Tuesday, October 6, 2009

第四章 不合理的な理由である生きるということ

 哲学的にはしかし生きるということほど不合理的なものはない。どんな生命も生まれてくるが、いつかは死ぬからだ。だから私たちを含めて全ての生命は死ぬために生まれてくると言っていい。死ぬからこそ子孫を残したいとか、自分の考えを残したいと私たちは願う。そのことに関しては宮本武蔵のような剣客も、ヘーゲルのような哲学者も同じではなかったか?
 前章で述べた「意味」を私たちが求めるのも、この生の不合理的な運命に対してである。もし死ぬことがないのなら、私たちに哲学も宗教も思想も必要ないかも知れない。個々の個体は死滅するが、種としては存続するということが私たちに与えられた唯一の救いだが、その種もいつかは絶滅するし、地球も宇宙もいつかは無くなるだろう。だから存在というレヴェルにまで拡張しても、尚この不合理的現実は変わらない。
 心理学的には不幸なことを遠い将来に追い遣り、幸福なことを身近な将来に引き寄せて考えるということが脳にとっては自然な傾向らしいから、私たちは自分だけは何とか生き延びられるのではないかとさえ考える(全能感)。ある意味では生きるということは、非哲学的に暢気に構えていて、それで気にならないのなら、それが一番いいのかも知れない。
 前章の②のようなトライアル的な決意や勇気はだから、そういう暢気でいることに対して、時折哲学的に物事を考えずにはいられなくなる時に浮上する考えだ。どうせいつか死ぬのなら、いっそ思い
切った行動に踏み込むことを試みてみようということだからだ。
 人間が将来のことよりも、どちらかと言うと過去のことを考えることが多いのは、人間がいつか自分も死ぬことを知っており、死を考えるくらいなら、生きてきた事実に向き合い、生きてよかったと思いたいからだというのはハイデッガー的な見解だが、マーク・トゥエインはドーキンスに拠ると(「神は妄想である」中520ページより)「死の恐怖の追い払い方はまた別である。「私は死を恐れない。私は生まれるまでの、何十億年ものあいだ死んでいたのであり、そのことから、ほんのわずかな不自由さえ感じたことはない」。この発想は、私たちが避けることのできない死という事実について何も変えていない。しかし、この不可避性について、私は別の見方を提供されたのであり、だからこそそこに慰めを見出すかもしれないのだ。トマス・ジェファーソンもまた死を恐れていなかったが、彼はいかなる種類の死後の世界も生命も信じていなかったように思われる。クリストファー・ヒッチンスの記述によれば、「死が近づいてくるにつれて、ジェファーソンは、友人たちに向けて繰りかえし、希望も恐れももつことなく迫り来る死と対峙していると書き送った。それはまるで、もっともまぎれもないような言葉で、自分がキリスト教徒ではないと言おうとしているかのようだった。」と述べている。そして別の箇所で彼は、キリスト教徒が安楽死を人間に適用することを拒むことを、「素朴に考えれば、私たちのなかに安楽死や自殺幇助に反対する者がいるとすればそれは、死を移行としてではなく終末として見る人間だろう。なのに、それを支持する側にいるのは私たちなのである。」(私たちというのは無神論者のことである)(同書、525ページより)と言って、結局安楽死を否定するキリスト教信者たち彼らも信仰という名に縋りつきながら、本当のところは死をただ恐ろしい救われないものとして捉え、天国に行けるから恐れないと言いながら、死の恐怖に対する克服を完全にはなし得ていないことを皮肉交じりに主張している。
 要するに私たちは死ぬことを分かっているから悔いなく生活したいと望む一方、どうしたって思い切った行動と言っても制約があることを知っている。つまり思い切った行動も仮に私たちが試みたところで、かなり限られている。空を飛びたいと思っても、鳥のすることだし、私たちには願望でしかない。イルカのように自由に泳ぐことさえ出来ない。しかし人間が理解し得る限りで私たちはそれを動詞として言語行為において活用してきた。つまり自分に出来ることと、出来ないことの両方を動詞として語彙化してきたのだ。
