Wednesday, June 30, 2010

<感情と意味>第三章 第九節 取り敢えずの納得と理解

 原初的には説明が不毛であることの方がずっと広大である。しかし我々はこの広大な領域に網をかけようとする。それが説明原理である。それを誘引するのは他者存在である。何故なら、説明が不毛であること自体を何らかの形で誰かに説明したいからである。そういう意味では全ての説明が不毛である固有の感じは、全て説明の網の中にあると言ってさえよい。
 しかし当初網をかけたばかりの時には、通常我々はその説明には完全には納得していない。寧ろ取り敢えずの納得であり、その時は未だ説明されるべき問題の全体を把握するために方便として納得しているに過ぎない。だから多少ずれていることがあったとしてもそれでよしとする。
 しかしやがてそれらだけでは納得がいかなくなり、詳述する必要性が出てくる。その時二つの事柄が理解される。

① 大まかに把握することがその都度必要であること。
② それにもかかわらず、それだけでは十分ではなく、より詳細かつ精緻に理解する必要性も常に残存すること。

 つまりここには二重の理解ということがある。何故そのように二重になるかと言うと、取り敢えずの納得だけでは不十分とする経験上信念となり得るような理解を我々は必要としているからである。
 
 私たちは何かを習慣化すると、その習慣となっている行為自体に対して、別段大いなる疑問を抱かなくなるものである。例えばファミレスの店員は入店してくる客に対して笑みを浮かべ「いらっしゃいませ」と言うだろう。その時彼等は別段楽しいわけではないだろうが、そのように習慣化された笑みを浮かばせることによって楽しい気分に自分も、それを向けられた客にも与えるということはあり得る。つまり笑うという習慣が心まで楽しくするのである。
 そのように考えると行為への意志が習慣化するということは、ある意味ではその時どんな悲しい感情を携えていても、それをしている間は忘れられるということを我々が知っているからである。
 だからこそ愛する家族を失った者は、その悲しみに打ちひしがれながらも、仕事に情熱を傾けることによって、その情熱を維持している瞬間の連続においては、悲しみから解放されるということがある。そしてどんな愛する家族の死であっても、長い時間が経てば、次第に悲しみの持続という、愛する家族の死において決意した習慣も消滅していく。そして習慣もまた実は何故そんなことを習慣化するのかといざ問われれば、正確に返答することが困難な「ただ何となくそうするのがいいと思えるから」としか答えられようのない説明が不毛に思えることの一部なのである。
 だから取り敢えずの納得が何故必要であるのかと言うと、それはそうしておいた方がどんどん先に論が進行することにおいて円滑であろうという目測(説明が不毛であると思えること)によるものである。しかしそれは習慣的な理解のステップであって、もっといい遣り方があるのなら、そちらに変更しても一向に構わないものなのである。
 しかし哲学上ではかなりその習慣化された思考経路に呪縛されることが多い。
 例えば哲学者は宗教家に対して「宗教とは救済という目的があるが、哲学にはそのような目的はない」とそう言うことだろう。しかしそれは違うのではないだろうか?
 ある意味ではアートも文学も宗教も科学も目的などというものなど一切ないと言ってもいい部分がある。確かに一面では宗教は死に対する恐怖を和らげてくれたりもするし、心の平静を保つというある種の目的性がないとも言えない。しかしそれを言うのなら、数学も問題を解くことで心の平静を保てるのなら、数学だって宗教と同様の目的があると言ってもよいだろうし、逆にどんなに優れた宗教家であっても自らの死への恐怖や不安を完全に克服していった者など殆どいなかっただろう。
 それにもかかわらず哲学者は往々にして哲学を特化するために「宗教には救済という目的があるが、哲学にはそのような目的はない」とそう言いたいのである。しかしそう言うとしたなら、その者は二流の哲学者なのではないだろうか?何故なら宗教の本質とは一体何かということがそう容易に外部から理解され得るのであれば、私たちにとって宗教などというものは必要ではないだろうからだ。
 それは哲学においても言えるし、科学やアートに関しても言えることである。この世の中にはまさに説明を不毛にするようなものの方が圧倒的に多く、例えば宗教でありかつ科学であったり、哲学でありかつアートであったりするものも多いと思う。
 しかし我々は取り敢えずの納得をするためによく確かめもしないである言説を理解した振りをするものである。つまり前節で述べたように「世界」とは実は決定ではないし、確定的ではなくその意味も在り方も常に変えている存在である。にもかかわらずそれを固定化された決定された全体として語彙化して「世界」と告げることをしなければ我々は何も伝えられない。そこで私たちは意味の流動性、世界の恒常的変化に一時目を瞑り不動のものとして、あるいは静止したものとして「世界」を捉えそう伝える。つまりこの言語行為上での語彙選択に既に私たちは取り敢えずの納得ということを自己の中の他者に追随して心的にしている。しかしそれだけではやはり物足りなくなるのである。そこで真理の究明ということが欲せられるのだ。その時意味伝達ということだけではなく体験ということがたちまち価値ある相貌の下に現出するのだ。
 ところで私はよく不幸が続く家族が何か悪いものが取り付いているかのように考え、お祓いして貰うという宗教的行為を決して否定するものではない(何故なら心の平穏をそれで取り戻せるのなら安いことだと思うからであるが)が、そうかと言って一切その因果論的なものの見方に科学的根拠などないと考えている。そしてそれは恐らく一生変わらないだろうと思う。つまりだからこそ何故人間がそんな愚かな考えをするのかに関心がある。
 それはある意味では取り敢えずの納得をすることを人間が常に求めているというところに根拠があるのではないかと考えている。
 例えば「世界」という語彙は、何らかの漠然とした自然や人間の力の及ばない霊力であると人間が感じたことを総体として理解した時出来た語彙ではないかと考えているが、それはある意味では「私にとっての世界」や「あなたにとっての世界」という個別性を一切無視している考えでもある。
 例えば今あなたが動いたとしよう。それはトイレに行くためにそれまで座っていた椅子から立ち上がったのだ。そして私が今動こうとしているとしよう。それは喉が渇いたから水を飲もうと思ってのことである。するとあなたの動く理由と私が動く理由は全く何の関係もない。
 しかしあなたの動きと私の動きを両方監視している者が仮にいたとして、その者が私とあなたの動きについて誰かに報告した場合、両方とも「あっ、二人とも動きました」とか言うことだろう。あるいは「あっ、二人とも立ち上がりました」とか言うだろう。つまり動詞さえもが、個々の個別性を一切無視して語彙化するために個々の事情を無視することで成立させているのである。
 つまり語彙を形成するということは言語発生論的には明らかに個々の個別性、差異を一切無視しなければ成立し得ないものなのだ。それは取り敢えずの納得をしないことには、「それ以上」問題や、関心や、究明そのものが先に進まないからなのである。
 しかし同時に一旦その取り敢えずの納得で理解出来た後にはただちに、我々は「ではそれはどうしてそうなったのか」と考え始める。そして取り敢えずの納得で得ていた理解の一部に矛盾があることなどに気づき言及し始めるのである。その矛盾に対して覚醒する際に重要となってくるのは、個々の成員において個人的に判断する自己経験に根差した判断である。「それはおかしい」とか「ちょっとニュアンスが違う」という判断を成立させるのは、個人的にある陳述に対してその合理性に対する懐疑を成立させる論理的思考である。しかしそれはある程度は個人を超えて誰しも同じようなものとして個人に付与されているが、たとえそのように同じような判断を誘引するものであっても、その判断に至るまでの経路は個人毎に全部異なるだろう。つまり真に理解するということは、真に意味を理解するということであるが、意味理解ということとは、端的に個人の経験・体験に依存しているのである。
 だからこそ語彙において「動いた」と私とあなたを監視している者が監視させている者に報告した場合、その司令官は「どんな風に」と尋ねることだろう。そこから私とあなたの動き自体の個別性が問われ、監視者は詳細に報告するために「なんか一人はトイレに行くためみたいです。そしてもう一人は水道の蛇口を捻っていますから水を飲みたかったみたいです」とそう言うだろう。
 つまり報告においては理解させるために報告者は必ず動きに目的や意図を説明する。形容したり、修飾したりすること自体が一つの理解を誘引するためになされるのだ。
 しかし私は次のようにも考えている。それは人類が果たして最初からそのようなコミュニケーションをしていたとは限らないという風にである。つまり国家が形成される以前に人類はあるいは語彙、例えば今挙げた例でいけば、動くということ一つをとっても、ある集団内において家長並びに集団の長や、その配偶者、あるいはその子供たちなどが一々別の、例えば家長が動くのなら「うごちる」、母が動くのなら「うごはる」、その子供たちが動くのなら「うごこる」という風にである。更に子供同士でも兄なら「うごあにる」、弟なら「うごおとる」という風に全て区別されていたとしても何ら不思議ではない。だが共同体が結集したり、国家が形成されたりするに至って初めて全てを「うごく」に統一していったという可能性は大いにあり得る。要するにそのように一切の個別性と個人的差異を無視して語彙化すること、つまり語彙形成における一般化の定着こそが共同体、国家の形成であったと考えることも自然ではないだろうか?
 しかしもし「うごちる」「うごはる」「うごこる」「うごあにる」「うごおとる」というように使い分けることが出来たのなら、少なくとも家族内では名前を呼び合う必要がない。だから必然的に言語発祥という観点から考えれば、名前がつけられる前にそのような動詞や名詞(尤もこれは所有とその時に使っている人との両方の区別が必要なので一層複雑になるが)による成員毎の使い分けがあったと考えることも理に適っている。しかしもし名前がないままで親族、親族以外の他人にまで言語行為をするとなると、使い分けするために膨大な数の動詞や名詞をその都度作らなくてはならない。それは極めて不合理である。そこで名前をつけるということが考えられた、という思考実験も強ち全く説得力がないわけではないだろう。この考えでいくと名前とは共同体、国家の形成と不可分な人類の発明であるということになる。
 尤もやはり最初に名前がつけられ、動詞も名詞も行為する成員、使用する成員に応じて変えるということなく、始めから一般化された語彙を使っていたと考えることが通常であることを承知で敢えて私は提言してみたのである。
 要するに各成員に固有の行為や所有・使用に対して一々動詞や名詞を使い分けることで取り敢えずの納得をしていたことから、成員に対して名前をつけてその自己同一性においてその者の行為や所有・使用を理解するということへの移行というのが私の思考実験的提言であるが、しかし移行した先の理解の方がこと行為性に関してはより個別性を無視した形になること、つまり成員が共同体内での同一性という社会性に縛られることが、逆にその者の存在を明確にはするが、その行為性においては一般化され得るという二律背反が私の本節において主張したいことなのである。

