生活自体を成り立たそうと考えたりする時点で既にそうである。何故ならエゴイスティックでありたいと願い一切の人間関係を遮断しようと決意すること自体に既にあまりかかわりたくはない他者に対して一定の距離を保ち、不干渉を決め込むという配慮がどうしても成立してしまうからなのである。つまり自らエゴイスティックであろうとする決意とは、端的に自分以外の他者全員さえ、自分のようなエゴイズムを理解して貰えればそれが自己エゴイズムを成立させるためには最適な条件である段階で既に、他者全員さえ自分と同じようなエゴイズムを保持して貰えればそれに越したことはないという方途を志向してしまう。つまりもし自分のエゴイズムを成立させようと画策しても、隣人がほっておいてくれなくても友好関係を持とうと誘ってくるのであれば、自己本位で他者のことを一切斟酌しない生活は破壊されてしまう。するとその時「あなたもまた私のように自分勝手に生活して、一切お互い干渉し合うのをよしましょう」と提案した時既に相手にもまた、こちらからは一切声をかけませんから、どうぞご自由になさって下さい、という提案と要請をしていることと等しいことになり、必然的に他者に対しても自己と同一のエゴイズムを提案・要請することを通して結局形を変えた利他主義であることに変わりないこととなってしまうからである。
 つまり青年に特有のエゴイスティックな正義観やら、年配者に対して不純なものを感じ取ってしまう固有のヒロイズムもまた、そういった他者に対するお節介的な利他主義であるなら、このように一定の中年以上の年配者になって、人的交際自体が億劫となって一切の付き合いを遮断していこうと決意することもまた利他主義であり、利他的ではない形でのエゴイズムなどこの世には存在し得ないのである。
 もし仮にある青年が酷く中年以上の人々の生活全般に対して反抗的意図を持ち合わせているとしたら、それこそその反抗する相手に対して何らかの自己内で言説的に設定した理想を当て嵌め、その理想と著しく乖離していることに不満であるからである。するとその段で既に反抗する相手から何らかの自分たちに対する処遇を期待していることとなる。中年は中年でそういった青年の逸る気持ちに対して斟酌しても、あるいは逆にそのような態度そのものは青年期には「ありがちなこと」であるとして、何らアドヴァイスをすることも、相手の青年の真意を尋ねたりすること一切をすることをせず、静観しているのだとしたなら、その段で既に相手のプライヴァシーに下手に干渉すまいという決意の中に利他主義を潜ませていることとなる。
 つまり真摯に対峙するにせよ、一切の相互干渉を控えるにせよ、そこには基本的に意味論的には、あるいは意識の上では利他主義が介在しているのだ。つまりその意味論的範疇において我々は個々の具体的な選択をしているのだ。あるいはその意味論的な対他的な感情自体への自己内の認識自体が既に利他主義以外の観点、価値論的範疇のものではないのである。

Saturday, August 28, 2010

<感情と意味>第五章 第九節 責任回避は羞恥が生むということと、利己主義と利他主義

 責任回避するということもまた一つの責任転嫁の無意識的形態ではあるが、そうすることによって我々は端的に責任を背負い込むことから派生する成果を見せることに対する失敗に伴う羞恥を回避しているということを意味する。責任回避とは責任ある行為をする、と言うより行為を責任において履行することで派生するその行為に責任のない者全般に対して与える影響において、自分の大勢に齎すことにおいてよく作用させること以外の全てのよくない結果に伴う責任を取るということ(例えば辞職するとか辞任するとか)で感じる羞恥を、予め内的な羞恥が察知して予め忌避しているのである。
 そういう責任転嫁が利己的であると言い得るのなら、全ての行為は責任転嫁的であると言ってもよい。しかし利己的であるということは、そうすることで相互に利己的であることを推奨することであるから、効果見越し的な意味で利他的であるとさえ言える。例えば中島義道氏が「私は自分しか愛することが出来ない」と述べることを通して「だから私はあなたの将来を保証することが出来ない」と言明していることは、即ちそう言明することを通して中島氏本人に対して過大な期待をすることを通して幻滅することを自身が未然に防止している、という意味では極めて利他的である。氏のその種の言明がそう言明することを通して相互に利己的であることを感じ合うことを通して親睦を深め合うことが目的であるかどうかはここでは理解することが出来ないが、少なくとも利己的であることの宣言とは、利他的に作用するということだけは確かである。
 つまり徹底した言明的な利己主義とは、あらゆる自己による行為とそれに伴う結果を自己によって責任を持ち、処理することを意味するから、必然的には「あなたも私のように自分の責任で何もかもするなら、何をしても私は一切干渉しない」という言明でもあるのだから、用意周到な利他主義であるとさえ言える。本質的な利己主義とは相手に対して迷惑であったり、不利益を生じさせたりしつつ、自分の側の利益や快楽を追求するようなタイプの行動や態度である。しかし厄介なことにこの種の利己主義は一見利他主義的装いの下に展開されることが多いのである。
 つまりこう言ってもよいだろう。心底利己的な行為とは、全て欺瞞的な利他主義の装いの下で展開される、と。だから責任回避が羞恥を生むとしたら、その内的羞恥とは利他的であるとも言えるし、責任回避ということ自体もまた利他的であると言える。だから逆に最大の利己主義とは利他的であるように振る舞いつつ、責任を明示しながら、責任を一切履行せずに、利己的で相手にだけ責任転嫁することである。しかしこの仕方が巧妙であると責任遂行しているかの如く振る舞い、被害を蒙った立場の者が逆に責任を感じてしまうということになるのだ。それだけ真実の利己主義とは巧妙な悪なのである。
 しかしこの巧妙なる悪、本質的悪でさえ利他的にしか作用し得ないということを次節では展開してみようと思う。

Tuesday, August 24, 2010

<感情と意味>第五章 第八節 言葉の二値論理

 私たちは誰かに自分にとって知らない人の名前を聞かれて、例えば「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と言われた時、その~のスティーヴ・ジョーンズを知らない場合「知らないですね」と答える。さてこの「知らない」という明示は実は明示される対象が指示されていなければ成立しない。例えば全く指示されていないものを「知らない」と言うことは出来ない。つまり「知らない」という言辞は少なくとも指示されている対象が存在するというくらいには「知っている」ものに対してのみなされ得るのだ。本当に何も知らないことに対しては「知らない」とは言えない。
 勿論私たちは自分にとって知っているものやことは僅かで、指示されれば知らないと返答するしかないものの領域が広大であるということだけは知っている。
 しかし重要なこととは、「知らない」と返答する時私たちは「知らないと返答するくらいには知っている」ということを表明しているのである。そうである、この場合誰かが私に「~のスティーヴ・ジョーンズ知っている?」と質問してきたのだから、当然そういう風に私に対する質問者の側が指示するスティーヴ・ジョーンズという人物がいるということだけは確かかも知れない、というくらいにはそのことを知っているのである。
 と言うことは言葉の論理とは、とりもなおさず、「よくは知らないがあるということくらいなら知っている」こととか「内容については全く知識を持ち合わせていないものの形式的に存在するということくらいなら知っている」と態々克明に言明しないままで「知らない」と返答することを通して端的に知らないことにしてしまう、そうすることでそのものに対する言及責任に関しては責任回避しようとする意図を言明しているのである。
 つまり二値論理、二分法と言ってもよいが「知っている」か「知っていない」とすることによって、その先においてそのことについて意見を表明したりすること、あるいは逆に一切の意見の表明を固辞することを明示しているわけだから、本当に全く知らないことを述べることなど出来はしないのだから、少しくらいなら知っている、つまり「よく知らない」と言い得るくらいなら知っているということを表明する労苦を省略しているわけである。その労苦の省略において質疑応答的な意思疎通上での言葉では一切の綿密で精緻な描写をしないで中間にある一切の豊かさをないものとする性質があることが判明する。
 これは意思疎通上での極めて興味深い特徴である。
 しかしこの言葉の性質は陥穽でもある。つまり言葉とは意思疎通し合う者同士が相互の説明を含めたあらゆる責任の範囲を明示しているわけだから、その責任を負うことと回避することを通して、その中間に存在する様々な実在、様相を一切取りこぼしているということを意味するからである。
 企業ではあるプロジェクトで困難に行き当たった時など、代替案を模索し合うが、必ず最善であると思われるプランだけを決定事項とする。しかし意外と最善ではないからも知れないが、ある程度なら信頼出来るというようなプランは一切棄却される。勿論全てを考慮に入れることは出来ないが、最善ではないものでも、ある程度は説得力があったり、信頼出来るようなプランとか、研究においてならデータであるなら一応考慮するに値するとしたり、保存しておくことに越したことはないだけであるどころか、かなり役に立つことも多いのではないだろうか?
 つまりある程度なら信頼出来ること、ある程度なら実効性があるということを一切捨て去るのではなくバックアップしておくということが意外と選択肢の豊かさに依存し得る心の余裕を育むとは言えないだろうか?
 つまり重要なこととは、「知っている」、「知らない」という責任明示的言語行為における二値論理にだけ信頼を寄せることの危険性というものが存在することを常に念頭に入れておくべきである、ということである。その時私たちはそう返答した者の顔色とか表情とか返答した時の語調とか、仕草とかをあざとく見抜いて相手の返答の意味を判断する。だから完璧な論理とか完璧に説得力を備えた真理が理想であることを知りつつも、そうではないが、そうかと言って全く聞くに値しないとまでは言い切れないことを重要視するという心構えは、進化した段階の論理や説得力ある結論、プランを練り上げる上ではかなり有効であるとだけは言い得る。そのことの自覚とは、言葉にはそれを発する者の間合いとか、文章で言えば行間が存在するということと、二値の間の段階的に様々な実在や様相が豊かに存在し得るということの自覚とかなり密接な関係にある、ということである。
 もっと簡単に言えば、完璧であるものがあることは理想だが、完璧ではないものでもそれはないよりはあった方がずっと有益である、ということである。

