Friday, March 5, 2010

<感情と意味>第一章 第十四節 言語行為と第三者、そして孤独

 「私」という主語を明示する西欧諸語では何らかの外在的真理に対しても、それが客観的にあるという報告ではなく、I thinkとかI believeという風に行為主体の信念として語られる。しかしそれは古来、人類言語創世の頃からそうだったとは言い切れない。寧ろ言語行為が成立するためには、「私」や「あなた」より先に(私)にも(あなた)にも共通して認められる何らかの外在的対象、それは事物でもいいし、自分たちの立たされている状況であってもいいし、自分たちの身体部位的な呼称でもいいし、第三者という言語行為能力保持者でもいい。要するに「私」でも「あなた」でもない第三者こそが共通した二人の認識における同意を得ることの出来る存在として、言語行為を可能ならしめる媒介足り得たと考えることが出来る。と言うのも「私」と「あなた」という二人称表現とは、端的に集合され成員間での各成員の同一性峻別とは違った対峙ということが控えているので、それは社会共同体全体が一定の階層性や責任分担という水準に達してから後に、個的な対話というものが成立してからのことだと考えられるからである。もっと簡単に言えば、「私」と「あなた」は敵対的対話の場合、責任の擦り合いとして機能し得るし、逆に友愛的対話であるなら責任転嫁を共謀する者同士の打ち合わせとしても機能し得る。
 つまり「私」の内面感情は「あなた」に伝えても、「あなた」にとっては伝えられるものでしかないということこそが逆に敵対していても友愛的であっても所詮そこに壁があるという意味で設けさせた諦念的な差別こそが「私」と「あなた」なのである。またたとえ「私」が「あなた」にそれを伝えるように求めても「あなた」はそれを「私」に伝えたくはないかも知れないし、伝えたとしても嘘かも知れない。それは「あなた」にとっての「私」からの報告に対する「あなた」の中の査定においても同様なのである。そして「私」も「あなた」もそういう風に「私」、「あなた」という語彙を使用する限りそのことを知っていて、それを前提に話を進めている。
 しかし少なくとも例えば戸外で仕事をするために一緒にいる「私」と「あなた」との間で外在的事実である「今日は酷い雨だ」ということは「私」にとっても「あなた」にとっても自明的であり嘘が利かない。するとそもそも「公」とは「私」が「あなた」や他の誰かに「合わせる」以前に既に「私」にとっても「あなた」にとっても、いや他の誰(少なくとも「私」や「あなた」が認める範囲内の)にとっても自明である認識事実が同意されてあること自体に存していたと言える。要するに「公」とは「私」や「あなた」が「私たち」に加担する以前に既に「私」によっても「あなた」によっても個人毎の主観を交えることなく自明に同意出来ることに対する確認にあったと考えることが出来る。と言うことは逆に「公」とは哲学的思惟の優先的な内的関係からのものではなく、そのことの断念、哲学的思惟の抹消が前提されてあるということになる。
 しかし私たちには私たち全員によって確認出来ることと、そうではなく一切確認出来ないことというのがあり、その中でも「自分だけしか知らないこと」こそが他者への報告自体の存在理由を構成する。だから社会行為ということから考えれば、自分の内面とか感情とかは自分にだけ適用される(と少なくとも自分ではそう思う<このことについてはカントがそのことを考えたと私は思うので後で記述する>)こととなる事情とかも、この「自分だけしか知らないこと」の延長線上にある。しかし同時にその自分だけ適用され得る事情が優先される(権利の獲得)には、それ以前に公的にそれを要求し得る代価として「自分にしか出来ないこと」を「あなた」や他の人々に対して「私」が分担していく(責任の遂行)必要があり、且つその分担された業務こそが仕事となり、そこに責任が生じる。また責任遂行に伴って必然的に内的なことの抹消という事実が個人には大きく圧し掛かり、個的なことから内面的なことへと思惟が発展していくこととなる。そのことを社会が予め熟知しているからこそ、責任を果たした者にのみ獲得され得る権利が与えられる。
 つまりその段になって初めて我々は「私」とか「あなた」とかいうことを明示することが可能となるし、内的事情を相互に報告し合える心の余裕が生まれるのだ。
 すると今迄の論理から行けば、「私」や「あなた」ということを明示することが可能となる礎として起源的に全ての「私」や「あなた」にとって共通する自明的で外在的な事実や存在や現象が居座っているということになる。するとある言語共同体にとって自分たちの話す言語が通じない未知の言語を話す共同体こそが自分の共同体全体にとっての他者であり、異民族の異邦人のどの成員も起源的な第三者ということになる。勿論この第三者の中のほんの一部は彼にとっての自民族から離脱して「私」や「あなた」にとっての共同体に加入してきたであろうし、逆にそれまで「あなた」だった誰かは他者共同体へと所属を鞍替えして行ったであろう。(裏切りの派生)
 私たちの中に権威や共同体の公権力に付き従う面、つまり社会責任の意識がある反面、権力の座からの失墜を来たす成員や犯罪者たちに同情したり、ある時はそういうアウトサイダー、アウトロー、アンチ・ヒーローを応援したりするところにあるものは実はこの第三者(他者)へ向かうべき加担したり(つまり常に「あなた」とだけの関係でいること自体は友情で同僚同士でも夫婦でもストレスが溜まるから)ある時は裏切ってしまった私たちの祖先が幾ばくかの人々のDNAが疼くような遺伝子の記憶による作用があるかも知れない。
 つまり「私」や「あなた」が言表として定着する以前に既にいずれ表面化する「私」にとっても「あなた」にとっても自明な空、土地、海、川、朝、昼、夜などがあり、然る後<私たち>(ここで<>としたのは、「私たち」とは「私」や「あなた」という言表が定着した後に成立するが故、それを無意識に理解していることとしてである)にとって第三者が<私たち>の自明的外在的対象となったとは容易に想像がつく。
 そしてそのことは「私」にとっての家族において例えば「私」が「妻」との間で妻を「あなた」としながら、二人にとって共通の存在、息子や娘あるいは知人を話題とする時にも適用されたであろう。
 つまり同一言語共同体内での共通言語(公用語)の応用が個別の家族関係、友人、同僚関係にも有効となるという寸法である。
 だから逆に「あなた」が第三者となる時初めて「私たち」にとって他者とは「私」以外の全て、つまり「あなた」を含むということが自明化する。つまり永井均的<私>が登場し得るのは「私」と「あなた」のコンビネーションの解消ということが、行為事実にせよ、認識論的事実にせよ前提されている。そこで他者とは「私」以外の全てであるという認識こそが社会学的ではない形での哲学的なコミュニケーション論の出発となるのである。それは孤独とは何かという問いを必然化するのだ。その時「私」も孤独であるのなら恐らく「あなた」もまた孤独であろうという考えも生まれる。(それが確認し得ないということがあったとしても)

