Friday, January 29, 2010

<感情と意味>第一章 第八節 カントにとっての神

 カントにとって神とは一体どういう存在であったかということを本節では考えたい。しかしこの問題はあまりにも究極的問いでもあるので、カントの幾つかのテクストから推し量られる態度を、私自身の考えと突合せて本論にとって必要なエキスのみをここに記述することにする。
 さてカントに入る前に無神論について少し考えてみよう。無神論哲学者として著名な人にはダニエル・デネットがいる。そして彼の僚友の進化論生物学者であるリチャード・ドーキンスが挙げられるだろう。しかし無神論というものはそれはそれでかなり古くから存在する。例えばキリスト教倫理という位相から語ればニーチェも明らかに無神論者であったし、ハイデッガーやサルトルといったニーチェに啓発された天才たちもそうであった。
 しかし無神論そのものの態度には各々根拠も、出方も異なっており、そのことについて論じる暇も紙面の余裕もないのでそのことは今後の私の宿題にすることにして、取り敢えず脇に置いておき、無神論そのもののある種の絶対的確信や頑なさ自体が実は極めて明確な一つの信仰のタイプに収斂していってしまうという矛盾について絞って考えてみたい。
 前節にも示したように、相手の気持ちになって考えるということが想像のレヴェルでは可能でも、実際上では不可能であるということは、仮にその相手が肉親であるのならまだしも、それでも完全ではないものの何らかの共感は持ちやすいということは言えるが、まして他人となればそういうことはかなり想像力が逞しいという風にしか捉えられないということが、親しい者が自分に対する偽装が見抜けないこともあるということからも明らかであろう。それを科学的な考え方、あるいは神様のように他人の心を読み取るということが不可能であるという諦観と捉えると無神論とは永井均氏が「なぜ意識は実在しないのか」において初頭で述べているように心というものは一般化し得ないという論理と容易に結びつく。しかし同時にこの心が一般化し得ないという真理は実は、他人にはそれぞれの個に応じた心の中の事情があるということを容認することで、だから自分には自分の心の事情があるということに対する権利問題に結びつくような真理に導かれる。しかしこの考え方はどんなに普通であるなら痛くないことであっても、本人が痛いと思えばそれは嘘ではないという考え方とも容易に結びつき、例えばある神経組織上でスキャンしてみても一切痛みの兆候が観察し得ないような場合でも痛みがあり得るということを否定することが出来ない(勿論痛みを訴える者は嘘をついていないということが前提である)ということは、人の心は唯一無二であり、身体的に観察し得ることをも超え得るという考え方にも容易に結びつく。この最後の例において魂という考えが適用される余地が生まれる。
 魂とは身体的な物理的側面からの認識だけでは不十分であるという考えに支えられている。そしてその考えは無神論者であっても否定することが出来ない。
 例えば一度生まれてきた者はたとえ死んでも、生まれてこなかった者(?)と同じような意味で無になるのだとは断定し得ないという考えが出現してくる。
 私は若い頃私よりもずっと年長者が自分よりも恐らくずっと先に死ぬだろうに、何でそんなに平然としていられるのか不思議だった。年長であるということは先に死ぬということなのだから、本当は若い人の前で平然としていられる筈もなく、もっと焦らなければならない筈である。しかし私が幼少の頃からずっと年長者は平然としているように私には思えた。これは科学では一切説明が尽かないことなのに、どこかで暢気に生まれてきたのだから、死んでも生まれてこなかった魂(そういう表現が許されてのこととして)とは違って全くの無ではないだろうという気休めが脳で自然と働き、しかも前節までに述べてきたように過去の私というものをどこか覚めた目で見て、それを他人のように感じてしまうくらいに常に今いること、今の自分を最優先するように脳が働くということが、迫り来る死に対しての恐怖を逸らすようにしているのかも知れない。つまり本当なら過去の方が常に死から遠いのだから不安が少ない筈なのに、幼少の頃の方がずっと死に対する不安は大きく、大人も本当は死への恐怖がある筈なのに、それを常に忘れさせるために脳は私たちに常に今かかわっていることを一番尊いというに感じさせてくれているのかも知れない。つまりあらゆる社会ゲームが存在し得るのは、実はこの死に対する不安を無意識に私たちが除去するために、つまり死への不安にかかきりになることを率先して社会ゲームにかかわることで忘れ、思い出さないようにしていることが一番私たちにとって気楽だからこそそれを私たちが大事にしているからかも知れない。しかしこのことは私に独自の考えではなく、古今東西の哲学者たちが実は延々論じてきていることなのだ。
 私は人間が古来より神という概念に釘付けになってきたのは、神を通して永遠を考えることを、それを考えている間は自分のやがて到来する死を忘れることが出来るから、逆にその間は不安を除去出来るということを皆が薄々知っていて、それで共同体内部でその思惟がミームのように広まっていったという風に考えているのである。
 例えばカントは次のように神を「純粋理性批判」の中で規定している。

 ところでもしわれわれがこのわれわれの理念を実在化しつつさらにこれを追求するとすれば、われわれはこの根源的存在体を最高実在性という単なる概念によって、唯一の存在体、単一の存在体、充足せる存在体、永遠なる存在体などと、要するにそれを無制約な完全性を有するものとして、あらゆる述語によって限定することができるであろう。このような存在体の概念は、先験的意味で考えられた神の概念であり、かくてわたくしが前にも〔B391頁以下〕述べたように、純粋理性の理想は先験的神学の対象である。(B608A580)

 カントはこのように述べることによって死に対する不安を永遠とか純粋理性の理想といった理念的思惟の下に除去しようとしているように私には思えるのだ。つまり今目の前にある存在物は儚く、いつかは潰え去るだろうが、少なくともある時点においてそれが存在し得たという事実関係は永遠に否定され得ない(とは言え、我々人類が死滅すればそれも確認し得ないし、問題化さえされ得ないも)という思惟が、ある事物や現象を透徹した眼差しで見ることで我々が自身の存在の事実を真として認可したいという欲求がカントに事象に対して様々な述語を付与し得、形容することを通して制限を加えるという行為事実に拠り所を求めているように私には見えるのである。つまり神を通して無常である事物を事実的に「一回は存在し得た」ものとして認可することそのものに存する儚い存在への意義を認めることを通して自己存在を「生まれてきたことはそれ自体意義があり価値のあるこであった」と自己承認しようとしているのである。
 順次カントによる「純粋理性批判」内の神に対する直接的記述(尤もこれだけでカントの神意識が推し量られるわけではないものの参考にはなるだろう)を検証していってみよう。

 神の現実的存在を証明しようとする場合、われわれのとりうるあらゆる道は次の三つである。明確な経験と、経験によって認識されたわれわれの感性界の特殊な性質から出発して、そこから原因性の法則に従い、世界の外なる最高原因へと遡るか、単に漠然たる経験、すなわち何らかの現実的存在を経験的に根拠とするか、或いは最後に、あらゆる経験を捨象してまったく先天的に単なる概念から最高原因という現実的存在へと推論するかである。第一の証明は物理神学的証明(der physikotheologische Beweis)であり、第二の証明は宇宙論的証明(der kosmologische Beweis)第三の証明は実体論的証明(der ontologische Beweis)である。これ以外の証明は存在せず、また存在することもできない。(B618A590~B619A591)

 カントが考えている最初の物理的神学的証明は、アンリの「身体の哲学と現象学」(法政大学出版局刊)第四章 諸記号の二重の使用と自己の身体の構成の問題中189~199ページの(1)主観的身体に相当し、第二の宇宙論的証明が(2)の有機的身体に相当し、実体論的証明が(3)の第三の客観的身体に相当すると考えてもよいと思われる。
 そして第二の宇宙論的証明とはカントによって批判されるヒューム的経験論であると考えてもよいだろう。例えばカントは「プロレゴメナ」において次のように述べている。

 ところで、経験はたしかに、何があるか、それがいかにあるかを私に教えるが、しかしけっしてそれが必然的にそうであって、それ以外であってはならない、ということを教えない。それゆえ、経験は物自体の本性をけっして教えることはできない。(中公クラシックスw42「プロレゴメナ 人倫の形而上学の基礎づけ」土岐邦夫、観山石陽、野田又夫訳、§14中72ページより)

 この考え方はプラトンの「国家」中のあの有名な洞窟の中の牢獄に映る影を囚人が実体であると思っている誤謬から考えられた真理と実体の関係を彷彿するし、ソクラテスの無知の知ということも彷彿する。
 しかし飯田隆が「ウィトゲンシュタイン」(講談社刊)で述べているように、哲学者とは知らないでいるのに知っている積もりでいることに対してその誤謬を指摘するものであるというソクラテス流のものから、ウィトゲンシュタイン流とは知っているのに知らないことであるように錯覚することによる誤謬を指摘するものである(これは有名なアウグスティヌスによる「時間とは誰でも知っているのに、いざそれを説明せよと言われれば誰でも戸惑ってしまう」という「哲学探究」中八九でウィトゲンシュタインが指摘していることにも通じる)ということを通して考えるなら、ウィトゲンシュタインの「哲学探究」中での次の指摘は神とは何かについて今考えている私たちにとって極めて示唆的である。

 一四四 わたくしが「ここで生徒の学習能力が挫折してしまうことがありうる」と言うとき、どういうことをいみしているのか。わたくしはそれを自分の経験から述べているのか。もちろんそうではない。(たとえそのような経験をしたことがあるとしても。)するとわたくしはこの命題で何をいったいしているのか。とにかくわたくしは、あなたに「そう、それは本当だ、それをひとは想像することもできるし、それが起ることだってありうる!」と言ってほしいのだ。─しかし、わたくしは、誰かがそのことをみずから表象できるという事実に、当人の注意を喚起したいと思っていたのか。─わたくしはそのような映像をかれの眼前に据えたいと思っていたのであり、かれがその映像を承認するということは、かれがいまや与えられた事態を考察したくなっているということ。すなわち、事態をかかる映像系列と比較したくなっているということにほかならない。わたくしはかれの直観のしかたを変えたのである。(インドの数学者「これを見つめよ!」)(118~119ページより、藤本隆志訳、大修館書店刊)