Monday, August 23, 2010

<感情と意味>第五章 第七節 復習と言葉について 

 ここでごく簡単にこれまでの概略を復習しておこう。
 意識は覚醒していて睡眠していないことを指示するために儲けられた説明原理である。そして「私」は意識が私自身にも同一性を求めて、と言うより殆どそれ以外には無いように信じて、そう言っているのだ。「今」はその「私」が意識している、と言うより何かに注意が向けられていること自体を時間論的に把握した時に立ち上がるに過ぎない。それらは共に同一性と自‐他の相関を理解し証明するために自然と立ち上がる説明原理なのである。
 例えば私は敢えて「私」を持ち出さなくても常に私であり、私は常に何かしている時は「今」を持ち出さなくても常に今ここにいることは自明である。にもかかわらず私たちは「今ここ」であることを特化して考えたくなる。
 だが私はその全ての私に関する事実を他者の存在によって相対化せざるを得ない。つまり他者の存在が私を「他者ではない」と意識させる。しかしそう意識させるのも私が他者との間に何らかの約定として何かを説明する能力を備えているからだ。つまり指示も名辞もその説明能力が理解させている。つまりそもそも何かを理解するということ自体が自己内の自分に対する説明能力の内的な行使以外の何物でもない。
 しかしこの説明能力の行使はその多くが二分性(デュアルティ)によって誘引されるが、これがクオリアや意識を切実なものとして立ち上げてもいる。つまり説明原理を立ち上げること(立ち上がることが私にとってであるが、それは私の身体的能力でもあるし認識的能力でもあるから恣意的なものとして明示する)→説明原理の常套化→クオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への還元→新たな説明原理を立ち上げること→その常套化→新たなクオリアや意識の特化→その特化自体の説明原理への還元・・・・・・。(第四章 第三節の図式)その反復である。
 勿論その都度の説明原理も意識もクオリアも差異が備わっている。つまりドゥルーズ的に言えば、差異と反復においてこれらは条件づけられている。
 しかし問題が一つある。
 それは私が生まれた時から日本に住んでいて、日本語を話すようになって今日に至っている。しかし哲学的には私は何も日本語の世界の住人のことだけを考えているわけではない。例えば過去について想起するとか、追想するとか、未来に対して思いを馳せるということはアメリカ人でも、イスラエル人でも、韓国人でも、ザンビア人でも同じである。 しかし哲学的にいくら私が話し、考え、全てを思いつくのは日本語であるが、それは「たまたま」そうなのであると納得してもやはり、私の中には最初の思い浮かぶ言葉の世界が絶対的であり、それを相対化して語る自分というものはそこはかとなく空しいという思いを持ってしまう。
 このことはどう考えたらよいのだろうか?やはりそれすらも英語でものを考える人は英語以外の言語を原書で読んだとしてもそれはあくまで概念的に理解しているだけで、あくまで最初に思い浮かぶ英語世界こそが絶対である、と、私は日本人であるがそれ自体を相対化して、英語圏の人にも同じ事情があるとそう考えるにとどめることでよいのか?
 例えばスーザン・ブラックモアの対談集(「意識について」)においてデヴィッド・チャーマーズはデカルトの「コギト・エルゴ・スム」を援用して語り、ブラックモアからの質問「デカルトに賛同するか」においてイエスと述べている。つまりチャーマーズは意識こそが主体の感受性を支えていると考えている。
 しかしよく考えると意識を意識として意識の俎上に載せることが可能なのは、言語的思惟であり理性である。科学者としての立場から茂木健一郎氏は重松清氏との対談において(「涙の理由」)日本には伝統的に人間関係の中に生まれてくる価値しかないと残念がっている。つまり形而上学にまで発展しないのだ、と。氏の言葉を借りると「人間の相対評価を超えた絶対的世界にさえ人間の似姿を見てしまうということ」である。しかしそれを考慮しても尚、私たちは理性が自然の中にも擬人化しているに過ぎないということも言えることになる。
 カントが「理性の思い上がり」とか「理性の越権行為」とか「理性の僭越」と呼んだものとは、端的に理性が人間による最高の地位を獲得していてさえ、天上界からすればそれは取るに足らないものであるという視座を設けることによって得たヴィジョンである。つまりそれを神と呼ぼうと永遠と呼ぼうとそれは自由であるが、そういう風なマクロな世界から見れば人間理性は常に誤りやすいということを述べていると考えられる。すると理性自体が意識を生み出すとすれば、デカルトの我は理性が生んだものであることになり、それはやはり誤謬を齎す可能性を常に孕んでいる。
 私は日本語で神と考え、理性と考える。しかしそれを英米人はgod として、ドイツ人はgot として考えるだろうし、英米人ならreasonとして、ドイツ人ならVernunft として考えるだろう。
 しかしそれを全て同じ命題を表現していると見做す時私たちは明らかにそこに普遍を感じ取っている。しかしその普遍自体がある意味では理性が生んだものなのである。そして理性の生んだものはしばしば感性が感じ取ったものを否定する。しかしそれが正しい時も確かにあることは認めても、それが却って失わせるものもあると考えることも出来ないであろうか?
 理性は我々の欲望の正当化であるところの価値に釘付けにされている。つまり理性とは感性だけでは何か収まりが悪い、感性だけに全てを任せておいては何か心もとないという心理が生み出した一つの解決策なのである。従ってそれは価値的に行為を正当的なものとして意味づけることにおいて有効に作用している。しかしそれは同時に感性自体に対する信頼を著しく欠如させている。つまり感性を信じられない部分があるということは、即ち自己に対する信頼を不安によって欠損させているということなのである。だからこそ感性を称揚する価値あるものとして復権させることを時として我々は試みる。その時日本語で何か理性とか神とか呼ぶ時にだけ感じられるクオリアを感知する。そこに翻訳不可能な何かを見出そうとする。もし感性にだけ頼っていてもいい結果しか生み出さないのであれば、いい結果という概念さえ提出されなかっただろう。つまり感性的にある善とされる行為をしても、それが意志的に正しいという自覚の欠如した状態でなされていたのだとしたら、それは偶然的に作用しただけである。この屈託の完全なる欠如は、ある時には屈託なく悪事をすることへとも繋がるだろうし、事実そういう事例に事欠かなかったからこそ、カントは善意志というものを傾向性としての善的結果を生じさせた行為として認めなかったのだ。すると感性を感性のまま何ら反省意識の相貌で検証することの一度もない状態では、感性の価値は再検討に値するものにもなり得なかっただろう。つまり私たちは一度普遍という合理的責任倫理において翻訳という行為の価値を認めたからこそ、翻訳出来ないものを価値として再発見することが出来たのである。つまり翻訳する理性における発動される知性が合理的で、四捨五入してきたことへの着目が価値的に感性を理性と併存するものとして認識せしめたのである。カントはある意味では最終批判書における「判断力批判」において崇高とか偉大なるものへの憧憬をテーマとしたのは、「純粋理性批判」によって示された理性の思い上がりに対する一つの結実的な明示行為として感性的な出会いの持つセレンディピティーを存在論的に論証して見せたのである。
 チャーマーズにおいて意識とは多角的な知覚作用とか多目的な未来への志向それ自体に対する定義として扱われている。つまり情報処理システム自体を彼は自己とか主体ということと切り離して考えている。つまりそれらはあくまで知覚能力でしかないというわけだ。しかし他方彼はサーモスタット自体を意識のプリミティヴな形態としても考えている。
 つまりこの部分では彼はニコラス・ハンフリーの考えている<内なる目>という言葉で表現される内的自己意識(つまり行為をそれが自己によるもの、自己による選択であり自己による判断と決定であると知ること)の所有を意識の定義としていながらも、その原初的形態としては判断を基本としていることになる。
 すると日本語に固有のクオリアを表現するための創意工夫はまさに理性的判断であり高次の意識レヴェルの所業であるが、意識を意識として定義させるものとは、日本語であることを「感謝」と呼んだり、あることを「嫉妬」と呼んだりするような語彙選択の判断のことを差している。だからその判断自体を普遍化すること、例えば英語ではそれをgratitude と言ったり、jealousy と言ったりするのだと思惟することは、もっと高次の意識の認識的段階に属し、しかしそれを感性的にグローバリティーからナショナリティーへと再度引き戻す意識は更に高次の認識に属するということになるだろう。

Saturday, August 21, 2010

<感情と意味>第五章 第六節 思い出と価値

 私は社交辞令で何らかの形で疎遠になっていった人たちに向けて「あなたたちと共に過ごした日々が懐かしいです」などとメールで書くわりにはあまり全てに対して懐かしいと思わないのだ(この文章を書いたのは一年以上前だが、その時は多少そういう気持ちだったが、実は殆ど疎遠になっていった人にそういった文章を手紙等で書く習慣自体を今では失っている)。
 何故か?
 それは殆どのことを昨日のことのように思い出せるからだ。だからある意味では懐かしいという気持ち自体に対してよく分からないという気持ちの方が強い。だからと言って懐かしくなってみたいという気持ちにもならない。

 懐かしさにはもう一度その時間に戻りたいということがあるのだろうが、私はもう一度戻りたいと思える時間があまりない。もう二度と戻りたくはないという時間の方がどちらかと言うと多いが、そうかと言ってそれらもあまりにも悲惨で二度と思い出したくはないというほどでもない。
 まあ多少はそういうこともあるが、よく覚えていないということの方が少ないせいか、あまり懐かしくもないが、忘れたくもない。忘れたいほど悲惨なこともそうなかったということにもそれは起因する。無理に忘れようとするというのも案外疲れるものだ。

 そもそも懐かしいという気持ちは半分は忘れていて、その忘れたことに何か特別な理由もないのに「よかった気がする」という気持ちがあるのだろうが、そういう風に「気がする」というのは恐らく大したことではなかった筈なのだ。大したことだったらそう忘れる筈がないからだ。いや寧ろ大したことだったら逆に正確には覚えていないのかも知れない。どんどんその時の記憶を思い出す度に変えていくからだ。
 私は意外と大したことではなかったことの方をよく覚えている。いやある意味では全ての瞬間、全てのその時なりに持続していた時間がさして大して時間ではなかったのかも知れない。一体これからもそんな大した瞬間というものは訪れる可能性があるのだろうか?

 確かに私には親しい友人がいるが、その友人と一緒に過ごした時間もそれほど懐かしくはない。何故なら殆ど全ての時間をよく覚えているからである。向こうもそうなのだろうか?

 そうでもないかも知れない。でも私と会えば思い出すこともあるのだろう。
 私は今までさして忙し過ぎるというほどでもなかったのだが、ずっと暇だったわけでもない。どちらかと言うときちんきちんと計画を立てて何事もしてきた気がする。そしてそのわりには大した反響も常になかった。これからも恐らくそう大した瞬間は訪れてはくれないだろう。そしてある日突然死ぬのである。
 大した瞬間なんて後になってから勝手にそう思うだけのことなのだろうと思う。
 どなたかそういう瞬間があるのだと思える方がいらっしゃるのなら教えて欲しい。

 私は今でも単位が足りず、大学を卒業出来ずに留年してしまう夢をよく見る。その時国会中継があって、それを放映しているテレビをつけっ放しにしてベッドでそのままうつらうつら眠ってしまった時であるのなら、出てくる大学の教授が麻生首相になっていたりするのだ(この文章を書いた時点から今の首相は何人目だろうか)。
 そう言えば十八年前に亡くなった私の父もそうだとよく言っていた。何故だろうか?
 いつまでたっても若い頃に抱いたようなどうしようもなく消えない焦りが人間の心という奴を支配しているのだろうか?
 実はさっきもまさに麻生首相が出てきて私が単位がたりないので、あまり好きではない履修科目を、別の例えば文学の科目に変えて取ってもよいものかと私が麻生さんに尋ねると、全く私のことなどお構いなしに自分の話をしてすたすた大学構内を出て、歩いていってしまい駅の改札口を通り抜け、ホームに急いでいったのである。
 目が覚めたら、今日四時くらいに開設したばかりのこのブログのことが気になった目が覚めて、少し前にうとうと眠りこけてしまっていたことを思い出したのだ。そしてその時につけっ放しにしていたテレビでは国会中継をしていたのだ。
 あと二十年くらいして私が七十歳くらいになってもそんな夢を見続けるのだろうか?