Thursday, June 10, 2010

<感情と意味>第三章 第八節 自己の中の他者

 「君は自分にもっと素直になれよ」と言うタイプの人には警戒しなくてはならない。何故ならそういう人には本当の自分というものがあるように信じているか、信じていないのならそのような自分を見出すことこそが正しいと教条的に信じているに違いないからである。しかし自分の中にそう問い掛ける別の自分が常にいるということは正しいだろう。だがそれは自分の中の他者であるよりは、自己の中の他者なのである。つまり「君は自分にもっと素直になれよ」とは自分に対してのみ言っていいことなのである。
 自分の中の他者を追い払うのは比較的たやすい。何故なら自分の中の他者とは真意では何かをしたいと思っているのに、その行為に付帯する障害故に躊躇している、つまりその行為を持続させるために払われるあらゆる努力や手続きを怠りたいと願う怠惰な心に根差しているからである。それは自分の中にある他人から見たらそんなトライアルは「格好が悪いよ」という保守的で怠惰な自分なのだから、自分の中の他者であると言ってよい。自分から見たら全ての他者は外見とか表面でしか分からないし、その分からなさが他者を信頼したり、信用したりすることのもとになっている。
 しかしもっと自分に素直にならなくてはという思いは、社会的な個ということから発生する義務感とか奉仕の感情とか対人関係的な展望であるとか、要するに素直になることによって自分の中の他者を追い払うこと、つまり怠惰であることをいけないと悟り、そのいけなさが常に付き纏うことを念頭に入れて、自己に対して批判的な眼差しを注ぐことを誘引するのだから、対自己的批評者の視点である。だから私はこれを自己の中の他者と呼んだのだ。
 私は前節において「自分の潜在意識という奴自体が既に他者や社会的掟からの規制という呪縛に随順している」と言ったし、「記憶の意味化とは外部からの強制に対する何らかの屈服である。つまり変わらなさを保持していなければ社会的体裁が悪いと無意識に感じ取ってしまっている」とも言った。このことをもっと詳細に考えてみたい。
 私は実は常にころころと自分の考えが変わっているし、その変わりやすさに対してある種の可能性さえ感じ取っている。しかし社会では一貫性とか主義主張といったものが尊いとされている。少なくともそのようにシンパ的に人は集合していることを皆知っているし、そのことに対する認知を私もまた持っている。そこで変わりやすさをあまり他人には容易には告白出来ないままでいる。つまり昨日決めたことでも今日覆されることは多くあるし、だからと言って一度立てた計画で頓挫したものはどこかではずっと覚えているものである。しかしその計画の頓挫自体は一々報告しなければ終わりよければ全てよしで片付くことも多い。そこで私は変わりやすさを他人に対して、対他的には隠蔽する習慣になっている。
 しかしこの変わりやすさは思い出に対しても適用される。一度こうであったと思い込んだなら、それがいかなる状況やいかなるその後の事情の変化においてでも、反省することを億劫に思うが故に、「あれはあれでよかったのだ」と思い込みたいものであるが、ある意味ではそういう思いが障害になることもあり、逆に「もっとこうすべきであった」とか「あれはするべきではなかった」と思い失敗を素直に認めることも必要である。つまり変わりやすさを隠すこと自体が既に変わり難さにおいて社会的自己同一性という社会や他者が自己に押し着せる強制的な友愛を意識してのことであるに過ぎない。だから私が記憶の意味化を否定的に前節において扱ったのは、実は意味の固定化に対してなのである。意味が流動化することを承認しさえすればそれはそれで一向に常に意味を書き換えることを潔しとして、その都度意味づけすることを躊躇しないわけだから別段どうということはない。
 つまり首尾一貫しなさを常に意識していることだけを一貫させていることが、対他的にも対自的にも反省しやすく、あるいは展望を持ちやすくすると私は考えるのだ。だから前節の最終部で私が「「今のようではなかったかも知れない現在」を常に私は想定することが出来る。その今のようではなかったという想定こそが、希望・願望・目的・意図を作る」と言ったことは正しいと確信している。
 何故なら今のようではなかったかも知れないという想定自体が自己の中の可能性を信じているからである。これは安易な他律的自分ではなく、もっと端的に冷厳な観察力を持つ対自的批評家を自己の中に巣食わせることを意味する。可能性は諦めることからではなく、無謀に試みることから始まる。
 中島義道は「英語コンプレックス 脱出」において若い頃語学の家庭教師や予備校教師を自分ではそこそこでしかない実力と知っていながらも自分の語学力以上のトライアルを率先して実践したことによって打開してきたことを告白している。しかも日本の英語教育におけるネイティヴは絶対に使わないような表現の英語を試験問題に出すことに対しても、それを外国語一般に対する適正チェックとして有用性を認める。つまり氏は日本人の教師が教えやすい外国語学習の生徒の適性チェックと見做しているのだろう。これはある意味では竹中平蔵の「マトリクス勉強法」における二十代の頃に率先してしたエリートたちなら絶対経験しないであろう雑用的な仕事が三十代以上になっていった時に役立ったという話しとどこか共通する。困難さに立ち向かうという前向きさでも共通性がある。要するにこの二人に共通した実務性というものは、一冊の本を「読み物」として理解した時に立ち現れる説明原理というものの存在を想起させそれがここで問題になってくる。
 これらは対自己批評性を持つこと、つまり自己の中の他者によって、一旦認めてしまった変わりやすさを逆利用することである。変わらないということを他者に触れ込むことで自己を閉塞状況に陥らせるくらいなら、いっそ最初から私には一貫性などないと公言していた方がずっと責任倫理にも適っている。ころころ変わるということの内には一定の必然性が常にあるのである。関心もそうであるし、主義もそうであるし、信条もそうである。もし一回もそういうことで変わらないままで来ている人がいたのなら、そちらの方に寧ろ問題がある(それは寧ろ狂人である)。
 私たちは世界や個、宇宙といったものを限界としては知らない。私という個でさえある意味では死ぬまでどんどん変わるし、能力の全体を確定的に説明することが出来ない。私は私に対してさえ知らない部分を多く持つ。また新たな知識が常に付け加わるし、忘れたこともある。だから全ての枠組みは本来ファジーである。これについては既に述べた。しかし考えの上でそれらを一旦確定的なもの、固定化された何か明確なものとして扱うということも私たちは自然な思惟のプロセスとしている。
 つまり意味は本来流動的なものであるが、同時に極めてその都度においては確定的なものである。つまり流動、あるいはこう言ってよければ進化上での変化を持ちながらも、それを言語化して、他者に伝える時私たちは明らかに確定的で、明確に枠組みを設けて語っている。
 つまり私が一貫性などないという責任の明示とは、そうすることで確定的な責任を必要以上に自分以外の他者に対して幻想させないように、つまり不確定な事態をも考慮に入れた考えである。しかしそう言いながら私たちは、限定的には常に固定化された価値を捉え、「ここまでなら出来る」と明示する。つまり限定的な責任の明示自体が既に私たちが世界を常にファジーに限界を捉え、その限界を明確なものにする欺瞞的な認識を取り敢えず常に採用していることを習慣化していることを示している。
 それら全ての現実は一重に言語自体の持つ説明原理に帰着する。つまりこの言語的説明原理こそが自己の中の他者であると言っていいかも知れない。明らかに自己ということを考えると、説明に納得する己と、そうではなく説明が不毛であると感じる己がいるように少なくとも私には感じられる。そしてその二つは常に拮抗し合っていて、双方とも必要であるどころか、無くてはならないもののように思われる。説明が不毛であるもののことをクオリアとか意識と呼ぶことはたやすい。しかしやはりそれらの語彙によって示されるものだけではないような気が私にはするのである。
 何故ならそれらはどこかで自己の中の他者に対しても何かを常に語りかけているように思われるからだ。つまりそれらは決して説明原理にそっぽを向いているわけではない。つまり「それは言葉では言い尽くせない」ということからも、そう言うのは実は言葉ではなく説明に納得しない己なのである。