 この記述の前半の六行目の「~言ってほしいのだ」まではは明らかに永井均が拘り続けてきている言語の公共化ということ、「なぜ意識は実在しないのか」中の私のゾンビ化ということに近いことである。しかしそれ以降の後半は公共化された言語によって得られた理解とは、実は既に公共化を離れて、理解した者の内部では再び永井的<私>に送り返されるということを言いたいのだろうと私は考える。つまり私が絵を描く時確かに私は誰にでも見られる絵自体に対しては神である。しかしその神でも、その絵を「私が描いた絵を見る者(鑑賞者)にこれこれこういう風な色彩と形態を通して見させる」ということを目論むことは出来ても、実際それに対してその者がどう感じるかまでは目論むことが出来ないという意味で永井均は、神がもしいたとしても、今私が述べた前半までなら出来るが、それ以降は出来ないという意味で考えている。(「私・今・そして神」)しかし永井が「なぜ意識は実在しないのか」で批判対象としているデヴィッド・チャーマーズは丁度逆である。彼は完全にいかなる心理的作用を育む脳機能や生理的機能が自然によって形成されても、その生理的機能や脳機能の複雑に相関されて顕現されるコネクションそのものの様相以降は寧ろ自然ではなく神の領域である奇跡に近いと考えているからである。(「意識する心」林一訳、白揚社刊)ここにはチャーマーズによる恐らく無意識的なキリスト教的価値体系、倫理的判断が介在していると思われる。それに対してチャーマーズが論敵としてそのテクストで扱っているダニエル・デネットはコネクションの一回一回の対外的な応答そのものは全て意志による選択と脳機能や生理的機能との絡みで決定され、自由とはその選択肢(シミュレーションのツール)そのもののことであり(「自由は進化する」山形浩生訳NTT出版刊)、魂としての身体を遊離しても存在し得ることを思念上可能にするような自由意志などないと考えることと対称的である。
 永井均は常々カントは後にフィヒテやヘーゲルに連なるドイツ観念論哲学の傾向として、<私>を全て語る者に固有のものから誰でもが持ち得る一般化されたものへと、つまり一般者へと転換していると主張している。しかし何故ドイツ観念論哲学ではそうする必要があったかというと、それはカントが先にも述べたように、死に対する不安と恐怖に向き合うのではなしに、それを一瞬忘却することを共同体が無意識の内に同意しているような意味で個的な実存からではなしに、真理として普遍化することを彼もまた哲学者の使命上引き受けているからである。
 ウィトゲンシュタインの言う「わたくしはかれの直観のしかた変えた」ということがそう目論んでしたのではなく、そういう目論みとは別個に勝手にそうなってしまっているということが重要なのである。つまり画家は絵を描いて何らかの形でそうなって欲しいと願っているが、何らかと言う部分を例えば私が谷口に私の描いた絵を見せる時に、谷口がある感想を抱くということの内容を決定するようには想定し得ないし、目論み得ないのである。つまりそのように何らかの反応を予め知ることが出来ずしかしその反応自体を得たいがために我々は言語行為をする。その何らかを固有のものとして想定も目論むことも出来ないが故に言語行為が成立するのであり、それが全面的に目論み得、想定し得た時我々は真に孤独を感じるだろう。何故ならそれが全面的になし得ないと知っているからこそ我々はそれをなし得るものを神と呼んできたのであり、我々が神になり得ないということから哲学が言語行為によって執り行われてきたからである。そしてそれがなし得るということは我々にとって言語行為を敢えてする必要がないということを意味し、映画監督は映画を作る必要がないことを意味し、俳優は演技をする必要がないことを意味する。
 すると神とは完璧なる孤独ということの別称であったということになる。つまり私たちは神ではないといことにおいてのみ共同体で成員としての意識を持ち得るのであり、神であらねばならぬのは神のみなのであり、その神になるということ自体は決して顕現され得ないものの、そういう状態に近づくことはあり得、その時我々は共同体の成員である資格を奪われるのに近い感覚を得ることなので孤独を感じることになろう。
 そのことを考慮に入れて再びカントに戻ろう。

そこで生じてくることは、わたくしが神的存在体を想定する場合、もちろんわたくしはそのような存在体がその内部に最高完全性を具えたものでありうることについても、またそのような存在体が必然的に現実に存在することについても、何ら知るところはないが、しかしこのような存在体を想定する場合には、やはり偶然的なものに関する他の一切の問題には満足を与えることができること、また理性の経験的使用において追求せられるべき最大の統一性に関して、理性に最も完全な満足を与えることができること、しかしこの神的存在体という前提そのものに関しては満足を与えることができないということである。そしてこのことによって、理性の領域をはるかに超えた点から出発して、そこから自己の対象を完全な全体として考察する機能を理性に許すものは、理性の思弁的関心であって理性の知見ではないということが証明されるのである。(B703A675~B704~A676)

この記述において最も重要な部分は「題には満足を与えることができること、また理性の経験的使用において追求せられるべき最大の統一性に関して、理性に最も完全な満足を与えることができること、しかしこの神的存在体という前提そのものに関しては満足を与えることができないということである。」であり、とりわけ「しかしこの神的存在体という前提そのものに関しては満足を与えることができない」である。 
 これはある意味では極めて理解しやすい命題である。つまりあらゆる述語をはみ出るものとしての神は、サルトルが図らずも無神論的立場から対自を考えたことからも、ライプニッツ的な意味合いからも記述された指示を跳ね除けるからである。ここに言語行為上での言葉の無力を示している。しかし言葉は同時に全く異なった考え方や、生まれや育ち、時代をも超え、例えば今私がカントという18世紀の哲学者の文章を接しているような意味で、あるいは私よりも三十歳も若い谷口と私が哲学的対話をすることが可能であるような意味で力があるのは、進化論的に弱い連係が進化を促進したこと、いい意味でのいい加減さが危機的状況にも適応し得たホモサピエンスの歴史にも学べるように、固定化された特殊状況にのみ適用される進化を逃れ、どんな時にでも必ずしも完璧ではないものの、ある程度は適応出来るという融通の利く適応をなすようにファジーに進化してきたということが人類の生存を可能としたのと同じで言語による形容がこのカントの記述にもあるように神という絶対孤独に対しては満足を与えないが故なのである。
 だから「そしてこのことによって、理性の領域をはるかに超えた点から出発して、そこから自己の対象を完全な全体として考察する機能を理性に許すものは、理性の思弁的関心であって理性の知見ではないということが証明されるのである」に示されていることとは、理性の思弁的関心とカントが形容することとは、全体とは常にそう括ってしまった瞬間に部分と化す、それはカントが「純・理」で述べた(B618A590~B619A591)の「明確な経験と、経験によって認識されたわれわれの感性界の特殊な性質から出発して、そこから原因性の法則に従い、世界の外なる最高原因へと遡る」という記述に見られる最高原因を常に遡行しようと試みてしまう全体を部分化する思惟傾向のことであり、それが取り敢えずの全体を措定せずにはおれない思弁に対する知見ということになる。カントは明らかに知見を思弁よりも狭い範囲に限定する思考であると考えている。
 続いてカントの記述を更に追っていってみよう。

 純粋理性の第三の理念、すなわちあらゆる宇宙論的系列の唯一にして一切充足的な原因としての存在体を、単に関係的に仮定するところの理念は、神という理性概念である。この理性の対象を端的に想定すべき(それ自身として仮定すべき)何らかの根拠をわれわれは持たない。そもそもこの仮定を必然的たらしめる唯一のものが世界でなかったとしたら、最高の完全性を持つ存在体を、しかもその本性上端的必然的なものとして単にその概念自身からわれわれに十分信じさせ或いは注意せしめることができ、もしくはその機能を弁明するだけでもなしうるものとして、ほかに何があるであろうか。(B714608A)

 「思惟するものはすべて単純である」という命題が証明されるべき場合には、われわれは思惟の多様性にとどまっていないで、もっぱら単純であって、かつ一切の思惟がそれに関係せしめられるところの、自我という概念を固執する。神の現実的存在に関する先験的証明についてもまさに同様であって、この証明はもっぱら最高実在的な存在という概念と、必然的存在という概念が一致していること(reciprocabilitat)に基づいており、それ以外のいずこにも求められることのできないものである。(B816A788~B817A789)

 純粋理性の第三の理念、すなわちあらゆる宇宙論的系列の唯一にして一切充足的な原因としての存在体を、単に関係的に仮定するところの理念は、神という理性概念である。この理性の対象を端的に想定すべき(それ自身として仮定すべき)何らかの根拠をわれわれは持たない」までの記述が意味するところは、実際は我々によってのみ思念されるところの全体や究極という概念が、実は端的に原因や根拠、理由を知りたいという我々の欲望に根差しているのだが、全宇宙の有り様と成り立ちを理解しようとしてもそれは一語で言い表すこともそこに何か究極の原因や根拠や理由が存在すると言い得ることさえ出来ない、つまりそのように一切の原因、根拠、理由を拒むからこそそのものを我々は神と呼び、この仮定を必然的たらしめる唯一のものが世界であるということは、世界を我々の感性が作り、その世界を通して思念上での最高実在(必然的存在)と最高実在的な存在という後者の記述の後半と「そもそもこの仮定を必然的たらしめる唯一のものが世界でなかったとしたら、最高の完全性を持つ存在体を、しかもその本性上端的必然的なものとして単にその概念自身からわれわれに十分信じさせ或いは注意せしめることができ、もしくはその機能を弁明するだけでもなしうるものとして、ほかに何があるであろうか」の中の「最高の完全性を持つ存在体を、しかもその本性上端的必然的なものとして単にその概念自身からわれわれに十分信じさせられるもの」とは同一である。つまりそれは世界が我々の感性によって作られ、その世界を通して我々は「あらゆる宇宙論的系列の唯一にして一切充足的な原因としての存在体を、単に関係的に仮定する」ことを意志し、欲望するのであり、それは私たちにとって一つの所与の能力であるが、その能力は限界があると我々が知り、その限界に対する知が、無限で、永遠なるものを神と呼ばせたということである。ここはレヴィナスの言葉を借りれば「存在の彼方へ」と常に全体を部分とする我々の悟性が運ぶのであり、その想像力こそが「「思惟するものはすべて単純である」という命題が証明されるべき場合には、われわれは思惟の多様性にとどまっていないで、もっぱら単純であって、かつ一切の思惟がそれに関係せしめられるところの、自我という概念を固執する」状態を作り出すというわけである。つまりその想像の力が理想的な把握とか理想的な納得の仕方を得るように運ぶということである。そしてその際に我々は実在し得る最高実在的存在(「あるもの」)と必然的存在(「あるべきもの」)を一致するものである筈であると考える。それゆえ「それ以外のいずこにも求められることのできない」とは、そのように一致していない場合我々は世界の中で何かを把握したとか、あることを納得したとか言わないのであり、茂木健一郎氏の言葉を借りれば「アハ体験」を得ることが出来ないでいるということになる。それは脳科学的に言えばセレンディピティーと言ってもよいだろう。チャーマーズの言う現象的なクオリアや意識は実はこのセレンディピティーを生むものの別語であると言ってよい。彼は永井均がそれ以前である生理機能的、対外的に示される行動のレヴェルを心理的と言ったことの手前(現象的内心)までを神の力の及ぶ範囲であるとしているのだ。
 
 道徳的にも最も完成した意志が、そこにおいて最高の浄福と結合し、この世における一切の幸福の原因をなしているような知性の理念を、幸福が道徳性(幸福たるに価することとしての)と厳密な比例関係をなしているかぎりにおいて、わたくしは最高善の理想のうちにおいてのみ、派生的な最高善、換言すれば叡知的すなわち道徳的世界以外を示しはしないけれども、われわれはいまや理性によって、必然的に自己をこのような道徳的世界を、われわれに対する未来の世界にとして想定せざるを得ないであろう。感性界はわれわれにこのような結合を示しはしないのであるから。したがって神と来世とは、同じ純粋理性の原理によって、その純粋理性がわれわれに属する責務と不可分に結合している二つの前提なのである。(B833A810~B839A811)

 カントは「神と来世とは、同じ純粋理性の原理によって、その純粋理性がわれわれに属する責務と不可分に結合している二つの前提なのである。」において明らかに信念の体系について語っている。それは神を信じるとか来世を信じるかにおいて全ての思考や類推や仮定が異なってくるということが私たちにはある。それは生き方の問題であり、人生に対する思想である。ヘーゲルからサルトルに受け継がれた対自とはカントが言ったこの死の瞬間まで終ぞ到達し得ない理想の自分、あるいは信念的価値の理想といったものを未来に想定することがあらゆる目的や意志を生じさせることから考えられたものなのであり、それを目指している心の状態をカントは「道徳的にも最も完成した意志が、そこにおいて最高の浄福と結合し、この世における一切の幸福の原因をなしているような知性の理念」を持つ状態と考え、その状態の持続を最高善の理想と考えたと捉えてよいだろう。
 続いてカントの記述をみてみよう。

