Monday, October 12, 2009

第七章 旅・祭り・仏像

 私はかなり以前から、仏像を何故人間は作り続けてきたのか不思議に思ってきた。そしてそれは今でも変わりない。だから2008年の秋の京都旅行は、契機は、哲学者、永井均氏の講演を聴くためだったが、それにかこつけて仏像を見て回ろうと思ったのだ。その旅行は色々な意味で収穫があったと思う。
 旅は人生に似ている。どういう行程でどういう場所を訪ねるかの選択は、人それぞれの個性が滲み出るし、敢えて人が大勢いかない場所を選ぶこともまた人生の選択を彷彿させる。だから当然、同じ区域、同じ祭りを見るにしても、私たちはどういうものを中心に見るか、どういう角度から見るかによって、旅、そして祭りの参加の仕方、楽しみ方も変わってくる。
 人はなぜ旅をするのかと問うことは、人は何故祭りをするのか問い、人は何故仏像を作り続けてきたのかと問うのと同様、生きるとは一体どういうことかと問うのと等しい。そう問い続けることが無謀と直観しつついつまでも問い続けることが止められないものだ。
 人がある方向へ流れていくと、私もついそちらへと押し流されることもあるが、時としてそれに逆らい一人別行動を取ることも私が大勢の人々が訪れる場所での旅や日祭日に取る私の行動パターンである。だから盆、暮、正月はそういう意識で臨む。
 何故そういう風に全ての人が特別の時間を過ごすかというと、人間が皆ハレとケの違いを知っているからだろう。つまり非日常として日常の中に何かを取り込むこと自体に内在する人生そのものへの批評性こそが私たちに旅をさせ、祭りをさせ、仏像を作らせる。
 そういう意味で私の去年行った三万円以内で済ませた三泊二日の京都旅行も、六千五百円以内で済ませた師走初頭の城峯公園近辺から、秩父夜祭りの日帰り旅行は実りの大きなものだった。そしてその際に何故人はあれほど多くの仏像を作り、何故あれほど祭りに熱狂するのかという以前からの私の興味を更に掻き立てた。本質的に、私たちは日常の中に潜む私たちの先験的に持っている非日常的な意識、例えば死への恐怖が逆に私たちをいつまでも同じ行為や同じ場所に私たちをとどめておくことをさせないようにして、一回安定を崩すことで、再び自らの立ち位置に関して認識を改めさせてくれるのではないだろうか?だからこそ祭りの熱狂は破壊へと誘うような心理に似ているのではないだろうか?つまり死に対する恐怖を死に対する愉悦に転換することで克服するということが祭りの熱狂の心理にはある。
 それに私たちは問う必要がないくらいに問うことが野暮な真理こそ最も魅力的だということもどこかで心得ている。節制とは、欲望にとって最もおぞましい。だから問うことを節制しないことがそのまま宗教や思想や哲学の歴史となっていると言ってもいい。
 つまり自己破壊的な欲求自体は、仏教的には煩悩であるが、それが常に私たちのどこかに渦巻いていることを知っているからこそ私たちが旅をしたり祭りに熱狂したりすることを通してその欲求を鎮静化しているのかも知れない。つまり旅や祭りとは、日常性への一時的な破壊欲求だが、それは永遠には続かない。死の瞬間まで途切れることなく続くのは私たちの心の旅だけだ。心の旅は一箇所に留まって生活する人間も絶えず行う。しかし私たちはたまに心の中で延々と続く旅を中断し実際の旅に赴こうと思うのも、やはり心の旅は時として危険な想念も生むとを私たちが知っているからだ。
 だから芸術作品を祖先たちが今までずっと作り続けてきたことも実は何もしないで心の旅ばかりをすることの危険性を祖先たちはよく心得ていたからである。仏像を作ることは、その中でも超度級に生の欲求的本質、欲望の正体を知り尽くした人間の行いである。
 つまり心の中だけの旅が時として私たちにこのままではいけないと教えてくれる。要するに反省意識から出た妄想の鎮静化に対するもう一つの心の欲求が私たちに旅をさせ祭りに熱狂させる。しかしそういう風にもう一つの心の欲求が叫ぶのはそれだけだろうか?
 私たち人間は各個人にとって必ず到来する死に対する恐怖がある。この理不尽な現実に対して抱く懊悩を解消するために仏像を作る行為には祈りとしての解消の意図がある。死や理不尽さに対して心を掻き乱されることへの鎮静化こそが仏像が私たちの祖先たちが延々と作り続けてきたことの第一の理由である。
 実は芭蕉の旅にもそのことは当て嵌まる。つまり私たちはどこか訪れた土地土地の風情や印象、あるいはその土地に残る伝統的な所作や風習をこの脳裏に焼きつけておきたいと願う。だから年に一回ある季節に巡ってくる祭りには、各個人にとってやがて到来する死(死とはどんなに長く生きて来た者にとってもその瞬間には人生とはいかに短いものであるかと実感させるものなのだろう)を集団で熱狂することを通じて、あるいは集団で何かをすることに陶酔することを通して一時的に反故にすることを無意識の目的としたものだったのだろう。その意味ではユングの集合無意識という考え方は現代でも有効である。
 つまり個人の死の恐怖に対する克服を知らずに生活すると必ず刹那的な衝動を生む。自殺もその一つだし、殺人もその一つである。そして賢明な人間はそのことを心が平静な時にも、いやそういう時こそ心得ている。つまり個人に内在する死への恐怖を紛らわすために我々が時として行う特殊意志を拡張することに熱中する無秩序に対する抑止と防止意図がどこかで祭りの集団的陶酔と熱狂へと結びついている。だからこそ年に一回の大きな祭りの際には多少の羽目を外すことが大目に見られるのだ。そしてそのような気持ちの小さな表れは私たちが仕事を終えて誰かと酒を飲むこと、あるいは一人で酒を飲むことにも自然と出ている。
 私はこう書いたことがある。
 