 卑屈ということも同じことが言える。政治家は信用という二文字によって政治活動が可能となる職業である。その時その都度の発言自体が有効であるよりは、確固たる実績と信用だけがその政治家の発言を説得力あるものにするか否かを決する。と言うのも私たちは彼等の発言だけでなく実績自体を注視しているからだ。信用とはただ単に習慣の問題なのである。それと同じことが先に示した通年男性をいびる老人の卑屈にも言える。
 さて卑屈とは一体何か?それは端的に自らのコンプレックスを感じているのにもかかわらず、そのコンプレックスを意識することが多大な意識の変革を要することを知っているから、保守的な自分、つまり自分の中の他者に他律的に忠実であるわけである。彼(自分の中の他者)は彼自身にこう教える。つまり相手は才能も力量もあるし、端的に自分などより将来の可能性は十分にある。しかしお前には大勢の知人がいるし、人的ネットワークも豊富だ、何より彼よりもずっと長く生きてきたじゃないか、彼など少し皆の前で恥をかかせるようなことをさりげなく、しかも周囲の人にはあまり気づかれずに、彼本人にだけ敏感に察知されるように侮蔑的な一言を浴びせかけてやればいい、それくらいの権利くらいならお前にもある、それがお前の威厳である、とここで彼は端的に卑屈を背負い込むのである。それをしなければ済む心が、一層それをすることによって逆に自分の将来のなさを自分の内部で露呈するからである。それでも卑屈を背負い込むことの方がやはり彼にとっては楽なのである。だからいつの間にか習慣化するのだ。やめておけばよいものを説明だけでは不毛である生理的直観が「そっちの方が楽だ」とそう言うのである。
 実はこれらのマイナスの感情も、赤いバラを見て感動するクオリア的な感受とそう変わらないものなのだ。何故ならそれらは一括して説明し得ないものであるからだ。説明が不毛であるということに関しては「じれったい」とか「まどろっこしい」とか「もどかしい」とか「うんざりだ」とかもそうである。それらは説明原理を常に跳ね除ける。
 しかしそれらだけでも持続し得ない。私たちはそれらの感情を暫く抱くと痛烈に心が消耗するのを感じる。そこで歯切れがよい説明原理を求める。いらいらした時案外数学の問題を解くと心がすっきりすることがある。
 勿論黄色いヒマワリを見て綺麗だと感じる心は説明し得ないけれども、自分の中の他者ではないだろう。卑屈や怠惰や横柄とは端的に私が示した定義からすれば確かに自分の中の他者である。しかし色彩的なクオリアや食べ物に感じる味覚のクオリアといったものたちは、自分の中の幸福の他者かも知れない。しかし意外とそれらが「まずい」とか「汚い」という感受と隣り合わせであることも事実である。大らかであり、前向きであり、豪放磊落であるということと、卑屈であり偏狭であることなどは隣り合っている。
 これはどうしてなのだろう?
 つまりこう考えればよい。私たちはあまりにも言葉を絶することとは、感動においてもそうだし、不愉快であることにおいてもそうである。しかし感動は何とか言葉に言い表そうとするが、不愉快は出来る限り早く忘れたいと願う。そこには自分の中の他者が「早くもっとお前にとっての快を取り戻せ」と囁くからだ。しかし前者の感動はそれを言葉の美に置換することに価値があるように思う。その時私たちは幾分言葉を美化している。そして自己の中の他者とは端的に知性的な我である。そして自分の中の他者は自我的な我であるから、出来る限り自己防衛に余念が無いので楽をしようとする。この二つは常に隣接しているからこそ、バランスが取れていくのである。だからこそ逆にどんなに和やかな雰囲気でも一瞬にして崩れるということもあり得るわけだ。
 私は取り敢えず自己と言う時物差し的基準や規範意識を持つ知性的なものと考え、逆に自分と言う時感情的な流れに自然であるようなものを考えることにしたい。