 われわれの行状の全体が道徳法則の格率に従うことが必要である。しかし同時に、このようになることができるためには、理性が、単なる理念である道徳法則に対して、この道徳法則に従った行動に、われわれの最高目的に厳密に照応する結果を、この世においてであろうと来世においてであろうと規定するところの、起動原因を結合せしめるのでなければならない。したがって神と、われわれには今は見えないが希望された世界とを欠いては、道徳性という崇高な理念は、なるほど賛同と賛嘆との対象であるけれども、しかし企図と実行との動機とはならない。なぜなら理念は、理性的存在者の誰にも生来かつ同じ純粋理性によって先天的に規定される必然的であるところの全目的を、満たすものではないからである。(B840A812~B841A813)

 カントが言っている「われわれには今は見えないが希望された世界」とはとりもなおさず「あるべき世界」であり、この世こそが「ある世界」である。そして動因ということにおいてカントは神による恩寵である我々の存在が、神との各自の対話によって宗教という人性的な枠からではなく、行動と実践とによって各自心的充足を得るということの内に価値を見る(行動の価値が人生の価値であるところで)という根本的な理念のことを言っている。これはある意味では哲学することの根幹にかかわる行為の目的のことかも知れない。
 私は実在論的には無神論者であるが、理念的には神があってもよいと考える。それは思考空間的にも言語空間的にも思惟の自然に沿った考え方である。カントは恐らく神と来世への信仰において道徳法則を遵守することこそが実践理性的の合理性に適ったことであるというプラグマティックな考えがあったに違いない。

 道徳的法則に関しては事情はまったく異なる。けだし道徳的信仰においては、或る事情の生じなければならないこと、すなわちわたくしがあらゆる点において道徳法則に従わねばならないということは、端的に必然的であるからである。この場合には目的は不可避的なものとして確立されている。そしてこの目的はあらゆる全目的と連関せしめ、それによって実践的妥当性をえさせる条件をなすものは、わたくしのあらゆる洞察をもってして、ただ一つあるのみである。すなわちそれは「神及び来世は存在する」という条件である。道徳法則に従うことによってこのような目的の統一へと導く条件を、これ以外には何びとも知る者がないことを、わたくしはまた確信するものである。このようにして道徳的命令は同時にわたくしの格率であるから(がんらいそうあるべきことが理性の命令であるように)、わたくしは不可避的に神の現実的存在と来世とを信ぜざるをえないであろう。そしてこの信仰をゆるがす何ものもないことは、わたくしの確信するところである。なぜなら、もしこの信仰が動揺すればわたくしの道徳的法則を放棄するなどということは、わたくしの眼には厭うべきことであって、わたくしのなしえないことであるからである。(B856A828)

 神の現実的存在という語彙によってカントが現実自体が神によって作られているという想念からこれらの記述を行っていることが判明する。(第九節を参照されたし)カントによる「道徳法則に従うことによってこのような目的の統一へと導く条件を、これ以外には何びとも知る者がないことを、わたくしはまた確信する」=「「神及び来世は存在する」という条件」という謂いは恐らく実在性としての神なのではなく信念空間上での理念である。つまりカントにとって真・善・美としての神=来世の保証という信念空間上での理念は実践的な道徳行為への揺るぎない信仰という、行為性としての実在に理念を置換することを旨とした合理的思想であると捉えることが出来る。

Monday, January 25, 2010

<感情と意味>第一章 第七節 永井均の<私>は有効か?<私>の形而上性は一般性を超え得るだろうか?

 永井均の<私>とは端的に私一般では全く記述しきれない、と言うより記述自体を無効化する以外ないようなタイプの現象的な私意識、つまり独我論的な「私」である。それは「<私>のメタフィジックス」から「なぜ意識は実在しないのか」まで一貫したスタンスである。
 しかしそれは極めて興味深いことには、ある切実さを常に伴っている。
 例えば人の痛みは理解することは出来るが、体験することは出来ない。が、逆に自分の痛みは他者にとってはどうでもいいことでも全く自分の内部では払拭することが出来ないという意味で切実である。しかし「私の痛み」であるならそうであるが「私の痛みを持つこの私」ということは切実さ自体から引き出される観念である。観念にはそれが自分のことであっても客体化されてしまっているので、全く切実さはない。そしてそれは現象的な「私」というよりは「現象的な私」である。
 しかし私(河口)にとって永井均氏の「私」は少なくともテクスト記述的には「現象的な私」に読み取れてしまう。例えば「私の痛みを持つこの私」ということは記述し得ないということを承知で敢えて記述しているという永井氏のスタンスからも明白だからだ。 
 と言うのも言語活動というものは総じて何らかの言葉(語彙、言説)を語る時、既に永井氏もしばしば主張されているように<私>から「私」一般へと転換されているからである。「私は~である」と語る時、明らかに<私>とはあなたにも理解出来るものとして一般化されている。しかしその時私たちは戸惑う。どうしても<私>は「私」以外には感じることも理解することも出来ないものか、と。その苦悩を永井氏は「私」ではなく<私>という形で示したわけである。
 しかしそう言いながら<私>をもそれが示された時点で既に一般化されざるを得ない。しかし永井氏が主張されたいこととはある切実さを伴ったものである。しかしその切実さ自体は、「せ・つ・じ・つ・さ」と語られた時既に<私>の切実さから<<私>の切実さ>という風にカテゴライズされ一般化されざるを得ない。それが厭なのなら、永井氏は一切の文筆活動を停止せざるを得ない。つまり切実さ自体が明文化された記述行為を既に前提しており、そうでなければ我々は感覚として切実さを持っても、それを他者に語ろうとはしないだろう。
 ダニエル・デネットは、人間とは言語を所有しているがために、そしてその言語と共に他の動物と違って自らの来るべき死を想定し得るがために、痛みが言語を所有していない他の動物よりも倍加されると考えている。(「解明される意識」青土社刊)しかしこれは感情的な意味合いではそうであるが、感覚的な意味合いでは違うだろう。つまり人間が他の動物と違って痛み自体が倍加されることとは、端的に自己保存欲動的に不安、心配という感情によってである。しかし感覚的にはどの動物も痛みの切実さはあるだろう。(しかしこれも本当は証明され得ない)だから人間の場合逆に致命傷であると思っていたことがそうではないと分かった途端に痛みが軽減されるということはあり得る。しかし重要なことは、この感覚的切実さと永井氏の論旨である<切実>さとはまた微妙に異なっているということである。もう一つ重要なこととは、デネットが言うようなことが正しいとしても、その痛みの切実さを噛み締めているだけではなく、それを語ろうとする時、切実さは「切実さ」となり、端的に言語認識的な把握となり、言語中枢的な高次機能による産物ということになってしまう。それが意思疎通の宿命だからである。そして永井氏は明らかにその高次機能を前提して<私>を一般化し得ないものとして一般化している。
 だから永井氏の論旨自体は実は例えば次のような小浜逸郎氏の記述と相同の真実を語っていることとなる。

 いったいに、恋愛感情は、その目標を一人の他者においている。彼(女)が恋愛感情の虜にあるとき、その目標である個別の相手は、彼(女)の目に、ある絶対的な価値を体現する感情的対象像として映っており、それに対して自分のほうは、そこになかなか到達できないといういらだちと不安と分裂の感情状態に置かれていて、自我のこの「いらだちと不安と分裂」に過剰なほど親しんでしまっている。それは、人間が、それぞれ「絶対的な主観性」(=独我論的な視点)の立場から逃れられないからである。人間の身体と心は、共感の構造と志向性を抱えつつも、なお他の主体の心と心身の完全なる合一を実現することができないという、宿命的な二重性のうちにおかれている。(「人はなぜ働かなくてはならないのか」中第六問 人はなぜ恋をするのか 164~165ページより、洋泉社新書y)

 小浜氏の主張される二重性とは共感し得るという心的力能と、共感し得るもそれが自分自身に降りかかる切実さとしては一切無であるという他者と自己の壁を実感し体感し、理解する力能の相反する作用の共存ということである。
 しかし恐らく永井氏ならこの記述は<私>ではなく「私」一般として語られているに過ぎないと述べられるだろう。永井氏は記述されたものと記述する者の乖離を問題化しているように思える。記述する者は「記述されること」を体感している。そしてその体感を他者に伝えたいと望む。しかし体感自体は私の身体に私以外の人の魂が入らない限り体験し得ない。いや私の魂が抜けてしまった時その身体(本来は私の身体である筈の)を通した体感は私の体感と呼べるであろうかという考えそのものが永井氏の哲学である。だから結局身体自体が私以外の魂によって占領されてしまったとしても尚、私の魂によって感じられる体感は例えばあなたには体験されよう筈もない。これが永井氏の哲学の骨子である。 
 すると永井氏の哲学では自らの魂とは身体という物性とは別個に存在し得るという形而上性に則っていることになる。つまりそこが全く現象学者であるアンリの「身体の哲学と現象学」と異なっているところである。尤もアンリも最晩年は「受肉」などのテクストで大幅にそれ以前の考えを修正しているので、そこら辺は本論では思い切って無視することとする。
 ここで二つのことが問題化された。それは永井氏の<私>は果たして記述の上では有効かということと、<私>が私の身体と切り離されても尚可能であるようなものであるなら、それを<私>の形而上性と呼んで差し支えないことになるが、それは果たして形而上性であるということから、<切実>なことと言えるのだろうか、それは「せ・つ・じ・つ」であるということを通して言語中枢的高次機能的な認識による「切実であるように幻想する」ことによるアポステリオリな理解であり、<切実>なこととは全く違うのではないかということ、この二つの問いである。