 あらゆる行為、しかしそれは完全に人間になし得る範囲か、なし得なくても理解し得る範囲のどちらかしかない。語彙使用を巡る選択肢としてそれらは存在する。そして全て一つ一つ別個の語彙による表現として成立するが、言語活動の範囲内で一つ一つの文章が成立するだけでなく行為選択する時時私たちは自ら採るべき行為を言語的にも認識していて、それ以外の行為は成立し得ない。つまり後で「あの時はこれこれこういう気持ちでいたので、あれこれのことをした」と他者に説明し得るということだ。殆ど無意識に採った行動でさえ、後から説明することが出来る。
 しかしこのように自分で出来る行為表現を説明する動詞を知っていて、自分では出来ないことを表現する動詞を含めても、私たちは依然かなり限定された世界で表現しているに過ぎない。空を飛ぶ鳥を見て彼らが飛んでいると理解しても、それは彼らの身になって飛ぶことを理解しているのではない。ユクスキュルたちによる環世界で言うなら、あるいははドーキンスの表現を借りれば、「私たちの生存にかかわる物体は極端に小さいことも、極端に大きいこともない。そこでは事物はじっと立っているか、光速に比べればゆっくりした速度で動いているかである。そしてそこでは非常にありえなさそうなことは、起こりえないこととして処理しても問題はない。私たちの精神的ブルカ(イスラム教国において女性が顔ほんの一部だけを露出して後は身体全部を隠している衣装のことを、ごく限られた視界からしか全てを見渡せないその状態を私たちの現実把握のための比喩として使用している。著者注)の窓が狭いのは、私たちの祖先が生き残るのを助ける上で、それをひろげる必要がなかったからなのである。」(540ページより)と述べているし、また別の箇所で述べている「私たちの想像力は、祖先が慣れ親しんでいた狭い中間領域の外にある距離に対処するには、わびしいほど備えを欠いている。私たちは電子を、陽子および中性子を表す大きな球の塊のまわりを旋回するちっぽけな球として思い描こうとする。これは実際の様相とはまるで違っている。電子は小さな球に似たものではない。それは私たち認識するいかなるものとも似ていない。」(534ページより)と言い、更に「20世紀の科学的達成の深遠な頂点である量子力学は、現実世界についての予測において輝かしい成功を収めた。リチャード・ファインマンはその正確さを、北アメリカ大陸の幅ほどのある距離を、髪の毛一本までの精度で予測することにたとえている。予測におけるこの成功は、量子論がある意味で真理になったことを意味するように思われる。つまり、きわめて現実的で常識的な事実までを含めて私たちの知っているあらゆることに対して真理であるかのように。しかし、そうした予測をひきだすために量子力学が要求する仮定は、あまりにも不思議なものであるため、偉大なファインマン自身でさえも、こう言わざるをえなかった(この引用はさまざまなヴァージョンがあるが、次のものがもっとも近いと思われる)。「もしあなたが量子力学を理解したと思っているなら・・・・・・・・・・・・あなたは量子論を理解していないのだ」。(536ページより)とまで言っている。これは不可知論だし、犬をカニス・ファミリアスとか、猫をフェリス・カトゥスと学名的に呼ぶ自然科学者たちでさえ、それは彼らが敢えて犬をイヌと猫をネコと我々をホモ・サピエンス(ヒト)として取り扱う科学者的な立場に同化しているからであり、彼らでさえ、研究所からその日一日の仕事を終えて、帰宅して出迎えた妻子やペットたちに対しては、そのような学名的認識を喜んで忘れて、ただの通常の庶民に戻る。つまり犬や猫や人というごく限られた範囲内での判断に明け暮れている。つまり理解とは極めて限定された範囲内から、もう一つの限定された範囲内へと飛翔することを恣意的に想像することとそう違いはなく、それを意図的に理解しているのだとしているに過ぎず、コウモリという生き物にとってドーキンスの考えの下では彼が次のように述べているようなものの見方にも適用出来る。