 それにしても中島義道氏の本とは理屈抜きに面白い。何故か?それは氏が自称カイン型人間(協調性を重んじないばかりか単独行動主義であり、集団優先しない生き方)、感性的エゴイスト(普通とか まとも といった定義に入るようなマジョリティー的「合わせる」意識を徹底的に排除する生き方、例えば肉や魚が一切食べられないからといって無理して食べることなどないと開き直る)、環境テロリスト(一般の市民にとって苦痛でも何でもない騒音や景観に対して徹底的にマイノリティー的感性を貫く)だからだ。マイノリティーということに相応しい叙述をここで引用しておこう。

 思いっきり暗い雰囲気の会社を創りたい

 さて「いつも前向きに生きている人」は、自分だけそっとその信念に従って生きてくれれば害は少ないのですが、おうおうにしてこの信念を周囲の者たちに「布教」しようとする。「いつも前向きに生きている人」は、とにかく「後ろ向きに生きている人」が嫌いなのです。
 こういう人は「後ろ向きに生きている人」が目障りでしかたがない。これは男でも女でも、むしろいかなる組織でも一般的に当てはまるのですが、後ろ向きに生きている人を見つけるや否や、全身で「調教」しようとする。こうして、─私は会社に勤めたことがないので、よくわかりませんが─日本国中の会社は「いつも前向きに生きている人」を望むようです。
 私には、死ぬまでにいくつか実現したい、いや実現できないでしょうから、ただ思っているだけの夢があります。その一つは、思いっきり暗い雰囲気の会社、「いつも後ろ向きに生きていける」姿勢を崩さない会社を設立すること。私が社員を採用するときは、その仕事能力は高くなければならないが、それに加えて、儲けることも働くことも無限に虚しいと思っている人だけを採る。もちろん、会社ですから、働かない者は容赦なくクビにし、ますが、生き生きと働かなくてもよい。いやいやながら仕事をこなしていればいい。いや、その方がいい。そして、あらゆる行事やレクレーションはしない。ただ働くだけの場所です。ずいぶん人が集まってくる優良企業になると思うのです。
 というのも、私は、哲学科の大学院に入ったものの、修士論文が書けそうもなく、家でしばらく寝ていたのですが、生きていくなら会社に勤めるほかないと思って、足を引きずるように家を出て、いろいろな会社に行ってみたのですが、そこには、みんな死ぬことなんかないかのような、世の中に理不尽なことなどないかのような写真や文章が載せられている。強烈な違和感を覚えながらも、選び抜いた(中途採用の)入社試験でたまたま面接まで行くことがあっても、やはり私の「暗さ」は会社の雰囲気にそぐわない。そして、ひとはよく見ているもので、結果としてやはりすべての会社の採用試験に落ちました。「いつも後ろ向きに生きている」姿勢が許される会社があればいいなあ、と痛感したしだいです。
 しかし、現実の会社は「いつも前向きに生きている人」、少なくともそういうふうにすることに抵抗のない人が大手を振って闊歩しており、彼らが上司であると、「いつも前向きに生きている」姿勢の弱い部下を見つけるや、戦前の特高警察のように、たたきなおそうとするのです。(「私の嫌いな10の人々」4いつも前向きに生きている人中95から
7ページより)