 しかしそう問うてみても尚永井氏の問題提起自体は有効であると言える。何故なら私をはじめ永井氏の論旨、哲学的骨子をこうして問題化することを通して私たちは<私>が幻想であれ、実在的なことであれ論究することが可能だからである。その意味では確かに永井氏の記述は成功している。しかしそれが成功すればするほど永井氏が体感していることの伝わらなさは「容易に伝えられてしまう」という現実の前で説得力をなくしてしまう。だから次のことが第一の問いの単純な結論である。だから<私>とは私によって感じる分には有効であるが、それを言語化することによって一般的に理解するという分には非有効である。
 しかも永井氏の現象的な「私」意識=<私>はそれが根拠であるという意味で(アンリもまた主観をそう捉えている)全ての出発点のように私たちは永井氏の言説上でそう感じさせられてしまうにもかかわらず、よく考えてみると永井氏固有の「伝わらなさ」という言説の前で一般化された概念として理解することが可能となってしまう。それは現象的「私」という意味である<私>というものが哲学的思惟の産物であるという前提によって育まれた言語的営みによるものであるという考えを抱くに至って、そう捉えられる段になって当初の体感と著しく乖離してしまうという運命においては永井氏も他の全ての哲学者と同列であると証明してしまうことになるのである。しかし実はそう書いている私自身も永井氏の<私>の虜になっているということからこの論説を試みているわけであり、永井氏の問題提起を引き受けてもいるのである。そして引き受けるということは永井氏の哲学的骨子を批判対象とせざるを得ないということを意味する。
 しかし永井氏の考えでの最もアンリの「身体の哲学と現象学」との違いは端的に身体自体を意識に包まれるものとして考えているということである。アンリは身体の体感自体を意識以前的な永井的<私>の起源と考えている。だから逆に永井氏が身体より上位の私を<私>と捉えるのならそれは魂という風に言い換えてもいいことになる。ここに永井氏の<私>がまさに形而上性を帯びていることの根拠がある。アンリの「身体の哲学と現象学」の論旨においては、身体が死滅すれば魂も死滅することになる。しかし永井氏の哲学においてはそうではない。そしてそれは「私・今・そして神」において捉えられているように他人の気持ちになって考えるということが可能であると考えることを自然であると思っていることにおいて私たちが神を信じているということになる、という氏の主張を適用すれば、それ(他人の気持ちに本当になれるということ)が不可能であると認識することによって無神論が成立するのなら、無神論とは人間の魂を信じる営みであるという弁証法が成立する。何故なら私は私の魂からしか発言しようもないから、他者の魂がどうであるということを想像することは出来ても、「真にその他者が体感するようには」理解することなど出来ないのだから、人の気持ちになって考えることが出来ると考えることは人の魂に自分がなれると考えることだから、それは魂という語義と矛盾することとなるからである。何故なら私の魂とは他の人には成り代われないということと同義だからである。と言うことは無神論であれ有神論であれ神の存在においても非在においてもどの道魂ということは避けられようがないという結論になるのである。
 この節の第二目目の問いに答えるとすると、魂というものを認めることによって我々は初めて<私>という形而上性が記述における一般化の宿命から逃れられるということになるのである。それは永井氏の論旨に明確に示されている。(「魂の対する態度」その他)そして第二目目の問いを持ち出した時初めて永井氏の主張したいのにもかかわらず無効化される記述の夢魔から開放されるのである。となると今度は魂という考えは有効かという問いが、魂が存在し得るかという問いとはまた別個に問題化されたことになる。
 しかしその問いは結論まで持ち越すことにして、本節において考えられたことを、ではカントはどのように捉えていたのだろうか?そのことについて次節では考えてみよう。

Wednesday, January 20, 2010

<感情と意味>第一章 第六節 カントの物自体とビランを通したアンリの身体の一性

 「私」が成立するのには必要とされる幾つかの条件がある。その一つが私の身体であるし、身体を通した私による記憶である。昨年の十一月初旬に京都を訪れたのが他の身体であるところの谷口ではなく、この河口たる私の身体であるということから、私はその立会い性の下に私から見た世界の見えを私は当然のこととして、「私の見た世界」、「私の経験した出来事」として理解する。あるいはその理解を通して私が「私」として成立していることを知る。
 しかし「私」ということが問題化されることの背景には記述の問題がある。つまり現代哲学で自己同一性が論じられるということの背景には明らかにある考えが私によるものであり、ある思念が私によるものであるという事実を支える「~がそう考えた」という考えたことの内容そのものの記述だけではなく、その内容を誰が考え、示したかという事実関係から記述する必要があるという意味での記述の問題がある。
 カントは確かに「私」による記述という風には一切記していないものの、その記述ということ自体は問題化している。勿論カントの場合それは外的に記すということではなく内的に思念すること、脳内での原記述としてである。カントの場合それは表象という形で示されている。例えば次の箇所(「プロレゴメナ」土岐邦夫 観山雪陽 野田又夫訳 中公クラシックスW42)はそれを如実に示している。(先験的主要問題 第一部 いかにして純粋数学は可能か 中の注三64~66ページより)

 ところでこのことから、容易に予知できる、しかし無力な反論が、たやすく斥けられる。すなわち「空間と時間の観念性によって全感性界がまったくの仮象に化せられるだろう」という反論である。つまりまず感性的認識の本性についてのすべての哲学的洞察が、次のことによって、つまり感性をたんに混乱した表象様式とし、この表象様式にしたがってわれわれはすべてを明確な意識にもたらす能力をもたないだけとすることによって、傷つけられたあとで、われわれによってこれに反対して、物がわれわれの感官を触発する仕方を表象するだけだから、感性は明晰とか曖昧とかいうこの論理的区別において成り立つのではなく、認識の起源そのものについての発生的区別において成り立つということ、したがって、感性によって事象そのものではなく、単に現象が悟性に反省のために与えられるということである。この必然的な是正を行ったあとで、私の説がすべての感性界の物をまったく仮象と化すかのようにいう反論が、許しがたい、故意ともいえる誤解から生じているのである。
 われわれに現象が与えられているとき、それから事がらをどのように判定するかについて、われわれはなおまったく自由である。前者、すなわち現象は感官にもとづくが、この判定は悟性にもとづく。そして問題はただ、対象の規定に真理があるかないか、ということだけである。しかし、真理と夢とのあいだの区別は、対象に関係させられる表象の状態によって決められるのではない。表象は真理と夢の両方とも同じだからである。そうではなく、一つの客観の概念のうちでの表象の連関を規定する規則にしたがった表象の結合によって、そして、表象が一つの経験においてどこまでも共存できるかできないかによって決められる。われわれの認識が仮象を真理と見なすとき、つまり、それによってわれわれに客観が与えられる直観が、悟性だけが考えうる対象の概念、あるいはさらに対象の存在の概念と見なされるとき、責任はなんら現象ではないのである。惑星の運行を感官はあるとき前進的に、あるときは逆行的にわれわれに示す。ここには偽の客観的あり方についてはまだなんら判断していないからである。しかし、悟性がこの主観的表象様式を客観的とみなさないように十分に注意して予防していなければ、容易に間違った判断が生じうるので、人々は惑星が逆行するように見える、と言うのである。しかし、仮象は感官の責任ではなく悟性の責任であり、現象から客観的判断を下すのは本来悟性のみに帰することなのである。
 このようにして、われわれの表象の起源についてはまったく考えなくて、われわれの感官の直観を、それらが何を含んでいるにせよ、空間と時間において、経験におけるすべての認識の連関の規則にしたがって結合するときでも、われわれが不注意か用心深いかに応じて、偽りの仮象か真理か、どちらかが生じうるのである。そのことはただ感性的表象の悟性における使用に関係し、表象の起源には関係しない。同じように私が感官のすべての表象を、その形式、すなわち空間と時間とともに、現象以外の何ものとも見なさず、そして空間と時間を客観において現象のそとではまったく出会われない感性の単なる形式と見なし、そして、私がこの表象を可能な経験との関係でだけ使用する場合、私が表象を単なる現象と見なすことは誤謬や仮象への誘惑は少しもないのである。なぜなら、表象はそれでもやはり真理の法則にしたがって経験において正しく連関し合うことができるからである。このようにして、幾何学のすべての命題は、私が空間を単なる感性の形式として見ようと、物そのものに付着する或るものとして見ようと、空間にも感官にもすべての対象にも、したがって、すべての可能な経験について当てはまる。もっとも、空間を感性の形式として見る場合にだけ、それらの命題をア・プリオリに外的直観のすべての対象について知ることがいかにして可能かを、私は理解することができる。そうではない場合には、すべての可能な経験について、私が普通の考え方からのこうした脱皮をなんら試みなかったとした場合と、万事は同じことになるのである。
  
 「真理と夢とのあいだの区別は、対象に関係させられる表象の状態によって決められるのではない。表象は真理と夢の両方とも同じだからである」と「われわれの認識が仮象を真理と見なすとき、つまり、それによってわれわれに客観が与えられる直観が、悟性だけが考えうる対象の概念、あるいはさらに対象の存在の概念と見なされるとき、責任はなんら現象ではない」は既に脳科学で証明され夢さえ実像として確認することも出来るだろう。また原記述としてのカントのここでの考えは明らかにデリダの「グラマトロジーについて」でパロールを基礎としてエクリチュールが形成されているという音声中心主義に対する批判として原エクリチュールを痕跡として引き受ける我々がパロールを顕現しているという発想の転換の起源という性格さえ持っている(それが後半の記述に示されている)。デリダによって考えられた差延作用とは記述の意味発生に関する時間論的差異のことであり、思念上での言語化と、発声化ということ、あるいは読ませる意図と読む意図の時間的差異をも含んでいる。
 しかしここでもカントにせよ、デリダにせよ私という意識は俎上に乗らない。確かに本ブログ次回の第七節において示されるカントの「純・理」での引用箇所には「私」という語彙は登場するが、それは殆ど添え物程度の「私」である。その意味では永井氏の主張されるように私一般としての「私」であるに過ぎない。しかしそこではデカルト主義が後退したのではない。それが前提されているということを既に言語行為上表明する意図を発生させていないし、そもそもその前提を記述することの意味を認識していない。
 「私」とは意識でもなければ、意志でもなく、寧ろ「私による意識」や「私による意志」ということの総体として顕現される唯一性、世界の見えを確認する立会い性ということであるとすれば、カントもまた一切の「私」を登場させない。その代わり彼は物自体を登場させる。彼は信念の体系を支えるもののことを物自体と呼んだのだ。しかしこれは現象学においてミシェル・アンリが身体の一性と呼んだものと極めて近い。そして勿論ここでも「私」は一切登場しない。(「身体の哲学と現象学」中敬夫訳、第四章 諸記号の二重の使用と自己の身体の構成の問題 中176~177ページより)

 このように乗り越えがたい諸困難にぶつかるようにわれわれに思えるときには、しかし、存在論的二元論おより主観的身体論がわれわれに確立させてくれた積極的な諸要素を明らかにしておくのがよい。これらの諸要素はまさしく、身体の一性およびエゴへの身体の帰属という諸問題に関わっている。じっさいわれわれは、身体の一も、身体の存在とエゴの存在との同一性も依拠しうるような根源的なステイタスを身体が受け取るのは、ただ主観性の存在論の内部においてのみである、ということを理解した。それゆえ、われわれがこの一性およびこの同一性についての理論を仕上げなければならないというときに、われわれは、唯一このような理論に根拠を与えることができるような存在論的諸前提を、ふたたび疑問に付そうなどと考えることはできない。このような理論はまさしく、身体の根源的存在の一性と、身体の根源的存在とエゴの存在との同一性とが、いわばその支配を拡げ、超越的身体の存在にまでいたることを許してくれるような諸条件をわれわれが明らかにしてしまったときに、完成されることになろう。そのとき同時に、超越的身体の存在と主観的身体の存在との同一性が、堅固な根拠を得ることだろう。それゆえわれわれは、解決の全要素を手中に収めていることになる。つまり二つの存在諸領域の二元性と、身体の存在の一性およびエゴへのその帰属とである。しかしながらこの一性とこの帰属とは、絶対的主観性の圏域の内部に設えられ、根源的には身体の主観的存在にしか関わらない。もしわれわれが自らに立てている問題が、如何にしてこれらの存在論的諸規定が超越的身体の存在にまで拡張されるのかという問題であるならば、われわれは今からすでに、次のことを理解している。つまりこのような拡張は、身体の根源的存在に依拠しなければ行なわれないであろうということであり、超越的身体の存在にまで拡張されうるのかという問題であるならば、われわれは今からすでに、次のことを理解している。つまりこのような拡張は、身体の根源的な存在に依拠しなければ行なわれないであろうということであり、超越的身体の一性およびエゴへのその帰属は、主観的身体の根源的存在を根拠として、主観的身体の一性およびエゴへのその帰属を、すなわち根源的には絶対的内在の領域という或る特定の存在論的領域の専一的特権であるような存在論的諸規定を根拠として、構成されるのだということである。少なくとも以上が、長々とした諸分析がわれわれに教えてくれたことである。これらの諸分析は不毛に思われたかもしれないが、われわれは今やこれらの諸分析が、身体についてのわれわれの分析がその内部で行なわれているような存在論的諸前提を正当化することをめざしていたのだ、ということを理解する。そのためわれわれは、これらの諸前提は自己の身体の構成についての理論を、解きほぐし難い諸困難のもとに導くのではなくて、むしろこの理論が必要としている諸要素を、この理論に提供してくれるのだということを示したのであった。これら諸要素がなければ、われわれの身体の一性という問題は、立てられさえしないであろう。