 「私は『盲目の時計職人』やその他の場所で、コウモリが耳で色を「見て」いるのではないかという推測をしてきた。三次元の空間や航行をして昆虫を捕まえるためにコウモリが必要とする世界モデルは、ツバメがほとんど同じ課題をこなすため必要とするモデルときっと似たものでなければならない。そのモデルの変数をアップデートするのにコウモリがエコーを使うのに対して、ツバメが光を使うという事実は、付随的な事柄である。コウモリは、ひょっとしたらものの表面の音響的な肌理のような、反響音の有効な側面を表す内的なラベルとして「赤」や「青」のような形で知覚される色合いのようなものを使っているのではないかというのが、私の説である。ちょうど、ツバメが長い波長の光や短い光に対してラベルを貼るために、同じ知覚された色合いを使うのと同じことだ。要点はモデルの性質は、そこにかかわる感覚の様式(モダリティー)よりも使われ方によって決まるということである。心のモデルの一般的形式は_感覚神経からたえず入力されてくる変数とは反対に_、翼や脚や尾と同じように、動物の生活様式に対する一つの適応なのである。」(546~547ページより)としている。「ひょっとしたら、赤は光沢のある、青は柔らかな、緑はざらざらした表面かもしれない」。(548ページより)
 この考え方は幾分ウィトゲンシュタインの言語理論による使用ということを象徴してもいる。カテゴリー認識はその種の固有の必要性に応じて進化してきた筈であり、それを可能にするのは、日常的な使用という反復行為によってである。しかし理解出来ることは私たちに付与された生物学的条件に左右されていて、鳥の立場から飛ぶことを理解することも、分子や原子の立場からそれらを理解することも出来ないということを意味する。それは先にドーキンスが言ったこと、つまり似たものが一切ない場合でさえ、何か似たようなものを探し出してそれをこじつけて理解しようとする私たちの想像力の限界も示している。
 このような考えを適用すると「五輪書」に書かれた武蔵による記述の大半は、精神統一とかそういう宗教テクストである以前にまず科学的方法論のテクストだというのが私の考えだ。理解することは、時々に固有の体験を限定的に法則化して定理のようにする恣意的判断だ。だが武蔵が科学的に書を書いたのは死の恐怖から逃れるためだったのかも知れない。
 
 理解することは、日常的な反復行為において私たちが不可避的に必要とする目的に応じた「分かりやすさ」において、つまりドーキンスの言う精神的ブルカにおいて知覚判断的にも最も妥当な範囲内のものに収まるようになっているということだ。それは「信じられやすさ」にも大いに関係している。だからこそ古代からの哲学者たちによる哲学的理解と、昨今の自然科学上での法則的な発見との間で幾分ずれ込んでくる現実があるわけだ。  
 フッサールが「ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学」で述べている科学自体もまたそういう人間の極めて限定的な範囲内での「理解の仕方に関する一つの様相」でしかなく、要するにモデル化することを通してそれがあたかも日常的に判断していることの一つのように私たちの脳が勝手に決め込んでいるということだ。(常識とはそういう曖昧な区分けによって成立している)それは「正しいと思えること」の信念の問題へと行き着く。
 例えばドーキンスは例の色合いということについてクオリアさえ実は脳の内的なラベルであるとする。つまりクオリアとはコウモリにとっての音響学的波長の差異であっても、我々のように色彩的な官能性であっても、所詮それ自体は脳内でモデル化された像であり、それらを幻想として享受するということ以外のものではないということだ(ロボット工学者の前野隆司氏の考えもそうだ)。
 またクオリアは要するにその時々の記憶内容と、想起と、現在知覚による心的な過去と現在とのアナロジーやそれ故のその時々に固有の感情的様相と恐らく関係があるだろう。つまりそれは感動という質に対する信念によっても左右されるのだ(まさにクオリアとは現在知覚の生きられたデータそのものだと言ってよい)。