 ここに示されている考えは、作家のリリー・フランキー氏の考えに近い。私も実はかなり同感である。しかしもっと興味深いのは、この中島氏の考えはエゴ的側面から語られているということである。つまり「この私」という意識であるということだ。
 この「この私」とは必然的に「あなた」とか「彼、彼女」を含んでいる。つまり氏の感性とは、氏が受け入れられない「いつも前向きに生きている人」を積極的に必要なのである。これは社会的な相関関係において成立する孤独の絶対条件である。例えばそれは氏の作家としてのデビュー作である「ウィーン愛憎」において叙述されたアパートメントを引越しする時に、リフォームしてからその自宅を引き渡す段になって、大家であるオーストリア人夫妻がリフォーム代を請求されることを恐れて元に戻すように要求してきたという体験談が、積極的に日本とオーストリアとの文化間の差異を示すために必要であったということと同じで、そこには対立すべく他者そのものが必要であり、「この私」の立場にはその他者存在が抜き差しがたく厳然と存在理由を自己内におけるある区画において占めているのだ。これは社会ゲーム上での規範的な孤独であり、絶対的な弧絶ではない。
 中島義道的「この私」とは常に<私たち>や「私」や「あなた」から「あなた」が「彼・彼女」という第三者になり得るという覚知を経て、それが「私たち」となって以降の「あなた」や「彼・彼女」にとっての「私」という哲学的な意味では最新の段階のものなのである。
 そのことを語る上でミシェル・アンリの「身体の哲学と現象学」中の幾つかの記述は大いに関係があると思われる。

 動物的生という考えがこの考えがこの存在論の基本的諸テーゼと両立しえないということは、しかし、完全に気づかれないままには済まされえない。このような両立不可能性は、内的生のついての理論がぶつかる諸困難においてあらわとなる。直観と想像力とは全的に昏さのうちに浴し、ビラニズムは「直観の内的器官」にも「想像力の内的器官」にも、いかなる正確なステイタスをも授けることができない。一方には明晰な思惟の諸様態(知性および意志)を、他方には昏い諸情感、諸イマージュ、内的感性を投げ分けることによって、真のコギトの分離を遂行したあとで、ビランは諸体験(Elebnisse)というこの第二のカテゴリーに対して、二つの重大な誤謬を犯している。すなわち、一方では彼はきわめて性急に、これら諸体験を下意識的諸様態として扱うのだが、このようなまったく消極的な仕方でよりほかにこれらの諸体験を規定することは、われわれにはできないのである。他方ではまさしく、ほんらいの心的な生についてのかくも低くおとしめられたこれらの諸体験が、それらの根本的な有機的生の諸様態に、すなわち自然的かつ超越的な諸要素に同化するのである。このときビランは、惨憺たる混乱に陥っている。彼はみずからこのような混乱を、「諸記号の二重の使用」の名のもとにたゆまず告発していたというのに。それゆえ有機的ないし動物的な生ということによって理解すべきは、あるいは自然的な諸過程であり、あるいはほんらいの意味での諸体験、しかし生理学的実在から出発して条件づけられることがつねに肯定されるような諸体験である。この最後のカテゴリーに、たとえばわれわれの諸イマージュの展開は、たんに機械的な、エゴからは独立した法則に従っているのである。同様に、われわれは情感的な生、われわれの諸共感、われわれの諸反応は、「自然に疎遠」であると言われる。それゆえ、今度はコギトそれ自身の次元において、分割があらわれる。つまりコギトとエゴとは、もはや合致しないのである。侵害されているのは、エゴについての存在論的理論の根拠そのものなのである。(第六章 メーヌ・ド・ビランの思想の批判。受動性の問題中、232~233ページより)