 問題なのはカントにしても、アンリにしても信念の体系を支えるものとしての物自体は「私」である必要はなく、私一般において適用されるものであるし、そうであるべきであるということを考えているのだ。カントとアンリの指摘を前面に出せば、寧ろ「私」はロボット工学から脳科学を考える前野隆司氏の意識そのものが幻想であるという考えを援用すれば、脳が私たちにそれが唯一のものであると幻想させるものとしての「私」という見方が立ち上がってくる。
 「プロレゴメナ」での言葉を借りれば、まさに「単なる仮象と見なされるのを防ぐ唯一の手段」なのである。そして同じことがアンリの上の記述によって身体の一性として挙げられているのだ。しかし同じアンリにおいても次の記述は「私」、引いては永井均の<私>に極めて近接している。

 (前略)もちろん問題なのは、表象された差異ではなく、あるいはむしろわれわれの自己の身体の表象と外的諸物体の表象とのあいだの差異ではなくて、われわれによって根源的に生きられるがままの、それを経験する主観的運動に与えられるがままの身体や諸物体、そういう身体と諸物体とのあいだの差異である。(同書中178ページより)

 有機的身体の存在が、それを支えてそれを担うためにそれに向かって身を差し出すエゴの生によってしか、そのようなエゴの生においてしか具体的存在とならないということ、このことにひとは異論を唱え、この命題を逆転しようとか、あるいは少なくとも、エゴと有機的身体との二つの存在のあいだに或る対称を確立しようという気になるかもしれない。対称を確立するというのは、両者の関係のみを何か具体的で絶対的なものとすることによってであり、この関係の両項の各々のうちには、それだけでは抽象的で、地項を指示することにおいてしか実在的とならないような要素しか見ないということによってである。もし主観的運動の超越的作用がなければ有機的身体の存在はないというのであれば、われわれは逆に、根源的身体の存在はそれだけでは存続しえず、反対に、それを有機的身体の超越的存在に結合する超越的関係においてしか存在しない、ということを認めなければならないであろう。存在論的内面性と[超越的に]顕現された存在とのこのような連帯性のうちにこそ、この連帯性が表現する関係がともに還元を免れ絶対的な諸項として、あるいはむしろひとつの絶対的な関係の両項としてわれわれに与えられることの理由が、存するのではないか。
 しかしながら有機的身体が還元の一撃のもとに落ちないということは、けっして有機的身体の根源的存在と同じ存在論的位階を有しているということを意味してはいないし、また絶対的主観性の存在論的充足が簒奪され、いわば移動させられて、もはや内在の圏域のうちにではなくて、主観性と存在との交換地帯のうちに位置づけられに来なければならななくなる、ということを意味しているのでもない。その場合この存在論的充足は、このような地帯の本質および根拠を構成することになってしまおう。たしかにこのような交換地帯は存在し、われわれはそれに現象学的隔たりの名を与えてきた。しかしわれわれはこのような地帯が或る根拠を要求するということ、そしてこの根拠はまさしく主観性の根源的真理の本質のうちに存するということを、知っているのである。それゆえ主観性は、それだけでは抽象的に留まるような一項ではない。主観性は或る超越的な関係によって有機的身体の超越的存在のうちに自らの実在性と自らの完成とを見出すどころか、反対に、この存在の根拠なのである。この存在は、主観性がそれへと向かって自らを超越する項として、われわれは主観性の限界として現われるが、しかし、やはり主観性に帰属する限界としてである。(同書中185~186)
 
 問題なのが表象された差異(われわれの自己の身体の表象と外的諸物体の表象とのあいだの差異)ではなくて、われわれによって根源的に生きられるがままの、それを経験する主観的運動に与えられるがままの身体や諸物体とのあいだの差異だということが、表象されることで一般化されるのではない形での「今ここにいる」という感じ、即ち永井均の主張する<中島的な「この私」>という対外的説明可能な指示性としての「私」ではなく意識やクオリアがそこに宿るところの世界の根拠である<私>であると捉えても間違いではないだろう。
 あるいは有機的身体が還元の一撃のもとに落ちないとは、けっして有機的身体の根源的存在と同じ存在論的位階を有していると意味してはいないし、絶対的主観性の存在論的充足が簒奪され(移動させられて)、もはや内在の圏域のうちにではなく主観性と存在との交換地帯のうちに位置づけられに来なければならなくなる、と意味しているのでもない
とは有機的身体が非還元的であるのは超越的な存在論的表象として有機体があるのでも、存在論的に決着がつき、内在的ではない形で存在と主観性という認識間の乖離を穴埋めするかの如く解釈されているというのでもないという主張であり、主観性は、それだけでは抽象的に留まるような一項ではなく或る超越的な関係によって有機的身体の超越的存在のうちに自らの実在性と自らの完成とを見出すどころか、反対に、この存在の根拠であるという主張は超越的認識によって有機的身体の意味として実在性と自己を完成させるということが問題なのではなくこの試み(超越的認識)を育むもの(根拠)こそが主観性であるということであり、それは「私」の感情は私一般の感情に説明レヴェルでは置換し得ても、その置換自体が<私>によってのみ理解され得る実存によって喚起されていることを知れば、このアンリの主張は確かに永井均的<私>と不可分ではないどころかそのものということになる。

 最近私は国立西洋美術館まで「ルーブル美術館展」を観て来た。その際に展示された多くの17世紀に描かれた絵画の中でも特に風景画に私の視点は釘付けになった。そこに展開されたものとはまさに光の表現だった。それは薄暗がりである暗雲から光が差し込んでくるような様はまるで創世記での天地創造を彷彿とするものたちである。
 しかしその後西欧アート史において印象派が登場するが、それは光を追い求めてきた画家たちの一つの必然的な帰結でもあったと思う。つまりアート自体を形而上学的に捉えると、光とはまさに神のことなのであり、そこに時間が厳然と控えている、時間自体が神による恩寵であると彼らが考えていたかどうかは定かではないが、重要なことは時間が我々に記憶と想起を喚起しているのだ。そして神と時間との間に身体があると考えることも出来る。
 するとカントの物自体とはまさに我々が生きていく指針とすべき倫理的な光であると言ってもよいだろう。それは永井均が「意識に包まれる身体」という考え(「なぜ意識は実在しないのか」)をした時私たちに提示される倫理的光を連想させるような意味合いにおいてである。
 しかし現象学ではメルロ・ポンティーもそうだったのだが、身体ということを神から切り離しているように見えるし、身体自体を光として捉えている、それはベルグソン的なエラン・ヴィタールに近いものとして考えられている。この時アンリによって考えられた光は身体と合一するようなものであるということから考えれば永井の<私>はアンリの身体の一性とは対立していかざるを得ない。つまり<私>に身体は先験するのか、それとも身体が<私>に先験するのかという問いが生じる。
 しかし恐らく実在的には<私>は発生論的に言っても意識されざる能力としては身体と常に同時的であるだろう。しかし思念上では確かに<私>の方が身体に先験しているように見える。だがそれは外在(主義)的に言えば脳が我々に幻想として与えているという風にも解釈出来る。
 カントの物自体はある部分では極めてエックハルトの無という考え方に近い。そしてそれはここで言うところの光にも近い。しかし現象学で言うところの身体は「身体とは、記憶なのである」(第三章 運動と感覚作用 中141ページより)というアンリの謂いを借りれば、そしてそれが更に「身体が記憶だからこそ―確かにまだ過去の観念があからさまではないような記憶ではあるが―身体は過去を自らの思惟の主題としつつ過去を思い出すような記憶でもありうるのである。われわれの身体の根源的な記憶は、習慣である。(中略)われわれの身体は、われわれのすべての諸習慣の総体なのである。」(同中146ページより)と発展してアンリに言わせるものとして考えれば、意識や意志をも包むものとなるし、「現出の本質」においてアンリが示した光とはそこ(身体)から汲み出す我々の能力ということにもなる。
 カントは物自体ということにおいて決してそれを能力とは言及していない。恐らくカントはそれを媒介と考えているのだろう。するとカントにとって感性によって育まれる認識やそれによって構成される世界とは自由意志そのものということになる。勿論カントは意志という語彙を使用していない。カントにとって世界とは身体や意識と切り離されているのだろう。しかしその切り離されていること自体を知ること、あるいは世界そのものが感性によって構成されていることを記すために物自体が持ち込まれたのである。
 しかしアンリにとって身体とは持ち込まれたものでは決してない。それはそこから全てが出発する根源である。しかしそれはよく考えてみれば意識の発生論的にも、意志の発生論的にも最も自然な考えである。これに対してフッサールは依然カント的物自体、つまり信念の体系を支える媒介項として身体を考えていただろうし、アンリの言うビラニズムとしての実在的身体と超越的身体の一性ということで言えば、明らかに超越的身体を優先していたと思われる。
 
 しかし私たちは哲学をどのように考えたらよいのか戸惑う時がある。それは哲学者がテクストで言説として示した考えが、彼自身の信条と一致しているかと言うとそうとは限らない、いや寧ろ反対の考えを持っているが故に、その正当性を検証するために敢えてテクストで示したような真理を提示したと言える場合も往々にしてあり、その意味では哲学とは極めて真意の表出とは縁遠い懐疑主義的な営みである。そしてその真意と戦略の齟齬に対してある種の論理的な意味でも、倫理的な意味でも納得出来ない時に私たちは哲学的営みに戸惑うことがあるのだ。またそのような齟齬をきたしているように読み取れるテクストも多く存在するからだ。
 例えばウィトゲンシュタインは「哲学探究」で示しているような意味で私的言語を信奉していたわけではなく、最終的にそれを論駁するために書いているというのでも恐らくない。つまり彼は完全に最初から「私」を認めてなどいないのだ(勿論それは理性論的な考えからである。心理的には彼は永井氏の言うように独我論病だったのだから)。だからこそ敢えて私的言語を考える必要があったのだ。そしてそう考える必要の部分だけを我々は受け取ればよいのだ。
 それを言うならサルトルは本質的に死後の魂とか、霊魂とかを一切認めていなかったことがテクストでは伺えるが、それは彼が本当はそういう心理に陥りやすいということを自ら知っていて、それを未然に防止する意図だったかも知れないという憶測も私たちは持つことが出来る。しかしそれは仮に彼個人の生活における真実であったとしても、哲学的には大した意味がない。サルトルが霊魂の不滅を一切信じていなかったということがテクストに示されていることの方が重要である。
 しかしサルトルの絶対的自由意志論の背景には死後の世界とは無であり、世界の無ということが絶対的即自であるということから言えば、アンリのビランを通した実在的身体とは即自的なものであり、超越的身体とは脱自的である。カントの物自体は対自的である。
 サルトル流で行けば、「私」とは「私の行動」であり「私の行為」であり「私の考え」である。そしてそこには理念的に自由が横たわっている。だから永井流の<私>はサルトルには一切無縁である。中島義道の「この私」の方が寧ろサルトルの絶対的自由意志論的なニュアンスがある。サルトルの「自我の超越」という考えには自我が超越してあること自体の確認だけでなく、自我を脱自するという意味での超越ということのもう一つの意味合いがある。それは「そうであること」から「そうであるべきこと」としての対自の表明が宿っている。
 しかし「私」ということに格別の意識を持つことは寧ろ「そうであること」の方により加担していると言うことが出来ないだろうか?
 つまり「そうであること」を加担することは、「そうであること」が本来時間論的にも自由意志論的にも「そうであるべきこと」と常に隣接していて、その二つが容易に二分することすら不可能な地点に現存在が立たされてあることを敢えて無視することでもあるからである。
 例えば「言葉が持つ力故に我々は意思疎通し得るのか」という問いと「我々が何かを伝えたいからこそ我々は言葉を使って意思疎通し得るのか」という問いは常にどちらか一方を加担することが不可能なくらいに背中合わせである。その意味では「そうであること」を「そうであるべきこと」から極端に分離するということはある種の存在論的神秘主義に傾斜していると言うことも出来る。カントは恐らくそのような傾斜を一番避けたかったのだろうと私は思う。そして全く観点は異なるが、現象学もまた一方に傾斜することを回避することを常に志向している。
 次節では永井均の<私>とはどのように現出して、どのように有効であるか、あるいはどのような形で批判すべきものであるかということについて引き続きカントとアンリを手掛かりに考えてみよう。