 ある思い出がある。それは固定化されていていつまでたっても変わらない。変わるのは自分だけ、ということがある。
 しかしこれは嘘である。
 何故なら自分が日々刻々変わっているのに、思い出だけが変わらない<思い出す自分が変わるのだから思い出が変わらなければ思い出す思い出も変わる筈である>ように思えるというのは、変わっている自分にとっていつもその思い出だけが変わらないように思えるように思い出の方が常に変わっているからである。もし自分の方はどんどん変わっていっているのに、思い出だけが変わらないのだとするなら、思い出として記憶されていること自体に対して我々は日々刻々、その印象を変えている筈だからだ。
 つまり思い出とは常にその意味を変えることによって変わっていく自分に対応させているだけである。つまり自分が変わるということを知っているから私たちは無意識の内に「変わらない価値」として思い出の方を美化しつつ「変わりゆく自分にとって変わらないように思えるように変えている」のである。
 これは私たちが自己同一性というものに価値的に取り付かれているからに他ならない。そんなものはないのだ、と言い切ってしまえば一切の社会的責任を追及する術を我々は失ってしまう。しかし少なくとも外部的状況に対応するために我々は固定化した自己同一性を保持していく必要があって、自己同一性などないということは哲学者たちの想念に任せておけというわけである。
 しかし時として我々は念頭においておいた方がいいことがある。それは個人的であると思えること、つまり誰にも踏み込まれないような領域にこそ実はかなり大部分において他者とか、社会の掟とかが忍び込んでいるということである。
 だから思い出もそうである。我々は記憶されたことの実存を真に問うことを怠りながら実は「変わらない価値としての思い出」に縋り付いて日々刻々他者や社会の掟に自己を縛っているのである。記憶されたことがどんどん過去へと遠のいていくのに変わらない価値があるように思えるのなら、それは端的に「生きているということはそれだけで価値である」という思い込みが我々にあるからかも知れない。
 しかし私は敢えてこう言おう。生きていることは確かに価値かも知れないが、価値があるとかないとか問う余裕があるくらいなら、何かしている、そのしていることの是非を問わない方がずっといいかも知れない。没我とか、忘我とか言う状態を獲得するのではなく、それしか出来ないようになるということが生きていることの価値を問わない理想かも知れない。(Nameless-valueの考えてみたいこと 2009年6月1日更新記事加筆採録)

Friday, August 20, 2010

<感情と意味>第五章 第五節 表象と実在

 先日、社会教育学者の国井寛氏と一日共に行動した。大分前から計画を立てていて、当初横須賀術館に行き、展覧会を見てからフェリーに乗る積もりだったのだが、天候がすぐれないので、そういう時のために予め別の計画も立てていて、そちらに急遽変更したのだ。
 まず横浜まで東横線とみなとみらい線に乗り、馬車道で降りて、そこからBankArtStudioNYKにまで行き、原口典之展を見てから、新宿に戻り、角川シネマ新宿でオリヴァー・ストーン監督ジェフ・ブローリン主演の「ブッシュ」を見て、池袋のいつも二人で利用するパスタの店に行き、そこでワインを飲みながら、トーストとポテトで腹を少し満たしてから、本格うどんの店でビールを飲みながら、腹を満たした。BankArt1929でもビールを飲みながらグリーンカレーを食べたし、そこに行くまでにも、馬車道を降りてすぐのファミレスでオードブルとワインで一杯やっていたので、一日どこかリッチな気分とほんのほろ酔い気分で、いつものように哲学談義を繰り返した。横浜ではかなり歩きもした。
 この国井氏と語り合う時には圧倒的にワインがいい。そして少しほろ酔い気分になると、お互いにいい哲学的アイデアが浮かぶ。相手が誰でもよいというものではない。私にとって彼が、そして彼にとって私が最良の哲学談義のパートナーである。
 電車の中で国井氏は私に最近絵本作家の安野光雅氏がテレビの対談番組で、幼い頃によく食べて一番美味しいと記憶しているある果物をスタジオにゲストとして招かれていた時に出されて食べると、「よく似ているけれども、あの時の味とは違う」と語っておられたことを私に語りだした。その番組を私も見ていたので何のことがすぐに私は理解したのだが、国井氏は「あの安野さんの言葉を聞いて考えたんだけれど」と言ったことをきっかきにして二人で暫く表象のことについて話し合った。結局この日の哲学談義は<表象と実在との間の乖離について>が主題となった。

 つまり私の考えと国井氏の考えを綜合するとこうなる。
 私たちは日常的には殆ど哲学的表象というようなことを考えずに生活している。そういう思念に囚われているのは、哲学者以外ではいいところアーティストや文学者たちだけであろう。つまり全ての考えの中で夢想的な思いに浸ったり、ありもしないことをあれこれ想像したり、その時に不在の成員に対してその姿を想起するというような心の余裕などない。それはビジネス自体が一つの社会機能維持的な連鎖であり、ある程度そこで出会う他者たちに対して、全ての存在や出来事を記号的に取り扱わなければエネルギーを消耗してしまうからである。しかしにもかかわらず私たちはそんな生活の中でも何かに対しては極めて印象的で記憶に残り、それをいつまでも忘れない。一方かなり大部分を私たちは忘却していく。
 つまり印象に残ったものを記憶しておき、それが自分の中で価値あるものであると意味づけされ(殆ど無意識の内なのであるが)、どこかで美化されていき、逆にそうではなくあまり印象的ではなく、記憶にとどめておきたいと思えないような些細なことは大部分が忘却されていく。つまりこの記憶内容やエピソードに対する選択性と特化ということが、意味を派生させているのではないか、ということである。
 だからそこには情動も動員されているし、選好性ということも関係してくる。そして意味とはある部分では確かに実在のありきたりであることと印象に残ってしまっていること、つまり意味づけされたことの間の乖離に対して、どうしようもないやるせなさ、つまり完全には一致しないもどかしさを感じ取ってしまうというところから見出されるということだ。

 フッサールは晩年に「経験と判断」という名著を書いているが、判断とはそもそも実在と表象は完全には一致しないということ、つまり常に実在の方がありきたりで、そのありきたりな実在を表象する際に、表象されたものの方がずっと記憶においては印象的であるような傾向も強いというところから、「そうであるべきだ」とか「そうであるより他はない」というような現実と想念の間のずれを補正すべく折り合いをつけていることでもある。
 だから当然実在と表象が完全に一致しているのであれば、判断するなどという行為は全く必要がなくなる。機械はただ記録するだけでそこに記憶されるものとそうではないものという主観などない。しかし我々は違う。全てを等価に記憶することなど絶対に出来ない。しかも我々は不在の表象に対してどこか価値あるものにしたいと転化するような意識も持つ。今目の前にあるものを大事にするという意識と、そうではなく逆に今目の前にないことをあるようにさせたいという意識も共存させる。だからこそ希望や願望を持ち、意図とか目的を持つのだ。それ自体は倫理的な意味合いもある。つまり意味(価値体系としての)の呪縛を生きるということである。
 それはある意味では現在性においても、過去に対する追想という意味でも未練力が動員されているということでもある。印象に残ったものを大事にする一方で忘れてしまったことや見落としてしまったことをも価値あるものにしたいという欲望が我々にはあり、その欠如を穴埋めすべく欲望からの呪縛を正当化しようとするのだ。価値とは欲望の呪縛への正当化なのである。

 私たちにとって殆どの表象は現在的な知覚に費やされている。現実・現在の見えだけが世界であると言ってもよい。だからこそ過去において印象に残っているものは、ポジティヴなことであれネガティヴなことであれ、それらと遭遇したこと自体を価値的に捉えようとするのだ。ある種のかけがえのなさを実感するとはそういうことだ。
 人間はとどのつまり価値的認識の生き物なのである。言い換えれば、我々が選好性と行動の無思慮的な気分と衝動に対する自己正当化する生き物であるとも言える。意味もそのことのためにでっちあげて生活しているとさえ言える。つまり私たちは未来に対して何ら確定的な想定を本質的にはすることが出来ない。出来るように思いたいからあれこれ想定するだけである。そしてそこには不安がある。現在の自分の中に見出される欠如は、その欠如であるが故の空白を穴埋めするべく存在していると我々によって捉えられるし、その穴埋め自体が未来への意志となって好奇心とか希望とかが生まれる。つまり希望や好奇心とは不安の解消となって立ち現われているとも言える。 

 すると実在と表象の間の乖離性は意味を生じさせるが、その意味は不安をも呼び起こす。未来に対して今後記憶することに纏わる不安もそうであるし、過去に対しても今まで覚えていた大切なことを忘れてしまうのではないかという恐怖や、今までも忘れてきているのではないかという不安が私たちを苛む。
 要するに意味と不安は表裏一体のものとして存在しているというわけである。不安とはあったということは覚えているが、そのあったことがどういう風であったとか、どういう内容であったかをはっきりと思い出せない時にも抱くものである。健忘ということは、酔った時に話した内容もそうである(国井氏との哲学談義は例外である)し、気分の向かう先がそのはっきりと覚えていないこと以外のことに囚われている時もそうである。

 それにしてもデカルトは確かに神に対する抵抗と永井均氏の表現されるように神によって操られる私に対して、私が存在することこそが神に対しても優先されると考えることによって主体の神への優位を示したが、よく考えると我々にとって世界に対して抱かれる知覚も想念も全てそれ自体に私という意識は希薄である。その意味ではヒュームの言うことの方により説得力がある。つまりそのヒューム的な私ということの希薄さそのものがカントをして感性によって世界が作られるという発想を呼び起こしたのだろう。
 つまり私たちにとって意識やクオリア自体が、他のものを押し退けて全面に立ち現われることなど殆どなく、寧ろ常に私たちにとってそれらは意識やクオリアの内容であり、その都度<たまたま私によって>関心される外部や内部の対象の在り方(様相、記憶に残りやすさや残り難さ)である。私などということは寧ろ事後的、後付的な認識から派生するに過ぎない。
 デカルトのコギトが実際はどういう意味を持っているのかは尚再考する余地があるが、私は私という意識を呼び覚ますこと以前に既に何かに囚われている。それにもかかわらず、私意識を持たないままでいるとこれまた我々は不安になる。だから <たまたま私によって>関心される外部や内部の対象の在り方=世界 というハイデッガー的図式が不安を呼び起こすこともあって、だからこそ私を時々持ち出すと考えた方がよいのではないか、ということが私と国井氏との間で交わされた同意事項である。それこそがサルトルなども言っていた脱自ということ、つまり意味の呪縛からの解放ということなのである。意味の呪縛から解放された意識がしかし新たに意味を派生させることは言うまでもないが。(2009年5月31日記、Nameless-valueの考えてみたいこと 収録)