 意識が行為[能動]と同一視されてしまうので、受動性の経験は、このような受動性のは外的な或る原理から出発して説明されなければならない。そしてエゴが受動的であると言うことはおそらく、エゴがまさに経験しているラディカルに異なる或る存在という超越的な関係のただなかにエゴによって生きられるがままのこのような経験を現象学的に記述することと、体験を、いわば意識の背後から意識に働きかける三人称の因果的な或る過程の結果として説明すると主張することとは別のことである。しかし意識がその本質そのものにおいて、自ら展開するひとつの行為[能動]であるなら、そのようなものとしてこの本質には、感覚すること、こうむること、触発‐されることは属しえない。印象は運動的能動性[活動]のうちに汲み尽くされるような存在論的構造とは、すなわちビランが考えるがままのエゴとは、両立しえないように思える。しかしそれでも日常的な経験に属しているのである。この印象は、このようなエゴの構造から出発して理解されうるのでなければならないからこそ、このようなエゴの最も固有の存在論的諸可能性のひとつとして現われうるのでなければならない。エゴのその諸印象への関係は、まさしく内感(sense intime)のひとつであるからこそ、ビラニズムが完全に避けて通ることのできなかったひとつの問題を構成しているのである。(第六章 メーヌ・ド・ビランの思想の批判。受動性の問題中、235ページより)

決然たる呼気の努力と香りの非意志的な主観的把捉とのあいだに、本質的な存在論的差異があるわけではない。それどころかむしろ、能動性と受動性とは、唯一にして同じひとつの基本的力能の二つの異なる諸様態であり、この基本的力能が、主観的身体の根源的存在にほかならないのである。(同書同一章内、240ページより)
 
