Monday, October 26, 2009

第十六章 武蔵とヘーゲル

 宮本武蔵は武道の精神についてのみ「五輪書」で記述したわけではない。人を本当に斬り殺すための実践的な技能についても多く書いている。次のような記述はそれを如実に示している。

一 心をさすといふ事
 心をさすといふは、戦にうちに、うへへまわり、わきつまりたる
所などにて、きる事いづれもなりがたき時、敵をつく事、敵のうつ
太刀をはづす心は、我太刀のむねを直に敵に見せて、太刀さきゆがまざるやうに引きとりて、敵のむねをつく事也。若し我くたびれたる時、亦は刀のきれざる時などに、此儀専らもちゆる心なり。能々分別すべし。

〔訳文〕
 心臓を刺すというのは、戦いのなかで、上がつかえ、わきをつかえているような所で、斬ることがどうしてもできないとき、敵をつくことである。
 敵がうちかかってくる太刀をはずす呼吸は、わが太刀のみねを素直に敵に見せるように切先を下げ、太刀先がゆがまないように引いておいて、敵の胸を突くことである。もし自分が疲れてきたとき、あるいは刀が切れないようなときには、この方法をもっぱら用いるようにする、よく分かっていなければならない。(143~144ページより)
 
 彼は絶えず自分の命を狙う剣客たちから窮地に追い込まれた時唯一自身の命を守る術を記している。それはまさに彼と似た真に強者で天才たる剣客(彼が生存中には恐らく彼が出会えないだろうような)に対して記したのだ。(尤も風之巻の最終部に近く彼は初心者に向けた指南も施しているが)しかしそれを考えるとまさにヘーゲルの「法の哲学」は武蔵の「五輪書」と対極の意図の下に書かれたと言えるだろうか?そのことについて暫く考えてみよう。
 ヘーゲルにとって法とはそれを形成する人間の内的必然的な要請によって外的に伴うものだ。つまりヘーゲルは客観的に法を遵守することが正しく求められることを外在的に語るのではなく、内在的に語る。しかしその語り口は前章でも述べたように存在者一般としてであり、他の誰でもない私(ヘーゲル自身)からではない。にもかかわらず彼はカルテジアン的な部分も濃厚にあり、そこにヘーゲルの両義性がある。それは例えば次の一文からも明らかだ。
 
 法律の形式をとって現存在するに至った法は、対自的であり、法について特殊的な意志や意見をもつことに対して、自主的に対立するものである。だからこの法は、おのれを普遍的なものとして貫かなくてはならない。このように、特殊的な利害関係についての主観的感情ぬきにして、特殊的事件において法を認識し実現することこそ、公の威力である裁判のなすべきことである。(「法の哲学Ⅱ」163ページより)

 ヘーゲルは「法の哲学」において法学・社会学・政治学・経済学・倫理学・教育学・生理学・心理学といったほぼ当時の全部の学を網羅的に叙述する。しかし彼はそれらいずれも専門的ではないし、そう目指しもしない。彼の時代にあってそれらいずれもが哲学者による視点の提示という射程にあっただけである。しかもそれはどこか万人に向けて語られているけれど、集団全体にこうあれと一般の政治学や兵学のようには語られてもいない。まさにそれこそが武蔵が孫氏と分け隔てられているところだ。つまりヘーゲルは武蔵同様全ての読者に内在する「個」の内的レヴェルに語りかける。このことはヘーゲルの「法の哲学」が武蔵の「五輪書」同様極めて心得書きの様相を呈していることからも明白だ。例えば次の一文はその意味で極めて示唆的である。
 
 (前略)王侯や統治者の側からの裁判制度の創始を、気ままなお情けやお恵みに由来するにすぎないものとみなすのは、無思想というものであり、こうした無思想は、法律や国家を論じるさいに何が問題となるかについて何も予知していないのである。問題なのは、それらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるということであり、それらの諸制度がどのようにして成立し創始されたかという形式は、それらの理性的根拠の考察においては肝要なことではないということである。(「法の哲学Ⅱ」164ページより)
 