Wednesday, August 18, 2010

<感情と意味>第五章 第四節 不在感と私

 私は今一体自分が何に対して分からないかが分からないという感じを抱くことがある。でも何に対して分からないかが分からなければ誰に相談していいかも分からないから誰にも相談出来ないでいるのだ。こういう経験っていうのは誰にでもあるものなのだろうか?
 しかしそもそも誰かに相談して分かることもあるけれど、そんなことをしてもどうにもならないこともあるという直観をその時に持つ。つまり誰に相談していいか分からないから、まず自分自身に問いかけてみようとそう思うのである。
 しかしその時ふと自分が私という社会的に通用する名前や性格や容貌、特徴を持った私から、今ここにいなくても、他のどこかにいても、自分が他の誰でも一向に差し支えないような、それでいて他の誰でもないような一種独特の感じに自分が行き着いてしまっているような感じもするのだ。

 こういう感じを味わったことのある人ならこの気持ちを分かって貰えるかも知れない。つまりこういう感じは恐らく誰も経験することなのだろうとどこかではっきり分かっているような気もするのである。だから私はそうやってそういう気持ちになっていく時明らかに社会的に容認され、通用する私という自己同一性をするりと滑り落ちて、私自身を離れて何か独特の超越的な感じへと降りていく気がするのである。匿名的な私、私以前の自分自身になっている気がするのである。
 しかしそう感じると、今度は自分が自分自身以外の誰にも相談していないのに、他の皆と同じだという気分になってしまうのもおかしなことだ。つまり最初は一人で全部解決出来るのではないかと思いどこにいてもいいし、他の誰でもいいし、でも他の誰でもないような自分を通じて皆と同じような気分になっていってしまうのだ。
 しかしそれを自分の中で確認すると、いつしか私は自分に固有かも知れないとはじめは思っていたけれど、ひょっとしたら誰でもそういう感じがするということがあるのかも知れないとそう思うと、つい誰かにそのことを告げたくなることもある。
 
 しかしそのことを告げようと思うと、何故か最初にあの独特の超越的な感じ、つまり他のどこにいても構わないし、他の誰になってもいいけれども、他の誰でもないあの独特の感じを伝えようとすると、それは再びどこかにするりと滑り落ちて、それ以外の寧ろどうでもいいようなことしか伝えられず、もどかしい思いを味わってしまう。つまり伝えなくても分かっているような感じというのは敢えて伝えようとするといつもするりと滑り落ちてしまうように感じる。そして伝えられなかったものの方がずっと素晴らしかったのにといつも思うとになる。
 この独特の感じを少しでもここで伝えられればこの文章を書く意味があったということである。そして今私が伝えたような感じを一度でも感じた人は自由にコメントして下さればいいと思う。
 しかしその時恐らく私は、外部から私を私であると認めるような私からまたするりと滑り落ちて他のどこにいてもいいし、他の誰でもいいけれど、他の誰でもないような自分に下りて行っている気がする。(Nameless-valueの考えてみたいこと から)

 先日内藤大助がチャンピオンの座を何とか守ったのだが、結構見ていたら、危なっかしい場面も多かった気がするし、多くの人はそう思ったことだろう。
 ところで何で人はボクシングのようなああいう激烈な格闘技、スポーツを楽しむのだろうか?
 一つにはその凄まじさを前に自分があたかも応援するボクサーにでもなったような気分を味わうためである。しかし自分の周囲で見ている大勢の観客の全員がそういう気分でいるのに、何で自分だけがどきどきするのだろうか?
 これも不思議だ。つまり皆で一緒に観戦しているという状況にどきどきするのだろうか?
 つまり皆で見ているということを知っているということが、見ている自分、という意識を作るのだ。それは一人でテレビを見て観戦していても同じだ。つまり一人でテレビを見ている今の自分のような自分以外の大勢がいるに違いないという想像が「テレビを一人で見ている自分」という意識を作るのだ。
 すると一人でテレビを見ている状況が、自分一人で観戦している気分を盛り上げることになる。そして私はそういう気分でいながら、そういう気分でいる自分以外の大勢がいるだろうとどこかで想像する。
 もしテレビのスイッチをひねっても誰も見ていないということを知っていたとしたら果たして私はあの時内藤の試合を見ていただろうか?いやそんなことはない。私はどんな中継を見ていても、同じようにそれを大勢が見ていることを常に知っている。だからこそその試合を見るのだ。
 すると同じようなことを考えている自分以外の大勢がいるということを知っているということが、自分が一人でテレビのボクシングの中継を見ている自分という意識を作っているということになる。(Nameless-valueの考えてみたいこと から)

 
 上の二つは去年(2009年5月)からスタートさせた私の最も来場者数の多いブログの最初の二つの記事である。ここにはある私の哲学的考えの本質が漲っている。

 私が私であることは一見簡単そうでいてそう簡単でもない。何故なら私は私の全部を知っているわけではないからである。しかしそのことは私が私の全てを全く知らないということでは勿論ない。
 ある意味において私は常に誰よりも私のことを一番よく知っている。しかしそのことがある意味では私が私以外の全ての人からどう見られているかと言うことを一番知らないということをも物語る。
 私にとっての他者から見た私は私の外見からしか判断のしようがない。しかし私にとって私の内容は常に私の心、私の気持ち以外のものではない。
 しかしそれは私にとって私以外の他者に対して私が注ぐ関心というものが、私から見たらその外見でしかないものの内部にも、私のような気持ちがあり、心があるのだという確信に支えられているということをも意味する。
 私はそれを知りたいと願う。だからこそ私は他者と関係を作ろうとする。しかしその全てが自分の思惑通りに進むということはない。それを私は知っているし、私に対してどのような態度で臨む人もそのことに関してはそう思っていることだろう。
 しかしそれは本当であるかどうかは私にとってはやはり確かめようがない。だからこそ私は他者と「確かめようがないよね」と語り合う。つまりそう語り合うことを通して、確かめようのなさを誰しもが共有しているという事実を知りほっとしたいのである。


 しかし待てよ、ここでほっとしていていいのだろうか?
 そういつも自問自答する自分もいる。つまり他者に対する信頼や友愛と共に、距離を保とうとする心理と懐疑をも発動せんと欲する心理が常に綯い交ぜとなっているのだ。
 だが人の心など気持ちなどどうにもならないと知っていながら何故私たちは人の心や気持ちがこうも気になるのだろうか?そんなことどうでもいいではないかとどうして思えないのだろうか?
 実はこれが一番厄介なことなのである。

 どうでもいいことであるのならそんなに悩むことなどない。しかしやはりどうでもいいと割り切ったり、気にし過ぎないようにしようと思ったりしてそう決心するということそのものが、実はやはり他人のこと、他者のことなどどうでもいいことではないのだということを示しているのである。

 しかしそれでいてこういう私の気持ちなど、私の考えや心の状態などこの世の中に存在している人々、殆どの生活者にとってはどうでもいいことなのである。しかしそのどうでもいいことに私は安堵するし、暫く経つとまた気になってくるのである。
 そしてその繰り返しを私はどうすることも出来ないのである。明日も恐らくその繰り返しだろう。


 

Monday, August 16, 2010

<感情と意味>第五章 第三節 親しみのあるものを呼ぶ時

 先日、国立科学博物館に大恐竜展を見に行った。そのついでに特別企画展以外の地球館と日本館も観覧して楽しんだ。その時屋上に上がり、ジュースを飲んで喉の渇きを潤していた時、興味深い子ども(恐らく三四歳くらいの三人)の会話を聴いた。三十代くらいの母親が座って飲んでいた時周りに駆けずり回っていたのだが、その時その中の一人が階下に臨まれる上野駅の電車を皆で眺めながら、「ねえ、常磐線いた?」と別の一人に聞いたのだ。まるで人を探すように「いた?」と聞いたことが面白かった。言葉を習得する過程で、自分にとって親しみのあるものは全て人間のように「いた?」と聞くということが新鮮な発想に思えたのだ。
 私たち大人なら恐らく「常磐線見えるか?」とか「常磐線停車しているか?」とかそう聞くことだろう。しかし恐らくそう聞いた子どもたちは常磐線に乗ってそこまで来ていたのだろう。言語習得の過程で理解しやすいように言い、じきにその言い方がそれぞれ家族、他人、著名人や歴史上の人物、あるいはものや道具に対してそれぞれ固有の言い方があることを学んでいくが、その最初に抱いた親しみのあるものを「いる」と擬人化(勿論彼らにとっては擬人化という意識はない)することがごく自然であること自体が一つの発見であった。
 私たちは親しい人でも他人に対しては一定の敬意を示すような呼び方をするし、有名人とか歴史上の人物に対しては公共的価値から呼び捨てにする。そのような区別自体を学ぶのにあとどれくらいその時にいた子どもたちに必要なのかは分からない。勿論個人差もあるのだろう。私は大体においていろいろなことを他の子どもたちに教えてもらってきたタイプである。でもそれでもある時期から異様にそういう言い方に対して自覚的になっていった気がする。もうあまりにも昔のことなので、大分うろ覚えになってしまっているが。
 言葉に対する感性は恐らく一回そういう感性を全て失ってからもう一度取り戻すということにおいて才能がいるのだろうと思う。
 三十年くらい前あるゼミに参加した時、そのゼミは現代アートの理論と実践のゼミだったのだが、今では故人となられたある主催者は私たちゼミ参加生に対して「一度失ったものをもう一度取り戻していく作業がアートだと思います」と述べておられたことを昨日のことのように思い出す。
 文学や哲学にもそのような性質があるだろうと思う。つまりある言葉自体に対してその成り立ちや、その言葉に接する時のこちら側の感性、クオリア、ニュアンスの把握の仕方といったことが鋭敏であることを求められるのだ。
 確かに恐竜にはある親しみを持てる部分がある。そしてそれは私たちにとって馴染みのある動物、鳥の祖先であるという感覚もあって見ることが出来る。しかし全ての生命には共通した遺伝子その他のコードがあることを知ると、また違った見方を恐竜に対しても持つようになる。何故人間の十数倍以上の長さ君臨してきた生命がそんなに短期間に絶滅したのか?(隕石衝突説など諸説ある)
 だからそれは私たち人間にも当て嵌まる。それは親しいものを私たち自身のように呼ぶ子どもの発想から考え直す必要性を物語っているようにも思われる。
 別に私はエコ的な発想でそう言っているわけではない。あと千年たったなら、南極さえ溶け出すそうである。そして三メートルくらい標準海水面が上昇するそうだ。その時人類は恐らくその時なりの自然に対する対応をしているだろう。あるいはもっと早く人類は絶滅して、イルカのように頭脳の優れた動物の中から人間の立場に近い地位まで進化し続ける種が登場するのだろうか?そんなことはあり得ないと考えている脳科学者の方が多い(例えばジョン・エックルズ)だろうが、別のタイプの進化学者ならそういう可能性も考慮して未来図に臨むかも知れない。
 それでもその時人間くらいに進化した高等知性生命体がいたとしたら、タイムマシーンに乗ってその時代に今から行けるものなら、彼らと話してみたいとそうも思う。そういう考えってどうだろう?