 それならばカントが「プロレゴメナ」において示したア・プリオリな知覚判断もそうだし、また先ほどの犬や猫や人間の学名的理解も、考古学的、進化論的認識論的カテゴリーによるものだ。つまり信念の一つのパターンだということになる。それは私たちの「分かりやすさ」に収まるものとしての一つのパターンだということだ。
 確かにある時ある状況において私がふと思い出したネコの肌触りに対する想起とは私に固有かも知れないものの、それを私以外の誰かが私と同じような状況に立たされその時私の時と同じように想起しても、恐らくそう違わない形で感受するのではないかという信頼の下に少なくともそのネコのことを想起した瞬間について私の記述は成立する。記述しないままでも恐らく私と似たような猫に関する経験があれば誰でも同じようにある状況でのある者のネコの肌触りに対する想起とはあり得ると私は常に信じて他者と発話する。
 実は私は私の同一性をそんなに信じてもいない(これは私に固有のことなのか、意外と多くの者と似た感覚があるかも知れないが、現時点ではこれは確認済みでない)。しかし少なくとも他者との間で私が成立するということは、少なくとも私以外の成員にとって私という存在に対する把握は何らかの形で統一された同一性という幻想を頼りにしているということだ。それは私が私以外の全ての他者に対して下している判断と同じようにである。またそれを私は知っていて、常に私は他者全てとあらゆる私の人生上での経験を共有していながら、同時に私に固有の経験の質というものもあるのではないかと常にその二つを往復している。
 例えばそれは剣士にとっての敵対する状況における集中力ということでも言えるのではないか?つまり武蔵にとって集中力は彼以外の全ての武者たちがなし得る体のものだったという意味で彼は「五輪書」を書いたろう。しかしそうしながら自分に固有の経験を他者に伝授するという意図もあったのだから、当然彼の時代において周囲の他の武者たちが容易に到達する術ではなかったとも言える。
 武蔵の「五輪書」の次の記述を下に少しそのことを考えてみよう。

 〔参考〕
 ⑥一 目付の事
 目をつけると云所、昔は色々在ることなれ共、今伝る処の目付は、大体顔に付るなり。目のさめ様は、常の目よりもすこし細き様にして、うらやかに見る也。目の玉を不動、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざは不及申、左右両脇迄も見ゆかる也。観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よわく見るべし。若又敵に知らすると云う目在り。意は目に付、心は不付物也。能々吟味有べし。(鎌谷茂雄「五輪書」講談社学術文庫 101~102ページより)

 観見とは見ていても自分の好きなように見るのではなく、本質を見抜く、つまり自我を超越し見て理解することである(武蔵は程よいあわいということを観察においても言っている。つまり心を強く見て表面の現象に囚われるなということである)。これは観智であり仏教では心で見ることを意味する。武蔵はまさにこのことを色々な語彙で示そうとしたのであり、それを少し考えてみると、こうなる。
 つまり我々は何かを言おうとする時は、何かを言いたいという気持ちでいる。その気持ちは何か私的な経験に根差している。それを一言で言い表す言葉があれば、それを使えばよいが、なかなか言いたいこと全てに対応すべく語彙が用意されていない。だから逆に一言で要約された語彙があることは取り立てて、他者に告げるまでもないことも多い。勿論それが初体験である場合感動して他者に告げることはあり得るが。
 つまり私的なことで少なくとも語彙化されていないと自分で思える体験であればあるほど他者に説明したい欲求に駆られる。そして何とかそれを説明して相手に理解して貰うよう試みる。その時そういう体験のことを仏教ではこう言いキリスト教ではこう言うと教えられるが、実際、既成のそれらの語彙によって示されたことが、自分の体験に該当するものかどうか終ぞ確かめようがない。そこでウィトゲンシュタインは私的言語を考えたわけだ。武蔵が考えていた観智には、体験を語彙化し、説明することを拒む想念を想念のままにして、精神を統一することを言っていたのではないだろうか?