 このヘーゲルの考え方に最も啓示を受けているのは、永井均氏だ。氏は「倫理とは何か」(産業図書刊)において次のよう述べている。 

 しかし、驚くなかれ、われわれはみんな契約後の存在なんだ。だから、その魔術にもうかけられてしまっているんだよ。むしろ問題は、もうかけられてしまっている観点から契約前のことを理解しようとしても、それは本当はできないということにあるのかもしれない。契約前と契約後を対等に見通すような観点に立つことはできないのかもしれない。
(前略)アクロバットとか魔術とか言うのは、自然状態で契約がなされたにもかかわらず、それによってつくられたはずの社会状態の規範がなぜかその契約行為そのものに遡及的に妥当してしまうってことじゃないのかな。(アインジヒトとの議論Ⅱ 社会契約は可能か 中77ページより)

 入信行為の意味そのものが、入信以後の信念システムの中に新たに位置づけなおされる必要があるからね。だから、入信以前の信念システムから見た、入信せざるをえなかった理由は、もう理解できないのでなければならない。それこそが、入信以前の問題がそこで本当に解決したことの証拠なんだ。(アインジヒトとの議論Ⅱ 社会契約は可能か?中78ページより)

 つまりここで永井氏は結果的に規範となっている状態から起源した仕方では、それ以前の状態を知ることは出来ないのにもかかわらず、規範自体を問う行為において規範成立後に起源するものからの視点においても、規範成立以前的な観点を求めるということを余儀なくする。しかし例えば戦前に生まれて戦中を過ごし、戦後社会を生きた人でない限り、戦後民主主義教育を俯瞰することは出来ず、戦後民主主義教育を受けて育った世代の人たち(私もその一人だ)にとって、戦前から戦中、戦後という時代の流れ自体を問うことを客観的に試みても、それは自分が育った時代の教育理念に基づいた社会通念によって理解しようとする行為だから、既に本当の意味で客観的に日本の歴史について考えることは出来ないし、それは戦中に生まれ育った人でもそうだ。それは歴史認識だけでなく、信仰心や宗教教義とは一旦それに入信した後は、それ以前の入信していない状態に立ち戻った考えを捨ててなければ入信したことにはならないから、必然的に入信以前と入信以後の自分を客観的に見ることなど出来はしないのであり、またそうでなければ矛盾になる。ヘーゲルの「問題なのは、それらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるということであり、それらの諸制度がどのようにして成立し創始されたかという形式は、それらの理性的根拠の考察においては肝要なことではない」というテーゼの中に既に含まれている真理を具体的な形で永井氏が示していると考えることは自然だ。
 それは本来あるべき姿としての自分に今から見てある時点(過去)からなっていたとしたら、それ以前の自分は今の自分にとって文字通り過去の自分であり、その自分の気持ちで今の自分を見ることは出来ないし、またそう出来たとしたら、ある時点で自分が生まれ変わったことが偽となる。しかし実際私たちは記憶という化け物に常に思い惑わされているとも言え、そう簡単に過去の自分から決別することも出来ない。しかし自分が生まれる前の歴史についてもただ考えることは出来るが、その場合完全に生まれた時代を基調とした通念から過去を振り返るしか出来ない。しかし寧ろ私たちはそれを自然であると考える。自分のことを客観的に見ることが出来ないことが、実はそれらの諸制度が総じて理性的なものとして即自かつ対自的に必然的であるという言説に示されている。私より若い世代の人にとって私にとって自然で必然的である不便さ、例えば携帯電話がない社会とはきっと想像することさえ出来ないだろう。そういった意味ではある制度が確立される以前から生活している者と、制度確立以後に生まれ育った者とでは必然的に拠って立つ視点が異なり、ダイアル式の電話を見たことがない世代にとって小林明子の歌の文句である「ダイアル回して手を止めた」という歌詞(「恋に落ちて」)の意味を理解することは即座には困難かも知れない。