Sunday, June 6, 2010

<感情と意味>第三章 第七節 意味と記憶

 意識は通常哲学や脳科学では人間だけしか持っていないと捉えられている。それは意識が何かについて考えたり、意図したり、志向したりしているだけではなく人間がそれをしているのが「私」であるという風に自分自身を自己対象化し得ていると捉えるからである。我々はこのことを通常メタ認知と呼んでいる。しかし意識至上主義的な捉え方に陥りやすいのもまた人間である。
 私たちは誰かから肩や肘を後ろからそっと叩かれたなら一々その誰かからの行為の意味を考える暇もなく振り返るだろう。この時意図的にそうしているのではなく意識的にそうしているのでもない。しかしそうされた一瞬後、私の肩を叩いたのが友人であったなら、その友人による私への行為を即刻意味づけしようとするだろう。つまり肩に触れられて振り返る行動を誘引するのは学習記憶的なもの、あるいは経験的記憶による。つまり身体記憶とか、習慣的所作の記憶による。ここで意味に対して経験と記憶と習慣という事柄が大きく関わっていることが分かる。意味自体は反省的意識の下で理解され得るが、即刻何かを判断したり、身体的所作に移行したり出来るのは明らかに経験的記憶が大きく介入しているし、また意味記憶的な面でも所作自体を容易に行動せしめるように動員されている可能性が大きい。つまり身体的所作や表情、仕草といったもの全部が一定の意味連関に組み込まれていて、それが条件反射的な身体記憶と結びついていてある行動へと移行させるのだ、と言い得るのであろう。
 つまり意味とはその都度理解されたり、記憶されたり、解釈されたり、把握されたりしながら、同時に記憶において収納されている意味が引き出されてもいるのだ。
 意識というものに対するこの種の人間の固有性というものの見方は、ある部分では人間存在に対する特化という逃れようもないメタ知性レヴェルに対する踏み絵的認識になっている。つまり人間を動物と同じであると捉えることが、「敢えてそう捉える」という風に理解することなくして、本当に心底そう思っているのなら、そういうタイプの成員は人間社会の惨敗者であると見做す不文律である。私の父はこんな俳句を残している。「貧しきオーバ最も鳩を集めいる」
 ここに本当は全く尊敬もしていないのに、相手があまり知的レヴェルも優れていず、しかしあまり幸福そうではないと思える老人を相手にかつての栄光に対する思い出だけに浸っていることを気の毒に思って接する働き盛りの中年男性がいるとしよう。彼は彼が憐れに思う老人に対して敬意を示す態度を相手に対して気の毒に思うので常に示しているので、相手の老人はその配慮に対して気づきもせずに、本当に自分を尊敬してくれていると勘違いして、段々中年男性に対して横暴な態度に出るとしよう。すると相手に対する憐憫から尊重した態度で接しているのに、そのことに甘えて親しき仲にも礼儀ありの謂いをすっかり忘れた老人は、その自分への老人からの態度が苦痛になって段々自分から遠のいていく中年男性に対してあろうことか懐かしさを抱くようになる。しかしその懐かしさは本当に自分から努力して勝ち得た相手からの尊敬心ではないということを気づいていないだけその老人は益々中年男性から見れば憐憫の対象になる。憐憫自体は知的レヴェルの水準が高い人からすればニーチェの考えではないが、忌避すべき感情なのだ。しかしこの老人はそれに気づかない。だがこの老人が働き盛りの中年男性に対して横暴であるのは、どこかで自分から彼への嫉妬感情があることを薄々知っていながらも、彼は寧ろ自分はそれだけ長く生きて来たのだからそれくらいする権利があると思い込んでしまう。あるいは思い込もうとする(その二つに境界はない)。
 つまり自分で自分がしたことに気づいていないということに最大の不幸があるのである。自分が周囲から愛されていないのに愛されていると勘違いすることくらい不幸なことはない。それを不幸と言うのなら、命を狙われる殺し屋や、ギャングのボス、あるいは借金取りから逃れ夜逃げをする家族でさえそんなに不幸ではない。何故ならそれだけ必死に苦境からその場凌ぎに逃れようとし、辛い状況を忌避しようと必死になって脳を回転させているからである。つまり自分が相手に知らず知らずの内に傷づけていることに気づかないという本質的な差別の起源に対して無頓着であることこそが最大の無知であり、この最大の無知に対して反省することさえなく、それどころか差別してきた相手を懐かしむということこそ人間最大の罪である。そしてその罪に対して無知であることこそが最大の不幸であり、自分が不幸であるとに気づかないことこそが最大の不幸であることの理由である。だから逆に自分の苦境や孤独に対して自覚的であるということはこの不幸に比べれば然程不幸ではないとさえ言えるのである。
 つまりだからこそどんなに愛しているペットに対しても、そこに人間と同等の魂を認めようとすることにあまり躍起になっていると、惨敗者であり、要するに今挙げた例の老人のような憐憫の対象と化してしまうのである。それが特に欧米社会の不文律であると言ってよい。ノブレス・オブリッジ的な冷たさがそこにはあると私たち日本人には思えてしまう。
 日本人はそこを曖昧化するところがある。要するに結論を保留しようとするのである。しかしその実本当は人間が動物と同等であるとも思っていない。端的にそう断言すると動物が可愛そうであるとそう思うのである。しかしこれは欧米社会的倫理からすれば気休めでしかなく責任を見ようとしない安っぽい感傷であると見做される。それは動物愛護の精神とは本質的に違うものなのだ。