Friday, January 15, 2010

<感情と意味>第一章 第五節 忘却と記憶の変容、そして感情

 忘れてしまったこと、私以外の誰もが覚えていないこと、記憶していないことがあるから、私たちは「私」を今‐過去という統合された一纏まりの自分というものとして意識することが出来る。それは認知でもあるし、理解でもあるし、判断でもある。つまり忘却したことと記憶にしかと留め置くことの双方があり、特に印象に残っているものとそうではなくおぼろげに記憶しているものから全く忘れ去ってしまったものへの段階論的な差異がそれぞれあるからこそ記憶を留め置く主体としての「私」が形成されるのだ。
 もし私たちに記憶しているものと忘却したものの段階論的な差異が全く無いのであれば「私」という対他的な意味でも、対自的な意味でも自己同一性というものはなくなるだろう。つまり全てを記憶し得るということは全てをどれが印象的であり、どれが印象的ではないという差異が全くなく並列的であるということだから、それは機械に保存されているデータと同じである。しかし我々はあるものに対しては自分にとって切実なこととして、別のあるものは然程ではないものとして忘却してもよいと無意識に判断している。
 脳科学ではデフォルト・ネットワークというものが観察されており、それは自分にとって親しい家族や友人に対して最も大きく反応し、それに次いで有名人とかマスコミでよく知った顔や存在に反応し、想像上とか小説や伝説上の虚構世界の登場人物に対しては最も小さく反応するらしい。
 つまりそのような差異が脳によって判断されているということが、逆に全てのデータに対する我々の感情に差異があることを物語っており、その差異がないということは感情が存在しないということになる。しかしこの考えは哲学者なら誰でも思惟し得ることだ。それを脳科学ではfMRIによって視覚的、数値的に証明し得るということである。
 しかしもっと重要なこととは、では果たして記憶していることが不変のままであり得るだろうかという問いから言えば、そうではないだろう。と言うことと記憶が仮に不変だからと言って「私」も不変であると言い切れるかどうかという問いがある。
 つまり「私」とは恐らく常に変化している。だからこそ今‐過去の私を、私たちは自己同一性として存在を一致させている。それは無意識的な恣意である。
 あるいは不変のもののように思われる連想事実は、あるいは本当のところはその出来事が過去へ後退した瞬間何らかのその瞬間の真実が失われ、それ以降私たちは恐らくどんどんその出来事の意味を変容させて、それどころかその記憶内容さえどんどん変容させていく。変容しないままずっと同じであるということは逆に変化し続けている今の自分からすれば矛盾である。何故なら出来事が変化しないまま、自分だけが変化し続けているということだからだ。出来事が変化しないままでいても、自分が変化すれば自分と出来事の間の関係は変化する筈だからだ。だから出来事が変化しないままでいるように感じるのは、自分が変化していることを意識においてクローズアップしたいがため無意識に恣意的に出来事の方を変化しないままにしておく意図なのである。何故ならある出来事は一年前から二年前へと後退し続けているわけだから、その今から見てより過去に後退し続けていくということ自体がある出来事の意味を変えずにいるということは、絶えず同じ像を今の自分によって作っているに過ぎず、それは過去の出来事の想起であるよりは、今の自分の想像を過去の出来事を利用して行なっているに過ぎないことになるからだ。そしてその想像もその都度違うのに「また同じ想像をした」と各想像間の相同性を見出しているに過ぎない。
 恐らく自己の他人化だけを基本としたビランの言う様態的想起事実だけをある程度不変のまま残し、人格的想起事実は変容の一途を辿る。例えば私が最初に谷口に会った日の谷口の印象はその後私が谷口とメールしたり、電話したことによってその都度更新される彼に対する印象によって少しずつ過去へと後退させながら彼との最初の出会いの意味を更新しているからだ。
 つまりだからこそ私は今‐過去の自分だけを変えずにいたいと望み、変容し続けているある過去の出来事の意味そのものを受け負う立会人としての意識を形成しつつ自己同一性をそこに常に構成し続けているのである。身体的な変化とか心理的な変化ということと意味の立会人としての自己同一性とは共存し得るのだ。
 それだけではない。私たちはあの時谷口と出会った京都のファーストフード店での論議において、他の大勢の成員と共に過ごしたが、同時に各成員に対する感情を全く異なったものとして想起する。つまり成員毎に異なった想起内容を持つ。私に対して反感を抱いた成員を通してその場を想起する時と、私の意見に共感し賛同した者を通して想起する時とでは全く異なったその場の出来事(論議)の様相を得ることになる。しかし事実関係として尚私にとっての京都のファーストフード店での論議とは一つなのである。
 そしてその異なった各成員に対する感情ということから私を今‐過去の一貫した立会人としての「私」以外にも<主観的な世界=各成員の仕草や表情、意見の内容>に立ち会う「私」としながら自己同一性を得てもいるのだ。私があの時京都のファーストフード店でどの成員に対しても同じような感情を抱いているとしたら、誰に対しても共感も反感も得ていないということになり、感情を持たないということと同じである。私は私だけを特別に見ることは出来るが、他者は私以外ということで一切その差異がどうであれ大した問題ではないという主張となるとそれは独我論となる。しかしそれは世界の見え自体を客観的に捉える視点からしか得られない認識でもある。独我論は高次の言語的認識を前提する。世界の見えの内容を検証する意識とは世界の見え自体を問題化する視点(独我論もこれに含有される)の消滅を意味する。その視点の消滅が私に対して齎すものとは各成員に対する私にとってのその場での印象を今構成させる私の記憶と今の感情が想起させるその出来事、つまり論議の内容であり、論議している時の各成員の表情や仕草に対する私の想起内容である。そしてその際に私が抱いた各成員に対する異なった印象の度合いや感情の差異こそが「私」に確固とした自己同一性を与えるのである。
 そして私はあの時以来最も多く谷口と意思疎通をし、それに次いで三箇、あるいは関に対して意思疎通した。すると私にとって谷口、三箇、関そしてそれ以外という印象の強度と理解の度合いの差異を各成員に対して抱くその時での論議の場という意味合いを新たにただ単なる事実関係以外に付与することとなる。その意味づけはただ単なる過去の出来事に対する今の私による認識に、その過去出来事の認識を新たに意味づけ直すという意識も私に与えるのだ。それはその時での世界の見えに対する想起に伴った私の感情をも変え続けることになる。私が今後谷口、三箇、関と更に意思疎通し合えばその変化は更に持続する。要するに記憶の変容とは、ある事実関係としては不変の出来事に対して、その都度の更に着々と過去へと後退しつつある出来事に対する感情(想起を伴なう)の変化に伴った意味づけの更新ということを意味するのだ。
 それは身体的体験としての想起と、その身体体験的事実に対する認識とが同伴された想起と記憶内容の更新を意味する。一つの出来事に対して想起する角度によって異なった意味内容を伴う記憶の変容こそが、私に「それでも尚私はその場に居合わせたという事実においては唯一である」という意識が、私に固有の自己同一性を与えているのである。
 つまり世界の見え自体に対する想起傾向の変更が想起的様相を変化させ続けるという大きな変化自体が、それでもその出来事は私にとって一回性のものであるという私による立会い性が私に固有の自己同一性を与えているのだ。だから自己同一性とは変化し続ける想起傾向と、想起様相自体が、認識上で私を「それでも私はあの時一回限りであの時間と空間を体験したのであり、それ以外の場所にいたわけではないし、それ以上の時間を彼らと共に過ごしたのではない」という形で私が私自身に対して自己同一性を意味的にも体験追想的な確認の上でも与えているのである。となると想起とは認識的な私の自己同一性そのものの更新と無縁ではないことになる。何故そうかと言うと、私にとって一回性であった過去のある出来事とは、しかし着々と遠い過去へと後退しつつあるのだからである。つまり更に遠い過去へと後退しつつある出来事の一回性に対して事実関係的に立ち会ったということをその都度自己同一性として更新しているからだ。と言うことはいつ何時私はその出来事を忘却するかも知れないということにもなる。想起自体が認識を更新するのか、それとも認識の更新が想起を促すのかということになると、どちらの場合もあるし、同時的であることもあるとしか言いようがないであろう。
 しかしそういったある種の不確かさに支配されている我々の記憶と想起の一体性はある不変ではないということ、つまり確実に「~である」と言い切れる判断に依存してもいる。例えばその顕著な考えがデカルトのコギトであろう。全てを記憶しきれないということは、感性的な側面からの現象に関してであって、現象を支える不変のもの、それを法則と呼んでも真理と呼んでもよいが、それこそが「ある筈だ」という信念が記憶と想起の不確かさにもかかわらず、「私」が自己同一的だと我々によって判断されているとも言えるのだ。次節ではそのことを中心に考えていってみよう。

Sunday, January 10, 2010

<感情と意味>第一章 第四節 他ならぬ私によって立ち会われたという事実認識

 しかし不思議なことに私にとってなのだが、過去の私自身を想起する時それを様相としてそうする時確かに私は一挙に他者化する。しかし私が谷口と交わした言葉とか遣り取りを想起する時私は過去の私を谷口と言葉を交わした自分という風に世界の見えであった筈の客体としての過去の私が一挙に主体としての私、つまり今こうして文章をワードに打ち込んでいる自分と同一人物である「私」意識を発生させている。つまり端的に私は想起する時明らかに二種類の過去の私を見出すことが容易である。この考えを推し進めるとこうなる。つまり他ならぬ私によって立ち会われた谷口ということは、ある意味では想起者の特権としてそれが「私であった」と知ることが出来る。と言うことはそれが私の見た世界、私にとって確かに私の見えであった筈の過去の世界に対する目撃者としての自分ということがあるからであり、それは私の過去における京都のファーストフード店において谷口と言葉を交わしたという行為事実の当事者であるという意識、つまり「私に関する」認識事実を私が意識の上で志向した時に初めて出会える「私」というものがあるということである。永井均が想定した<私>とは意外とこのこととも関係がある気が私にはするのである。
 ここで一つの結論を最初に示しておきたい。
 それはこうである。

想起の種類
 
A自己の他者化(客体化)
  → その時(ある過去出来事)の自分の感情を既に認知した状態=過去の事実認識 から出発する自分に関する想起(対自己観察的態度)<名辞的想起>→<映像的想起>世界の見えから出発し、世界の評定へと落着する