 しかしそれは生き方とは少々違う。習慣だからだ。しかし習慣を受容して常に今の時代に対応して生活することからしか生き方は生まれようがない。そして常に自分にとって「本来あるべき自分」は時代と遊離したものである筈もない。勿論時代の精神全部が自分内部の「本来あるべき自分」を規定するのでないものの、固有の時代に顕著な生活様式や思想という俎板からしか「本来」とは認識しようもない。そして個々によって少しずつ異なる「本来」によって常に私たちは今という時代に対応している。しかしやはり自分はどんな時代に生きていようが自分でしかないという考えをも我々は一時も捨て去ることも出来ない。何故か?
 生き方とは行動によって示されるが、実は生き方自体は行動と全く同じようには思念されない。どういうことか?つまり私たちは「本来あるべき自分」を、「今の自分」とは常に少し違うものとして内的に理解しているからだ。だから生き方は、行動してきたこと、や今行動しているものより常に少し後(未来)まで意識が志向する先は向く。そしてそういった今の行動と今までの行動をプラスしたものに、それだけではない何かを求めて我々は「本来あるべき自分」を設定する。そしてその「本来あるべき自分」を糧に人生に対する思想を構築する。つまり人生に対する思想は、それが参考にする「本来あるべき自分」から構成されることもあるし、「今の自分」に対する反省(哲学的反省ではなく、通常の意味での反省)から齎されもする。だからこそ自分が私たちの胸中から離れることはないし、時代に沿った生き方をしていても、少なくとも今に関してはそれを自分の「生き方」以外のものとして感じられない。しかし過去に関しては何故か客観的に捉えることが可能だ。過去の自分を時代に振り回されていたと言う風に。しかし他者に対する印象は過去と現在に違いがあるわけではなく、全てが客観的だ。それは自分が内的に反省意識を持ち過去の自分を捉えられるが、他者に対し外見的な認識や判断以上の意識になれないからだ。にもかかわらずそれは内的関係での話であり、特にビジネスにおいて表向きはそういう思念を私たちは一切出さないようにする。しかも前にも言ったが、ビジネスとは本来そのように反省的地平のものではない。ここで言う反省とは、勿論通常の反省をも含めた哲学的地平の反省のことだ。構成された人生に対する思想は、それが自分にとって該当することは当然だが「判断力批判」でのカントの主張のように、他者に対しても自分の理念を基準に評定し、親しい間柄ではそれに当て嵌めそれに沿った存在として望む。そして反省的地平という観点でなくても、ビジネスパーソン同士では共通した人生に対する思想が成立する。教育者同士、公務員同士、作家同士あるいは剣豪同士etc。
 武蔵の生涯は、隙を他者に見せることを完全に封鎖することに対して全ての神経を使っただろうから、その隙を見せまいとする緊張を一時ほぐすために絵画や彫刻を創作することが人生に求められた。それは生き馬の目を抜くビジネスパーソンたちの、経営者たちの心理に近いだろう。しかしそれは別の観点から言えば、明らかに脱獄を目的とする囚人にも、エスニッククレンジングの対象となる民族出自の存在者にも該当する。あるいはリストラされて住居を奪われる派遣社員にも該当する。しかし存在者である以上、全成員はある時期反省的地平へと心理的に追い込まれる。それは武蔵とて例外でなかったろう。故に晩年細川忠利の客分以降「五輪書」を熊本霊厳洞で残したのだ。
 ヘーゲルにとって反省的地平とは恐らく法秩序、共同体、社会等、我々が進んで同化し得る価値としての集団的理性や言説に追随する制度的なものから呼び覚まされることだったと思う。だからこそ秩序としてコギトを考えていても彼固有のことではなく普遍が成立する存在者一般である必要があった。その意味でサルトルは完全にカルテジアンだったが同時にヘーゲル主義者でもあった。
 しかし武蔵は「この私」ということも考えただろうが、そのように私秘的世界に観想している暇は彼にはなかったろう。常に抽象的な他者と対峙し(だからこそ一々の敵という具体へと対峙し得た)、対決することの理念に精神と全神経を集中させ、揺らぎが皆無の状態に持っていく必要があった。とすれば、私は私ではないもの、つまり私を成立させる全ての状況と一体化して、無我となることが求められる。その意味で彼はヘーゲルが自我や欲求を成立させる場である同化し得る価値、理念、それこそが彼の人生に対する思想だが、生を発生させる死が恒常化した全存在の背景から自らの剣の哲学を考え抜いた生と離反した世界の住人ではなかったと私は考えるが、どう読者はお考えであろうか?

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