 かつて支配階級と呼ばれた歴史上での豪傑たちや、革命を起こして支配を獲得しようと躍起になっていた人たちに共通する性質とは、支配そのものが土着に根差していたということである。つまり土地を巡る覇権や領有権とは端的に所有を正当化するために必要な土着を価値とした支配に対する美徳という観念がある。つまり支配者は被支配者から恐れられるだけでは不十分なのである。支配者は被支配者から適度には恐れられる必要が確かにあるが、それ以上に羨望の目で見られる必要があるのである。そしてある土地を巡ってその土地に対する領有権があるという事実自体が被領有者によって羨望の眼差しで見られる、つまり価値的に容認されることによって初めて支配は構造的に確立するのだ。もし土地を支配する者がいたとしてもその事実に価値的に何ら羨望を抱かない人しか周囲にいなければ支配は成立しない。
 あるいは支配者は被支配者から憧れられることによって初めて支配する者の特権を精神的に享受することが出来る。物質的、物理的に支配するだけでは不十分なのである。支配権力とは端的に精神的に被支配階級から尊崇の対象となる必要があるし、偶像的に憧憬の対象とならなければならないのである。このことは現代社会においても全く変わらない。
 マルキシズムにおいて疎外ということや剰余ということが言われるのは、端的にこの被支配者自身が支配自体を価値として捉えることを自然なものとして受容させることと、彼等から眼差される愛着を獲得することそのものの喪失と、喪失後の新しい付加価値を必要としていくプロセスにおいてである。つまり土着であることに対する執心自体に対する憐憫がグローバリズムを正当化する論理にはある。これは土着的支配、つまりナショナリティーや民族性、自民族中心主義からすれば新しい偶像である。しかし私がここで言っている偶像とは決してグローバリズムを否定するニュアンスからのものではない。それどころかこれからの世界は益々グローバリズムに推進していく必要があると考えるのだ。だから逆に土地への愛着という土着主義的支配とは端的に常に偶像崇拝的な盲腸として部分的なものに留まり続けるであろう。つまり実体としては経済に関しても、政治に関してもドメスティックな愛着とは日本人が密かに満州国に対して郷愁を抱くような意味でのノスタルジーに留まるだろう。しかしそれは労働意欲とか生産的な起爆剤としては今後も大きな存在であり続けるだろう。つまりオリンピックやWBCで自国の選手を応援するような意味でである。
 だからここで偶像には二種類あると言っておかなければならない。つまり本質的な偶像、つまり絶対的に私自身の能力から自由であるということ、絶対的にその領域は自分の手に余ること(つまり責任を取れないということ)、つまりそれがあることは知っているが、その内実を知るにはあまりにも自己の卑小さを知る以外ないということにおいて立ち上がる他者としての偶像と、そうではなくあまり本質的でも重要で不可欠でもないけれど、それがないと寂しいと思えるから、ないよりはやはり絶対にあった方がいいようなタイプの他者、つまり先ほどの働き盛りの中年男性から憐憫をかけられる過去の栄光の余韻に浸るだけの老人にとって自分に対して敬意を示してくれるから態のよい気休め的な意味で自分より若い中年男性をペット化していることに満喫出来る、自分はその者を嘲笑の対象であると思えるけれど、そう思う相手からはその実憐憫をかけられていてそのことに気づきもしない(と言うことは嘲笑の対象ともなっている)老人にとっての中年男性の存在理由のようなものである。
 勿論それほどネガティヴな意味でだけ気休め的なことがあり得るわけではない。当然選好性ということは常に権利上なくてはならない。人生はそれ自体楽しくなければ意味がないとも言えるからだ。理念だけで人生を生きることは出来ない。
 しかしそのことが逆に理念型とマックス・ヴェーバーが呼んだ生き方が存在し得る理由でもある。何故そういう生き方が存在し得るか?
 答えは簡単である。私たちは案外この権利上での選好性と例の老人の二度童的な我儘との間の区別がなかなか自分ではつかないからなのである。またそれは老人に対して言えるだけではなく権力者に対してもそうなのである。権力者とは誰も彼に提言したり、批判したりすることが出来ないということが、同一の権力中枢においては命令系統上発生してしまうからだ。権力者に対する批判とは端的に権力を保持していない成員からのみ成立するのだ。そこにも無知であることの能力が発揮されている。憐れな老人に屈託がないのは、端的に自己対象化することに対して老化しているからである。だからそれを二度童と呼ぶのである。だから権力の全くない人が権力者を攻撃したり批判したりすることはある意味では微笑ましいとされることにおいて既に無知であることと、自己の不幸を不幸であると思わないということにおいて憐憫の対象となるべき資格があるのだ。これらも全て意味と記憶のなせる技である。
 何故なら権力に対する記憶のない者は、権力を保持したことのある者に固有の他者に対する思い遣りが皆無だからである。端的に子供には思い遣りなどない。つまり権力のない者にとって権力を保持したことの意味を理解することが出来ず、真理的なことしか思い浮かばないのだ。真理とか原理とは少なくとも人間社会では「そうはいかないことが多い」からこそ真理であり原理なのであり、意味的に他者に対して思い遣りが持てるということは、他者が立たされている立場や事情を記憶として呼び覚まさせることが自己内で出来るということを意味しているからである。
 だからこそ一度は敗者を経験することも必要だし、一度は権力を持ち勝者になることも必要なのである。勝者しか経験していなかったり、敗者しか経験していなかったりするということは意味と記憶が繋がらず、意味は記憶のない状態でただ観念的な判断にしか終始しないままでいるということを意味するのだ。
 意味が観念的な判断で終始するということは認知レヴェルで意味を判断しているからだ。意味は本来情動的に理解する段になって初めて意味の持つ真理、それは先ほどのように否定的な意味ではなく実利的にも、価値的にも全てに適用し得るイデアとしてだが、その真理を持つのだ。よく言う骨身に沁みてそう思ったとはそういうことだ。