B自己の私‐主体化
  → その時の自分にとっての意味を認知した状態(感情的様相において)で過去の事実認識へと到達する印象的な他者に関する想起(感情を伴った)からその時の自分を認識する(過去の私と現在の私の一体化)<映像的想起>→<名辞的想起>世界に立ち会ったという触感とか身体的経験記憶から出発し、印象的他者に対する今も変わらぬ感情(あるいは変わってしまったこと)に支配される

 要するに他者が絡む時には私自身は客体化出来ない。しかし世界の見え(過去に私が見た世界)という総体として過去を振り返る時そこに居合わせた自分は客体化する。
 意味とはそもそも事物や事象に対する感情が基礎となっているし、それ自体であると言ってよい。感情は対象(他者も含む)や事象と出会う主体によるそのものへの反応(情動)に対する意味づけである。だから当然一つの事物、事象、あるいは歴史的であれ歴史的にそう重要ではない私的なことであれ、ある出来事に対する意味とは個人毎に異なる。
 しかし概念は違う。概念はある程度の時間を経てある事象、事物、出来事に対しての意味づけがどのある限定された集団の成員においても、あるいはどの国家においても、どの民族においても、人類全体においても(つまりその一般性ということが適用される範囲が狭いものから広大なものに至るまで)不変であることがほぼ全成員において承知されていることのみを概念と呼ぶ。
 上記の記述では→は次のように考えればよい。要するにAは世界の見えとその場にいたことを前提としてその時の私にとっての世界(俯瞰された客観的視点における)を想起することに落着するが、Bは印象的他者に接してその者を想起している中でその時の自分はその他者への感情が今現在想起され、今現在の自分の感情もその場に居合わせたことそのものにおいても一体化するから、映像から出発するが、その時に得た感情が今も変わらないとか、あれから変わったという風に刻印的に落着する。故にその時の自分とは主観的にしか感じられず、客観的想起ではない。それに対してAは自分という存在をより客観的に想起し得るわけである。
 もっと簡単に言えば、自分がある過去の状況においていたということを想起する時自分は他人になって私による「過去における世界の見えの要素」の一つになるが、他人(他人を想起するということはその者が現在の自分にとって印象的だったということである)を通してその状況を想起する時、明らかにその者に対して抱いた感情をも想起するから、その状況における自分を客観的に捉えることが出来ず、その時の状況に気持ちが立ち戻っているということが言える。
 さて私によって想起されているのだから、当然自分が常に世界の見えの立会人である。するとその自分を他人化するということは、自分にとっての他者にとって自分がどう見えたかという意識がそこにはある。しかし自分そのものを主観的にしか見られない場合、つまり特定の他者のことを想起する時その者への感情そのものになっているということは自分自身よりはその者を通した世界の見え(に対する関心)という意識になっているので、その者が自分をどう見ているかということには意識が行っていない。他者としてのその者が世界をどう見ているかに関心が行っているからである。しかし前者の意識になれば即ち私は自分を他人化し得ているわけである。その場合その者の想起を通して、自分とその者の関係の想起へと移行しているわけだ。すると途端にAの過去の自己を客観化した自己の他人化を招聘することになる。つまりAとBはこのように常に相互に反転する可能性として存在する。
 このことと関係あるかどうかは俄かに判定し得ることが出来ぬものの、かなり的を得ているとも思われる記述を偶然的に今読んでいるミシェル・アンリによる「身体の哲学と現象学ビラン存在論についての試論」(メーヌ・ド・ビランに対するオマージュと分析的アプローチを示した現象学テクスト)の次の一節に発見したので、そのまま引用しておきたい。

 身体の根源的存在を主観的運動と規定することによって、記憶の現象学の原理がわれわれに提供される。かくして記憶の現象学の可能性は、まったく身体についての存在論的論理に依存しているのである。或る音が聞かれるとき、音響的印象が構成される。しかしここで働いている構成力能がそこに存するところの主観的運動は、ありのままに根源的に知らされる。というのもこの主観的運動は、ひとつの超越論的内的経験において我々に与えられるからである。音響的印象の内的な構成法則はまさに所有しているからこそ、私は好きなだけこの印象を反復し、この印象を自らあらたに再生し、この再生のあいだ、絶えずこの印象を再認することができるのである。なぜならまさに、構成力能の認識が構成力能の行使に内在し、構成力能の行使と一体となっているからである。音響的印象を反復するもの、それは身体自身であり、それゆえエゴである。このことは、音響的印象の構成力能がエゴそれ自身であると言うことに帰着する。私が音響的印象を反復するあいだ、私は次のことを知っている。つまり私はすでにこの印象を経験したのだということ、いま私はそれを反復しているのだということ、反復しているのは私なのだということ、そして私がうちに含まれている想起は、本来の意味での反復たる想起としての構成力能についての想起と、反復ないし再生された項についての想起たる音響的印象についての想起とに、二分化される。第一の想起は超越論的内在の次元において遂行され、それはいかなる構成の介入もなく産出され、自己自身をそのようなものとして内的かつ直接的に知る。第二種の想起は、音響的印象がそこで再認反復されるところの超越的次元に関わる。メーヌ・ド・ビランは第一の想起には「人格的想起」(reminiscence pellsonelle )の名を与え、第二種には「様態的想起」(reminiscence modale )の名を与える。(115~116ページより)

 ここでは最後の「私がうちに含まれている想起は、本来の意味での反復たる想起としての構成力能についての想起と、反復ないし再生された項についての想起たる音響的印象についての想起とに、二分化される。第一の想起は超越論的内在の次元において遂行され、それはいかなる構成の介入もなく産出され、自己自身をそのようなものとして内的かつ直接的に知る。第二種の想起は、音響的印象がそこで再認反復されるところの超越的次元に関わる。メーヌ・ド・ビランは第一の想起には「人格的想起」(reminiscence pellsonelle )の名を与え、第二種には「様態的想起」(reminiscence modale )の名を与える。」が最重要である。つまり私がアンリによるメーヌ・ド・ビラン解釈としてそれがビランへの正当なる理解であるか否かはともかく、少なくとも第一の想起とは私が言うBのことであり、超越論的内在の次元が印象的他者に対する自己の感情を通した想起であること、そして第二種とここでは言っている想起こそが私が言うAの想起であり、それは音響的印象がそこで再認反復されるところの超越的次元とアンリが言う私が言った世界の見えそのものであり、その見えは知覚的であり感情的意味づけに左右され得ない確実性のものである。だからビランの命名に従えば、恐らく私の言ったAは明らかに「様態的想起」のことであり、私の言ったBは「人格的想起」のことである。
 そればかりかこの箇所の記述は「音響的印象を反復するもの、それは身体自身であり」から「そして」(以降再度掲載箇所)までの記述はアンリが意識してか、期せずしてかはそれこそ定かではないものの、アンリがこのテクストで執拗にデカルトに対するオマージュと批判という形で示されているビランの中のデカルト的要素と、フレーゲ的先験的主体という考えが示されている。
 「音響的印象を反復するもの、それは身体自身であり、それゆえエゴである」は、明らかにデカルトのコギトを現象学的に進展させた考えであり、続く「このことは、音響的印象の構成力能がエゴそれ自身であると言うことに帰着する」もそうだし、「私が音響的印象を反復するあいだ、私は次のことを知っている。つまり私はすでにこの印象を経験したのだということ、いま私はそれを反復しているのだということ、反復しているのは私なのだということ」という箇所は記憶の力能である想起の際に我々に同時に現象される現在意識と私が「今ここにいる」という固有の感じというフレーゲ的経験主体の考えである。
 結局アンリは先ほどの文章の後に「じつは様態的想起は人格的想起に基づいているからであり、というよりはむしろ、人格的想起と一体となっているからである。」としており、要するに感情的な他者を巡る(尤もアンリは他者という語彙は使用していない)判断や記憶に対する認識を根源的なものとしている。
 何故アンリがそのように考えたかと言うと、それは恐らく「私」ということの自己同一性が、実は人格的想起の内にあるのではないかということからなのである。それは私が考えるところ他者を通した「過去の私と現在の私の一体化」なのである。
 私は今現在の自分が他でもない「私」であると知っているが、過去における世界の見えそのもの(クオリアとか意識とかを含む)が現実であることを知っているが、その見えはただ記憶そのものが実在とは無縁に構築して「それが過去のことである」と私に思わせているだけかも知れない。しかし実際私は記憶を通して今過去の出来事に関して確かに何らかの感情を抱くことも出来るし、逆に感情とは無縁にあの時ファーストフード店において私の隣に誰それが座っていたと想起することも可能だ。しかしただそれだけではそこに「私」は登場しない。<私>も勿論だ。それはデネット流に言えばただ「過去だと思われるもの」としてそれこそ大森荘蔵流に現在私の脳が勝手にでっちあげたものかも知れない。カルテジアン劇場とデネットが呼んだものをただ私が見ているだけということも可能だ。
 しかし私が谷口と交わした幾つかの言葉自体が私に喚起する感情を通して、その時谷口の目前に座っていたのが私であり、その私の感情が「今の自分」からも了解出来、しかもそのことを谷口に想起したままを告げても彼は私に「そんなことありましたか?」とは言わない。そのことをもって私は恐らく谷口が私の記憶違いを指摘しない限りで、「あの出来事(ファーストフード店で皆が語り合った)は今の自分によって捏造されたことではなく、本当にあの過去のある時点であったことなのだ」という確証を得る。
 すると今現在の自分によるあの時の状況全般に対する様態的想起とは、私が谷口や関氏、三箇氏らと交わした対話というものに関する成員に共通した認知によって確証されるも、私自身の中では明らかに「あの時谷口に私が感じた感情を今想起し得て、それを今の自分と直結し得る」という感じこそ永井の<私>であるとするなら、そういう今‐過去の自分を統合したものである「私」の自己同一性(私が私に与える)において私は谷口や三箇や関と対話するという確信で私の方から彼らに「私」を示していることになる。そしてそれに異議を誰かが申し立てない限りで私は私が私に与えている自己同一性を信頼にたるものであると私に言い聞かせることが出来る。
 確かに時には私は夢で見たことを現実であると思い違いすることもあるだろう。しかし少なくともあの時私の目の前に谷口がいて、斜め前に三箇がいたということ、谷口の隣に確かに、私のやはり目の前に関がいた。つまり過去の出来事は私が一人でどこかにいたことにおいても、私が谷口らといたことにおいても、私が今‐過去の私が同一であるという確信によって「本当にあったことである」と信じて疑わないことによって事実化されるが、その事実化もまた私が今の私とあの時の私がいつでも一体化出来るという信頼というか安心によってなされてもいるのである。そのなされ方とは私の考えるところ「あの時の私」を様態的に見る世界の見え的な今の自分による判断と、谷口といようが、私一人で歩いていようが、「あの時の私」と「今の私」が容易に一体化、そういう言葉を使用しないでも、即座にそう判断、敢えて判断する以前的に「そうでない筈はない」という了解の下に、つまりアンリによるビランの言葉を借りるなら人格的想起が容易に様態的想起を飲み込み得るという信念に基づいていると思われる。
 すると今現在の感情によっていつの出来事でも容易に判断し得るということは、ある意味では必ずその都度失われた過去の真実というものがそれこそ永井氏による「歴史学・解釈学・考古学」で示されたようにあるということになる。そしてそのことに対する自覚こそが私に今‐過去の自分が同一であるということを催しているとも言える。それは要するに失われていくものがあるけれども、常に変わらずに持続しているものもあるというその都度の心の中での決意‐信念である。となると寧ろ失われていくものが一切なかったのなら、今‐過去の自分が同一であるという意識も生じ得ようもないということにもなる。しかし同時に、と言うことはどの程度まで可能かはともかく今‐過去の自分が断絶しているという心の状態も充分あり得るということになる。そのことに関して次節では考えてみよう。