 例えば社会とは人間の虚構である。あるいは生活とは人間の虚構である。思考とは脳内の虚構である。(しかしそれらは実在する現実としての虚構である)自然全体が現実であるとしたら、人間はそういう虚構を自然に対して、自然に対する抵抗として捏造せずには生きていられない。聖書は端的に自然に拮抗する人間の創意工夫としての虚構である。

 このことを述べた背景は、私自身がそろそろ五十の坂を上る段になって、何か人生そのものも一つの大きな作品であるという意識が芽生え始めてきたからである。つまり私はこう言いたいのだ。人間はどんなに成功しようが、挫折しようが、幸福であれ不幸であれ、どの道人生そのものを作品のように、あるいは自分の歩んできた人生を物語として理解する形でしか生には接し得ないということを実感してきたのである。
 これを取り敢えず「人生の作品化」と呼ぶことにしよう。
 私はある人が開くある学問の塾に属していたが、一年少し前にそこを離脱した。その塾では東大出身の23歳で弁護士資格を三浪して取ったエリートの32歳の青年もいたが、彼のような青年でも生涯弁護士をし続けるか未だ決めあぐねているということだったが、私がその塾を辞めてから知り合ったある18歳の青年は、俊英で短歌を詠み、小説を書き、評論も書くのだが、彼が私の波乱万丈の人生について書いた記述を見て、人生そのものは作品のようだったが、作品は一つも作らなかったということだけはあっては欲しくないというような意見を私に示してくれた。が、私は敢えて人生そのものをいい作品にすることが一切出来ない人間は本当にいい作品を世に残すことが出来るだろうかと最近思うのである。
 これは何故人間が仏像を作り続けてきたかという問いとも関係する。つまり祭りなどに一切参加しない人間が真に人間の実像に迫った哲学を得ることが出来るかという問いとこれは似ている。どんなに成功している人間でも悩みはあるし、必ずしも幸福感情に包まれているとは言えないように、どんなに破天荒であれ、あるいはどんなに傍目からは平凡に見える人生でも本人にとって充実していて、必死に何かに取り組み、あるいは何か堅い意志を貫いてきているのなら、それは立派な人生という作品を生きていると言えよう。
 勿論人生には挫折や夢が脆くも崩れ去ること、負け犬になること、後悔によっても満たされている。しかしそれでもそういった一連の生全体の流れを私たちはどこかで覚めた目で客観的に「物語にいる自分」という認識を持つことだろう。つまり私たちはそうすることで人生の作品化を施しつつ、それを糧に期待が持てないなりに、大いなる願望を持つことが出来ないなりに実は将来とか未来に対して生きていく意志を保持し、人生に対する思想としている。祭りの熱狂によって仮のフラストレーションに対する解消をし、旅によって擬似引越しをし、そういう虚構を敢えて日常に挿入することで、節目を作り、人生を作品化しつつ、時間の流れの如何ともし難い無常な虚無感や理不尽さをその都度克服している。旅をして再び自宅に戻る時私たちは旅で得た非日常性を現実の日常へとエキスとして取り込もうとするし、祭りの熱狂と陶酔を自ら参加し生きることで、再び宴の後の空しさの中で反復されていく日常の意味を噛み締める。それだけで一つの思考における仏像制作である。人は何らかの意味において人生に対する職人である。それは人生の作品化というプロセスを通して何故人が仏像を作り続けてきたかという問いを問う場を改めて自分の中で発見することなのだ。

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