 過去は確かに変わらない。ある時点での過去の出来事はどんなに時間がたってもそれ自体は変わらないとそう人は言う。しかし私たち自身が変わっているのだから、変わるこちら側に合わせて向こう側も変わらないのであれば、変わらないあの時の出来事は時間が経つに連れ、変わっていく筈である。しかしにもかかわらず変わらないように思えるのは、そういう風に変わらないように思おうと常に我々が過去に対して身構えているからである。
 過去に対して身構える必要があるのは、実は常に変わりつつあり、一時も同じ自分ではいないということを忘れたいがために我々は「変わらない自分」を想定しつつ、その想定の中で「変わらない過去」を捏造し続けているからである。だから二十年経っても色褪せないとか、これから何十年経っても恐らくそれは変わらないなどと言うのである。
 では「変わらない自分」とは一体何か?それは自己同一性に当て嵌めて、刻々と変わりつつある自分を「変わらない自分」に仕立て上げることを怠らない想定である。それを私は社会性として考えている。つまり自己を同一のものとして対他的に身構えているということ、つまり「いつも変わりない彼(女)」というポーズである。そのポーズは自分の内奥にある考えとか、自分の潜在意識という奴自体が既に他者や社会的掟からの規制という呪縛に随順しているということを意味している。
 つまり記憶は過去の変わりなさを「変わらない自分」という想定の視界からしか見ないようにする。記憶自体が常に皮が剥けるように更新されているのだ。それが過去の意味の一元化、つまり過去を一切変わらないものとして扱う一つの大きな記憶の作為、つまり記憶の意味化である。記憶の意味化とは外部からの強制に対する何らかの屈服である。つまり変わらなさを保持していなければ社会的体裁が悪いと無意識に感じ取ってしまっているのである。
 それは過去というものが他者に対して、とりわけ歴史的人物などに対してフィクションの世界では「そうであったかも知れない」という死者の無言を利用した捏造が容易なように責任転嫁的な偶像としていることと関係がある。自分だけが何よりも誰よりも責任を負わなくてはならないということを誰でもよく知っている。だからこそ責任の呪縛から一時でも意識上で逃れようと責任のオブセッションに対して過去とか過去の人物の行動ということに対して想定すること、つまり過去を記述対象とすることによって、現在、あるいは現在ここにいる自分に対する記述をしないように、少なくとも「現在自分」を記述する重苦しさから逃れようと無意識に画策しているのである。
 それは何故か?
 答えは簡単である。我々はいつか死ぬことを知っているし、それは刻々近づいているからである。死が徐々に遠のくような成員はこの世界には一人もいない。
 過去は少なくとも自分にとっては記憶の中にしかいない。だからこそ記述するのにはうってつけの素材である。しかし記述とは常に現在においてするべきものである。今日は明日のためにあると考えることをするべきだ。しかし脳科学で判明する脳の作用において未来に対する思念が過去に対する思念に近いような意味で、過去を記述することで未来に役立てようとするのも人間の通常の心理である。
 私たちは過去だけは記憶と意味が一致しているように思えるのだ。しかし本当は違う。記憶と意味は常に一致していない。記憶したことの中から都合のよいものをピックアップしなければ意味は捻出され得ないからだ。そして記憶と意味が何よりも一致しないのは現在である。それはそうである。何故なら現在とは未だ過去ではないから、記憶の上での意味が貼り付けられないままであるからである。そして記憶の上での意味と全く一致しない現在はそれが過去になっていった時初めて意味を付与され、記述対象と化すわけだ。
 しかし未来だけが、今現在存在し得ないからこそ、ある意味では記憶と意味が一致しているのかも知れない。何故なら未だないということは常にどの過去においても現在においても同じであったからだ。
 しかし一年前の未来とはその一年後の現実がそっくり抜け落ちている。だから一年後になった今になってみれば一年前の未来とは一年間だけは確定的であった筈だと言いたくなるが、そうでなないだろう。その時は私たちにとって一年後がどうなるか知れたものではなかったのだ。その知れたものではないということこそがその一年間私たちが意志を持って生きてきたということの証拠である。どんな自由であれ、過ぎ去ってしまえばそれは自由ではなくなる。過去は変えられないからである。一年間私は必死に生きてきた。しかしその時の感じた達成感や自由は、今となっては過去における記述対象であり、評価対象でしかない。しかし「今のようではなかったかも知れない現在」を常に私は想定することが出来る。その今のようではなかったという想定こそが、希望・願望・目的・意図を作ると言ってもよい。