Wednesday, January 6, 2010

<感情と意味>第一章 第三節 記憶の中の私と他者

 私は私による過去の記憶に翻弄されているということも出来るが、その翻弄されているということは記憶の内容によってである。しかし一旦過去に後退したものは、それがどんなに忌まわしいことであっても徐々に冷静に見つめることが出来る。そしてある怒りの感情や悲しみの感情に包まれていた過去の私という私の記憶の中の私はその時の気持ちを誰よりも理解し得るのに、自分自身であたかも他人ででもあるかのようの客観的に思い出すことも出来る。つまり記憶の中の私は今現在の私ではないので、それは自分であって自分ではない、つまり他人に近い自分である。端的に私は私の記憶の内部であたかも自分が行なった行動や発言した内容はその時の表情や仕草さえも、自分では他人から見た自分の像というものを正確に知ることなど出来もしないのに、どこかで冷めた眼で見つめることすら可能である。
 実はこのこと自体が極めて不可思議なのであるが、既に過去の自分は今現在向こうに見える他者と同じレヴェルのものとして見られるということを示している。
 勿論今現在の自分はそのようには見ることが出来ない。しかし過去の自分とはあくまで記憶の中の、私が見た世界、あるいは私にとってその時の見え方であった「私の世界だったもの」の中の一部であり、その中の要素でしかない。勿論そういう自分を想起するということ自体が既に私の今現在の感情に支配されているわけだが、しかしその過去の自分とは誰か特定の他者が私がしていないことを、つまりその者の罪を私に擦り付けようとしているのでない限り私にとっての他者全てにとっての私と同様、極めて余所余所しく感じられる。つまりそれは今現在は実在していない、過去という記憶の中にのみ存在する幻想としての私なのである。
 だから逆に私は常に私の過去ばかり想起するわけではない。しかし実に興味深いことには私は過去の私によって得られた世界の見え自体を想起する時にこそ、より今そのように想起する自分という風に、脳内で思念する今現在の私を通して<私>を確固とした形で獲得し得ていると感じる。つまり私の中の「私」意識、あるいは永井氏の主張される<私>とは意外と過去の想起を私自身に向けてではなく、私が見た世界、私が例えば最近訪れた河口湖の様子とか、要するに過去事実として私が立ち会ったその時の私にとっての世界、見えがより具体的な形で実在するように感じさせる。少なくとも私にとってはそうなのである。これは記憶による世界の見え、つまり記憶内容そのものである世界の見えそのものが「私」意識の源として位置していると考えることをある程度説得力あるものにしはしないだろうか?
 過去の私があたかも他人のように感じるということの根拠とは実はその過去の自分を想起しているのが他ならぬ今の自分であるということを誰よりも私が一番よく知っているからである。そして記憶の中の私自身へと私の意識が向かっている時確かに私はその過去の私をあたかも他人のように扱えるし、そう扱う今の自分だけが本当の自分であるという意識を持つ。しかし一方過去の私のしたことや見たことの記憶を私はありありと思い浮かべることが可能であり、その意味では過去の私の気持ちにも容易に私はなれる。何故ならそもそも思い出せることしか我々は想起するこどがないからだ。そして思い出せることというのは切実な見えとして今の自分を構成する一部だからである。
 しかし他方私が私にとって外部のもの、つまり私(過去の私)以外のものを特定して想起する時、意外にも私はそれを見たのは過去事実における私自身であると今の私に対して規定し得る。つまり同一性認定を他ならぬ自分に向けて施すのである。その時私が想起する例えば私の友人である谷口一平の素顔というものは、意外とその時私が彼がいる場に立ち会っていたという過去事実を通した私の同一性である。同一性に対する記憶の側からの保証である。その時「私」意識は俄かに立ち上る。つまり私が私自身のことを想起する時そこにあるのは世界の見えの一部に沈み込んだ私であり、それを想起する私は世界の見えに後退しているが、私が私以外の全てにおける何かを想起する時そこに認められる私内部の意識において浮上してくるものとは「私が見たこと」、「私が感じたこと」である。
 それはその想起される対象を対象として保証する者が他ならぬ私自身であることを私が一番よく知っているからである。私が初めて谷口一平と出会った事実を私は他者から知らされ、教えられて想起しているのではない、他ならぬ私自身が誰に諭されるでもなく想起し得る人物として谷口一平が存在するという事実が突如私を他の他者全部と等価な「過去の私」に対する他人と同等であることから「私」を引き離し、私は他者全般とは明らかに違うものとして意識される。その時私は谷口一平の表情や彼が吐く言葉を実在感を伴って想起し得るものだから、私は私が見た世界の一部でありながら同時に私のその時の関心において多大な要素である彼自身の存在を通して彼と出会った京都での思い出を、つまりその時の世界の見え、つまり彼以外の全ての目撃事実を様相的に決定している。
 つまり私は今現在に去年の京都行きという思い出深い出来事を通して想起している時明らかにそこに立ち会ったのは他の誰でもない、今ここでパソコンのワードに入力しているこの自分だという意識において、過去‐現在の自分に対して他者に施すような仕方で、しかし想起と記憶とにとってもっと切実で固い絆としての同一性をそこに認めているのである。
 それは端的に想起者本人が「それを思い出すのが私である」という意識そのものが私たちの脳に与える幻想なのかも知れない。しかしそう言う傍でそう判断する私は私を私たち一般に開放して、一般的事実として語っている。と言うことはやはり「私」意識とか<私>とは行為事実に当事者の私を格下げする一つの私の他者化によって得られる実感ということになる。
 サルトルは世界の見え自体を「嘔吐」において示した。しかし「存在と無」ではその世界の見え自体を一歩引いた地点から俯瞰した。その時対自という図式が必要であったのだ。
 ベルグソンはそれより前に既に「物質と記憶」において世界の見えを構成する当のものを記憶と脳内の作用であるという地点で理解する論説を行なっている。そしてそれ以前に既に純粋持続という形で今私が述べた今想起される京都で出会った谷口一平ということを他者として、そしてその場における私にとって極めて印象的な他者として想起しつつ、その想起している自分を過去のその場における私と同一であるとまざまざと理解している。感じている。
 つまり記憶の中の私ということは私にとって私以外の全てのその場に立ち会った成員の間で、彼らとの連関で想起せざるを得ないので、それ自体一つの今構成されたその特定の過去における固有の見えである。しかし私にとってその場で印象的であった谷口の立ち居振る舞いへと意識が移行した時明らかに私は「私にとっての谷口」という意識によって想起をリアリティーあるものとして把握する。つまり谷口は谷口として存在しているだけではなく、私同様他ならぬ私によって立ち会われたのである。そしてそう想起するのが他ならぬ私であることを誰よりも私が一番よく知っているのだ。この「私にとって印象的であったその時の谷口」という意識が実は「私」意識の発端であるのなら、私にとって「私」とは私にとって切実な固有の他者、特定の他者が築くということになりはしないだろうか?
 それは記憶とか想起自体が今現在の未来をも射程に入れた感情に支配されているということと、その過去に対する想起そのものが今現在の固有の他者やその他者と邂逅した過去の出来事に対する関心によって、つまり今現在の私による過去の意味づけによって左右されているということが言えるように思われる。

 付記 ここで私が言う「私」とは他者に接することによって規定を受ける私故、<私>(永井氏的な)ともちょっと違う。それは端的に自己‐他者という捉え方とは違う。要するに他者へと固有の感情を抱く私なのであり、自‐他認識とは位相が異なるのである。

Sunday, January 3, 2010

<感情と意味>第一章 第二節 私の後退と浮上

 私という意識が後退している時というのは今向こうに見える魅力的な異性とか今自分がしている行為に熱中しているという状態の自分である。しかし勿論常に自分は後退しているわけではなく、時々浮上してくる。このままでいいのかとか、今これをしているがそれは本当に正しいのかと考える時私たちは「今私はこれをしているが果たして」と考える。しかしそういう時でも何物にも左右され得ない私などということなど寧ろなく、常に何かにかかわり、何かとの関係において位置づけられる私というものがあるに過ぎない。
 つまり仮に浮上することが時々あったとしてもそういう私とは常に何らかの形で私が他者や外界の事物や事象を知覚し、判断する全体的な生命活動における連関において私を何かに関係付け、あるいは常に固有の状態においてその全体にかかわる相対的な位置として考えられる私である。つまり何らかのその時々の固有の叙述の内部に位置づけられる私というものしか私たちにとって感じることも理解することも出来ない。
 確かにデカルトは「コギト・エルゴ・スム」という形で全てを疑い得ても、その疑う私自身だけは疑いようもないと言った。しかし重要なこととは疑う私とは(疑う「私」)ではなく、あくまでも(「疑う私」)なのである。
 つまり私ということを「私」たらしめているものとは、私以外の全ての他者であり、私が取る行動であり、私の考えであり、それらは言ってみれば、(他者を感じる、知る「私」)ではなく(「他者を感じる、知る私」)なのであり(「私」の考え)ではなく(「私の考え」)なのである。あるいは(「私」の取る行動)ではなく(「私の取る行動」)なのである。
 つまり私とは常に私を巡って繰り広げられる私に関するデータ、つまり行動とか考えとか一切の私が付帯している事実によって、逆に私を浮上させている、それは意識的にもそうであるが、無意識的にもそうなのである。
 しかしそうやって一旦身につけた私ということの判断は、今度はそれがあたかも常に私を中心に巡る宇宙のように、つまり「私」を太陽として回る全ての惑星のように私は判断してしまう。だが実はそこに大きな陥穽があるのだ。
 私はあくまで後退したり、浮上したりする恣意的にその在り方を意識や無意識において変更し得るものである内はさして私たちの意識全般に大きな影響を与えないものの、それが中心に位置するに至って極めて大きな精神的影響を及ぼすものなのである。
 勿論私は私意識とか私を中心として見る見方が全て間違っていると言っているわけではない。ある意味では全ての独我論において考えられている世界はまさに私の死と共に終るということを私は固く信じてもいる。しかしその見方自体はやはりあらゆる私を巡る、私の周辺に位置し、私以外の全ての他者、私の内部での心の様相全体において、つまり私を私として意識させることが出来、私を実在者として認識させることを可能とさせる意味連関において登場してきた一つの考えにしか過ぎないということが言いたいのである。
 ある意味では感情とは極めてそう容易に自分自身を意識の射程外に追い払うことが困難である。しかしその追い払い困難であること自体を成立させている当のものこそ、実は私以外の私を取り巻く世界の全て、実はそれこそが私(や私意識)を成立させているのだが、世界の見え方なのである。そしてその世界の見え方自体が私にその中の登場人物とか登場する素材として、極めて魅力的で唯一であると思念させるものとしての私を固有で特別のものとして存在させるのである。
 つまりそこにも感情が意味によって支えられているという命題が浮上する。しかし更に厄介なことにはその感情が意味によって支えられているという判断自体が、今度は逆に私の何らかの感情によって支えられているのである。そしてその時初めて私はその感情が「私」によるものであると知り、あたかも<私>がそれらとは無縁につまり世界の見え方自体を支えるものとして感じられるのである。しかし更に私はその感情も意味によって支えられという無限後退を来たすこととなる。