 体験自体の身体論的なクオリアとは概して語彙選択して説明することを拒む。勿論どんな体験であれ語彙化して他者に伝えることは出来よう。現に武蔵でさえこのように語彙化し得ないものとして語彙化している。しかしその語彙化、つまり既成の概念に該当しない体験自体は誰しも持っていよう。それがどんな成員にとっても同じものかどうかは確認出来ない。その確認の出来なさ自体が心で見るということなのではないか?それはとどのつまり自分の内心によってのみ確認し、自分なりに理解することが大事であり、他者と説明し合って理解し合うとか、知識として共有し合うということではない形での体得のことを言いたかったのではないかと私は考えた。
 このことを言語行為に翻って考えてみると、どんな親しい間柄の会話でも、私たちは全て私的言語を棚上げにし、公的な言語で会話する。公的な語彙化された概念を私たちがその都度選択し利用し私的体験を語る。その語彙選択の際に私たちは表現出来なさを感じつつも、表現し得ることに置換する。つまり表現出来なさ自体を表現するという欲求が、その発話内容を敢えてその場で発することの意味を我々に感じ取らせている。いつでも当該する当たり前の事実であればあるほどわざわざ語るに値するとは思わない。発話する内容の選択が行為遂行的存在理由を持つ。
 それは同時に書かれたものの性質を実は、書く動機とか書く時の気分によって仮に同じ語彙、同じ文章、同じ意味内容を別のパラグラフに別の著者が示していたら、その背景となる思想や、私的経験は質も何もかも違うということだ。つまり「人生は長いが短い」という言葉を二人の文学者が別々の作品で書いているとしよう。しかしその二つの同じ意味内容の言葉は全く異なった体験とか異なった状況、異なった人格によって語られている。にもかかわらずその二つの言葉の意味内容は全く同じだ。しかしその書かれている文章の前後の文脈で、あるいはその作品が発表された時代状況とか、その著者が発表したモティヴェーションの差異によってかなり異なった意味、つまりその言葉に対する存在理由の与え方がある。
 それは武蔵が決闘毎に異なった相手(敵の剣士)と相対してその都度異なった判断をして命を繋いで来たこととは又別の意味でそうである。勿論同一の著者による同じ言葉においても、その都度異なった文脈的意味合いがある。つまりその言葉自体へ与える存在理由の意味が異なる。しかし体験者が異なれば、その言葉を体験として過去のある時点で生きたことの私的意味も違ってくることは当然だ。それは比較が同一人物の異なった時点での体験とは違って成立しないからである。だからこの比較し得るというところに私ということの同一性が考えられ、逆に比較し得ないというところに他者と私との間の断絶がある。
 と言うことは、私たちが日頃なし得ていると思っている理解もまた、極めて不合理なこととなる可能性がある。つまり理解し合っていること自体が幻想となるからだ。違った人格、違った身体、違った時点でのAという人物とBという人物の同じような体験という形でAがBに自分のある体験を語り、Bから理解され、共感されたとしても、それはとどのつまり比較し得ないもの同士の同一性への仮定でしかないからだ。しかしそれを敢えて同一のものとすること、それを敢えて理解し合えるとすることが他者の存在の在り方を自己にとって意味づけることである。つまりそのような仕方で他者に対して私があるということとなる。
 それは要するにどのような段階の、どのような濃密さがあるかはともかく「信じる」ということに尽きる。死をもって全てが終了するこの不合理である生の理由を前に何もすることが出来ない心の状態から救い、その不合理性を一時でも解消させることこそが、「信じる」ということだ。それは再び生を死への旅と考える不合理へと直面させる。しかしその度に我々は「信じる」ことで生に向き直る。要するに「信じる」ことは一つの生に向き合った時の決意なのだ。理解し合う可能性を信じることがその基本だと私は思う。
 剣士たちは剣の腕を磨くことによって剣術、武術の腕を磨く。同 様に作家や哲学者たちは皆文章を書くことで自らの思想の在り処を見出し、思想を練磨する。剣においてするか筆においてするかの違いがそこにあるだけだ。それらは端的にそういう練磨し熟達した世界観によって固有の「信じる」、つまりその道の真理に対する信仰を構築する。そうすることで生の帰着である死への旅という不合理に対して決着をその都度つけている。これは論理で導かれる結論ではなく、生の只中にあって私が実感し得ることである。

No comments:

Post a Comment