 端的に動物を自分たち人間と親しみのあるものとして取り扱うという意識には羞恥が付き纏う。それは科学者であるなら忌避したいところの心理(読まれたくはない)である。それと似たことが言語習得期の子どもにも付き纏い、親しみを持って「常磐線いる?」と聞くことに対してある時期から羞恥を感じだすのだ。親しい者を親しくない者の前でぞんざいに紹介するということにおいて日本人は長けているが、では欧米人であれ親しい者のことを他人に紹介する時褒めたり自分にとって重要な存在であることを強調して紹介したりしても、そこには羞恥の克服が伴っているだけのことであり、日本人のように羞恥を文化的に許容することと羞恥自体を存在認可しているという意味では同じである。

Sunday, August 15, 2010

<感情と意味>第五章 第二節 無の創造と有限性(無限地獄の克服)

 まず私たちは何かを知るという能力がある。そしてその知っている内容だけで満足するのであれば、一切私たちはそれ以上知ろうとすることはないだろう。
 しかし私たちはあることを知ると、それ以上にもっと何か別のことを知りたくなる。そしてそのように知りたくなる自分というものを知っている。つまり言い換えれば何かを知ることによって、その知った内容(つまり知るまでは知らなかった内容が今は知ってしまった内容)と引き換えに知った内容以外のもの、つまり知らない内容というものの存在を知ることになる。あるいはそういう風に知らない内容を敢えて作り出す。
 つまり私たちは知ることによって、その内容とその内容以外にも何かまだ知らないことがあるということを知ることが出来る。その知らない内容があるということは、端的に「何かを知る自分」という認識(それを哲学や脳科学などではメタ認知と呼ぶ)なしには成り立ち得ない。
 そしてここからが極めて重要だが、何かを知ることによって、まだ知ってはいない内容があるということを知るとは、端的に知ってしまったことを有とすると、それらは全て無である。つまり人間は知ることによって得る有を有自体として認識することによって無を知る、つまり有を有であると認識することによって無を常に作り続けているとも言えるわけだ。
 ここも重要なのだが、人間のようにもし知るだけでそれ以外に知らない領域(あるいは世界と言ってもよい)があるということを知らなければ無に対する認識自体がないと言ってもよいだろう。事実動物は一切無という認識がないと私は思う。動物にも不在は理解出来るだろうが、それとここで言う無とは違う。
 このことを無知の知とソクラテスは考えたとか、ナーガールジュナは無について有ではないと考えたとかいろいろ専門的には言われるのだが、それらのことを一切ここでは無視していこう。

 私たちは何かがあるとそれ以外に別の何かがあると考えるから、必然的に無限という概念に到達する。しかし意外と無限という概念はただ単に思考の傾向であるに過ぎないかも知れないのだ。
 一切が無限であると考えるから矛盾するのであって、全てが有限であると考えればもっと全てが理解しやすくなることもある。例えば宇宙は無限なのではなく有限である、そしてその有限であることは無限に知ることが出来ないと捉えてみよう。
 つまり無限に有限であることを知ることが出来ないのだ。何故ならその有限自体が私たちにとって限りなく無限に近い有限だからなのだ。私たちは一生が大体どんなに長くても百年少しである。だから時間も一切はそれ以上を知ることが出来ない。にもかかわらず知ることが出来るのは我々が共同体を構築し歴史認識をしているからである。それを除外した時一切の時間の連続性を保証するものなど一つもない。その証拠に今までこの世界に生きた人もいつまで世界が存在するかを誰も確かめることなど出来なかったし、これからもそうだろう。第一死んでしまったのなら、それを確認することが出来ないのだから、死んだ後に世界が、宇宙が滅んでしまっても(そこで一切時間も終わってしまっても)一切それを確認することが出来る人はいない。そこで死んだ後にも世界はある、宇宙があると捉えることによって私たちは昔から何故か安心して死ぬことが出来たのである。そこに私たちが宗教を作ってきたことの理由がある。
 死んだ人が生きている人の世界に返ってきたということはなかった。臨死体験は生きているこちら側のぎりぎりの世界の人だから違う。
 だから私たちは一切有の世界の住人であり、死んだ人は一切そうではない。そして死んだ人を生きていた頃のことを考えて話すのは、その人たちが生きていたことをまだ死んでいない、今生きている人が思い出し、懐かしんでいるだけであり、既にその人は 生きている=有の世界 にはいないのだから、要するに無の世界の住人なのだ。
 今私は無の世界とあたかも無にも世界があるかのように言ったのも、私たちが無自体を作っていることの証拠である。私たちは有(知っていることの領域の全て)が拡張されることに伴って着々と無をも作ってきたのだ。だから無とは有、あるいは世界や宇宙を有であると認識する能力が捏造してきたに過ぎないとも言い得るわけだ。
 動物には言語がないから、無もない。そして知っていることを有であると認識することもないのである。従って無に対して恐怖しながら、生きていること自体を有であるという認識で生に未練を持つということもないだろう。ただ生きていることが死に近づくという意識だけはあると思うが、そこには死んで無になるという未練からではなく、生きていたいということだけを感じることが出来るのだ、と私は思う。

 ここにもし一切の変化なく、つまり同じようにただ反復して無限(永遠)に運動し続ける物体があり、それ以外に一切の物体がないとしたのなら、そういう世界は端的に変化のない世界、つまり時間のない世界と同じであると言ってもよいだろう。
 つまり時間とは端的に変化し続けるということである。実際の機械は最初同じように動くが、次第に機械は老朽化して、いつかは動かなくなる。そこには必ず変化がある。しかもその変化自体が予測し得ない、つまり不確実な要素を必ず含んでいるということだ。不確実であるということは規則的ではないということなのだ。
 例えば私たちの寿命に関しても、事故や事件で死ぬ人とか自然死をする人とか、要するにそこにはばらつきが必ずあり、ヴァラエティーがある(規則的ではない)ということ、そして誰がそうであり誰がそうではないかと言うこと自体も決定されていず、その都度変化し続けるということだけが時間を時間として成立させる。ある時点までは自然死する筈だったが、タバコを吸い過ぎだしたので、癌になって早世してしまったというように、不確実性が混入するからこそ、私たちはそこに意志があると感じるのだ(私は意志という捉え方も一つの安心量であると考える)。
 つまり意志(哲学的に自由意志と言っても構わない)とは、不確実であるからこそ、何かを自分で変えられる、希望を持つことも出来るし、自暴自棄になることも出来る、全ては自分の責任で何とかなる部分もある(全てではない、自分の努力だけではどうにもならないこともある)という風に、全てに対して常に両義的に捉えることによって完全に自由でも完全に不自由でもない、つまりそのどちらでもないということを知ることが出来るのである。
 そのどちらでもないという不確実性において緩やかに決定されている、確実に完全には決定されていないという定義が成立する。これらのことが基本的な考えだ。

 要するに私は私たちが永遠に無を理解すること、その正体を突き止めることが出来ないと考えているのだ。それは無がそれ自体私たちのもっと知りたいという欲望が作り続ける一つの幻想だからである。幻想とは常に変化し続けるので、その正体を突き止めることが出来ない。それは要するに私が動くたびに変化する影の正体を突き止めるようなものである。無はそれ自体何か性質があるかも知れない、とそう考えること自体が既に無の中に有を求めているだけのことなのだ。有以外には一切ないということを、私たちは理解しやすいように無という概念を有に対して設定してきたに過ぎない、と私は考えるのである。

 昨今の世界経済不況(百年に一度の大きさであると言われる)を前に私たちは丁度外出して、悪質のインフルエンザを抱え込みそれこそ数ヶ月以上も入院することを余儀なくされ、しかも完治するのに何年もかかるという事態に追い込まれたと考えてもよい状態なのだろう。しかしだからと言って私たちは一切これから自宅から一歩も出ず、外出することをよそうと、もし誰かが言ったのなら正気ではないと考えるだろう。
 元総務・金融・経済財政大臣竹中氏の考え方を日頃のテレビ等での発言から推察すると、昨今の「市場原理主義が世界を駄目にした」とか「経済優先主義が破綻を来たした」というような言説にはそれと似たような考え方があるということになる。私たち人類が絶滅する日まで恐らく私は市場経済=貨幣経済は続行すると考える。何故ならこの私たち人類の六百万年くらいとも言われる歴史においてもしもっといい人類にとっての世界運営の仕方があったのなら、丁度私たちにとって意思疎通の仕方にとって恐らく言語が一番自然であり、最適な手段だったからこそ定着していったように、そうではない仕方に定着していった筈である。しかし人類は聖書が出来た頃から既に貨幣経済を営んできたのだ。だから竹中氏がある討論番組において「リアリストたれ」と若者に呼びかけていたことを総括すると、私たちはとかく生というもの(=有)を、無=死との対比において捉えようとするが、私たちが無そのものを本質的に理解することが出来ないように、私たちは既にこうであってしまった 世界=有 からしかものを考えられない以上、どんなに世界経済不況であるからと言って、恐らく人類が滅亡する日まで続行するであろう貨幣経済や市場経済を軸にものを考えていくしか方法がないのだ。
 つまり私たちはどんなに死後の世界についてあれこれ思い巡らせてもそのもの自体を生きている間に明確に知ることが出来ない以上 死=無 から生を考えていくことが出来ないから、市場原理主義(それ以外の何かもっと理想的な人類にとっての世界運営の方法があるかのように幻想させる言い方である)といった言説自体が私たちの将来を考える上で有効であるとはとても思えない。つまり私たちは所詮生きている間には無それ自体を理解することなど出来はしないのだから、生きている間はいかに有意義に人生を送るかということを考えるしかないのであって、中島義道氏の謂いではないが、どうせ一回は人間は死ぬのだから死んだ後の世界については死んでみればいずれ分かることなのであり、生きている間はその間のことだけを考えればよいのだ。
 恐らく経済学が死について一切語らないのはそういう理由があるのだ、と私は思う。つまり経済学が哲学や宗教や心理学とは別個に存在し得るということは、心を語る学問でさえ今述べたものの他に思想とか脳科学とかがあるように、決して一つではないということを表しているように、一つの学問では語りきれないからこそ存在するのである。もしそれらの中の一つだけを選んで全てを語ろうとするとどうしても不十分であるからこそ、心について語る学問でさえ幾つものジャンルがあるように、必ずしも「心だけを語っていても私たち人類や人類にとっての世界の全てを理解することが出来ない」からこそ、死自体を語らない経済学のような学問が存在し、私たちにとって必要とされているのだ(やはりもし全てが哲学や宗教で考えるような心の学問でしかないとすればそれはそれでよくないのである)。
 私たちにとって世界もいつかは滅ぶだろうし、宇宙もいつかは消滅するような意味では、全ては有限であると言っていいだろう。しかし私たちはいつまでも時間も空間もその先があるのだ、と考えたくなってしまう。この無限に対する思念そのものを私は勝手に無限地獄(何でも無限であるように思えてしまうこと)と呼んでいる。しかし例えば国家経済自体にも限りがあるように、経済学は現実を軸に展開するから、恐らく有限性について最も実際的に認識している学問であると考えてもよいのだろう。それは裏を返せば最も無限地獄自体をよく認識している、ということかも知れない。カゲロウのように一日で死ぬ生き物は恐らく私たち人類の辿る運命などいつまでたっても思いも拠らないことであり、彼らにとってそういった世界は存在しないのも同然である。同じように人類の消滅した後の世界というようなことも同じだ。あるいは私たち現代に生きる者にとって人類が絶滅する時期における人類の世界運営ということだけを考えても仕方がない。だから取り敢えずは今現在の経済の行く末を考えていくしか道は残されていないことになる。
 尤もそれは経済学者の論理であり、その論理自体に検証をすることも許される。そこで思考の無間地獄があることも了解される。