Thursday, June 3, 2010

<感情と意味>第三章 第六節 他者・偶像と責任

 私たちは他者に取り囲まれている。私とあなたがいれば、私とあなたにとってそれ以外の他者は、特定の個人を指示しない限り,他者一般、他者全般となり、それは茫漠とした存在なので、必然的に偶像化し得る。しかし一方あなたもまた私にとっては私にとっての知人で友人である谷口一平は確かに私が氏の才能をよく知る者であり、素晴らしい短歌を作り、小説も書く。そして何より哲学を深く理解している。しかし私は氏の母方を存じ上げないし、氏を知った時氏は既に大人だったので、子供時代も知らない。そういう意味では私は私が知る範囲内で氏の存在に対して責任を負えるが、全部に対してではない。つまりどのように親しい他者、たとえ肉親であれ全てに対して了解という意味では責任を負えないのである。社会的に例えば私が私の息子に対して責任を持つと言っても、それは私によるパフォマティヴなだけであり、全的に責任を負うことは事実上不可能なのである。
 私は一応知っているが、よくは知らないことを多く持つし、それ以外にもないかも知れないけれど、あるかも知れないとどうしても思えることをも多く持つ。それはあるかないか未だ確認出来ていないものである。またあると知っているけれど見たことのない多くのものを持つ。それら一切は端的に想像するしかないから、必然的に偶像と言ってよい。
 つまり私が谷口氏への返信で述べたように私はほんの微々たる私が知り且つ責任を負えること以外は、残り全部、そしてそちらの方が私をも部分とする「世界」においては大半であるが、私にとっては殆ど無意味なものである偶像に取り囲まれている。私はそれらのほんの一部を残りの私の人生において知り得るし、知りたいと願うし、馴染みたいし、慣れたいし、親しくなりたいと願う。それが私が願望を持ち、希望を持ち、好奇心を持ち、思考し、予想し、推察するということだ。つまり私はそれが正確にそうではないかも知れないが、概ねこういうものであろうという予想を持つことが出来る。それは予想し得るということにおいて親しみがあるものであるに違いない。
 他者の心は如何に私にとって親友であれ、終ぞ正確には知り得ないが、私が別のそれほど親しくない他者から、彼(女)のことを尋ねられたのなら、「素晴らしい人です」とそう返答するであろうという意味では、私が彼(女)に関して知り得る範囲内で責任を持つことが出来るが、私は彼らが半年後までの間に一切風邪を引かないとまでは責任を負えない。その意味では全ての他者は私にとって限定的に偶像である。つまり親しさの度合いに応じて実像の度合いが増すというだけのことである。しかしここが重要であるが私が認める存在は、少なくとも私の内的世界においては虚像ではない。勿論百メートル先のホームの端に私は幻影的な他者であるかのような虚像を見ることというのはあり得るので、確かに百パーセントではないだろう。しかし私はそれでもそこに他者がいると確認し得るという意味ではそれらは一切虚像ではない。ただ完全にその他者の内実を知らない以上やはり彼もまた偶像の一部でもある。つまり存在し得るという意味では実像であるが、存在の意味を知らないという意味では偶像である。

 少し話しを脱線指せて、しかし同時に何らかの偶像としての他者、他者に対しての偶像とは何かを考える契機としよう。
 アートとデザインの関係は常に微妙なものであった。確かに19世紀までは多くがデザインはアートの反逆精神に対して、一定の商業資本主義のルールに則ったものだった。装丁しかり、服飾しかり、プロダクト然りである。しかし20世紀中盤(尤もその萌芽は例えばバウハウスやアール・ヌーボーやアール・デコにあったのだが)になって様相は一変する。要するにデザイン自体が主張するようになっていったのである。アートは一方で額縁などの登場によって印象派以降確実にサロンを獲得し、一般市民によっても絵画が購入出来るようになっていった。そのことを助長したのがアート・ディーラー(画商)たちである。そしてブルジョア絵画が定着していったが、他方アートには常に反逆者の精神で闊歩する一群のアーティストたちがいたので、そのムーヴメントが例えば表現主義とか象徴主義とかフォービズムとかキュービズムといったスタイル上、表現理念上の革新的なトライアルが続き、後にダダイスムやシュールレリスム、そして戦後抽象表現主義やポップアートやミニマルアート、コンセプチュアルアートといった潮流が席巻した。しかしその際に起爆剤になったものの多くは商業デザインの領域での様式等だった。勿論そこにはバウハウスやアール・ヌーボーやアール・デコといった様式が先鞭をつけたという側面も忘れてはならないが、要するに大衆のニーズに沿ったモード自体がアートに反映し始めたのだ。そしてデザイナーとアーティストの境界も曖昧化していき、アート然としたものの方がニッチマーケットに堕して行った。つまり大衆にとって神秘化された偶像は最早デザインを反映したものの方であり、アート固有の一点性(作品が一作だけであるということ、つまり複製性がゼロということ)が障害となって立ちはだかるのである。
 つまりアートにとって隣人であり他者であったデザインは既に19世紀後半には端的にアート自体に侵入してきて、次第に様式的な差異はどうでもよくなっていったし、事実デザイナーがアーティストと名乗ることの方が多くなっていった。つまり他者としてのデザインの偶像性はアートのドメインでは既に無価値なものとなっていったのである。そしてそれと同時に大衆にとっては寧ろデザイン的な発想やモードの方がずっと偶像化された、要するにその正体がよく知られないがために好奇をそそるものとなっていったのである。その内実を知っていたのはプロフェッショナルなアーティストやデザイナーたちだけだったというわけだ。寧ろ彼等にとっては大衆のニーズの方が偶像であったことだろう。常に生き馬の目を抜くような過当競争という現実に遂にアーティストたちさえ晒されたのだ。
 要するにアートにとっての他者内偶像性が実像に取って代わり、そのトレードオフとして大衆の欲求はかつて印象派の画家たちに対して抱いた憧れを、寧ろナビ派とかエコール・ド・パリといった一群の人たちはアーティストとして積極的にデザインにかかわったが、彼等に注いだ。ロートレック(彼は世代的には後期印象派くらいであるが)、ミュシャ、ビアズリー、シャガール、フジタといった人たちがそうである。ムンクやピカソも積極的にデザインに関わっているし、デザイナー出身のアーティストとしては戦後世代ではアンディー・ウォーホールやロイ・リキテンシュタイン等が代表である。三宅一生は「20世紀は紛れもなくデザインの時代だった」とかつてアート紹介番組で述べていた。
 ここにはアートがかつて宮廷お抱え画家たちが跋扈した時代に、彼等の生活自体が宮廷から宮廷への放浪であったことから、風景画などを描き始め、次第に宮廷から遠ざかっていったことの内にあるアーティストの内部のアンチ・ヒーロー志向が次第に今度は商業資本主義自体のヒーロー志向に取り込まれていったということを示している。そして現代では寧ろアーティスト以上に評論家や文学者の方がよりアンチ・ヒーロー志向(アウトローといってもいいが)へ転換を余儀なくされている。
 尤も本質的にヒーローに一切なる気のない非商業資本主義的アーティストも常に共存しているのだが。しかし私は一応それで生計を立てている人のことをアーティストと呼んでいるのだ。つまり生計を立てているということ自体も、ヒモとして文学者であると自称して生活している人のことも含むのかと問われれば返答に窮してしまうのだが、要するにプロフェッショナルと言えばよいだろうか?勿論セザンヌもゴッホもそういう意味ではプロフェッショナルではあったものの、生計を絵画で十分成立させていたかと言えば、セザンヌはかなり資産が予めあったからよかったし、ゴッホは弟テオからの援助があったからこそ絵画を続けていくことが出来たのであるが、それでも後世においては、他のその当時売れていたどの画家よりも歴史的に残っている。つまり趣味で絵を描いている人は仮にそういう仕方でアートに関わることが仮に自分では一番尊いと考えていたとしても、それをプロフェッショナルとは呼べないということである。

