Tuesday, November 11, 2014

何処迄も何時迄も、動き止まり、果てしなく広がり狭まる(インターミッション・詩)

何処迄も広がり、何処迄も此処の内に入り込む。
時間は先へ先へ進み、誰もが最後は死ぬ。
どんどん老いてゆくけれど、どんどん若くなり、しまいにゃ母体へと戻り、父親の精子になり、そうやって辿って行けば全ての生命の祖先へと辿り着く。
時間の未来は宇宙の広がりに似て、過去は宇宙の誕生を目指す。
過去への旅は宇宙の点への果てなき入り込みみたいだ。
移って広がりを掴み、限りない動きの果ての無さもあれば、止まって縮まり内側に入り込んでゆく動きの果ての無さもある。
一方で益々速さを増してゆこうとすれば、他方益々速さを落としてゆこうとする。
果てしなく速さを増せば、空間はまるで止まっている様に見え、時間だけが経つ気がして、果てしなく遅さを増せば、時間はまるで止まっている様に見え、空間だけが迫っている様に見え、時間も空間も無と永遠が同一のものの様になる。
真っ直ぐに移動し続け加速を増せば、果てしなく動きを止めている様。
止まった侭みたいに鈍くゆっくり動けば、点を求めているみたい。
果てなき止まっているみたいな動きは果てなく動かない様にする動き。
迷いのない点の様に真っ直ぐ移動するのと、果てなくじれったく真っ直ぐでないみたいな真っ直ぐさが持っている、何時迄経っても到達しない、しつっこい点みたいであること。
心は世界なのか?
気持ちの移り行きはあてのない宇宙の旅みたいだ。
否気持ち自体が宇宙で、宇宙の旅が気持ちの移り行きなのだ。
心は宇宙が作り、宇宙は心を作る。
心は宇宙、宇宙は心なのだ。
心は何処迄も何時迄も止まらない、内にも外にもずっと。 (2014.11月から11日迄)

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