Thursday, August 12, 2010

<感情と意味>第五章 言語習得と羞恥 第一節 羞恥の称揚と羞恥の克服

 「対話のない社会」や「うるさい日本の私」等の著作において中島義道が最も訴えたいこととは、日本社会が暗黙の了解や阿吽の呼吸というものを重視するあまり、端的に対話すること、とことんまで真意を語り合う機会を社会全体が封殺しているということに対する痛烈なり疑問なのであり、日本人は確かに他人が嫌がることをしない他人が嫌がることは言わないという氏の主張する「優しさ」によって自らの主体的な欲求を押しとどめることから全ての言語行為を出発させる。中島は帰国子女(ウィーン大学哲学科において博士号取得)の立場と、自己内に感じられる正当なるエゴイズムの呼び声によって「こういう意見を正真正銘の本音で語った論客を私は知らない」というスタンスで述べたことにおいて実践的哲学者として評価されるべきである、と私は考える。
 さて日本人とは古来から言われているように恥の文化を生きるのだ、という定説に対して、それ自体殊更否定しようと私は思わないが、実は其れは日本人だけなのかな、という疑問もずっと抱いてきた。例えば日本の恥に対して、欧米人は罪の民族であると言う。しかし罪に恥はないのだろうか?
 それは違うだろう。恐らく私は全ての羞恥は、自らにとって最も大切なもの、例えば家族であるとか、大事にしているものだとか、愛着のある土地だとか、要するに自分にとって大切なものを通して、しかしそれは自分にとってはそうであるが、別の人(端的に他人のことである)にとってはそうではなく、彼らにはまた自分とは全く違う人(家族)、もの、土地が大切であり、愛着があり大事なのだ、という意識を抱いた時、言語習得が飛躍的に推進されると考えている。そして興味深いことには、その羞恥を介在させること、つまり自分の愛しているものに対して愛着を素直に他人には言えないということが日本人にとっては言語習得、そしてとりわけ責任倫理の意識の獲得と期を一にしているということが、では欧米人にも当て嵌まるのだろうかと考えた。そしてその末に自分なりにある結論に達してのである。彼らにも決して羞恥がないわけではない。ただ日本人は必要以上に羞恥を美徳として意識することが多かったのに対して、欧米人は羞恥を克服することをモットーとしてきた、ということである。例えばアメリカ人は積極的に他人に自分は家族を愛しているとか、妻を愛していると憚りなく語る。私は古い日本人的なモラルからすれば多少図々しいという印象をかつては抱いていたが、そうではないということに気がついた。彼らはそう憚りなく公言することを通して極度の羞恥を克服しようと躍起になっているのだ、ということを。
 つまりその羞恥自体を日本人は美徳とすることが可能だったのだ。それはある程度社会全体が異民族から蹂躙する危険性が比較的少なかったということも起因しているのだろう。しかし欧米人は歴史的に見てもそうではなかった。
 しかしそういう歴史学的、文化人類学的な事実よりも重要なことがある。それは言語習得という本能的行為は全ての民族において共通している体験であるということだ。そして言語習得とは、それを通して他者と語るということを習得することであるから、必然的に他者の立場を自己に置き換えて考えるということが基本としてある。それは中島が批判している相手の立場を考え過ぎるということではない。もっと単純なこととしてである。つまり言語行為上で意味を伝達するということが、即ち自分にとって切実な意味が他者にとっても切実であると想定し得ることこそが、ある言語陳述を可能とするのである。それが一切ないものであれば、我々はそもそも一切他者に何かを語るという意志を抱くことなどないだろう。そこには言語行為自体を成立させる根拠に基本的に他者に対する信頼があるということを意味している。
 そしてそれはそれ自体を美徳とするにせよ、克服するにせよある羞恥を抱くことがあるのは、概して自分にとって切実なものが他者の目に晒された時であることを考えれば直ちに納得し得る。
 つまり自分の裸を他人に見られるということはアダムの罪と呼ばれる聖書の時代から変わらない真実であるし、あまり親しくない人に自分の素性を簡単に語りたくはないということもそうである。
 つまり他者を慮るということ自体が言語行為においてウィトゲンシュタインが言った私的言語を克服することであるとすれば、意味が自分にとっての意味であるばかりか、その意味を告げる相手にとっても同様の意味であるということの想定が言語行為=意味の伝達行為を成立させるとすれば、自分にとって有意味であることが他者にとっても有意味であるかどうかの査定を言語行為を通して顕現させることがコミュニケーションであることを考えれば次の記述はごく自然な図式であると言えるだろう。

自分にとっての意味(自分にとって意味があると思われること)がそれを告げる相手にとっても意味(がある)かどうかの査定=発語行為

つまりそこに至るまでの道筋にあるものこそ羞恥である。それを言うことには勇気が要る。しかしそれを押しとどめることが日本の文化であると考えられてきたし、事実中島の主張の通りそれは維持されているとしよう。それに対して欧米ではその勇気を賞賛するのである。だから私は日本文化を押し黙ること(他者への羞恥を隠さない)を美徳とし、欧米では少なくとも他者に対して語ること(他者への羞恥を克服すること)を美徳とする文化としてきた、と捉えたのである。
 しかしそういった文化上での差異はあまりこの章で考えることの上では大した意味を持たない。何故なら羞恥はそれを美徳としても、克服すべきものとしても尚、言語行為を成立させるものとしての重要性は一切変わりないからである。
 まず私たちは自分に家族があったり、大切なものがあったり、生活する上で重要なものがあることを直観的に知っている。しかし同様にそのことが隣に住む自分と同じくらいの年齢の友達にとってもそうであるかどうか自体は、推察とか類推によってではなく、尤も自閉症の子どもであるならそういう風に容易にはいかないにしても、少なくとも健常な精神の子どもであるなら、聞くことによって知ることが出来る。あるいはもっと勇気がある子どもなら自分にとってそれらは大切であると語ることによって相手の出方を見るという選択肢もあるだろう。
 つまり何らかの自分にとっての生活上での重要性ということが、意味連関的な一般性において理解される時、必要となってくるものが、言語行為による相手からの発言による自己確認である。全ての生活上での指針となっているものは、自分にとって大切なものは他人にとって大切であるかどうかということに対する査定である。
 勿論自分の両親や兄弟姉妹や、住んでいる家や大切にしているものは自分が言語行為をする相手にとっては他人のものであるという認識は最初からある。それが最初になされていないのならまず言語行為をするということにはならない。自分にとっての重要事項はあくまで自分にとってであり、他人にとってはそうではないという認識が成立した時に初めて、では相手にも自分にとって大切なものが存在し得るのかどうかという疑問が出されてくる。その疑問が相手を必要とする言語行為を成立させるのだ。
 人間界の全てのコミュニケーションは自分にとっての意味が相手にとっても同様に意味であるか否かということに対する確認が基本として備わっているように私は思うのである。それが一致する時もあれば、一致しない時もある。しかし概して一致するであろうと最初から思えるものとそうではないものとの間には何らかの差異が最初から認識されているだろう、と私は考える。
 例えば好きなマンガとか、好きなテレビ番組とか、好きな同級生とか、好きなこととは、恐らく一致するものもあるだろうが、そうではないものもあるという推察が可能であろう。
 しかし雨の日は晴れの日よりは外で遊べないから、憂鬱な感じがするということは、たとえ憂鬱という語彙を知らなくても何となく相手もそうではないかという推察が可能な範囲のものである。
 しかし例えば私の幼少の頃私の両親は私たち子どもにキスをしたが、私は一回もそのことを友達に告げたことがなった。と言うのも私の両親は私には三歳年少の弟がいるが、彼にも私を名前で呼ばせた。年少とか年長であるということを表に出すような教育を一切しなかったのは、西欧流でファーストネームで呼ばせることをすることで完成したのだ。そして西欧流に子どもにキスをする家庭ばかりではないだろう、と私は感じていたから敢えてそういう話題を一切友達には語らなかったのである。
 その意味では私も私の弟も名前で呼び合っているということを友達に告げたことも一度もなかった。
 つまりそういう習慣的なことというのは、端的に自分にとっては慣れていることでも他人にとってもそうであるとは限らないということから必然的にそう容易に他人に、それがたとえ同級生であってもよほど心を打ち明けあえる相手でなければ全て包み隠さず告げることは躊躇されることである。
 つまりその躊躇させるものこそ羞恥である。そしてその羞恥自体を如何様に解釈するかと言うことで、相手を見たり、相手にとってもそうであるかと判断したりすること、つまり自分にとって羞恥の対象であるそう容易には告げられないこととは、一方でそうではなくある程度容易に告げられることもあるということを認識上発生させるだろう。つまりその羞恥を介在させずには置かないこと(勿論自分にとってそう思えることである)と恐らくそうではないだろうと思われることの間の差異こそが言語行為上で何を安心して聞くことが出来るか、何はそう安心して聞くことが出来ないかということの認識を発生させるのだ。
 それは自然と相手に対するこちら側の判断によって会得していくものだ。例えば相手が異性であるか同性であるかもそうだし、相手の年齢もそうである。それらの差異をあまり気にしなくてよいことと、そうではないこと、つまりそれらの意味連関が私たちに言語行為をするモティヴェーションを授けるのだ。つまり質問内容から、こちら側から相手に知らせる内容に至るまでその都度の判断において羞恥の対象から羞恥をあまり介在させる必要のないことまでそこには当然幅があるわけだが、その幅に対する自覚こそが言語行為上で相手との間で確認し得る意味の領域を設定する。
 だからある場合には相手が誰であれ、どんな場合であれはっきり言ったり聞いたりする必要があると思えることから、ある程度相手を見て言ったり聞いたりすることをそれがいいことであるかそうではないかということを判断する必要があることの両方を認識することが言語行為において最初の難関として待ち構えている。勿論本来その間の差異自体も、実はかなり社会習慣的なことを会得していくに従って習得されるものである。それは人間が自分の裸を他人には見られたくはないということと同じようなものとして存在する。だから一定のそれらに対する習得の後に、例えば女性には年齢を聞くものではないということとか、そういう不文律があるのにもかかわらず、ある場合には異性間においてさえ年齢を告げあう必要があるのだということを習得していくのだ。
 