中島氏が後ろ向きな人ばかり集めて会社を創設しようというエッセイで示しているところの主張は明らかにエゴ論的なことである。しかしそのエゴ論的な自分を観察しているところの自分とはコギト論的なことであると言えるだろう。だから氏の著作物中の述懐は、総じてエゴ論的な自分に対するコギト的な自分からの解析という意味合いを持っている。
 中島義道氏はカント解釈の哲学者としても知られるが、何故カント解釈において手腕を発揮するかというと、それは彼が日常生活において日本社会における無意識の内に対立を避け、暗黙の「「ことなかれ」主義」で進行する対人関係における宥和性に対して自我論的な抵抗を試みているからである。しかしその著術家としてのスタンスは現象学が拠って立つ身体論的な超越性、つまり根源的顕示とアンリが示すところの無意識や意識前的な覚知レヴェルの実在論からすれば、全く異なった哲学スタンスである。つまり中島氏は意識前的な覚知レヴェルとは哲学者としての命題論的にはどうでもいいことなのである。何故なら氏は自己の立場や意志を説明し得るレヴェルで全ての哲学の存在理由を考えておられるからである。
 中島義道氏は「醜い日本の私」において、市街地の景観を乱すだけでなく氏自身のおせっかいで市民の主体的思考力を尊重しない倫理的不快を招く大文字を記された垂れ幕、夥しい電柱と電線、四六時中同じことを繰り返す公共放送、市街地の放置自転車などに対する不快を訴え続けていて、マジョリティーはそれらに一向に頓着しないことを論って、では大勢がそうであるから自分もそういうことは些細なことであるとして気にしないようにする努力などしたくはないという決然とした意志を示して終えている。
 だがこの一切の意志すらもあるいは選好性の遺伝子による仕業ではないかと思念するに至った時、あることに対して不快であるということ自体に対して、その感受性を大切にしたいと思うことも、いやマジョリティーの「気にしなさ」に「合わせる」ように自分を訓練するべきなのかということに対して、どちらかに加担しつつそうしようと決意することも双方ともその時点での苦悩の結果どちらかを選択しているわけだから、ただ考えもせず「気にする」ことの感性を大事にして「不快だ」と訴えることをしていたらそれは選好性の遺伝子による直観的判断であるとしてそれを敢えて鈍感であると氏が考えておられる感性のマジョリティーに合わせて「気にならない」ようにするか、いやそういうことを敢えて妥協することを潔しとすることは社会全体の意思決定の合理化における判断基準的には不完全であると意志して敢えて抵抗するかという判断になって、前者の判断を下した場合は初めてそれがただ苦情を言うことと違って意志的な妥協的選択であると溜飲を下げることになるだろうし、後者においてはそういうなし崩し的な妥協が極めて感性のファシズムに加担することになるから抵抗していくということは正しいことであると判断していくということであるだろうが、いずれにしても、恐らく双方とも意志的な意味では熟慮の末に下したのだから理性論的にはいいことであるものの、それは純粋な意志であるかと言うと、どうもそういう時に自分の感受性を尊重することも、それを皆の「気にしなさ」に「合わせて」諦めてしまうということも実はその人間の性格決定遺伝子の仕業ではないのかと問うことになるとすると、ここから先はいつまでたっても埒の開かない無限後退を招聘する。
 しかもこの「気になること」と「気にしなさ」ということは哲学的にどう捉えたらよいのだろうか?あるいは「気になることを大切にする」ことはただ単にエゴなのだろうか?それとも「気になるのに気にしないように努力すること」もまたエゴなのだろうか?そしてコギトとはそのエゴとは全く無縁に成立するのだろうか?
 中島義道氏は「時間論」や「私の秘密」などの純粋哲学テクストにおいて、今意識をより恣意的・相対的にその都度の振幅を持ったものとして絶対的今、絶対的現在を否定しているし、受動的綜合(現象学に顕著であるフッサールの提出した概念)も否定しているし、そういう観点からはカント的な判断の構造主義者であるように見えるが、こと感受性のマイノリティーを自覚することを通した著作物からは、感情の哲学者のようにも見える。そして純粋哲学テクスト創造者としてはコギト的な哲学を標榜していながら、社会悪告発スタイルのテクストではエゴ的な哲学を展開しているように見受けられる。そこに一種の分裂的傾向を認めることも可能である。しかしこれはミシェル・アンリが示している哲学者一般の苦悩(彼自身もそうであるし、メーヌ・ド・ビランも苦悩していたと捉えている)を示してもいる。
 現象学では概してアンリの言葉を借りれば存在論的力能を重んじ、超越的表象に道を譲り渡すことを潔しとしない。ではカントはそこら辺に関してはどう考えていたのだろうか?
 カントが物自体という形で示した考えとは端的にある言説とは、最初は実在する現実界において認められる認識を言葉に置き換えているのだが、そのことを説明する段になると、徐々にその説明原理の方により意識内でかけられる比重が増加して、次第に実在したこと、現実に認められたこと自体の実像そのものがどうであったとか、それに対して写像された説明そのものに迫心性が込められているか否かというような判断そのものがどうでもよくなるということ、つまりよりよい説明を施す段になった認められる思惟や算段といったことの方が意識において大きな比重を占めていくということを示しているように私は思われる。それは意識において支配される言葉のフェティッシュの問題に対するソシュールを先駆けた言及であったとさえ言えると思う。
 それは中島義道氏が説明原理と言葉による意思疎通の本来あるべき対話の姿勢に対して口を酸っぱくして力説している対話論の本論として「意識して語る」という行為の社会法的な有用性ということが多くのエッセイで示した主旨であることを鑑みるとカントは氏の主旨を先取りした判断論者であることが理解出来る。つまりカントはまさに現象学者たちがカントの欠如を捕捉するのに余りある身体実在に関する根源的覚知論者であるのに対して、では脳内で根源的意識や身体的覚知とは別個に「考えること」、「思考すること」をクローズアップすると現象学では捉え切れなかったことに関して即座に立ち現われる思考原理ということに思いを馳せる真に切実な哲学者となるその問題に言及するそういう存在なのである。つまり現象学とはカント的な説明原理を一方で常に必要とするそういう哲学スタンスであるということになる。あるいはカントの哲学は他方に存在する現象学という存在を念頭に置いた思惟論ということにもなるのである。
 最終章ではカントの捉えた重要観念である物自体に焦点を当ててそのことに関する記述の引用を通して考えてみよう。

 付記 リリー・フランキー氏は「笑っていいとも!」において司会のタモリ氏の対談コーナーで「前向きではなく後ろ向きの気持ちをもっと重視していった方がいいですよね」というようなことをタモリ氏と語り合いタモリ氏の共感を得ていた。その主張は中島義道氏の主張と極めて近似的であるように私には思えたのである。(河口ミカル)

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