 話を戻そう。私たちは他者に取り囲まれて生活している。しかし他者を他者として認識するためには予め確かに我々の中に他者を他者として意思疎通し合える相手であると認識する能力が備わっていなければならないだろう。つまりリゾラッティーらによるミラーニューロンの発見という事実からもよく理解出来るが、他者を他者として認識し得る能力こそが意味を発生させていると考えても間違いではないだろう。それに関して前節の付記において示した谷口氏との送受信の遣り取りの後で私は氏に追伸を補足的に送信したのでそれをそのまま掲載しておこう。

追伸
 谷口一平さま

 昨日送信した返信メール中において不分明な箇所があったので、追伸として示します。

>ぼくの立場としては、もちろん「意味」が先にあって、それが「あなた」を作り出すという考えです。

 あなたのこの考えは、「意味を把握する能力」が先にあってそれが「あなた」を作り出すというのなら分かります。しかし意味それ自体はやはり関係認識や差異認識があって、然る後、個別のケースに対する判断で理解する、納得すると考えるのが私は自然であると考えます。私は関係(これが差異も理解させる)が先に悟性的に理解され、然る後その関係把握から意味理解に進むと考えます。しかしあなたの主張の通り、意味理解とか意味把握能力は予め備わっていなければ、関係から意味へと理解することは出来ませんね。
 例えばペットの動物は犬とか猫とかそれぞれ固有の把握の傾向がありますが、飼い主の中で誰が一番偉いかということに対して判断が出来ます。私の家族が飼っていたある猫は私の母を一番偉いと思っていました。それは一つの意味理解です。しかし動物は言語がありませんから、意味を「意味」として理解すること、つまり概念的に把握することは出来ないということになります。しかし少なくとも彼等も関係を理解することは出来ますし、そこから意味を理解することも出来ます。しかし動物は言語を持ちませんから、意味といっても感情と不可分なものでしょう。つまり人間の場合意味は最初(理解レヴェル)では感情も同伴されますが、それを概念把握として感情から切り離すことも出来るというわけです。

>死者とは責任転嫁を逃れた存在ですが、私が責任転嫁し得る存在であるのではないでしょうかね?

私がこう言った理由はこうです。つまり死者は確かにあなたの仰るように死者本人の側から言えば全ての他者からの責任転嫁を逃れます。しかし同時に「死人に口なし」ですから、知られざる過去を幾らでも他者の側から捏造され得ます。ですから歴史作家によって例えば織田信長も、豊臣秀吉も皆ある程度虚構的に捏造されていますよね。そういう意味では皆が過去とはそこに戻って確かめようがないので、勝手に自分の責任逃れのために死者に責任を押し付けることは可能です、そういう意味で言ったのです。

河口ミカル

 谷口氏の主張する意味の二人称に対する優先は、私の解釈では意味把握ということの能力である。従って意味理解というものは意味把握能力という身体的能力、脳作用の付与によって得られる。それは形而下的解釈だが、それ以上それを形而上的に捉えたい誘惑を抑える必要があるように私には思われる。つまり自由意志とはでは一体というような論議は不毛である、と。何故なら私たちは既に脳科学とか自然科学認識自体も一つの選択肢として獲得しているのであり、私たちは私たち自身を生存機械であると捉えることをも自由意志の範疇で可能なのであり、それでは自由意志は成立しないという論議自体が、既に形而上的な優位を前提していると思われるからである。
 最早形而上学的優位において自由意志優先であるとか、形而下的認識の肥大化というような論議は不毛であると私は考える。ある時には形而上的認識を優先する必要があるし、別の観点からはあくまで形而下的に認識する必要があると考える。
 だからここで結論的に言うと、他者を他者として認識し得る能力は悟性的に差異を認識する能力とミラーニューロンによる作用の両方が同時に展開していると考えればよい。そしてそれは意味把握能力の発現である。しかし意味自体はやはり納得とか理解を通してでなければなされないので、他者を他者として把握しその存在理由を理解することを通して意味に到達するとしてよいのではないか?つまり私の言いたい意味とは、存在理由のことであり、その時々の状況把握と密接なものとしてなのである。意味体系とか意味連関ということにおいてであれば谷口氏の主張されるような<意味把握能力=二人称に対して先験>と考えればよいだろう。 
 ここで明確化しておく必要があるが、偶像と私が呼ぶものは、端的に想像することによってでっち上げるその像のことなのである。私たちの脳は理解出来ないことに直面すると、理解出来ることの仕方で何とか折り合いをつけようとするわけだから、どうしても知らないこととか親しくないことの内容も、そのままにはしておけず固有の像を作り出そうとするということである。つまり知っていることや親しみのあることを通してそうではない知らないことや親しみがないことに対してそれなりに理解しておこうとするということだ。だからそれは誤解や曲解の場合も往々にしてある。要するに脳は知らないことや親しみの持てないことをうっちゃっておくことがなかなか出来ないのだ。
 そのことはカプグラ症候群においても立証済みである。彼等疾患者はある人の顔を自分の母親と知っていても、それは違う人が成り代わっているのではないかと考えてしまう(ものに対してもそう考えてしまう)。それは何らかの脳部位障害により、あるものを「そうだ」と認めることと、あるものを「それは本当だ」と認める情動的なことを繋げるパイプが欠落しているからではないかとも考えられている。
 それは通常では情動を通して同一性を認知し得る(情動的な作用によって何かを信用することが出来る故)ことが障害されていると考えることが出来る。
 だからそれと逆にそういう障害がないということは、よく知っていることや親しみのあるものに対して共感出来るということだから、必然的に親しみあるものを糧に親しみのないものを関連づけることによって理解したいという欲求がよく知らないことを想像することが可能となっているのかも知れない。