 もっと簡単に言えば、私たちには言いたいことと言いたくないこともある。そしてそれが権利上認められることとそうではないことの両方があるということに対する自覚が、言語行為の動機や意味連関に対する理解となっていると私は考えているのである。自由や権利と義務の両方があるということを私はかなり早い時期に子どもにも理解されていると思う。
 そしてそれ以上に重要であることとは、それら(つまり私にとって言いたい<言っても別段構わないこと>ことと言いたくないことの両方が存在するということ)に対する理解が、では他人にとってもそうなのか、つまり他人にも自分と同様の羞恥や躊躇があるかどうかということに対する認識的な自覚こそが言語行為を成立させていることの大きな柱であると思えるのである。
 だから当然そういうことに対する配慮をするべき時と、敢えてそれをするべきではない時というのが存在し得るだろう。前者はある部分では個人差が最初から類推出来ることであり、後者は最初からそれは誰にとっても同じである筈だという確信が得られるものである。
 例えば好きな食べ物は人によって違うだろうが、熱湯は手にかかれば熱いということは誰にとっても同じだろうという類推は最初から私たちにも備わっているだろう。だから自分が好きな料理を相手も好きであると勝手に解釈してしまうことはよくないから、例えば前者の例としては友達が来る時、その友達に料理を振舞う時には予めその友達の好き嫌いを聞いておくという判断は成立するだろうし、後者の例としては誰かに偶然的に熱湯がかかったとしたら、すぐさま大人を呼んで知らせるとかの緊急性に対する認識が即座に思い浮かぶということはあり得るだろう。
 つまりそういうことに対する判断が、例えば何かを決定する時に相手に聞く必要があるのか、そうではなく自分で全て判断していくべきなのかということの差異をその都度判断し、認識することが可能となるという意味では、道端で倒れた人があれば、大人になってからは一々他人に承諾を得る以前にまず警察とか救急車を呼ぶとかの判断をすることへと繋がっていくだろうし、来週パーティーをする時には出席の是非を相手の都合を配慮して聞くという判断にも繋がっていく。
 
 纏めよう。
 ある程度親しくなければ聞き難いこと、あまり親しくない人には聞かれても答えたくはないこと、あるいは告げる必要がないこととはプライヴェートなことであり、ある程度羞恥にかかわることである。例えば他人と話している時話の流れで自分が会社を辞めたことを告げた時、何故会社を辞めなければいけなくなったかなどの経緯についてたとえ相手が好奇心でそれを聞いてきても返答すべき理由はないし、返答したくなければ返答する必要などない。それに対して相手が親しくても親しくなくても聞かなければいけないことや聞かれたなら返答すべきことというものもある。例えば大怪我をしたので救急車で病院に運ばれ医師が輸血しなければいけなくなったので医師から聞かれたら返答しなければいけない血液型とか名前とか、要するに緊急の措置として相手に対して請求されたのなら返答すべきことなどである。
 この例から言えば前者は自分が聞かれた場合なら権利問題であり、相手に聞くことがよくないと判断した場合なら相手の権利問題であると同時に相手の権利を守る責任問題でもある。
 また後者は相手に対してなら義務である。
 要するに聞かない方がいいこととか聞かなくてもいいことには権利問題が付帯し、告げない方がいいこと(告げたくないこと)とか告げなくてもいいこと(告げる必要がないこと)もそうである。しかし一定程度自分が相手から助けて貰わなくてはならない時、それは今述べた医師から治療を受けている時とか、自分が被疑者となって弁護士からことの経緯を尋ねられた時などは返答しなくてはならない。
 そしてそれら全ては言語習得期において基本的な峻別が一定程度必ず習得され得るものであると私は考える。

Tuesday, August 10, 2010

<感情と意味>第四章 第六節 文化の閉鎖性と哲学上のグローバリズムはあり得るかの問題

 哲学者は扱う問題がかなり専門的(のように見える)で、扱う領域が浅く広いと言える。宇宙に関する思惟から、言語や習慣、慣習まで扱うが、例えば文化的なことに関しては文化人類学や社会学よりも抽象的な態度にとどまり、全てに対して網の目を張り巡らせるわりには、深度ということにおいてはどの学問よりも浅くとどまる。だから逆に言えばただ唯一哲学命題が深度を持つとすれば、それは文化自体が閉鎖的な性質を持っていて、その閉鎖性自体を肯定的に失われていく世界観を愛おしく扱う文化人類学が見損なっている部分、つまり何かが失われていくことと引き換えに、だからこそ得られる普遍に対して着目し得るという度量であろう。
 ある固有の文化はその文化を共有し得る成員間においてのみ価値があるものである。その知られざる価値に対して着目して、分類し、保存することが文化人類学であるとすれば、その価値自体を肯定的であれ否定的であれ検証することを潔しとする学は哲学をおいて他にはないだろう。その時確かに哲学はグローバルな学であろうとする。このグローバリズムに関して言えば、確かに科学一般もそうである。だから当然文化人類学自体も人文科学という視野から考えるなら、その失われてゆく価値に対する愛おしさを感じ合うということから言えばグローバルである。しかし哲学自体が持つグローバリズムはもっと抽象的なものである。それは文化を文明位相レヴェルや様相レヴェルからではなく人間実存的に捉えるから、その文化の意味連関からよりも、生の意味連関から文化の存在理由を問う。
 文化とはある部分では言語習慣的なこと、社会制度的な慣習性に依拠した伝統的なコードとか民族習慣的なことと密接に連関が組まれ、それが権威となったり、法制度となったりするのだが、実はそのような習慣依拠的なことは、職業的行為における連鎖自体が個に与えるものでもある。
 学者には固有の読書習慣とか、文章解析能力が備わるから、自己の専門分野外のことにおいて何か実力を発揮する時にも日頃の職業的感性は活かされるだろう。つまり自己が自己に対して課す使命感のようなものが、人間的実存の在り方まで規定するということは大いにあり得るのである。
 哲学者ももっと色々な形で応用的な領域に飛び出していくべきではないだろうか?哲学者がそうすれば、他の人文科学分野の学者達も又それに啓発され、態度を変えていく可能性は大いにある。
 

Tuesday, August 3, 2010

<感情と意味>第四章 第五節 報道の建前と社会の建前

 一般的に全ての報道は意味連関的には建前上全ての人に対して開かれているように振舞っている。しかし重要なこととは、どんなに世界情勢的な大事であれ、世紀のスクープであれ、社会問題化しているニュースであれ、それらは全て今日明日という命である人にとってはどうでもいいことである。つまり自分にとって命にかかわる大事を抱えている人にとってそれらの一切は何ら意味を持たないということである。それは端的に報道というものが全般的に一切の死にかかわる哲学を回避して存在しているということである。それは要するにニュースというものの性質が今現在そのニュースを拝聴している人たちが安全であり、命の危険がないということを暗黙に前提しているのである。
 私は下町固有の長屋的人情話が嫌いであるが、実は本質的に全ての報道にはそういう要素がある。つまり端的に報道の建前とはそれを享受する人を差別はしないものの、本質的には全ての人が将来があり、未来があり、明日に希望があるということを前提しているのである。
 しかし実際には明日死ぬかも知れない、今日一日命がもつか知れたものではない人は大勢いて、それらを一切無視しているのである。つまり常に報道を気にすることが出来る心の余裕のある健常な人だけを相手にしているからである。それは社会自体が、経済白書から、あらゆる種類のGDPとかの数値を弾き出したりして生きている人だけを対象としているのであり、その徹底した合理主義は、実際本当は明日か今日死ぬ人にとってこそ世界とはどうあるべきか、ということが極めて重要であるかも知れないのに、そういった一切を無視することによって成立しているのである。
 これを社会による哲学の無視、報道の持つ非哲学的態度と呼ぼう。つまり建前上では全ての人に対して差別しないと触れ込みながらその実、そういった報道を余裕を持って享受することの出来る人だけを対象としている報道機関の欺瞞性を社会は積極的に容認しているのである。
 これは社会が冷酷であるからと言うよりは、例えば自分のことを考えてみればよく分かることなのだが、前節において私は「人間とは通常自分にとって関係のない事態に対しては静観するという態度を、とりわけそれがニュース映像などに関しては決め込む」とそう述べたが、実は別にニュースに限らず、全てのことについてそうなのである。隣に住む夫婦が借金苦に喘いでいるとか、息子が病気で苦しんでいるということを聞いても、私たちには基本的に何もすることが出来ない。第一他人を救うことが出来るということはよほどの財力と権力が必要なのである。また仮にそういう力が自分にあったとしても、救おうと思う当の相手がその申し入れを聞き入れるかどうかはまた別の問題である。
 つまり社会とは最低限に必要なことだけは全ての人々にインフラとして提供しはするものの、各社会成員にとって最大の困難や問題を解決するように配慮することなど出来はしないのである。だからこそそのように立ち入った問題には一切触れず、要するにそれら解決不能であることに関しては最初から取り組もうという態度は一切取らず、自己責任を全ての成員に対して暗に要求するのである。この種の徹底的な責任転嫁とは、公共的責任の在り方とはどうあるべきなのか、ということに対する現実的な限界というものの在り方を示しているように思われる。
 私は以前からこの種のマスメディアやマスコミの報道に関する徹底した健常者的立場、平穏で何事もトラブルのない人こそがまず何を差し置き、第一の視聴者であるという暗黙の前提は一体何故発生するのか不思議に思ってきた。しかしある時はたと気づいたのである。それはそのように取り扱わなければならないくらいにトラブルを抱えている人は大勢いて、そのそれぞれの苦悩や健常、健在でなさに対して一々責任をとっていては身が持たないというマスメディアやマスコミに携わる側の人々にとっての暗黙の約定なのだ、と。
 つまりそれだけ本章の主題であるところの意識やクオリアということをそれだけを取り上げて考えると哲学的に難解なのだ。つまり私たちは意味連関のほんの触り程度の部分を切り取り、それを表立って表明出来るように社会が機能していることを知っている。つまり死もそうだし、健常でなさ、健康でなさ、条理を逸していることなどの一切は個人的なことであり、相互に踏み込んではいけないということを無意識に忌避的に身構えているのである。本当に哲学的に考えれば意味連関とは全ての個における健常でなさ、正常でなさ、死を含む。しかしもしそれらを一々取り上げていたら、社会機能全体が麻痺することを何よりもそれらの問題が軽くは無いと知っている私たちが自主規制しているのだ。これはサブカルチャーなどを除いて、政治的舞台とか番組内などでは表現の自由を巡って自主規制することに慣れている日本人も、宗教的なことに関しては自主規制するけれども政治的には自主規制しないアメリカ人にしても全く変わらないだろう。
 何故意識やクオリアに関する問題が難解であるかというと、それはそれぞれの個によって大幅に感じ方が違うということもあるけれど、もっと本質的にそれが実は全ての外交的態度とか外在的態度表明、社会共同体的な深層心理に深くかかわっていて、それを一旦問題として持ち出すと、それだけで全ての時間が浪費されてしまうくらいに根深いということを私たちが知っているからではないだろうか?つまり真意の問題とは偽装全体にかかわっているということと、それが建前とか儀礼性とか形式とか社会構造とか共同体内の慣例や慣習全体に関わっており、個別の問題に対してその都度対処することだけでは済まなくなるということだからである。
 また真意とは意図的な志向によって形成されるものだが、意識とかクオリアとはそれだけではなくそれプラス反省的意識の問題に関わる。そして反省意識とは端的に個別的な記憶の問題に関わる。よってそれらを一律に定義することがまず出来ない。そこで私たちはそういう立ち入ったことは全て個人の責任において選択すべしということになるのである。だからもしニュースが倫理的にけしからんものであるなら要するに見なければよいのである。報道に接することが出来る余裕がある人だけが選択してニュースや新聞や全ての報道に接すればよいのである。しかしにもかかわらず、我々はどこかでピアプレッシャーによってそれらを話題の一つとして選択しなければいけないような雰囲気に自己を持っていってしまうのだ。このことは 第二章 第四節 自己と無関係のものごとに対する思念の必要性 で示したように、自分と関係のあることだけを知識や情報として脳内に記憶させると、ある臨界点を超えると、不安が倍増してしまい(端的に自分にとって残された時間というような死を連想する)いても立ってもいられなくなるという事態を未然に防止させながら自分とは直接無関係なことを多く知識や情報として吸収することで安堵しているのである。

Sunday, August 1, 2010

<感情と意味>第四章 第四節 差別表現の語彙への忌避を生む負のクオリア 

 言葉自体は一切それを使用する人を差別しない。例えば語彙自体はその語彙を使用する人を差別しない。
 小学校一年生が「H君が私に対する嫉妬に狂って私が思いを寄せるK君をぶちました」などと担任の先生に告げたとしたら、恐らくその先生は恐るべき子供たちだと思うことだろう。そのようにある語彙をある年齢の人が使用すること、あるいはある語彙をある職業の人が使用することに対して、「たかが~のくせに(の分際で)」とか「あろうことか(こともあろうに)卑しくも公務員であるにもかかわらず不謹慎な」とか言って、そういった語彙を使用することそのものに対する差別をするのはあくまで人間の側であって、言葉自体、語彙自体ではない。インテリではないとあるインテリによって思われている人が、高度な哲学的命題の概念を知っていて、それをそのインテリの前で口に出したとしよう。そのインテリが一定のレヴェルの知性と理性を持っているのなら、「自分がその人に対して見縊っていたのだ。そういう風に人間を表向き(見てくれ)で判断することはよくない」とそう思うだろうが、慢心していて、傲慢なタイプの人間なら「たかが~のクセに高度な概念を使いやがって、どうせ知ったかぶりに決まっている」とその語彙を語った者に対する差別をやめることもないかも知れない。その場合その者は真にインテリの名に値しないと言える。
 しかし少なくとも語彙自体は、言葉自体はそれを使用する人を嫌がることはない。動物なら動物が嫌いな人というのを直観的に理解し、その者がたまたま動物好きな人の前で社交辞令的に犬や猫をあやそうとしているとすぐさまその擬装を見抜き、拒絶反応を示すだろうが、語彙、言葉は違う。
 要するに言葉や語彙を差別するのは人間の方なのである。例えばかつてデブと言ってからかうことがあったが、最近ではメタボリック・シンドロームという語彙が定着すると、「あいつは少々メタボ気味だ」とか言って差別用語的扱いを受けたデブを忌避することを通して語彙自体が社会的なイメージとして通用する事態そのものを忌避しようとする。要するにそうすることを通してその表現が持つイメージを想起することを相互に忌避しようという暗黙の約定に従っているのである。
 何故そんなことをするのだろうという疑問は愚問かも知れない。何故ならそれはそういう言葉、例えば「売女」とか「人非人」とかそういう語彙を使用することで、その語彙を特定の個人に対して適用しているという事態を認識されることで齎される自己に対する不利益を、その語彙を使用することを自己に戒めている人は予め忌避しているからである。だからある一定の限度を超えて(この判断が意外と難しいのであるが)不必要に差別語を回避していることを目にすると却って意識してそれを使うまいとしていることを見抜かれ外から見たら不自然であり、却って意識していることが判明してしまうということが想像以上に多くある。つまり必要以上に気を遣い、ある言説やある語彙、表現を使
用することを回避している場合それをされる側はあざとくそれを見抜いてしまうのだ。
 それはその語彙や表現、言説自体に対する差別感情を、それを使用することを忌避している側の人が濃厚に意識しているということだから、それを自分の前では回避される側からすればその語彙や表現、言説を差別的に使用されるのならいざ知らず、そうではなく自然に時たま使用することがあった場合よりも寧ろ自分が内心では差別的に見られているということに気づいてしまうだろう。つまり内心の差別を必死に「理性的にそれはいけないことだ」と考え、その言説一切を封じ込める意図が見え見えなのだから。
 だから人間がある言説や表現自体が持つ伝達的メッセージに対して敏感であることは、それを使用することが「こういう場合には適切である」とか「こういう場合には不適切である」といった判断を意識的に認識させずにはおかない。つまり親しい間柄においてなら尚更その種の気遣いとか心配り、あるいは気配りといったことは、必要以上であると却って差別に繋がるということが言える。
 そしてそれを重々承知であるからこそ、多くの成員がこういう言説やこういう表現は慎みましょうという暗黙の約定がかつては多く存在し、頻繁に使用されていた語彙を差別語として締め出してしまうという異様な事態へと発展しているのである。これはある種の忌避論的なファシズムである。それを誘引しているのが負のクオリア、しかもそれが自分の内心でそう思うよりも、他人に言ってしまったならまずいとそう思うような負のクオリアなのである。
 しかし捕捉的に付け加えておけば、負のクオリアにおいて好例である形容詞でも動詞が変化した形容詞は然程ではない。例えば「嘆かわしい」とか「煩わしい」のような語彙は、原型が動詞なので動詞自体に負のクオリアの実感が吸収されてしまうからだ。しかし例えば「いじましい」とか「おぞましい」とか「せせこましい」とか「ややっこしい」といった少なくとも現代においてその原型である動詞が隠れていてその発祥が分からない形容詞の方がより、負のクオリアが実感され、原型に起因する抽象的観念性が剥奪されている分だけ切実であり、眉間に皺を寄せさせる趣を持つ。ネガティヴな形容に関する語彙には実は微妙な心理的差異が息衝いている。

 さて今まで書いてきたことは言葉自体のその使用者に対する差別しなさ自体が、逆に使用者たちがそれを誰に対して適用して伝達するかということにおいて配慮するという一種の差別の問題であった。しかし人間にはかなり克服の困難な二つの思い込み(哲学的には誤謬と言うことも多い)がある。
 その一つは人間とは相手が同じ人間である場合その外見で判断してしまうということである。
 ある部分では人間の外見とはその者の内心をこれ以上に表現してしまうものはない。だからある相手に対して敵意を抱いている者に対してある相手自身はすぐにそれを見抜くし、嘘をついている時の表情というものは、真実を告げている時の表情以上の説得力を持つことはあり得ない。
 しかしそういう意味での外見ならいざ知らず、もっとその人間の骨格とか人相とかそういうことになると、その者の内心の本質を必ずしも百パーセント示しているとも言えない場合もかなりある。
 しかしにもかかわらず人間は外見の、特に美観に囚われてしまう。そのことを茂木健一郎は「化粧する脳」においてかなり意識的に記述している。そしてその顕著な例としてかつてエレファントマンと呼ばれて映画化されたある人物についての記述において示そうとしている。
 要するに人間とは自分にとって選好性(特に社会生物学(進化心理学)者たちが多く使用する概念である)から逸脱する人相や顔立ちの人に対してなかなか「人を外見で判断してはいけない」と思うことが難しいのである。それは公的な場ではそうしようと決意しても、私的な部分では執念深くその思いを温存させることからも明白である。
 しかしもう一つの思い込みはもっと執念深く、厄介で悪質でさえあるが、克服がずっと難しい。それはある意味づけをしてしまったものを、その意味づけ以前の状態へと戻すことの困難さである。
 そのことをまざまざと見せ付けてくれた出来事こそ菅家利和氏の刑務所からの突然の釈放であった。菅家氏は十八年前の足利市幼女殺害事件の犯人として日本初のDNA鑑定であるという捜査当局の触れ込みがあったために、菅家さんが釈放後のインタビューで述べられていた「決して許すことが出来ない」と言われる(それは当然であるが)刑事たち自身が、相手は巨悪犯であるから心して捕まえ、心して取調べをする必要があると任務に忠実にそう思っていたのだから、「自分や自分の家族に対して謝りに来て欲しい」と菅家氏が主張されたとしても、恐らくそう容易には誰も謝罪に来ることなどないだろう。
 何故ならある菅家さんがご出演されたワイドショーでレギュラーの著名なタレントが「菅家さんをお近くで拝見した時私はこの人はとても人を殺せる人ではないと思いました」と告白していたが、実際それは刑務所から釈放されたからこそそう思うのであり、逆にその時そう思えるということは、氏が釈放されるまでは恐らく他の多くの国民同様凶悪犯であるという思いを拭い去ることが出来なかったということを示してもいる。事実私も例の45歳時の氏が連行される映像を見ては凶悪な犯人らしい風貌であるとそう思い疑いを差し挟むことがなかったのである。つまり人間はある言説、それが例えば「この者が凶悪殺人犯である」という説明を一旦与えられると、その指示を与えられた写真や映像の人に対して普段そういう説明を与えられていない場合にどういう反応(選好性的な意味での)をするかにかかわらず、その説明によって意味づけされたバイアスに従って判断するということである。「そう言われると人相が悪いわね」とそう思い込んでしまうのである。しかもそれが日本初のDNA鑑定であったという科学の進歩に対する妄信と捜査当局の威信だったのだから尚更である。従ってそれを誤っていると主張することはかなり佐藤弁護士たちにとっても困難な道のりであっただろう。ともあれ私はそういうこともないと思うが、もし菅家さんと対話する機会に恵まれたのならそのことを謝罪したいと思うが、そういうことがない限り私は氏に態々謝罪していくことなどないと思うからである。
 この種の司法と科学の過ちはその進歩に対する過信と、権威を守ろうとする意識がなした集団的犯罪であり、全ては責任転嫁の極度の形態を示している。それは人間とは通常自分にとって関係のない事態に対しては静観するという態度を、とりわけそれがニュース映像などに関しては決め込むということである。冤罪とはそれを冤罪であると主張しない全ての権威随順者たちによる集団的犯罪なのである。そしてそれを誘引することとして顕著なこととは、安易な顔つきや人相に対する個人的な選好性という殆ど理性論的には根拠のない判断なのである。しかしこの直観的判断を全く私たちから取り除いたのなら、その時私たちは自己防衛の一切の能力を奪われることにもなるから、万に一つそういう誤りがあったとしてもその能力一切をなくすことが出来ないということが最もそういう誤りを発生させることの前の困難として立ちはだかっている。

 ここで本節において示したことを纏めておこう。

① 言葉、つまり語彙や表現自体はそれを使用する者を差別しないが、それを使用する状況やその使用される言葉が適用される相手に対する配慮において人は言葉を差別する。しかしその差別が必ずしも結果的にその言葉が適用される相手に対する適切な配慮になるとは限らない。
② 人間は外見で相手を判断してはならないということを真理として知っていながら、公的にはその考えを明示することを厭わないのに、私的にはそういう判断を捨て去ることが困難である。何故なら全ての人間には自己防衛本能があり、それは選好性的直観に依存していることも多いからである。
③ 人間はある意味づけされた理解においてその対象を観察するということから逃れることが難しい。つまり一旦意味づけされた理解が誤解であったことを知るという一大転換を経てからでないと、なかなかその理解において得た観察結果を誤りであったと認めることが出来ない。